宝石少年の旅記録(29日更新)

小枝 唯

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【宝石少年と芸術の国】

宝石の小舟

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 ルルは帰宅後、まずリッテとアウィンに服装を驚かれた。リッテに至っては、視線で誰だと警戒を示すほど。少し面白いから黙っていようと思っていると、アウィンにはすぐバレてしまった。さすがは一年近く共に旅をしている仲だ。
 まるで別人と言われたのが嬉しく、ファルベに変装は大成功だったと伝えようと、ルルはふふっと笑った息を吐く。

『ねえリッテ』
「はい」
『アルティアルには、何か特別な、宝があるの?』
「宝……? それは国宝以外でしょうか?」
『うん』

 リッテは頭の中で、アルティアルの資料一文字一文字を、鮮明に思い出させて辿る。ガーネットの全眼を閉じ、しばらくの間唸ったが「いいえ」と言いながら首を横に振った。虹の瞳がアウィンに向き、彼も同意を示す。
 リッテから資料を貰ったが、そう推測されるものも無い。強いて言えば、ジオードや各芸術家の作品くらいだろうか。

『そう……。リッテ、時間があれば、宝について、調べてほしい。アヴィダンの目的が、それかもしれない。あ、本人には、決して言わないで』

 リッテとアウィンは、話の繋がりに理解できず顔を見合わせた。少ししてアウィンがもしや会ったのかと予想すると、ルルはあっさり頷く。アウィンはやはりと仕方なさそうな息を吐き、リッテは赤い目をぎょっとさせる。

「な、なんという無茶をなさるのですか」
「ルルらしいと言えばそうですが」
「何を呑気な! お前が居ながら」
『いいの。一人じゃないと、むしろ、怪しまれる。相手を知りたいけれど、こちらの情報は、少ない方がいい。変装も、いつもの僕を、隠すためだから』
「う、うぅむ……ではせめて、言伝だけでも誰かに。そうすれば、遠くからでも守れます」
『分かった。これからは、そうするよ』

 リッテの声があまりにも悲痛そうで、聞くに耐えない。アウィンに「ルルはそういう子です」と言われると、リッテは悩ましそうに唸る。当の本人はそれに笑うような息を吐いた。

 食事を終え、ルルは湯船に浸かる。せっかく結んでくれた髪を、少し名残惜しくも解いた。立ち込める湯気の中、ぼんやり見える天井を盲目の瞳がじっと見つめる。
 こうしたぼーっとする時間は、頭が動かない代わりに記憶を整理できるから、脳の作りは不思議だと思う。ルルはお椀型をした湯船の中でもぐると水中で仰向けになり、一つ一つ情報を整理していった。

(アヴィダンにとって、目的は、宝。けれどそれは、同盟国も知らない。公にされない? それとも、隠されている?)

 国の深くまで知っているのは五大柱くらいだろう。この国の五大柱は、芸術祭で功績を成した者が就く。となれば優勝したジオードはその一人だ。
 アヴィダンの事だから、おそらく彼に会っただろう。しかしアヴィダンはルルに「一緒に探るのはどうか?」と持ちかけた。ジオードから何の情報も得られず、自ら探そうとしている。

(五大柱すら、知らない。そもそも、同盟国へ存在すら、教えないのは……信頼を築く上で、いい印象じゃない。普通そんな事、しないよね)

 ルルはぷはっと湯船から顔を出す。そこでふと気付いた。そういえばアヴィダンは、ルルの変装を見て、オリクトの民だとは気付かなかった。ならばどうして、ファルベの片目が無いのを気付いたのだろう?

(隠しているという事は、それなりに、いくつか訳がある。なのに、アヴィダンはどうして、無いと断言できた?)

