[改稿版]奴隷落ち予定の令嬢は公爵家に飼われました

茗裡

文字の大きさ
10 / 12
第二章

10 ファースト・キス

しおりを挟む
 ――何がどうなって、こうなっているのだろうか。

 ルナリアは、ふかふかのソファの上に仰向けに倒れていた。

 自分でも状況が理解できない。

 ディオンに右手を掴まれ、そのままソファへ引き込まれたのだ。

 そして今。

 その手はまだ離されていない。

 ディオンはルナリアの顔のすぐ横に片手をつき、片腕を支点にして覆いかぶさるような姿勢を取っている。

 近い。

 近すぎる。

 ルナリアの思考は完全に停止していた。

 ――遡ること、数刻前。

 アネットに連れられ、学園近くの店で夕食を取ったルナリアたち。

「ルナリアちゃんと離れたくない~っ」

 そう駄々をこねるアネットを、クロエが無言で引きずりながら連れ帰っていった。

 二人はそのまま領地へ戻るらしい。

 結果として残されたのは、ルナリアとディオンの二人だけだった。

 二人はそのまま学生寮へ戻った。

 ルナリアは侍女服へと着替え、ソファでくつろぐディオンにお茶を出す。

 そして――

 沈黙が四半刻ほど続いた。

 ディオンは書類に目を通していたが、ようやく顔を上げる。

「ルナリア、こちらへ」
「はい。いかがなさいましたか?」

 呼ばれて傍へ寄る。

 するとディオンは、机の上の書類を指で叩いた。

「ここに、君の冤罪を証明する証拠が揃っている」

 ルナリアは瞬きをした。

 咄嗟に言われた意味が理解できなかったのだ。

「姉さんにも協力してもらって、君のアメリー嬢に対するこれまでの冤罪を証明する証拠を集めた」
「証拠……ですか?」
「ああ」

 ディオンは淡々と続ける。

「確かに君は、アメリー嬢への嫌がらせに加担し、指示する立場でもあった。それは事実だ」

 ルナリアの胸が小さく痛む。

「だが、それは些細なことだ」

 淡々とした声だった。

 確かにルナリアが直接手を出したのは、教科書を破いたり、難癖をつけたりする程度。

 侯爵家の権力があれば、いくらでも揉み消せる程度のことだった。

 直接危害を加えたことはない。

「この事実を証明すれば、信頼を取り戻すことができる。場合によっては侯爵家へ戻ることも可能だろう」
「……なぜ、それを今更……?」

 戸惑いながら問い返す。

 ディオンはしばらくルナリアを見つめてから、静かに答えた。

「そう思うのも無理はない」

 抑揚のない声で、淡々と続ける。

「君があの場で抗うなら、ルナリアの冤罪を証明するつもりだった」

 あの場。

 ――婚約破棄を告げられた夜会。

 ルナリアはすぐに理解した。

「だが君は、あろうことかアメリー嬢の虚言まで受け入れ、すぐに身を引いた」

 確かに、抗おうとはしなかった。

 すぐに諦め、身を引いた。

 けれど――

 今となっては、すべてどうでもいいことだった。

 たとえ冤罪を晴らし、信用を取り戻せたとしても。

 今さら、あの家へ帰りたいとは思わない。

 それよりも。

 将来、アネットの傍に仕え、彼女の役に立つこと。

 それこそが今のルナリアの望みだった。

「お気遣いありがとうございます。しかし、それはわたくしには必要ございません」

 ルナリアは静かに答えた。

 ディオンの瞳が、わずかに細められる。

「……なぜだ」
「わたくしはアネット様に拾われた身です。それに――」

 一度、言葉を区切る。

「侯爵令嬢としてのルナリア・アングラードの人生は、すでに終わりました」

 静かな声だった。

「これからは第二の人生。ただのルナリアとして、グラニエ家に仕える者として生きていくと決めたのです」

 ディオンはしばらく黙ってルナリアを見下ろしていた。

