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74日目(1)
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黄昏時だった。
夕焼けスポットとして、建物の高さの揃った二の郭は悪くないーーそう思った。
この時間に、ここを歩くのは初めてだ。今日は午後から時間が少し空いたので、街に出た。
その帰り道。
ぼんやりと空を眺めていると、声をかけられた。
「なんだ?阿呆のように口を開けおって。こんなところで、なにをしている?」
「あ、フルルクス…さん」
目を向けると、曲がり角のところにフルルクス爺様ともう一人、男の人が立っていた。声をかけてきたのは、もちろん爺様の方。
うわあ。一番会いたくない相手に出会ってしまった。
絶対、星の雫の件で嫌味を言われるーーそう思い身構える。
「フン。いい身分だな。こんなところをフラフラしおって」
「あ、その…市場をですね、見て…」
私は完璧に、この爺様にビビっている。それも仕方ないと思う。だってこの爺様、目つきの悪いところにいつだって不愉快って顔をしているのだ。
「市場?そんなもの見回ってなんになる?」
「その、ノーツの足取りの手掛かりが、なにかないかな、と…」
そうなのだ。ひょっとしたら、白雪の勘になにか引っ掛かるのではないかと思ったのだ。だけど思いの外、市場の規模が大きく、見て回るのに時間がかかってこの時間。おまけに収穫もなし。時間があるようなら図書館にも寄ろうと思っていたのに、行けずじまいとなった。
「はああ?ずいぶんと熱心だな?どういうつもりだ?小娘」
無難に答えたつもりだったのに、爺様がいきなり声の音量を上げた。え?なに?怒られるようなこと言った?
「どうって…?それが私の仕事ですから……身の潔白も晴らさなければならないし」
「ほう?」
爺様が目を細める。お前は疑わしいと目で訴えている、気がする。
「あの…」
「……」
「……え、と?」
「上等だ、小娘。俺と来い。ライトリィ、王に言っておけ。一晩、小娘を預かるとな」
は?なんだって?しばらく薮睨みしていたかと思うと、いきなり爺様はとんでもないことを言い出してくれた。
「え?フルルクス、それは…」
いきなり話を振られ、爺様の隣に立っていた男の人も面食らっているよう。知った顔の人だった。カクカの手当をしてくれた人だ。傷の状態を見て、カクカに詰問していた白魔術師。そうか。ライトリィさんというのか。
「いいから言っておけ。行くぞ、小娘」
爺様はライトリィさんを睨みつけ、そのまま私にもガンを飛ばして言い放つ。
「え?あの、でも…」
「来い」
迫力負け。すごすごと、爺様の後をついて行くしかなかった。
✢
妙に居心地の良さを感じた。
連れてこられた爺様の家は、程々に散らかっていて、程々に掃除の行き届いた印象の、なんだか安心するところだった。汚いのはもちろん嫌なのだけど、綺麗すぎるのも私は落ち着かないので、丁度いい塩梅だったのだろう。
室内を見回す私を「手伝え」と言って、爺様が呼びつける。
筆頭などというお偉い肩書を持っているくせに、爺様は使用人を雇っていない様子。私邸に着いたと思ったら、いきなり夕食の支度を手伝えとはね。
はいはい、やりますよ。正直、家事は嫌いなのだけれど。
そんなこんなで、肉を捌けなくて爺様に怒鳴りつけられたりしたけれど、なんとか夕飯にありついた。だって、皮を剥ぐところからだよ?やったことないって。無理。食器棚の陰に隠れた末、爺様にやってもらった。
その薄切りダルメ豚のスープを掬ったところで、爺様がようやく普通に話しかけてきた。さっきまで、怒鳴り散らしていたのだ。
「小娘。ノーツを捜しているようだが、なんのためだ?」
「え?ですから、仕事で。それに身の潔白も晴らしたいですし…」
「……本当か?」
どうも爺様の言わんとすることが掴めない。
「あの、それはどういう意味ですか?」
「ふん」
爺様はスプーンを手放し、顎髭をしごく。
「じ…フルルクスさん?」
「……術式は、神の言語と言われている」
はい?
