白雪日記

ふたあい

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二年目

八年前の転寝月28日(1)

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 その押し殺すように囁く会話を耳にしたのは、単なる偶然だった。決して、聞き耳を立てていたわけではない。

 王立図書館にいた。その中でも比較的人の多い娯楽書の棚の前に立ち、なにか面白そうなものをと物色していた。四日も待機期間があるためである。
 図書館というのは場所柄、人の多寡に拘わらずとても静かな処である。したがって、カクカのような声の大きな者は敬遠され、そこにいる人の声は自然と囁き声となる。
 そう、別段珍しくもなんでもないのだ。だから、何気なく聞いていたに過ぎない。

 それは、棚の裏側から聞こえてきた。

「ーー…レメ、カダス、セラ、メルファス、アルメラ、ゴート」
「……承知した」
「だが、回収は一晩待ってほしい」
「なんだと?」
「気になることがある。ひょっとすると…今回は捨てなければならないかもしれない」
「それは、どういうことだ?」
「…感づかれた可能性がある」
「感づかれただと?どこの誰にだ?」
「……」
「おい?」
「とにかく、足がついては元も子もない。今夜は近付くな。いいな?」
「しかし…」
「いいな?」
「……承知した」

 そこで会話は途切れた。

 そっと手にした冒険小説を棚に戻し、本を探す素振りで裏側へ移動する。しかし、すでにそこには誰もいなかった。……素早い。

 ーーレメ、カダス、セラ、メルファス、アルメラ、ゴート…。

 何故、こんなところで、占者と陽月下間のみで使用されている暗号を耳にする?
 歴代の、占者と王の名前。それらの組合せーーこれは星の行方を視る占者が、回収の役目を担う陽月下へ、その位置を指示する際に使われている特殊なもの。王の名が伏せられている、もう一つの理由でもある。
 それが街中で、聞こえてくるなんてあるだろうか?
 しかも「足がつく」「感づかれた」など、怪しいにも程がある。

 レメ、カダス…というとーー近い?

 急ぎ脳裏に、以前アランサが「内緒だよ」と言って、こっそり見せてくれた暗号チャートを映し出す。それから該当する地図を思い描き、座標を当て嵌めた。
 すべてが記憶だよりだけれど、鮮明なので問題はない。
 そうして割り出された位置はーーあれ?

 ここはーー

   ✢

 月明かりを頼りに、私がここへ来たのは二度目だった。一度目は去年、眠れなくなって徘徊した末。そしてあの晩…

 いや。今、そんなことを思い出すのはやめよう。

 何故ここなのだろう?ここには近付くべきではないというのに。喬木が生い茂る中、ため息をつく。なんだろう、この木々は?
 ずいぶん鬱蒼としている。見晴らしのいい八年後とは大違いである。本当に同じ場所なのだろうか?
 街外れの丘に来ていた。フルルクスが日参していたあの丘に。
 そして驚いている。現在とまったく違う様に。
 街道を一望できた、爽やかな風が頬を撫でたーーあの清々しさは見る影もない。密集する木々のため見通しが悪い。人目を忍ぶに最適ーーそんな場所ではないか、これでは。

 ハッキリ言って、来たくはなかった。じっ様と鉢合わせたらどうするのだ、と?

 だけど。

 昼間聞いたあの暗号の示す位置が、ここだったのだから仕方がない。
 いっそ放置してしまえと何度も考えたのだけれど、それもできなかった。勘が告げている。素知らぬフリは駄目だ、と。
 まあ、同じ八年前とはいえ幅がある。まだじっ様は、ここへ足を運び始めてはいないかもしれない。実際、今はいない。
 こんなことならじっ様に関する師匠の戯言、ちゃんと聞いておけばよかった。せめて時期だけでも知っていたなら、安心できたのに…。泣き言を言っても、始まらないか。
 さて、ここまで来たものの、どうしたものか?夜まで待ったのは、あの会話の内容から夜である必要性を感じたからである。

 ーーなにかあると、思うのだけれど。

 枝をかき分け、辺りを窺う。だけど変わったものなどなにもなかった。右を向いても、左を見ても、あるのは木ばかり。

 首を傾げた、その時だった。

「あ…」
 視界の端に、光の筋。見上げて目で追う。緑の合間から、星が流れるのが見えた。
 こんな見通しの悪い場所でも意外に見えるのだと、妙に感心した。月明かりは届いている。ここの木々は、空を覆い尽くすほど深くはないのだ。
 少し、ホッとした気持ちになった。流星を見ると安心感を覚えるのは、私自身がその光で、できているためだろうか?
 どうだろう?考えながら、探索を再開する。

 するとーー

「あ…」
 今度は少し離れた場所の地面が光っていた。草むらの影になり、薄く、ぼんやりと。あの光り方は、見覚えがある…というより馴染み深い。

 あれは、術式が放つ光だ。

 急いでそこまで駆けていく。警戒は怠らず、人の気配はないことを確かめつつ。
「これ…もしかして……」

 冷や汗が頬を伝う。

 光の先にあったのは、透明な丸い玉だった。しかも中で、光の糸が渦巻いている。
 冗談でしょ?
 これとよく似たモノを、城の地下で目にしたことがあるのだが?アレはもっと巨大で、ガスタンクくらいあったけれど…。
 目の前のそれは、ソフトボールくらい……これは、やっぱり…

「星の…雫?」

 どういうことだ?これは、ただ落ちてきた雫ではない。サイズが違うだけで、国庫と同じ。保管用のケースに入れられたもの。
 こんなもの、さっきは落ちていなかった。それが、星が流れて…それでーー

 だけど。

 星が落ちたのはここではない。実際にこの身に落ちたことがあるのだ。間違いない。それにケース入りというのは?
 もう、意味不明である。
 呆然と、足元の草むらに転がる、雫入りの玉を見つめた。どうする?ここまでの出来事を総合して、思いつくことと言えばーー

 雫の闇取引が行われている?

 ならば、これは回収して、役所に届けるのが筋なのではないだろうか?

 …………そうだ。回収しよう。

 戸惑いながらも得た結論に従い、しゃがみこんで玉に手を伸ばしかけーー

 次の瞬間、腰の剣を振りかざした。

「ーーっ!」
 額ギリギリ。かざした剣で、脳天めがけて落とされた踵を止めた。誰だ?いつの間に?人の気配はなかったはずなのに。
 体勢的に視界が遮られていて、相手の姿は見えない。足の大きさから察するに…男?
「チッ、良い反応してやがる。おい、女。お前、ミリの仲間か?」
 ギリギリと峰に乗せた踵に力を込めて、その男が言った。
「へ?」
「へ?じゃねえ。ミリ・オヴリを知っているのか、いないのか、訊いている」
「あ…まさ……」
「……?はあ?」

 この声。

 ものすごくよく知っている。一気に汗が吹き出した。拙い。この声が思う相手ならば、現状、命の危険はない。だけど…拙い。拙すぎる!
 だらだらと脂汗を流しながら、そのまま固まってしまった。その様子に敵意はないと判断したのか、私に踵落としを食らわせようとした相手は、黙って足を下ろす。
 視界が開けた。剣を下ろし、相手を見る。一人の男が立っていた。

 ああ、やっぱり。

 思った通り。確かに、人の気配はなかったのだ。瞬間で現れる、こんな真似ができる者なんて、限られているではないか。
 上からは月明かり、足下からは雫の光。視界はまずまず良好で、見まがいようもない。

 私の前に、フルルクス・シンがいた。
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