 やがて、低い声で言う。

「君はパトリス殿下が好きだっただろう。アメリー嬢の言葉が虚言だと分かれば、殿下も目を覚ます可能性はある」

 その言葉に――

 ルナリアの肩が、びくりと震えた。

 自分でも反射的な反応だと分かる。

 もし冤罪が晴れたなら。

 あの陽だまりのような笑顔を、もう一度向けてくれるかもしれない。

 ……だが。

 ルナリアは小さく首を振った。

 そんなことは、ありえない。

 それに――

「あの御方の笑顔が、陰るところは見たくありませんわ」

 眉尻をわずかに下げ、ルナリアは空笑いを浮かべた。

 その瞬間だった。

 ルナリアの右手首が強く掴まれる。

 次の瞬間には、ディオンに引き寄せられ――そのままソファの上へ倒れ込んでいた。

 気づけば、ディオンが片手をつき、覆いかぶさるようにルナリアを見下ろしている。

 至近距離。

 逃げ場はない。

 ディオンの端正な眉は、深く寄せられていた。

 眉間に皺が刻まれるほど強く。

 そのせいだろうか。

 普段は何も映さないように冷たいだけの眼差しが、今は違って見える。

 怒りと――

 どこか哀しげな色を帯びているように感じた。

「……何故」

 低い声が落ちる。

「お前は、そんな顔で笑う」
「え……?」

 ルナリアは目を瞬いた。

「あ、あの……ディオン様?」
「お前は昔からそうだ」

 ディオンの声は、静かだった。

「一人で耐えて、心の内側に本音を隠してしまう」

 薄い寒色の瞳の奥に、ルナリアの姿が映る。

 まっすぐに見つめるその視線。

 逃げ場のない、真っ直ぐな目だった。

(きれい……)

 場違いな感想が、ふと頭に浮かぶ。

 こんな状況だというのに。

 目の前の瞳に、意識が吸い寄せられてしまう。

「なぜ、助けを求めない」

 ディオンの声が、わずかに低くなる。

「なぜ……俺を頼らない」

 そして。

「……ルナリア」

 名前を呼ばれた、その瞬間。

 ドクン、と。

 心臓が大きく鳴った。

 ディオンの瞳が、ほんの僅かに熱を帯びる。

 氷のようだったその瞳に、今だけは確かに、別の色が宿っていた。

「ルナリア……」

 もう一度、名を呼ぶディオンの声は低く、掠れていた。

「君がグラニエ家に仕えるこの現状を望むのであれば――」

 その瞳が、強くルナリアを捉える。

「君は、俺のものだ」

 逃げ場を与えないように。

「姉さんにも、誰にも渡さない」
「ディオン……さ――」

 言葉は、最後まで紡がれなかった。

 ディオンの顔が近づいたかと思うと、次の瞬間には唇を塞がれていた。

 柔らかな感触が重なる。

 ルナリアの目が大きく見開かれる。

「……んっ」

 ディオンの腕は顔の横に折り曲げられ、逃げ道を塞ぐように支えられている。

 右手は、まだ掴まれたままだった。

 顔を逸らそうとする。

 だが、ディオンはすぐに追いかけてくる。

 再び重なる唇。

 左手で肩を押し返そうとするが、びくともしない。

 触れるたび、かすかな音が静かな部屋に落ちた。

 強引なのに、どこか優しい。

 なぞるように触れ、離れてはまた求めるように重なる口づけ。

 ディオンの瞳が、すぐ近くにあった。

 縋るように。

 求めるように。

 熱を帯びた視線。

 それに当てられるように、ルナリアの体温もじわりと上がっていく。

「……逃がさない」

 囁くような声。

 そして、もう一度触れた口づけ。

 それを最後に。

 ルナリアの意識は、ふっと途切れた。

 最後に見えたのは──

 ディオンの瞳。

 そこには、普段の冷たい光とは違う、獰猛なほど鋭い輝きが宿っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

