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13自分の価値
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***
「買い物に行くなら、僕も一緒に行くよ」
近所のスーパーに行くと言うと、彩人がニコニコしながら、出かける準備を始める。
「いいよ……すぐそこだし」
「ハナが逃げ出したら困る」
逃げるならとっくに逃げ出してる。
うんざりした気持ちが顔に出ていたのか、彩人が苦笑する。
「僕も買いたいものあるし、一緒に行こう」
「……うん」
波奈が不承不承ながら、うなずいた時だった。
ゴホゴホ、と彩人が咳を始めた。
波奈は彼の背中を撫でる。
最初は特にそれほど気にしていなかったのだが、彩人は頻繁に咳き込んでいる。
彩人は幼い頃、喘息を長く患っていた。
中学生になる頃には、咳をしている姿を見なくなったけれど――。
慣れないアパート暮らしで、風邪でもひいたのだろうか。
布団も電気毛布も一人用だし狭い。
暖房も一応ついていたけれど……節約のため夜はつけないようにしていた。
――夜もつけよう……。
どうせ一緒に暮らすのも、あと少しなのだから。
「あんまりひどいようなら、病院に行かないと。肺炎になってるかも……」
波奈は彩人の顔を下からのぞき込んだ。
彩人は薄く微笑む。
「病院には行ったよ。肺がんなんだ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「……嘘、だよね……」
眉を寄せ、彼の瞳をじっと見る。
「うん、嘘……単なる風邪のひきはじめだよ」
ほっとすると同時に、腹が立ってくる。
「笑えない冗談はやめて」
「ハナ、心配してくれるの?」
「当たり前でしょ……。風邪なら部屋でじっとしてて。いるものがあるなら、メモでもしてくれたら、買ってくるから」
「男物のパンツでも?」
「パンツでも!」
男物のパンツにどんな種類があるのかも、よくわからないけれど……下着コーナーに行けばなんとかなるはずだ。
「自分で見たいし、一緒に行くよ」
「なら……ちゃんとコート着て、あったかくして」
「ハナもね」
彩人はそう言うと、ハンガーにかけてあった、波奈の使い古したコートを取りに行き、波奈の肩に掛けた。
***
近所にあるスーパーマーケットは衣料品をあまり取り扱っていなかったので、それより少し先にある、大型のショッピングセンターに行くことにする。
歩いて行けなくもないが、少し遠い。
彩人が近くの駐車場を借り、そこに車を駐めていると言うので、彼の車で行くことにした。
「あら!」
入り用のものをだいたい買い終え、駐車場へ向かおうとしていると、聞き覚えのある大きな声がした。
見ると、波奈と同じ工場に勤めている杉浦が立っていた。
――先に見つけていたら、なんとか隠れてやり過ごしたのに。
後悔するけれど、遅い。
隣にいる彩人と波奈を見比べ、杉浦がにんまりとした笑顔を浮かべ近づいてくる。
「病気で入院してるって聞いていたんだけど。元気そうじゃない」
「ええ……あの……」
どういう理由で休みをもらっているのか知らなかった波奈は、仮病を使っていることを知り、慌てた。
「実は彼女が病気ではなくて。彼女の叔母が入院しているのです。身寄りがないため、彼女以外に看護できる人がいないため仕方なく。仕事先にはそのように伝えたのですが、どこかで違う風に伝わってしまっているようですね」
彩人が杉浦に、にこやかに説明する。
「あら、そうなの……で、波奈ちゃん、こちらは誰?」
「婚約者です」
波奈が答える前に、彩人が答えた。
杉浦にこんなことを言えば、明日にはみなに広まっているに違いない。
それも、実際よりも大げさに――。
彩人を怒りたくなるが、杉浦の前なので怒ることができない。
「波奈ちゃんたら。恋人いないって言ってたのに。秘密にしてるなんて!」
杉浦がおおげさに驚く。