 断言できるだけの目があったなら、隠れた中でもルルをオリクトの民だと見抜けるはずだ。

(全てが、嘘くさい)

 彼の口調、声のトーンなどの全てが、本当の姿を覆う鎧のようだ。彼は裁かれるべき人であると、囁いている。どれだけ罪深い人間か、もっと知るべきだ。
 風呂場を仕切るカーテンの前に影ができる。気配がしたと思えば、アウィンが覗いた。

「ルル、明日も早いのでしょう? そろそろ上がりませんか? 髪を乾かしますから」
『ありがとう』

 盲目と言っても、ルルは日常生活が一通り自分でできる。だから髪を乾かすのももちろんできるが、してもらった方が気持ちいいから大好きだ。アウィンはそれを知っているから、してくれる。そして彼の髪も背中までのため、ルルがお願いして乾かす役目を貰っている。
 水分を吸収しやすい薄いタオルで体を拭い、ふわふわなタオルで暖かく包まれる。ガラスの器に詰まったクリームをたっぷり髪につけ、櫛で梳かす。夜明けのような髪は、長くてもクリームのおかげでちゃんと乾く。花の香りがしてとても気分がいい。

『ねえ、アウィンなら宝物……どこに隠す?』
「そうですね……あぁ、私なら、ボロボロの箱に隠すかもしれません」
『宝物なのに?』
「ええ。盗人も、そんなボロボロの場所に大切な物を隠すとは、思いにくいでしょう? よくある戦法です。ルルはどうしますか?」
『何か他の物を、手前において……ここには無いって、思わせる。あと、仕掛けも』
「仕掛けもいいですね。何重にもすれば、相手は諦める。条件が揃わなければ、そもそも気持ちだけでは辿り着けませんからね」

 たとえば、ある一定の物を持っていなければ開かない門を作る。ルルの頭は、黒い石板に埋め込まれた『ルルの石』を思い出させた。
 古い書物にあったという、唯一川以外の別の場所に繋がる穴。穴を塞いで、わざわざ女神像の下として隠された場所。

(隠すべき物。けれど、見られてもいいもの。そうじゃなければ、目立つものを、目印にはしない)

 やはりあそこの奥を見るのは価値がある。そしてアヴィダンの目的を知り、事前に阻止できるかもしれない。
 髪に触れていた手が止まり、サラサラと肌に落ちた。意識がそこに引っ張られ、思考が止まる。

「終わりましたよ。ゆっくり休んでくださいね」
『ありがとう。おやすみアウィン』
「おやすみ、ルル」

 タオルの柔らかな拘束が解かれ、約束のハグをする。自室に帰ってしまう前にと急いで腰に抱きついたルルに、アウィンは可笑しそうに笑って背中に手を回し、頭にそっとキスをした。

~               **              ~               **                 ~

 翌朝、ルルはとても足取りが軽かった。あの湖を越える方法を思い付いたのだ。初めての挑戦で、画期的だ。
 まだ空気が朝になりかけで冷たい。しかし祭壇広場の手前で、アルナイトとばったりあった。まだ集合まで余裕があったのに。

「おはよ! えへへ、ワクワクしすぎた」
『おはよう。僕もだよ。水の上、渡る方法、思い付いたんだ』
「まじでっ? どんなか教えてくれ!」

 アルナイトは明るい灰色の目を輝かせ、早く行こうとルルと手を繋いで女神像へ向かった。二人で地面の砂を退かし、現れた石板に埋まる『ルルの石』を薄青い手が包む。淡い輝きと共に、仕掛けが動いた。
 早速中に入ったアルナイトは、続かないルルを不思議そうに振り返った。

「どーした?」
『ううん、なんでもない』

 気配は無かった。人が付いてきている音も、呼吸の音も。ルルは差し伸べられたアルナイトの手を取って、穴の奥へ進んだ。
 二人分の足音は、やがて湖の岸辺で止まる。少し触れると、微生物が反応しているのか、瞬間的に光を放った。

「方法ってどんなのなんだ? 泳ぐとか?」

 ルルはふふっと可笑しそうな息を吐いて、首を横に振った。あれだけ繊細な筆遣いをするのに、彼女の考え方は常に大胆で面白い。
 もちろんそのやり方もできる。しかしそれでは危険が大きかった。水は少し重く、体力が無駄に奪われる。そして深さもあるし、もしかしたら中に恐ろしい何かが潜んでいるかもしれない。だからルルは考えた。思えば簡単な答えに辿り着く。

