天にあまねく、丹(あか)なる命 ~冷酷武王と戦乙女の契約花嫁~

茗裡

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1-1 丹命の戦乙女

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 翌日。
 ロザリアとオスカーは、火急の知らせを受け、アウレンシュタイン邸へと戻ってきていた。

「お待ちしておりました。ロザリアお嬢様」

 出迎えたのは、一人の男だった。

 きちんと糊の利いたシャツに、端正なウエストコート。
 そして、彼の象徴とも言える片眼鏡。
 生真面目そうなその風貌は、彼の性格をそのまま映しているかのようだ。

 名を、ハインリヒ・フォン・ヴァルデック。
 アウレンシュタイン辺境伯ディートリヒの片腕にして、長年仕える側近である。

「ハインリヒ……この手紙は、どういうこと!?」

 ロザリアの手には、早馬が運んできたばかりの封書が握られていた。
 怒りを孕んだその声が、邸内のホールに響き渡る。

「その件につきましては――」

 ハインリヒは一礼し、淡々と告げる。

「お父上が、私室書斎にてお待ちです」
「……わかった」

 ロザリアは短く答えると、踵を返し、中央階段へと向かった。

 その背を追おうとしたオスカーの前に、すっとハインリヒが立ちはだかる。

「オスカー。君は行かなくていい。ここで待つんだ」

 オスカーは一瞬、納得のいかない表情を浮かべたが、やがて歯を食いしばり、立ち止まった。

「……ハインリヒさん」

 低く、噛みつくように問いかける。

「俺にも、どういうことなのか……説明してくれるんですよね?」

 睨むように視線を向けられても、ハインリヒは顔色一つ変えず、静かに見下ろした。

「どういうことも何も」

 ただ一言。

「――手紙に書かれていた通りだ」

 それ以上は、何も語らなかった。

 ロザリアは、二階にある私室書斎の扉の前で立ち止まり、一度だけ深く息を吸った。
 胸の内を整え、気持ちを切り替える。

 そして、二度、控えめに戸を叩いた。

「お父様。ロザリアです」

 外から声をかけると、すぐに中から低い声が返ってくる。

「入りなさい」

 許可を得て、ロザリアはドアノブに手をかけ、静かに扉を開いた。

 一階の執務用書斎とは異なり、この部屋はこじんまりとしている。
 壁際の棚には所狭しと書物が並び、本棚に収まりきらなかったものは床にまで積み重なっていた。
 思索と判断のための、私的な空間だ。

