[改稿版]奴隷落ち予定の令嬢は公爵家に飼われました

茗裡

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第一部第一章

3 ヒロイン

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 ルナリアは、あれから必死に逃げ回っていた。

 ──ヒロイン、アメリーから。

 何故、悪役令嬢である自分が逃げる側なのか。

 自分でも情けないと思う。だが、それでも近づきたくなかった。

 ルナリアが意図的に距離を取るようになってからというもの、不思議なことに、今度はアメリーの方から近づいてくるようになったのだ。

「ルナリア様、お話がありますので、放課後少しお時間よろしいですか?」

 いつものように柔らかな声でアメリーが話しかけてくる。

「……お話でしたら、今ここで聞きますわ」

 ルナリアは即座に答えた。

 できるだけ二人きりになる状況は避けたい。

 だが。

「ここでは話せないことなんですよぉ」

 アメリーはにこりと微笑む。

「西棟の三階の階段付近でお待ちしてますので。絶対、来てくださいね」

 西棟の三階──。

 その言葉を聞いた瞬間、ルナリアの背筋に冷たいものが走った。

 そこはゲームの中で、ルナリアがアメリーを階段から突き落とす場所。

 そして。

 パトリス殿下と、その側近であるディオンが、まさにその瞬間を目撃する。

 ──破滅への分岐点となるイベント。

「い、嫌ですわ……。わたくし、放課後は予定がありますの」

 ルナリアは思わず言葉を濁した。

 だが、アメリーは引かない。

 彼女は時折、期待するような目でルナリアを見る。

 その視線が、どうにも気味が悪かった。

(……まさか)

 ルナリアの胸に、ある可能性がよぎる。

 ──この世界のことを、彼女は知っているのではないか。

 もしそうなら。

 この先、自分が辿る運命も。
 奴隷へと堕ちる未来も。

 すべて知っていることになる。

 身体が小さく震えた。

「そんなに時間は取りませんので」

 アメリーは甘えるような声で言う。

「少しだけ、お聞きしたいことがあるだけなんですぅ」

 ちらりとアメリーを見た瞬間、ルナリアの背筋に冷たいものが走った。

 柔らかな笑みを浮かべているはずのその顔。

 だが、その双眸だけは──

 ぎらぎらとした光を宿していた。

「申し……わけ、ございません。放課後は、すぐに帰らなくてはならないので……」

 声が震える。

 必死に言葉を絞り出す。

 怖い。

 あの目は──

 人を陥れようとする者の目だった。

 ルナリアはそれ以上会話を続けることなく、その場を離れた。

 そして放課後。

 一目散に寮へと駆け戻った。

 アメリーは、ルナリアからパトリス殿下を奪った。

 それだけではない。

 最近では、ルナリアがアメリーに酷い嫌がらせをしているという噂まで学園中に広まっている。

 そのせいで、生徒たちからの信頼も失いつつあった。

 それなのに。

 まだ何かを奪おうとしているのだろうか。

「……怖い」

 ぽつりと呟く。

 今、ルナリアは確信していた。

 自分は今、シナリオという決められた線の上に乗せられているのだと。

 数日前。

 アメリーがならず者に襲われたという噂が立った。

 本来のゲームのシナリオでは、そのならず者をけしかけたのはルナリアだった。

 だが──

 今回、ルナリアは何もしていない。
 それなのに、事件は起きた。

 そして。

 殿下たちから疑いの目を向けられている、第一の容疑者は──

 ルナリアだった。

「パトリス様の……あんな蔑んだ目、初めて見たわ……」

 あのときの光景が、頭から離れない。

 アメリーを庇うように立つ殿下。
 さらに、周囲にいた攻略対象者たちの、冷たい視線。

 まるで罪人を見るかのような目だった。

 ただ一人。
 氷の貴公子と呼ばれる男だけは──

 まったく表情を変えていなかった。

「これから……どうなるんだろう。わたくし……」

 呟いた声は、かすかに震えていた。

 このままシナリオの強制力に流されれば。

 婚約破棄され。
 平民へ落とされ。

 そして──

 奴隷へと堕ちる未来が待っている。

 それは、ゲームで何度も見た結末。
 だが今は、他人事ではない。

 ◇

 そして──翌日。

 ルナリアが学園へ登校すると、教室の中にはすでに多くの生徒が集まっていた。

 その中で、ひときわ目を引く人物がいる。

 アメリーだった。

 彼女は椅子に座り、身体のあちこちに包帯を巻いている。

 腕。肩。額。

 まるで大きな事故にでも遭ったかのような姿だった。

 ルナリアが教室へ足を踏み入れた瞬間。

 それまで騒がしかった室内が、水を打ったように静まり返る。

 ざわめきが、ぴたりと止まった。

 数十人の視線が、一斉にルナリアへと向けられる。

「あ……ルナリア様。ご機嫌よう」

 アメリーが小さく声をかけた。

「昨日のことは、気にしないでくださいね。これも……私の自己責任なので。あまり気に病まれないでください」

 アメリーの身体は小刻みに震えていた。

 ルナリアに向ける表情は怯えに満ちている。

 青ざめた顔で、無理に笑顔を作っていた。

 ──話が見えない。

 ルナリアは眉をひそめた。

 昨日の放課後。

 ルナリアは西棟へ行っていない。

 それどころか、どこにも寄らず、まっすぐ寮の自室へ戻ったはずだ。

 それなのに。

「あの怪我って……ルナリア様が……」
「階段から突き落とされたんだって?」
「さすがに……そこまで出来ませんわよね……?」

 ひそひそと囁き合う声が、あちこちから聞こえてくる。

 男女関係なく、クラスメイトたちの視線が集まる。

 その視線に込められているのは──

 軽蔑。
 侮蔑。
 嫌悪。
 そして、憎悪。

 ルナリアの背筋を冷たい汗が伝った。

「アメリー、震えているではないか」

 そのとき、低い声が教室に響いた。
 パトリス殿下が、アメリーの隣に立っている。

「あんな仕打ちを受けたというのに、そなたは優しいな」

 そう言って、アメリーの肩にそっと手を置く。

 そして──

 次の瞬間。

 その視線が、鋭くルナリアへ向けられた。

「それに比べて、ルナリア!」

 教室の空気がさらに張り詰める。

「君は昨日の放課後、アメリーを突き飛ばしておきながら、すぐに逃げるとはどういうことだ」

 ルナリアの胸が強く脈打った。

「アメリーが階段から落ちているところを発見したときは、肝が冷えたほどだ」

 パトリスはそう言った。

 本来なら。

 タレ目と柔らかな声が印象的な、優しい王子のはずだった。

 だが今、ルナリアへ向けられているのは──

 鋭い眼差しと、氷のように冷たい声音だった。
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