[改稿版]奴隷落ち予定の令嬢は公爵家に飼われました

茗裡

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第二章

9 牽制

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「あ、あの! もしかして、貴女様はディオン様のお姉様ですか?」

 場の空気を読まない声が、教室に響いた。

 ──いや。

 本当は読めているのだろう。

 だが、自分が除け者にされている状況に耐えられず、あえて声を上げたのだ。

 ルナリアには、それが分かっていた。

 アメリー・バルテ​──彼女はそういう人間だ。

 よく言えば、天真爛漫。
 悪く言えば、厚顔無恥。

 その飾らない振る舞いに惹かれたのが、今彼女の周囲を囲んでいる攻略対象者たちだった。

 だが、アネットはアメリーの言葉を聞いていないかのように、ゆっくりとパトリスへ向き直る。

「わたくし共は、これで失礼致しますわ。今日はディオンも連れ帰りますが、よろしいでしょうか?」
「あ、ああ……。生徒会の仕事も、急ぎのものはないから大丈夫だ」

 パトリスはどこか慌てたように答えた。

「ありがとうございます」

 アネットは優雅に一礼する。

「行くわよ、ディオン」

 そう言って踵を返した。

 アメリーの言葉など、最初から存在しなかったかのように。

 ディオンはルナリアの隣へ歩み寄り、そのままアネットの後に続こうとする。

 ──その時だった。

「あの!」

 甲高い声が再び響く。

「私の声、聞こえてますよね! どうして無視するんですか!」
「アメリー!?」

 パトリスが慌てて声を上げる。

 しかし、アメリーは止まらない。

 ついにアネットの背へ向かって声をぶつけた。

「……それは、わたくしに言っているのかしら」

 アネットは足を止め、ゆっくりと振り返る。

「そうです!」

 アメリーは一歩前に出た。

「いくら爵位が高いからって、人の言葉を無視するなんて酷いと思います!」

 その言葉に、教室がざわめいた。

 公爵家の令嬢に向かって、ここまで言い切る者は滅多にいない。

 だがアネットは、表情一つ変えない。

 ただ静かに、アメリーを見下ろしていた。

 アメリー・バルテは、正義感に満ちた顔でアネットを睨みつけた。

 本当に──変わらない。

 ルナリアは心の中で小さく息を吐く。

 貴族社会に新しい風を。

 そんな理想を掲げる彼女。

 だが。

 ルナリアにとって、それはあまりにも現実を知らない──夢物語にしか思えなかった。

 そして何より。

 この変わらぬ態度だけは、未だに辟易としてしまう。

 その厚顔無恥さも。

 それを当然のように容認する殿下や攻略対象者たちにも。

「貴女は、バルテ子爵のご令嬢ですわね?」

 アネットが静かに問いかける。

「そうです。それが何だと言うんですか」

 問いかけただけだというのに、アメリーは過剰なほどに噛みついた。

 その瞬間。

 アネットの瞳が、すっと細められる。

「……分を弁えなさい」

 ピシャン、と。

 鞭を打つような声が、静かな教室に響いた。

 声量は決して大きくない。

 だが、不思議なほどよく通る声だった。

 アネットの瞳は、どこまでも冷たい。

 その一言には、彼女の静かな怒りがはっきりと滲んでいた。

 教室の空気が、一瞬で凍りつく。

 周囲の生徒たちも、それを感じ取ったのだろう。

 誰も言葉を発さない。

 ただ、青ざめた顔でこちらを見つめていた。

「なっ……」

 アメリーは突然のことに言葉が出ないのか、口をぱくぱくと開閉させるだけだった。

 だが、アネットはそんな彼女を一瞥することもなく、再び殿下たちへと向き直る。

「ああ、そうでしたわ。わたくしから皆様にご報告がございますの」

 静かな声だった。

 しかし、教室中の視線が自然と彼女に集まる。

「彼女、ルナリアを──グラニエ公爵家から、ディオンの侍女として育成科へ通わせることになりましたの」

 わずかに間を置き、アネットは続ける。

「残り短い期間ではありますが、皆様。ルナリアとも、ディオン同様に仲良くしてくださると嬉しいですわ」

 そこでアネットは──ふっと微笑んだ。

 この場に来て初めて見せた、惚れ惚れするほど美しい笑みだった。

 だが、その笑顔の意味を理解できない者は、この場にはいない。

 アネットの言葉は、生徒たちへの牽制だった。

 公爵家に仕える者だと示すだけでも、そう簡単に手出しはできなくなる。

 しかも。

 ディオンの侍女であり、彼と同様に扱うよう求めた。

 これはさらに強い意味を持つ。

 もしルナリアに手を出せば──

 それはグラニエ公爵家に仇なしたことと同義になる。

(アネット様は……)

 ルナリアは胸の奥が熱くなるのを感じた。

(このために、わざわざ……)

 アネットは最初から、この場面を想定していたのだろうか。

 自分のために。

 その事実に、思わず涙がこみ上げそうになる。

 ルナリアは下唇を強く噛み締め、それを必死に堪えた。

 俯いたその頭に──

 そっと、手が触れる。

 クロエだった。

 彼女は何も言わない。

 ただ一度だけ、優しくルナリアの頭を撫でた。

「えっ、どういうことですか!? ルナリア……様は、平民になったはずじゃ……」

 アメリーの声が震える。

 ルナリアは心の中で静かに思った。

(やっぱり……)

 彼女は知っていたのだ。

 自分が平民に落とされることを。

 知っていて──陥れた。

「平民になったから、私の侍女として雇ったのですよ」

 淡々とした声で答えたのは、ディオンだった。

「ど、どうしてですか!?」
「君に答える義理はない」

 短い言葉。

 それだけで、空気が冷える。

「でも……ルナリア様ですよ? 私、ルナリア様に酷いいじめを……」

 アメリーの目に涙が浮かぶ。

 だが。

「……だから?」

 ディオンの視線は、どこまでも冷たかった。

「え? ……い、いや、だから……ルナリア様はディオン様の侍女にしない方が──」
「君には関係ない」

 言葉を途中で切り捨てる。

「わ、私はディオン様が心配なんです!」

 アメリーは必死に訴える。

 だがディオンはもう興味を失ったように視線を外した。

「……行きましょう、姉上」
「あら、もういいの?」
「ルナリアが私の侍女であることは、グラニエ家の決定ですので」
「ふふっ、そうね」

 アネットは無表情のままだったが、その瞳にはどこか楽しげな光が宿っていた。

 先ほどからずっと、アメリーとディオンのやり取りを静かに眺めていたのだ。

 だがディオンは、それ以上続けるつもりはないらしい。

 強引に会話を打ち切る。

 アメリーはまだ何か言おうと口を開いた。

 けれど。

 アネットもディオンも、振り返ることはなかった。

 二人はそのまま教室を後にする。

 クロエとルナリアも、その背中を追った。

 こうして四人は、そのまま学園を後にした。
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