 その部屋の中で、三人の男がロザリアを待っていた。

「……カール兄様に、ルート兄様までお揃いで」

 思わず、ロザリアは目をわずかに見開いた。

「よう、ロザリア。随分と功績を上げているそうじゃないか」

 中央に置かれたソファに腰掛け、紅茶を嗜みながら片手を上げたのは、次兄ルートヴィヒだった。
 いつもの豪胆さを崩さぬ軽い調子で、妹に声をかける。

「ルート兄様が、自由に動けるようにしてくださっているおかげです」
「わははは。流石は俺の妹だ。ローデン兵の中で、お前の存在を知らぬ者はおらんだろうな」

 ロザリアは、敬意を込めて言葉を返す。
 ルートヴィヒはそれを受け、豪快な笑い声とともに妹の働きを褒め称えた。

「……ルートヴィヒ」

 低く、厳格な声が書斎に落ちる。

「おっと」

 その一言で、ルートヴィヒは即座に笑みを引っ込めた。

「ロザリア」

 冷静な声音で口を開いたのは、書斎机の傍に立つ長兄カールハインツだった。
 机の向こうには父ディートリヒが座っている。

「君は、父上に言いたいことがあって、ここへ来たのだろう?」

 理路整然としたその問いかけに、ロザリアは自然と背筋を正した。

 そして、ツカツカと迷いのない足取りで、書斎机の前まで歩み寄る。

「お父様。――これは、どういうことですか!?」

 ロザリアは、手にしていた封書を机に叩きつけた。

 ダンッ、と鈍い音が響く。

 だが、ディートリヒはその封書にちらりと視線を落としただけで、抑揚のない声を返す。

「そこに、すべて書かれているだろう」
「ええ、そうね」

 ロザリアは唇を噛み、言葉を絞り出す。

「王の勅命で、妃に選ばれたから王都へ行け――そう書かれていたわ」

 そこには、事前の相談も、意思の確認もなかった。
 ただ、有無を言わせぬ決定事項としての命令だけが記されている。

「私は、王都になんて行かない!」

 ロザリアは声を荒らげた。

「お父様は……私がここから遠く離れた王都へ行ってもいいと、本気で仰るの!?」
「王家からの、正式な申し入れだ」

 ディートリヒの表情は、微動だにしない。

 母が亡くなって以来、彼の顔から感情は失われたかのようだった。
 笑顔はおろか、柔らかな表情を見た記憶さえ、遠い過去のものに思える。

「ようやく……敵に恐れられる存在になってきたというのに……」

 ロザリアの声が、悔しさに震える。

「私が王都へ行けば、ローデン兵の連中は、また国境近くの町や村を襲い始めるかもしれないじゃない!」
「お前の働きは、ルートヴィヒから聞いている」

 ディートリヒは、落ち着いた声でそう言った。

「だが、それは――お前一人の功績ではあるまい」

 静かに向けられたその視線に、ロザリアは一瞬、言葉を失う。

「聞けば、オスカーの存在も、すでに敵兵に知れ渡っているそうだ」

 淡々と、事実を積み上げるように。

「ロザリア。お前がいなくとも、役割はオスカーが引き継いでくれる」

 その言葉は、慰めでも評価でもない。
 領主としての判断。

 ロザリアは、父の放つ静かな圧に射竦められ、思わず息を呑んだ。

「……そう……かも、しれません」

 歯を食いしばり、断腸の思いで言葉を紡ぐ。

 ディートリヒの言う通りだった。
 オスカーの存在は、すでにロザリアと同じく敵兵に知れ渡っている。
 彼がいれば、彼女が不在でも戦果は維持されるだろう。

 それが――悔しかった。

「でも……私は、王を知らないわ!」

 ロザリアは声を強める。

「王都には、私よりも妃として相応しいご令嬢が、いくらでもいるでしょう? 辺境で育った私が行ったところで……恥をかくだけです」

 辺境伯の令嬢として、必要な教養は身につけてきた。
 だが、それ以上を学ぶ時間はなかった。

 筆や針、楽器を手に取るよりも、剣を握り、血と泥に塗れた時間のほうが、はるかに長い。

 剣で生きる道を選んだ時、ロザリアは自ら“女であること”を脇に置いた。

 アウレンシュタイン領の民が好きだ。
 彼らが平穏に暮らせる未来を守ることこそが、この地に生まれた者の務めだと、疑ったことはない。

 だから――
 領地を離れるなど、考えたこともなかった。

 ましてや、顔も知らず、名も知らぬ王の妃になるなど。

 不承不承、という言葉ですら生温い。

「互いのことは、これから知っていけばよい」

 ディートリヒは、淡々と告げた。

「お前は、母親に似て器量も良い。妃として問題になることはあるまい」

 その言葉に、情はない。
 娘の葛藤を受け止める気配もない。

 ――それは、父の言葉ではなく。
 辺境伯としての判断だった。

「……どうして、私なのですか」

 抑えきれない不満を帯びた声が、零れ落ちた。

 王都や他領には、妃として相応しい教育を受けた令嬢が数多くいる。
 その事実を、情報の遅れがちなこの辺境の地にいるロザリアでさえ知っている。

 ――それなのに、なぜ。

 母がまだ存命だった頃、ただ一度だけ、ロザリアはディートリヒに伴われて王宮へ赴いたことがある。

 アウレンシュタイン辺境伯は、辺境にありながら、王都にとって無視できぬ実力と伝統を持つ存在だ。
 その軍事力は王都に引けを取らず、もし良からぬ思想を抱く者が当主に立てば、王権にとって大きな脅威となり得た。

 だが、アウレンシュタイン家は代々、政治欲を持たず、自領の治世にのみ心を砕いてきた。
 その姿勢は王家にも知られており、形式上とはいえ、両家は健全な関係を保ってきた。

 ゆえに――
 王家から正式に召喚されることも、決して珍しいことではなかった。

 その折、顔見せのため、そして王家と辺境伯家が、表向きには友好関係にあることを示すために。
 ロザリアもまた、一度だけ、王宮の敷居を跨いだ。

 五歳の時のことだ。
 当時の国王の顔ですら、今となっては曖昧である。

 ましてや、現国王とは会ったことすらない。
 顔も、性格も、価値観も知らぬ女を――
 彼は妃に選んだというのか。

 信じがたい思いが、胸を満たす。

「陛下の要望に、当てはまる女性が――」

 ディートリヒは、一切の感情を挟まずに言った。

「ロザリア。お前しか、いなかったからだ」
「……陛下の、要望?」

 ロザリアの問いに、父は短く頷く。

「ああ。陛下は、妃を迎える条件として――自分の身を自分で守れること。兵法と国を語れること。その二つを挙げた」

 ディートリヒは、淡々と続ける。

「お前は、その条件をすべて満たしている」
「……私は、そんな大層な人間じゃないわ!」

 ロザリアは、思わず声を荒らげた。

「国を語れるほど、ものを知っているわけでもない。王都の政や他領の事情に詳しいわけでもない! 私が知っているのは――アウレンシュタイン領までのことよ!」

 言い募るロザリアに、ディートリヒは眉一つ動かさない。

「お前は、確かに短慮なところもある」

 だが、と続ける。

「馬鹿ではない。情勢を見極め、何を守るべきかを判断できる目を持っている」

 その言葉は評価でありながら、同時に逃げ場を塞ぐ宣告でもあった。

 ――父は、最初から決めている。
 どうしても、自分を王都へ送り出すつもりなのだ。

 ロザリアは、悔しさに奥歯を噛みしめた。

「これは、すでに決定事項だ」

 ディートリヒは、椅子から立ち上がる。

「詳しいことは、カールハインツから聞け。私は政務が立て込んでいる。執務室に戻る」

 それだけを告げると、ディートリヒは私室書斎を後にした。

 残された空間に、ロザリアの行き場のない怒りだけが、静かに渦を巻いていた。
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