天にあまねく、丹(あか)なる命 ~冷酷武王と戦乙女の契約花嫁~

茗裡

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1-1 丹命の戦乙女

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 程なくして、オスカーの料理が運ばれてきた。
 出来たてのシチューの湯気が立ち上り、濃い香りが鼻腔をくすぐる。
 その脇にパンが添えられ、オスカーはまずエールを煽って喉を潤した。

「……別に、生き急いでいるわけじゃない」

 ロザリアの声が、静かに落ちる。

「私はただ……アルフレートや、コルドゥラのように、悲しむ民を、これ以上見たくないだけだ」

 アルフレートの戦死を伝えたのは、ロザリアとオスカーだった。

 アウレンシュタイン領の女性たちは、土地柄もあり、また長く続く戦の中で生きてきたためか、覚悟を強いられる環境に身を置いている者が多い。
 男たちを戦へ送り出し、もし何かが起きても、自らの力で立ち上がらねばならない。

 コルドゥラも、例外ではなかった。

 訃報を聞いた彼女は、静かに涙を流した。
 だが、取り乱すことはなかった。

 アルフレートが立派に戦ったことを誇りだと語り、最後まで彼を想い、気丈に振る舞っていた。

 ――それでも。

 家の中へ入り、扉が閉まった、その瞬間。

 内側から、堪えきれぬ嗚咽が溢れ出した。
 泣き叫ぶ声が、閉ざされたはずの扉を越えて、外にまで漏れてきた。

 ロザリアは、その場で立ち尽くすことしかできなかった。

 爪が食い込み、血が滲むほど、拳を強く握り締めながら。

「私は、いつかこの戦いを終わらせたい」

 ロザリアは、静かだが揺るぎのない声で言った。

「私が戦場に立ち、恐れられる存在になればいい。敵は、無闇に襲ってこなくなるはずだ」
「敵は臆病で、卑怯な連中だ」

 オスカーが肩をすくめる。

「正面からの合戦になれば、こちらが勝つ。向こうもそれは分かってるから、深入りはして来ない。せいぜい、離れた小さな村や町を襲って、略奪するだけだ」
「だから――私たちが助けに行くんだろう」

 ロザリアは杯を一気に煽り、勢いよくテーブルに置いた。
 軽く身を乗り出し、オスカーを見据える。

「小さな村や町であろうと、私がすぐに駆けつけることができれば、敵はどう思う?」
「……俺が来ることで、村一つ襲うにも、アウレンシュタインを敵に回す覚悟が必要になる」
「そうだ!」