『足場を作る』
「あそっか! でもオレ、なんにも持ってきてないや」
『大丈夫。僕が作るから』

 オリクトの民は宝石を自由に生み出せるし、別の物体を鉱石に変えられる。それを応用して、今まで宝石の膜を作ったり、水を足場にしていた。だから今回は、宝石を作る力を利用して船を作る。
 二人分となると、小舟といえどそれなりの大きさが必要となる。重くて沈没しないよう薄く、それでも頑丈な素材で。何が最適か、二人は頭を捻る。

「一つじゃなくて、何個も組み合わせられたら最強じゃね?」
『それ、いいかも』

 ルルはしゃがみ、両手を地面に近づける。地面と手にある数センチの隙間に、小さな鉱石が生まれた。注ぎ込まれる力に合わせて少しずつ大きくなり、平たい面が湾曲していく。
 一から生み出した宝石の力を操るには、想像力が大事だ。特にルルは目で見た具体的な記憶から例を考えられないから、船の形を模索するのも一苦労だった。
 宝石が、主人の手の動きに従って形を形成していく。やがて出来上がったのは、二人が乗れる程度の小舟。素材はダイヤとサファイアを混ぜた。透明度が高く、下の様子を覗く事もできる。やはり見た目は少し不恰好になったが、アルナイトは目を輝かせてルルに抱きついた。

「すげー! ありがとうルル!」

 ここまで喜んでくれるとは思わなかった。ルルも触発されたように、少し嬉しそうに唇を緩める。彼女の反応はどんなものでも新鮮で、他者の気持ちまで巻き込んでしまうから不思議だ。
 二人でゆっくり、小舟を湖に滑らせる。初めて作ったから心配だったが、沈まずゆらゆらと湖の上に浮いてくれた。すると滑らせた勢いが少し強かったのか、小舟は空のまま進もうとする。
 このままでは幽霊船にもならないと、ルルたちは慌てて飛び乗った。

「ゆ、揺れるぅっ」

 勢いよく乗ったせいで、視界が激しく揺れる。しばらくお互いに抱きつき合い、揺れが治るのを待った。
 揺れは数秒で落ち着き、船はゆっくり進む。開けていた湖を過ぎれば、洞窟は小舟がギリギリ通れる程度の狭さに変わっていった。奥へ行くほど暗闇が濃く、手元の灯りを覆い隠していく。
 アルナイトは不安に駆られ、縋るようにルルの手をぎゅっと握った。ルルはいつもより冷たく、少し汗ばんだ彼女の手を優しく握り返す。

『怖い?』
「う、うん。オレ、暗いの苦手なんだ。ルル……ルル、そこに居るよな? どこにも行かないよなっ?」
『大丈夫だよ、ここに居る。アルナイトから、離れないから、大丈夫』

 ルルはゆっくり、何度も「大丈夫」と繰り返した。こんな所で、彼女の意外な性格を知れるとは思っていなかった。見えているだろうに、必死に存在を求めるほどの不安。彼女が昔の事を覚えていないという理由に、暗闇も関係していそうだ。
 震えるアルナイトの背中を、薄青い手が優しく摩る。しばらくそうしていると、徐々に動悸や冷や汗が落ち着いてきた。
 アルナイトは思わず閉じていた視界に違和感を覚えた。暗いのに、チラチラと明るさが目蓋を透き通して見える。一体何かと、恐る恐る目を開いた。
 暗い世界に広がる光景に、アルナイトは思わず目を丸くする。明るい灰色に、雪のような光が反射していた。トンネルの中で、数ミリ程度の小さな白い光が、ふわふわと風に揺られるように漂っている。

「わぁ!」
『どうしたの?』
「雪!」

 ルルは目を瞬かせると、こんな所で? と首をかしげながら手を出した。雪が降るには上に雲が必要だが、ここには霧すらない。
 ふわふわ動く光は、まるで意思を持つようにルルの指先に舞い降りた。その感触は、まるで雪とは違う。ルルは慌ててアルナイトの方を向いて、手を包んだ。