「……忙しいのに……休んでしまって申し訳ないです。もう少ししたら。行けると思うんで」
とりあえず早くこの場を立ち去りたくて、波奈は婚約者の件には触れず、杉浦に頭を下げた。
「それがねぇ。波奈ちゃんが休むようになって、本社の方から助っ人で、社員さんが二人、来てるの。だから、そんなに忙しくないのよ。こっちのことは気にせず、叔母さんの面倒を見てあげなさいな」
まだ話し足りなさそうな杉浦だったが、波奈は急いでいるので、といいわけをし、彩人とともにその場を去った。
「怒ってるの?」
買い物を終え、車でアパートに戻る途中。
信号待ちのとき、彩人が問いかけてきた。
「……アヤにとってはつまらない仕事に見えても、私は一生懸命やってるの。なのに……」
誰にでもできる仕事だとは思っていた。
自分の代わりなどいくらでもいるとは、わかっていた。
けれど自分なりに真面目にやってきたのだ。
休んでいるのは、彩人のせいとはいえ、波奈の個人的な事情だ。
代わりの人が来てくれたことは、喜ばしいことだと思う。
けれど、自分の代わりなど、どこにでもいるのだと――そう目の前に突きつけられた気がして、ショックだった。
ショックだったけれど、そのことについて怒りを彩人にぶつけるのは、情けない気がした。
代わりに別の愚痴をこぼす。
「杉浦さんに、なんで婚約者だって言ったの? あの人、みんなに言いふらすよ……」
「言いふらされたら困るの?」
「困るよ。仕事、やりにくくなる」
彩人の容姿も、おおげさに触れ回るはずだ。
波奈のことを陰でいろいろ言っている派遣社員のグループもある。
彼女たちに、おかしな噂を立てられそうで、気が滅入った。
「仕事がいやなら、僕と結婚して、僕のお嫁さんになればいいよ」
さらりと言われ、腹が立つ。
「愛してもいないのに、結婚なんてできない。アヤは愛されなくてもいいの?」
「いいよ。愛してくれなくてもいい」
苛立って思わず傷つけるようなことを言ってしまったというのに――即答される。
気まずくなった波奈は、怒りをそれ以上向けることができなくなった。
「買い物に行くなら、僕も一緒に行くよ」
近所のスーパーに行くと言うと、彩人がニコニコしながら、出かける準備を始める。
「いいよ……すぐそこだし」
「ハナが逃げ出したら困る」
逃げるならとっくに逃げ出してる。
うんざりした気持ちが顔に出ていたのか、彩人が苦笑する。
「僕も買いたいものあるし、一緒に行こう」
「……うん」
波奈が不承不承ながら、うなずいた時だった。
ゴホゴホ、と彩人が咳を始めた。
波奈は彼の背中を撫でる。
最初は特にそれほど気にしていなかったのだが、彩人は頻繁に咳き込んでいる。
彩人は幼い頃、喘息を長く患っていた。
中学生になる頃には、咳をしている姿を見なくなったけれど――。
慣れないアパート暮らしで、風邪でもひいたのだろうか。
布団も電気毛布も一人用だし狭い。
暖房も一応ついていたけれど……節約のため夜はつけないようにしていた。
――夜もつけよう……。
どうせ一緒に暮らすのも、あと少しなのだから。
「あんまりひどいようなら、病院に行かないと。肺炎になってるかも……」
波奈は彩人の顔を下からのぞき込んだ。
彩人は薄く微笑む。
「病院には行ったよ。肺がんなんだ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「……嘘、だよね……」
眉を寄せ、彼の瞳をじっと見る。
「うん、嘘……単なる風邪のひきはじめだよ」
ほっとすると同時に、腹が立ってくる。
「笑えない冗談はやめて」
「ハナ、心配してくれるの?」
「当たり前でしょ……。風邪なら部屋でじっとしてて。いるものがあるなら、メモでもしてくれたら、買ってくるから」
「男物のパンツでも?」
「パンツでも!」
男物のパンツにどんな種類があるのかも、よくわからないけれど……下着コーナーに行けばなんとかなるはずだ。
「自分で見たいし、一緒に行くよ」
