白雪日記

ふたあい

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二年目

転寝月9日

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 夕べはよく眠れなかった。

 出発の時が迫っているというのに、どこかぼうっとした頭のまま。フルルクス邸を早朝から訪れていた。
 主上は見送りには来ていない。今、城を抜け出したら、ギィがブチ切れてしまうだろうから。

 荷物の確認を行った。

 まず、問題の杖ーーもちろん壊れた方。贈られた時のまま、専用のケースに収められている。内側は宝石箱のようにビロード張りで、キッチリ中身が固定される仕様。長さが一メートル強あるので、抱えるように持たなければならない。運搬はかなり面倒だ。
 ここで初めて私は、件の杖を見せてもらった。
 それはーー部分的に破損していながら、なお綺麗だった。綺麗という言葉が、陳腐に思えるほどに。
 不思議な躍動感。慈愛の笑みを湛える女神は、僅かに天を仰いでいる。片方しかない翼をもがれながらそれでも、今すぐに飛び立って行くのではないかーーそんなふうに思えた。髪の毛一本一本に至るまで、創り手の魂が込められている繊細さが、錯覚を生み出すのだ。
 ただ…杖としての実用性は皆無である。使うとしたら、女神の頭を鷲掴みだ。もし翼が健在なら、動きの妨げになるだろう。完全なる観賞用。

 ある意味、無用の長物である。

 次に、当座を凌ぐ換金用の宝石。これは今朝、師匠が主上から預かってきた。向こうに何日かは、滞在する必要があるためだ。継続して繋がっているとはいえ、行き来するにはその都度、発動術式を組む必要がある。じっ様もそんな暇人ではないので、それは避けたい。だから任務を終えるまで、帰らない予定だ。
 いろんな意味で短期決着が望ましいのだけれど、日時ピッタリに召喚はできない。数日の誤差が生じるため、少し早い日時を設定して召喚術式は組まれている。四、五日と見ているが、誤差により滞在日数は増えるかもしれない。

 思っていたより大変だ。

 最後に、白銀城宝物庫の鍵。これも師匠が預かってきた。八年前も今も同じものを使用しているので、持参した方が手っ取り早い。
 絶対に忘れてはならないのが、以上の三つ。背負ったリュックには、その他にいくつか私物を詰めておいた。

 少し…遠足気分が入っている。

 八年前ーー過去へ行く。「ちょっとそこまで、ハイキング」とあまり変わらないノリで。未だに冗談のようだと思えて仕様がない。
「あの…それで、過去のどこに召喚される予定なんですか?」
 術式の渦の中心に立つ私の隣で、実行前確認を行うじっ様に尋ねると、部屋の入り口の方から答えが返ってきた。
「僕の家だよ」
 完成した術式を壊さぬよう、廊下で待機していた師匠である。開け放たれた扉の先で、ずっとこちらの様子を眺めていた。
「師匠の?」
「そう。今、僕が住んでいる家。ちょうど八年前は空き家だったんだ。都合いいでしょ?城の管理下にあったから、荒れてもいないし、不審人物も住みついていない」
「コイツがどうしてもとうるさい。やれやれ…目と鼻の先に過去と未来、両方の召喚術式を組むことになろうとは」
 師匠を指し示しつつ、じっ様が口を開く。
「そうですか…」

 なんの因果でーーと思っているのだろう。

 八年前の当時、このフルルクス邸は白銀城次席白魔術師であった、師匠の家だった。それがお互いの筆頭就任と同時に、師匠は今の家を充てがわれ、じっ様がこの家に移った。理由は言わずもがな、爺様を召喚する術式がここにあったからである。
 そうか。召喚先は師匠の家か。この家とは、通り一本挟んだだけ。確かに近い。
「おい」
「は、はい?」
 気付くと、厳しい口調とともにじっ様が私を睨んでいた。
「いいか?耳の穴かっぽじってよく聞け。未来は不定形で不特定多数の道筋だ。対する過去は一本道。だからこそ召喚日時を、数日の誤差程度に縮められる。ここまでは解るな?」

 解るような、解らないような?

 未来にはパラレルワールドが存在するという話なのだろう。誤差に関しては…考えまい。私には高度すぎる。
「先に言っておく。俺たちは誰も、八年前お前に会った記憶はない。お前のその、真っ白な容姿は飛び抜けて目立つ。会っていたなら、記憶に残らないはずがない」

 ーー?

「それはどういう意味です?」
「……つまり、だ。杖をすり替える以外、余計なことはするなってことだ。間違っても、知った奴に会ったりするな」
「…もし、会ったら?」
「過去が変わる。一本道だったはずの道筋がぶれ、召喚術式が壊れる。ーー帰れなくなる」

 えええっ!?なんだって?

「そんな…」
「当然だ。過去から見れば、現在は未来に当たる。いくらでも枝分かれ可能だ。いいな?無事戻りたければ、細心の注意を払え。用心しろ」
「うわ~、厳しいね。シロ、頑張れっ」
 師匠…無責任にお気楽口調ですね?
「ほらよ、忘れるな」
 そう言ってじっ様は、フード付きポンチョを頭からかけてくれた。おっと、危ない。忘れるところでした。これで最低でも髪は隠せる。苦笑いする私を、じっ様が珍しい、不機嫌とは違う複雑そうな顔をして覗きこんできた。
「後は…特にねえな。向こうへ着いてからの行動は、予て決めてあった通りだ。忘れるなよ」
「はい」
「…宝物庫の鍵と換金用の袋は持ったな?」
「はい」
「いいな?無茶はするなよ?無理だと思ったら、一旦引いて時期を窺え」
「はい」
「それからーー」
「はいはい、そこまで。キリがないでしょ?過保護だね、お前は」
 繰り返されるじっ様の確認を、師匠が遮った。可笑しくなって笑う。まったく、とんだ心配性である。
「…チッ」
 じっ様はガリガリと頭を掻いて舌打ちし、それから部屋を出た。後には、ぽつんと私一人。部屋の中央、たくさんの術式が描かれる中、ひときわ大きな幾重にもなる輪の中心に立ち尽くす。
 部屋の入り口で、じっ様が発動術式を綴り始める。必要な大量の式熱は、一体いつ取り込んだのやら。国庫をあけたのだろうーーおそらく秘密となっている、例の手を使って。

 部屋中の術式の輪が光を放つ。

 じっ様が言った。
「……ちゃんと帰ってこい」
「……はい」

 そしてーー視界が歪む。

 声がした。
「あ、そうそう。僕の家、確か八年くらい前に幽霊が出るって噂があったんだ。だからさ、割と好きに使ってもいいと思うよ」
 師匠…だから自分の家を勧めたんですね。つまり、私がその幽霊だと?…緊張感が吹き飛ぶので、このタイミングで言うのやめてください。

 なにはともあれ。行ってきます。
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