『握っちゃダメ』

 アルナイトはその言葉にビタッと体を固まらせる。今まさに捕まえられた手で、捕まえようとしていたところだ。

『これ、雪じゃない。虫だよ』
「え、虫?!」

 ルルは頷いて、光を差し出した。光る指先を、明るい灰色の目がじーっと見つめる。
 小さい頃の記憶が無いため、生まれつきかどうか定かではないが、彼女の目は少し特殊だ。人には見えない色が見えるというのもあるが、それ以外、ずば抜けた視力を持っている。そんな目が、光の中にある小さな翅の反射を見つけた。

「ホントだ!」

 それはとても小さな蝶だった。羽虫とは形が異なり、花の蜜を吸う蝶を模している。翅はまるでガラスのようで、複雑な模様があった。
 試しにアルナイトも手を差し出してみる。三匹の蝶が翅を安めにやってきた。観察すると、三匹全員の翅の模様が違う。どうやら彼らの翅は、人間で言う指紋と同じようなもののようだ。

「すっげぇ……。ルルはなんで気付いたんだ? 冷たくなかったから?」

 それもあったが、ルルは否定に首を振る。まず指先に触れたのが冷たく水気のある物ではなく、小さな六本の足だったからだ。そして怖がるアルナイトに集中していたため気付かなかったが、そよ風にも吹かれそうに小さく、リーン、リーンと鳴っている。これはガラスのような翅が擦れて出た音だろう。

『それに……雪なら上に、蒸気や雲がないと』
「あ、そっか」

 アルナイトは恥ずかしそうにへへへと笑う。試しに手元の灯り、月の花を手で遮ってみる。すると、蝶はより一層美しく輝き始めた。翅が震わせる鈴のような音も、共鳴するように大きくなる。

「星空みたいだ……!」
『もう、怖くないね』
「へへ、うん!」

 ルルはしゃがむと本を開き、洞窟の中や蝶を簡単に記す。しかしこの蝶はどこからやって来たのだろう。外は厳重に蓋がされているから、ここ自然発生したのだろうか。それとも、この湖に住むのは微生物ではなく、この蝶の幼虫なのかもしれない。成虫がこれほどの小ささだから、幼虫がとても小さくても納得できる。全ては予想。だがそれが面白い。
 小舟がぐわんと揺れ、ペン先が思っていない方向へ線を伸ばした。少し波立ったのだろう。

(あれ?)

 そう結論づけると、別の疑問が湧いた。ルルは本を閉じて立ち上がり、辺りを見渡す。アルナイトはどうしたのかと不思議そうに首をかしげた。

『船って、勝手に進む?』
「え? いや、多分進ま……ない? なんだっけ、あの、漕ぐ棒みたいなのでやらなかったっけ?」
『じゃあ、今はどうして、進んでいるの?』

 アルナイトはそこで、確かにと気付いた。どうして自然と動いているのだろうか。湖には、小舟が作る波以外ない。
 水が微生物によって動く? しかし手で触れた時には、そんな様子はなかった。となれば、元々流動性があるとも言えない。

「奥に流れてるから、何かあるって事だよな?」
『速度も少し、変わってきてる』

 靴裏に意識を集中すると、揺れ具合を教えてくれる。ほんの少しずつだが大きくなっていて、確実に速くなってきているのが分かった。
 奥に水の流れを作る何かがある。それが何か、アルナイトと首をかしげるたルルの鮮やかな鉱石の耳に、激しい水音が聞こえてきた。バシャバシャと、岩に打ち付けるような音。

『──まさか』

 可能性がポツリと脳内に呟かれる。その瞬間、まるで合図にしたかのように、小舟が今までで一番大きく揺れた。ルルはその拍子に背中を小舟にぶつけ、本を落とす。

「大丈夫かっ?!」
『目の前、どうなってる?』

 揺れは治らず、速度もどんどん上がっていく。アルナイトはルルに手を差し伸べながら、前を見ようとした。だが視線がむしろ船底に釘付けだ。
 小舟は宝石で作ってある。透明度も高く、水が透き通っている。だから小舟の半分、水が折れ曲がったように見えなくなっているのが、よく分かった。水が途切れている。地面ははるか遠くで見えないほど。
 意味を理解した瞬間、アルナイトはギョッとして叫ぶ。

「滝だー!」
「!」

 小舟が傾き、浮遊感が襲う。二人はそのまま、底の見えない滝に落ちていった。
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