 ロザリアは、力強く頷いた。

「あいつらに、“ロザリアが来たらまずい”そう思わせることができたら、それで勝ちだ」

 赤髪の女戦士の名は、すでに敵国にも知れ渡りつつある。
 ロザリアが“恐怖そのもの”として認識されれば、侵略を踏みとどまらせることができる。

 牽制としては、確かに成功しつつあった。

「だがな」

 オスカーは声を落とす。

「敵も、伊達に百年も小競り合いを続けてきたわけじゃない。一人一人が精鋭だ。それに……」

 一拍置いて、言った。

「ローデンの第三王子の野郎を、忘れてるわけじゃないだろ」

 その名を聞いた瞬間、ロザリアは鼻を鳴らし、顔を背けて椅子に深く腰を下ろした。

「……ムカつく奴だ。忘れるわけがない」

 ローデン公国第三王子、フェルディナント・フォン・ローデン。
 ロザリアの名が敵国に広まり始めた頃、彼女はその男と出会った。

 実際に、何度か剣を交えている。
 だが、彼は常に飄々としており、本気を出すことなく引いていく。

 そして――
 戦いの最中、敵であるはずのロザリアに向かって、平然とこう言い放ったのだ。

 「俺の女になれ」

 ふざけているとしか思えない男。
 だが、その軽さの裏に、底知れぬ何かを感じさせる存在でもあった。

「次に会ったら……」

 ロザリアは低く呟く。

「引っ捕えて、人質にしてやる。ローデン公国との、立派な交渉材料だ」

 その瞳には、怒りと同時に、揺るがぬ決意が宿っていた。

「ロザリア……」

 オスカーは一拍置いてから、慎重に口を開いた。

「ローデンの第三王子のこともある。次の戦では、前線じゃなく――一度、後方に回るのはどうだ」

 ロザリアの動きが、ぴたりと止まる。

「それに……俺たち、今年で十六だろ」

 言葉を選ぶように、オスカーは視線を落とした。

「伴侶を持つにも、悪くない年頃だ。お前も……一応は、女なんだからさ」

 空気が、わずかに軋んだ。

「戦場以外の幸せを、考えてもいいんじゃないかって……俺は、そう思ってる」

 オスカーは慌てて言葉を重ねる。

「お前は気性も荒いし、男勝りだし……正直、そこらの男じゃ手に余るだろうけど」

 冗談めかして笑い、続ける。

「――まあ、俺なら一応、お前の理解者でもあるし? 手に余る、なんてこともないと思うんだが。もし、お前が嫁に行きたいって言うなら……」

 ――バンッ。

 乾いた音が店内に響いた。

 ロザリアは勢いよくテーブルを叩き、立ち上がっていた。

「……私の、一番の理解者だと思ってた」

 声は低く、震えている。

「あんたの口から……“女だから”なんて、そんなくだらない言葉が出てくるとは思わなかった」

 その表情は、怒りよりも、はっきりと“傷”を帯びていた。

「ロザリア、俺は――」
「帰る!」

 ロザリアは、強く言い放つ。

「今日はもう……あんたの顔、見たくない。追いかけてこないで」

 それは、拒絶だった。

 事前に釘を刺されてしまえば、オスカーには、引き止める言葉も、追いすがる理由も残されていない。

 ロザリアは卓に金を置き、踵を返す。
 そして一度も振り返ることなく、店を後にした。

 残されたオスカーは、両手を組み、テーブルに肘をついた。
 深く息を吐き出すと、そのまま手の甲に額を押し付ける。

「……バカか、俺は」

 掠れた声で、吐き捨てる。

「――あいつの言う通りだ。一番の理解者は、俺であるべきだっただろ……」

 気持ちが、逸ってしまった。
 ローデン公国の第三王子の存在が頭から離れず、ロザリアを失う不安ばかりが先に立った。

 結果として――
 彼女に、自分の願望をぶつけてしまったのだ。

「まあまあ、兄ちゃん。そんなに気を落とすなって」

 周囲にいた中年の男たちが、いつの間にか集まってくる。

「女に一度や二度振られたくらいで、そんな顔すんなよ」
「そうそう。ここの女は気が強ぇからな。俺なんざ、女房を落とすのに八回も求婚したぜ」

 彼らはそれを、ありふれた痴話喧嘩だと思っている。
 肩を叩き、笑いながら励ます。

「ほら、これでも飲んで元気出しな」

 差し出されたジョッキを受け取り、オスカーは中身を一気に飲み干した。

 ――分かっていたはずだ。

 ロザリアが、誰よりも戦争を嫌い、
 血が流れることを憎み、
 民が平和に暮らせる未来を、心の底から願っていることを。

 その未来を実現するために、自分も力を貸すと、確かに誓ったはずだった。

 それなのに――
 後方に回れ、結婚しろ、戦場から離れろ。

 それは、彼女の夢を否定する言葉に他ならない。

 もちろん、そんなつもりはなかった。
 ただ、生きていてほしかっただけだ。

 だが――
 戦場を離れ、剣を捨てた人間に、ロザリアが目指す未来を切り開くことができるのか。

 答えは、分かっている。

 ロザリアにとって、それは裏切りと受け取られても、何らおかしくはなかった。

 オスカーは、もう一度深く息を吐いた。

 ――失敗した。

 胸の奥に重く沈むその思いを、エールの苦味と一緒に、飲み下すことしかできなかった。
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