【完結済】監視される悪役令嬢、自滅するヒロイン

curosu
恋愛
【書きたい場面だけシリーズ】 タイトル通り

悪役令嬢は天然

西楓
恋愛
死んだと思ったら乙女ゲームの悪役令嬢に転生⁉︎転生したがゲームの存在を知らず天然に振る舞う悪役令嬢に対し、ゲームだと知っているヒロインは…

9時から5時まで悪役令嬢

西野和歌
恋愛
「お前は動くとロクな事をしない、だからお前は悪役令嬢なのだ」 婚約者である第二王子リカルド殿下にそう言われた私は決意した。 ならば私は願い通りに動くのをやめよう。 学園に登校した朝九時から下校の夕方五時まで 昼休憩の一時間を除いて私は椅子から動く事を一切禁止した。 さあ望むとおりにして差し上げました。あとは王子の自由です。 どうぞ自らがヒロインだと名乗る彼女たちと仲良くして下さい。 卒業パーティーもご自身でおっしゃった通りに、彼女たちから選ぶといいですよ? なのにどうして私を部屋から出そうとするんですか? 嫌です、私は初めて自分のためだけの自由の時間を手に入れたんです。 今まで通り、全てあなたの願い通りなのに何が不満なのか私は知りません。 冷めた伯爵令嬢と逆襲された王子の話。 ☆別サイトにも掲載しています。 ※感想より続編リクエストがありましたので、突貫工事並みですが、留学編を追加しました。 これにて完結です。沢山の皆さまに感謝致します。

気配消し令嬢の失敗

かな
恋愛
ユリアは公爵家の次女として生まれ、獣人国に攫われた長女エーリアの代わりに第1王子の婚約者候補の筆頭にされてしまう。王妃なんて面倒臭いと思ったユリアは、自分自身に認識阻害と気配消しの魔法を掛け、居るかいないかわからないと言われるほどの地味な令嬢を装った。 15才になり学園に入学すると、編入してきた男爵令嬢が第1王子と有力貴族令息を複数侍らかせることとなり、ユリア以外の婚約者候補と男爵令嬢の揉める事が日常茶飯事に。ユリアは遠くからボーッとそれを眺めながら〘 いつになったら婚約者候補から外してくれるのかな? 〙と思っていた。そんなユリアが失敗する話。 ※王子は曾祖母コンです。 ※ユリアは悪役令嬢ではありません。 ※タグを少し修正しました。 初めての投稿なのでゆる〜く読んでください。ご都合主義はご愛嬌ということで見逃してください( *・ω・)*_ _))ペコリン

私は《悪役令嬢》の役を降りさせて頂きます

・めぐめぐ・
恋愛
公爵令嬢であるアンティローゼは、婚約者エリオットの想い人であるルシア伯爵令嬢に嫌がらせをしていたことが原因で婚約破棄され、彼に突き飛ばされた拍子に頭をぶつけて死んでしまった。 気が付くと闇の世界にいた。 そこで彼女は、不思議な男の声によってこの世界の真実を知る。 この世界が恋愛小説であり《読者》という存在の影響下にあることを。 そしてアンティローゼが《悪役令嬢》であり、彼女が《悪役令嬢》である限り、断罪され死ぬ運命から逃れることができないことを―― 全てを知った彼女は決意した。 「……もう、あなたたちの思惑には乗らない。私は、《悪役令嬢》の役を降りさせて頂くわ」 ※全12話 約15,000字。完結してるのでエタりません♪ ※よくある悪役令嬢設定です。 ※頭空っぽにして読んでね! ※ご都合主義です。 ※息抜きと勢いで書いた作品なので、生暖かく見守って頂けると嬉しいです(笑)

悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。

香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。 皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。 さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。 しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。 それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?

悪役令嬢を彼の側から見た話

下菊みこと
恋愛
本来悪役令嬢である彼女を溺愛しまくる彼のお話。 普段穏やかだが敵に回すと面倒くさいエリート男子による、溺愛甘々な御都合主義のハッピーエンド。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...