いきなりなにを言い出した?話、飛んでない?術式が言語?いや、絶対違う。あれはどちらかと、数式のたぐいだと思う。まあ、数式を言語と捉える人もいるのだろうけど。私には不可である。
その証拠に、白雪の脳を持ってしても理解ができない。あれだけ術式関連の本を、広げたにも拘らず。こうなるともう、私自身が理解を拒否しているとしか思えない。数学、大っ嫌いだったからなあ…。
爺様は、そんな私の戸惑いなど気にする様子もなく話を続ける。けれどーー
「だが、俺は違うと思っている。あれは神のものなどではない。所詮はなにを行うにも限界があり、人の領域を出ることはない。だというのにーー」
「いうのに?」
何故か一旦言葉を切り、私の顔を窺うように見た。
逸れてないの?この話。どこに行き着くのだろう。まったく予想不可能だ。
僅かに首を傾げたところで、爺様が続きを口にした。
「ーー稀にお前や、俺のような者が現れる」
「え?」
「人の域をはみ出、さりとて神の域には届かず。神の領域と人の領域、その境界上に立つ者。それがお前であり、俺だ」
「境界上?」
「……それでも。境界上に立つことはできても、だ。決してそれを超えることはできないものだ。いいか、忘れるな。境界を超えることはできない」
「あの…?」
「ノーツを見つけても、多くを望むな。それだけだ」
「望む?ノーツに?」
「ふん。……小娘、さっさと食え。冷めるぞ」
「え?ああ、はい」
今度は、はっきりしている。完璧に話を逸らされた。いや、中断したと言うべきか。
自分から言い出したくせに、止めるなんて。なんだか消化不良の気分だ。
だけどそれきり、爺様は眉間に縦皺を寄せたまま黙々と食事を続けたので、なにも訊くことができなかった。
結局、なにが言いたかったのだろう。
夕焼けスポットとして、建物の高さの揃った二の郭は悪くないーーそう思った。
この時間に、ここを歩くのは初めてだ。今日は午後から時間が少し空いたので、街に出た。
その帰り道。
ぼんやりと空を眺めていると、声をかけられた。
「なんだ?阿呆のように口を開けおって。こんなところで、なにをしている?」
「あ、フルルクス…さん」
目を向けると、曲がり角のところにフルルクス爺様ともう一人、男の人が立っていた。声をかけてきたのは、もちろん爺様の方。
うわあ。一番会いたくない相手に出会ってしまった。
絶対、星の雫の件で嫌味を言われるーーそう思い身構える。
「フン。いい身分だな。こんなところをフラフラしおって」
「あ、その…市場をですね、見て…」
私は完璧に、この爺様にビビっている。それも仕方ないと思う。だってこの爺様、目つきの悪いところにいつだって不愉快って顔をしているのだ。
「市場?そんなもの見回ってなんになる?」
「その、ノーツの足取りの手掛かりが、なにかないかな、と…」
そうなのだ。ひょっとしたら、白雪の勘になにか引っ掛かるのではないかと思ったのだ。だけど思いの外、市場の規模が大きく、見て回るのに時間がかかってこの時間。おまけに収穫もなし。時間があるようなら図書館にも寄ろうと思っていたのに、行けずじまいとなった。
「はああ?ずいぶんと熱心だな?どういうつもりだ?小娘」
無難に答えたつもりだったのに、爺様がいきなり声の音量を上げた。え?なに?怒られるようなこと言った?
