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十 ぐるぐるした感情を

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 十 ぐるぐるした感情を

 

 おやつを持って、医務室のとびらをノックする。

「どうぞ~。」

「清明先生、小町さんからの差し入れ持ってきました。」

「いいねぇ、差し入れ。ちょうど小腹が空いていたんだ。」

 そういいながら、清明先生は両腕をあげて、からだを伸ばす。

 清明先生と、仲よくなった。

 どうしても、ぼくの中で、両親の存在へのわだかまりは大きい。

 清明お父さんと口にできないし、小町お母さんとも呼ぶことができない。

「清明先生。」

「うん?」

「コーヒーいれますね。」

「ああ、ありがとう。」

 医務室に通って、どのくらいだろう。

 コーヒーをいれられるようになった。

 ただぼーっと、コーヒーの豆をひく。

 折ったろ紙を器具につめる。

 そこへ、ひいた粉をうつす。

 トントンと、粉を平らにする。

 沸かしたお湯で、抽出する。

 ほろ苦いひきたてのコーヒーの香りが医務室に広がる。

 ぼくの気持ちも、落ちついていく。

 


              *

 


 小さい頃から、いつも一生懸命だった。

 学校で何かあっても、自分でどうにかした。

 知らない人に連れて行かれそうになったときも、どうにかして逃げられた。

 車とぶつかりそうになったときは、一日中からだがふるえていた。

 熱を出してふらふらしても、誰も気がつかない。

 かなしいことも、こわいことも。

 あぶないことも、くるしいことも。

 全部、誰にも言わなかった、

 楽しいことも、うれしいことも。

 全部、きいてくれる人がいなかった。

 かあさんの支えになるようがんばった。

 おしごとも大変で、からだの具合もわるいかあさん。

 とうさんに似ないよう、かあさんに期待された。

 とうさんの悪口は、ききたくない。

 ぼくはふたりの子どもだから。

 ふたりの味方だから。

 とうさんは、不器用な人なんだ。

 とうさんに興味をもたれないことに文句を言う。

 かあさんは、とうさんと同じことを、ぼくにしているんだよ。

 どうして、気が付かないの?

 ぼくは、まいにち、くたくただった。

 休めなかった。

 家の中も、家の外も、学校にも、ぼくが安心できる場所なんてない。

 あれもこれもと、みんなぼくに要求ばかり。

 ありがとう、なんて言葉はなかった。

 ごめんね、なんて言葉もなかった。

 不寛容な人たちに囲まれていた。

 ぼくのことを、子どもあつかいする周りの大人たち。

 頼りたいと思える人なんていなかった。

 ぼくはずっと、自分より大人でない大人に怒っていた。

 大人なのに、ぼくよりずっと子どもにしか思えなかったんだ。

 


              *

 


「コーヒーって、おいしかったんですね。」

 苦いだけだと思っていた。

 あまいものとの相性はばつぐんだ。

 清明先生は静かだ。

 自然とひとりごとが多くなる。

「もっと、子どもらしく、すごしたかった。」

 ぽろぽろ、涙がこぼれる。

 もう、こらえない。

「ちり紙あるよ。」

 清明先生がさしだしたちり紙で、鼻をかむ。

「これからは、子どもらしくもっと、楽しみたい。」

 清明先生は何も言わずにうなずいた。

 そしてまた、静かに書きものをはじめる。

「今日のおやつは、ナッツのはちみつがけサンドですよ。」

 あ、干しぶどうも入ってる。

 おいしいな。

 桃代と健誠せんぱいにも、食べさせたいな。

 桃代は、すなおに感動するだろうな。

 健誠せんぱいは、むしゃむしゃ気持ちいい位いっぱい食べるんだろうな。

 ぼくの分も食べちゃうんだよ、あのひと。

「声に出ていますよ?」

 清明先生が、吹きだして笑った。

 あれ?まあ、いっか。

「そろそろ、寮に帰りますね。」

 医務室を退出しようと、立ち上がる。

 清明先生がめがねを外して、ぼくを見る。

「光くんのこころは、とても澄んでいるんだよ。」

 そんなことない、ぼくは。

 よくない感情がこころの中でいつもぐるぐるしているんだ。

「そんな光くんは、同じように、こころの澄んだ人をみつけて、いっしょにいること。」

 こころが澄んだ人。

 今のぼくには、思い浮かぶ人たちがいる。

「必ず、みつかるよ。」

「はい。清明先生、ありがとうございました。」

 ぼくは礼をして、医務室を出た。




 



 消灯時間はとっくに過ぎている。

 そんなこと、おかまいなしに、机にろうそくを灯す。

 かりかり、かりかり。

 無心に勉強するブッダせんぱい。

 同じ部屋になってから、ふりまわされてばっかりだ。

 そういえば、健誠せんぱいもひとりが多い。

 学校でみかけるときは、いつもひとりだ。

 ぼくが一番、よく見ているかもしれない。

 寝ているか、食べているか、本を読みこんでいるか。

「健誠せんぱい。」

「ん?わるい、起こした?」

「いえ、これ、差し入れです。」

 ナッツのはちみつがけサンド。

 小町さんにお願いして、作ってもらった。

 ぼくもお手伝いして、小町さんといっしょに作った。

『食べおわったら、歯をみがいて寝るのよ。』と、小町さん。

 温かい飲み物もふたり分、用意してくれた。

 粉を小鍋で練りながら、牛乳を加えて温めたココア。

 ひとくち飲むだけで、ほっとする。

「うん、うまい。」

「頭に糖分がいいって、何かに書いてありました。」

 やっぱり、むしゃむしゃ、むしゃむしゃよく食べる。

「あ、ちょっと待った!」

「どうしたの?」

「それはぼくの分です!」

「え、光くんも食べるの?」

「当たり前です!」

「寝るだけの光くんより、自分が食べたほうが、サンドも喜ぶっすよ。」

「なんですか、そのいいわけ!」

 てきとうな冗談だなぁ。

「おもしろいです。」

「うけてよかった。」

「どうして、健誠せんぱいはひとりでいるんですか?」

「ひとりじゃないよ。光くんがいるでしょ?」

「ひとりで行動してるじゃないですか?」

「いっそ、一人ぼっちのほうがすがすがしいんだよ。」

「ぼく、知ってます……。」

「何を?」

「健誠せんぱいは、優秀で。まわりから、いやがらせだっていっぱい受けていること。」

 ちょっとだけ、真剣なまなざしになる。

 すぐに、いつもどおりのおだやかな目にもどった。

「どうして、いつもそんなにやさしく、ゆったり落ち着いていられるんですか?」

 ぼくには、できない。

 そうぼくには、まだ、むずかしい。

「そんな決まっているじゃないっすか。」

「え?」

「光くんも、もっとよく考えたらわかるっすよ。」

「どういうことですか?」

「何をされても、変わらず、けろっと笑って、ほがらかでいること。」

「何をされても、笑う?」

「これが……。」

「これが?」

 健誠せんぱいは不敵な笑顔をうかべる。

「いっちばん、いやがらせ返しになる!」

 胸をはって得意そうに、親指を立てる。

 健誠せんぱいのこころが澄んでいるとは、ぜったいに認めたくはない。

 だからそんな健誠せんぱいは、ぼくにすこし似ているような気がする。

 ぼくのそばには、無邪気な笑顔の人たちがいる。

 ああ、そっか。

 わかった。

 ぼくも、答えがでた!

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