「なら……ちゃんとコート着て、あったかくして」
「ハナもね」
彩人はそう言うと、ハンガーにかけてあった、波奈の使い古したコートを取りに行き、波奈の肩に掛けた。
***
近所にあるスーパーマーケットは衣料品をあまり取り扱っていなかったので、それより少し先にある、大型のショッピングセンターに行くことにする。
歩いて行けなくもないが、少し遠い。
彩人が近くの駐車場を借り、そこに車を駐めていると言うので、彼の車で行くことにした。
「あら!」
入り用のものをだいたい買い終え、駐車場へ向かおうとしていると、聞き覚えのある大きな声がした。
見ると、波奈と同じ工場に勤めている杉浦が立っていた。
――先に見つけていたら、なんとか隠れてやり過ごしたのに。
後悔するけれど、遅い。
隣にいる彩人と波奈を見比べ、杉浦がにんまりとした笑顔を浮かべ近づいてくる。
「病気で入院してるって聞いていたんだけど。元気そうじゃない」
「ええ……あの……」
どういう理由で休みをもらっているのか知らなかった波奈は、仮病を使っていることを知り、慌てた。
「実は彼女が病気ではなくて。彼女の叔母が入院しているのです。身寄りがないため、彼女以外に看護できる人がいないため仕方なく。仕事先にはそのように伝えたのですが、どこかで違う風に伝わってしまっているようですね」
彩人が杉浦に、にこやかに説明する。
「あら、そうなの……で、波奈ちゃん、こちらは誰?」
「婚約者です」
波奈が答える前に、彩人が答えた。
杉浦にこんなことを言えば、明日にはみなに広まっているに違いない。
それも、実際よりも大げさに――。
彩人を怒りたくなるが、杉浦の前なので怒ることができない。
「波奈ちゃんたら。恋人いないって言ってたのに。秘密にしてるなんて!」
杉浦がおおげさに驚く。
「……忙しいのに……休んでしまって申し訳ないです。もう少ししたら。行けると思うんで」
とりあえず早くこの場を立ち去りたくて、波奈は婚約者の件には触れず、杉浦に頭を下げた。
「それがねぇ。波奈ちゃんが休むようになって、本社の方から助っ人で、社員さんが二人、来てるの。だから、そんなに忙しくないのよ。こっちのことは気にせず、叔母さんの面倒を見てあげなさいな」
まだ話し足りなさそうな杉浦だったが、波奈は急いでいるので、といいわけをし、彩人とともにその場を去った。
「怒ってるの?」
買い物を終え、車でアパートに戻る途中。
信号待ちのとき、彩人が問いかけてきた。
「……アヤにとってはつまらない仕事に見えても、私は一生懸命やってるの。なのに……」
誰にでもできる仕事だとは思っていた。
自分の代わりなどいくらでもいるとは、わかっていた。
けれど自分なりに真面目にやってきたのだ。
休んでいるのは、彩人のせいとはいえ、波奈の個人的な事情だ。
代わりの人が来てくれたことは、喜ばしいことだと思う。
けれど、自分の代わりなど、どこにでもいるのだと――そう目の前に突きつけられた気がして、ショックだった。
ショックだったけれど、そのことについて怒りを彩人にぶつけるのは、情けない気がした。
代わりに別の愚痴をこぼす。
「杉浦さんに、なんで婚約者だって言ったの? あの人、みんなに言いふらすよ……」
「言いふらされたら困るの?」
「困るよ。仕事、やりにくくなる」
彩人の容姿も、おおげさに触れ回るはずだ。
波奈のことを陰でいろいろ言っている派遣社員のグループもある。
彼女たちに、おかしな噂を立てられそうで、気が滅入った。
「仕事がいやなら、僕と結婚して、僕のお嫁さんになればいいよ」
さらりと言われ、腹が立つ。
「愛してもいないのに、結婚なんてできない。アヤは愛されなくてもいいの?」
「いいよ。愛してくれなくてもいい」
苛立って思わず傷つけるようなことを言ってしまったというのに――即答される。
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