白雪日記

ふたあい

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二年目

生命月2日

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 休憩時。バタバタと急ぎ足で、白魔術研究室へ入った。

 無人。
 師匠は不在だ。良かった。他の研究者も、用がない限りこの部屋には来ない。もちろん、師匠が危険と承知しているからだ。
 周囲を見渡す。乱雑に資料と思しき紙の束が積み重ねられた机。二枚の上着が無造作に引っ掛けられた椅子。本棚は整然。隣の様々な薬品の入った大中小瓶の並ぶ棚はギュウギュウで、入り切らない分が前の床にズラリと並べられている。その中に探していたものを見つけて、ホッと安堵の息を吐いた。

「あ、あった…」

 赤い飴玉の詰まった瓶ーー昨日、カリメラに貰ったもの。それは薬瓶と同化して、当たり前のようにそこに鎮座していた。
 急いで拾い上げる。
 団服のポケットに入れておいたその瓶を、落としたことに気付いたのは昨夜、就寝時だった。まだ味見すらしていない。自己嫌悪。貰い物をぞんざいにするとは。
「やっぱり、あの時落としたんだ…」
 呟く。
 昨日、師匠から逃げ出した時だ。かなり慌てていたからな。まったく、と思う。

 白薬の試飲など、冗談ではない。

 白薬には、いつも泣かされる。
 初めは打ち身の薬だった。何度も施してもらったことのある、今では自分でもできる初歩の治癒術。患部に向けて術式を組み、皮膚の活性化を促すだけの術。それが、白薬という形をとった途端、私に異常をもたらした。その時、何故か患部が移動した。右足首近くにできていた青痣は、膝へと移動した。痛みとともに。
 次に飲んだのは傷薬。傷が塞がるどころか、別の二箇所にまったく同じ傷が浮かび上がった。手の甲を軽く切っただけだったのに、額と二の腕に傷がつくという、有難くない事態が起こった。
 そして三度目。もう師匠は興味津々、目が爛々。風邪薬だった、喉に効く。三日間、声が出なくなった。ここまで来ると、もう勘弁である。

 絶対、今度は逃げる!決意を新たにした、その時ーー

「あ、やっぱりそれ、シロのだったんだ。床に転がっていて、危うくすっ転びそうになったんだよ、僕」
 マッド白魔術師が呑気な顔をして部屋に戻ってきて、私の手にした瓶を指差しつつ言った。チッ。すっ転んでしまえばよかったのに。……ああ、かなり苛々しているなあ。
「すみません。慌てて逃げたものですから」
「アハハ~。それについては今、陛下に叱られてきたところだよ」
「主上に?」
「だってシロ、予算案、昨日置いて行ったでしょ?自分で持って行ったんだ。それで君に逃げられた話をしたらね、首根っこ掴まれて怒鳴られた」

 …何事も包み隠さずとは、この人らしい。

「ところでさ、それ、なに?」
「え?」
 一瞬、なんのことを訊かれたのか解らなかった。たった今、転びそうになったと聞いたばかりだというのに。師匠が飴玉の瓶をジッと見つめていることに気付き、そこで合点した。
「ああ、これはカリメラに貰った飴です。私が酸っぱい味のものが食べたいと言ったら、作ってくれたんです」
「酸っぱいの?飴が?甘いんじゃなく?」
 砂糖を溶かして固めただけのものーーここで飴と呼ばれる菓子はそれしかなかった。だから私はパティシエールであるカリメラに、他の味を付けることを提案したのだ。
「まだ味見もしていなかったんですよ」
 手にした瓶の蓋を開け、ポイと赤く透明な粒を一つ、口に放り込む。
「……」
「師匠もいかがですか?」
 蓋を開けたままの飴瓶の口を、マッドの方へ向けた。
「……」
「どうぞ?」
 師匠は無言でマジマジと瓶の中を見つめていたが、おもむろに手を伸ばし飴玉を摘んで口にした。
「酸っぱ…でも、美味しい!」
 師匠が目を丸くする。
「はい。これは…リンゴ…ううん、この酸っぱさ……リンゴモドキですかね?」
 爽やかな甘酸っぱさが、口いっぱい広がっていた。これはかなりヒットだ。
「うん、うん。そうだよ。へえ~、やるなあカリメラ。…そうかあ、グレイシアの奴、上手くやったもんだねえ」

 ……上手くやった、というは甚だ疑問である。

「僕はねえ、リンゴモドキの丸かじり大好きなんだけど、皆そう言うと変な顔をするんだ。シロはどう思う?」
「は?え……ええっ!?」
 リンゴモドキは、その名の通りリンゴ風味の果物だ。そのまま食すよりも、レモンのように風味付けとして使われることの多いもので、割とポピュラー。市場でもよく見かける。見た目はザクロが一番近いだろうか。中身もザクロ同様小さな種がいっぱいなのだが、実はまったく違い、ツルンとしてトマトのゼリー部分のような形状。そして味はーー

 とてつもなく酸っぱい。

 レモンなんて目ではない。その十倍くらいってほど。間違いなく歯が浮いてしまう、あんなものを齧ったら。
 丸かじり大好き?思わず顔をしかめる。
「アッハッハ~。考えただけで鼻に皺を寄せてしまうその顔、皆一様にするんだよねえ。面白い」
 師匠が笑った。
 …ひょっとして、からかわれた?

   ✢

 夜がくると、よく空を見上げる。
 風呂へ向かう道すがら。入浴は一番最後にと決められている。だからいつだって、真夜中だ。
 西の夜空にひときわ輝く六つの星が見えた。上手く線で繋ぐと魚の形になるので、こっそり『にぼし』と呼んでいる。生命月の間は、このにぼしが夜空に浮かんでいると云う。

 そうだっただろうか?

 ここへ来た当初の夜空を思い浮かべた。
 ーーにぼしは確かに輝いていた。鮮明に、脳裏に映る。一年前に見た景色であってさえ…。

「白雪…。やっぱりすごいね」

 かつてともに在った少女に向け、呟く。独りになるとなんとなくやってしまう、癖のようなもの。感傷…なのだろう。
 生前から空を仰ぐのが好きだった。こんな時、感傷はとめどなく溢れる。
 だけど、重苦しいのは性に合わない。残りは割愛するとしよう。

 星が流れた。
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