「どうって…?それが私の仕事ですから……身の潔白も晴らさなければならないし」
「ほう?」
爺様が目を細める。お前は疑わしいと目で訴えている、気がする。
「あの…」
「……」
「……え、と?」
「上等だ、小娘。俺と来い。ライトリィ、王に言っておけ。一晩、小娘を預かるとな」
は?なんだって?しばらく薮睨みしていたかと思うと、いきなり爺様はとんでもないことを言い出してくれた。
「え?フルルクス、それは…」
いきなり話を振られ、爺様の隣に立っていた男の人も面食らっているよう。知った顔の人だった。カクカの手当をしてくれた人だ。傷の状態を見て、カクカに詰問していた白魔術師。そうか。ライトリィさんというのか。
「いいから言っておけ。行くぞ、小娘」
爺様はライトリィさんを睨みつけ、そのまま私にもガンを飛ばして言い放つ。
「え?あの、でも…」
「来い」
迫力負け。すごすごと、爺様の後をついて行くしかなかった。
✢
妙に居心地の良さを感じた。
連れてこられた爺様の家は、程々に散らかっていて、程々に掃除の行き届いた印象の、なんだか安心するところだった。汚いのはもちろん嫌なのだけど、綺麗すぎるのも私は落ち着かないので、丁度いい塩梅だったのだろう。
室内を見回す私を「手伝え」と言って、爺様が呼びつける。
筆頭などというお偉い肩書を持っているくせに、爺様は使用人を雇っていない様子。私邸に着いたと思ったら、いきなり夕食の支度を手伝えとはね。
はいはい、やりますよ。正直、家事は嫌いなのだけれど。
そんなこんなで、肉を捌けなくて爺様に怒鳴りつけられたりしたけれど、なんとか夕飯にありついた。だって、皮を剥ぐところからだよ?やったことないって。無理。食器棚の陰に隠れた末、爺様にやってもらった。
その薄切りダルメ豚のスープを掬ったところで、爺様がようやく普通に話しかけてきた。さっきまで、怒鳴り散らしていたのだ。
「小娘。ノーツを捜しているようだが、なんのためだ?」
「え?ですから、仕事で。それに身の潔白も晴らしたいですし…」
「……本当か?」
どうも爺様の言わんとすることが掴めない。
「あの、それはどういう意味ですか?」
「ふん」
爺様はスプーンを手放し、顎髭をしごく。
「じ…フルルクスさん?」
「……術式は、神の言語と言われている」
はい?
いきなりなにを言い出した?話、飛んでない?術式が言語?いや、絶対違う。あれはどちらかと、数式のたぐいだと思う。まあ、数式を言語と捉える人もいるのだろうけど。私には不可である。
その証拠に、白雪の脳を持ってしても理解ができない。あれだけ術式関連の本を、広げたにも拘らず。こうなるともう、私自身が理解を拒否しているとしか思えない。数学、大っ嫌いだったからなあ…。
爺様は、そんな私の戸惑いなど気にする様子もなく話を続ける。けれどーー
「だが、俺は違うと思っている。あれは神のものなどではない。所詮はなにを行うにも限界があり、人の領域を出ることはない。だというのにーー」
「いうのに?」
何故か一旦言葉を切り、私の顔を窺うように見た。
逸れてないの?この話。どこに行き着くのだろう。まったく予想不可能だ。
僅かに首を傾げたところで、爺様が続きを口にした。
「ーー稀にお前や、俺のような者が現れる」
「え?」
「人の域をはみ出、さりとて神の域には届かず。神の領域と人の領域、その境界上に立つ者。それがお前であり、俺だ」
「境界上?」
「……それでも。境界上に立つことはできても、だ。決してそれを超えることはできないものだ。いいか、忘れるな。境界を超えることはできない」
「あの…?」
「ノーツを見つけても、多くを望むな。それだけだ」
「望む?ノーツに?」
「ふん。……小娘、さっさと食え。冷めるぞ」
「え?ああ、はい」
今度は、はっきりしている。完璧に話を逸らされた。いや、中断したと言うべきか。
自分から言い出したくせに、止めるなんて。なんだか消化不良の気分だ。
だけどそれきり、爺様は眉間に縦皺を寄せたまま黙々と食事を続けたので、なにも訊くことができなかった。
結局、なにが言いたかったのだろう。
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