白雪日記

ふたあい

文字の大きさ
111 / 140
二年目

八年前の転寝月32日(3)

しおりを挟む
 過去に来る前から、伸し掛かっていた不安。そうか。これだったのか。

 あれ程までに禍々しい気配を、感じたのは初めてである。先程見た、揺れていた黒い影。あれはーー

 ドウーー死神だ。

 誰も姿を知らない。見た者は殺される。それが、ドウ。死神の二つ名を持つ、暗殺者。人殺しの申し子。
 間違いない。ドウだ。全身の感覚が、そう訴えている。まさか、八年前の過去に来て、ドウの暗躍に遭遇しようとは。なんたる皮肉。アレを、マクミラン王が動かそうとしている?

 早く戻らなければ。杖を持ち帰って、対策をーー

「何故逃げたっ!?」
 怒声とともにいきなり胸ぐらを掴まれて、現実へ引き戻された。
 月明かりが枝の隙間から漏れ、辺りを薄く照らしている。あの丘へ戻ってきていた。
 そうだ。
 万が一を考え備えていた、あの召喚術を発動させたのだ。間に…合った。良かった…
「あ…フルルクスさん、無事でよかっーー」
「そんなことはどうでもいいっ!何故、術を発動させた!?」
「ぐ…」
 首が絞まるくらい私の襟元を握る手に、じっ様がもっと力を込めてくる。
「アレがっ!あの黒いのがっ!屋敷の奴らを…ミリを殺った!それを……逃げてどうする!?」
 なにを言ってくれる?
「……死んで…まし…たよ…」
 窒息しそうだ。
「なに?」
 掴まれた腕に手を掛け、力いっぱい引き剥がす。
「あのままあそこにいたら、私たちは死んでいました!」
 じっ様が私の手を掴み返した。痛い。
「ざけんなっ!そんなことは、どうでもいいんだよ!逃げたければ一人で逃げろっつってんだっ」
「そんなことできませんっ!」
 じっ様の怒りは頂点だったが、私の方もここで一気に、頭に血が上った。

 それができるくらいなら、ここまで首を突っ込んでなどいない。馬鹿なのか?この男は。

「クソッ。なんだってあんな術式を組んだ?お前一人だけで跳ぶようにしていれば……」
 私一人だったら、あの瞬間躊躇して逃げ遅れていた。二人揃って助かるか、心中するか、選択肢はこの二つだけ…

「俺は…刺し違えでよかった…それなのに…」

 ブチリ。

 漏れ聞こえた呟きに、堪忍袋の緒が切れた。勝手なことを言いやがる。掴まれていた腕を、振り払った。
「……刺し違いでよかった?……冗談じゃない」
 もう止まらない。
「うるせえ、テメエにはーー」
「関係ある!大いに関係がっ!そっちがそれでよくたって、こっちはそれじゃあ済まされないっ!どれだけ……」
 感情がグチャグチャになり、涙がこぼれた。
「ーーっ!」
「どれだけ貴方がいなくなったら…私が困るか…少しは考えろっ!」

 ガッと。

 喚くだけ喚いて、じっ様を殴り飛ばした。そこまでやって、我に返る。あ…

 やっちまった。

 じっ様は、結構派手に吹っ飛んだ。力も。この身体は見た目に反して、並の男よりあったのだ。
 あああ…しまった。
 確実に、生活環境に感化されている。『揉め事は拳で決着する』、それが近衛のルールであった。
「……あの」
「…………」
 じっ様は起き上がらない。飛ばされた拍子にぶつかった木に、体を預けたまま空を見上げている。

 そのまま沈黙が続いた。

 どれくらい経っただろう。側に腰を下ろして、じっと待っていた。じっ様が冷静になるのを。
 左手を見つめる。痛い。人を殴れば、そりゃ痛いだろう。カッとなったなと思う。利き手で殴ったのか、私は…
「確実に死んでいたな」
 ぽつり、じっ様が言った。
「え?」
「お前が召喚を行使しなかったら、二人とも確実に死んでいた。冷静さを欠いたあの時の状態では、刺し違えることすら…できなかった」
「じ…フルルクスさん」
 じっ様に視線を向けると、真っ直ぐにこちらを見ていた。落ち着きを取り戻している。

 ホッと息をついた。

「どういうことだ?」
 じっ様が再び、ぽつり呟いた。
「……邪魔になったから片付けることにした、ですかね?ほぼ決定なんですよね?例の資源管理官が罷免される話」
「ああ。……そうだな。そういうことに、なるんだな」
 情報を流していた資源管理官が罷免されれば、雫の取引もストップする。利用価値がなくなる。下手をするとミリさんの関与が感づかれ、そうなればゲードへ辿り着くのは時間の問題。他の取引まで危険になった。

 だからーー

「屋敷からはもう、なにも証拠は出てこないでしょうね」
「当然だろ。俺たちが行った時には、すでに全員死んでいた。あの黒いのがまだ残っていたのは、証拠品の片付けのためだ」
「……ですよね」
「…チッ」
 ドウはあくまで暗殺者だけれど、それくらいの仕事はこなすだろう。自身の足取りを消すためにも。
「申し訳ありません。協力するなんて言って、なんの役にも立てませんでした。私がちゃんとミリさんを見つけていれば、少なくとも彼は助けられたのに…」
 深々、頭を下げる。
「阿呆が」
「はい」
「そうじゃねえ。俺一人だけだったら、こんなに早くゲードに辿り着いてなかった。なにも知らないまま、ただ呆然とするだけだった。礼を言う。間に合わなかったのは、仕方がないことだ。お前が謝ることはなにもない」
「だけど…」
「しつけえな。助かったと言っている。……殴られたことも含めてな」
「うっ…。それも…申し訳ありません」
「だから助かったと言っているだろうが。あのまま頭に血を上らせ、突っ走って黒いのと鉢合わせるなんざ、御免だからな」

 ビクリとした。そうだ。あれはドウ!姿を見た者は殺される。

「フルルクスさんっ」
「解ってる。暫く大人しくしておく。どうせ昼間は……」
 不意にじっ様が、視線を逸らした。
「?」
「お前…俺とジジイの関係を知っているのか?」
「え?」
「いや、さっき言ったこと……」
 さっき?……あ。さっき喚き散らした、アレ。そうだった!アレは自分が今後、どれだけフルルクスの世話になるのか、公言したようなものだった。しまった。

 こうなればーー

「ええっと…それはお祖父様に訊いてください?」
 主上直伝。『必殺!爺様に丸投げ』だ。
「は?はああ?お前、ふざけるのも大概にしろ!そんなことができるわけねえだろ!」
 じっ様が怒鳴った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

おばちゃんダイバーは浅い層で頑張ります

きむらきむこ
ファンタジー
ダンジョンができて十年。年金の足しにダンジョンに通ってます。田中優子61歳

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

処理中です...