白雪日記

ふたあい

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二年目

転寝月35日(2)

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「ったく。なんて顔してやがる」
 中庭を、足早に進むじっ様が言う。ずっと、手は引っ張られたままだった。
「え…?」
「裏と表、見分けがつかねえほど血の気が引いてる」
「そんなに…?」
「……焦った」
「え?」
「普段ぼうっとしてやがるから、そんなふうに狼狽えるとは、思っていなかった」
「……とことん、酷い言われようですね」
 僅かに苦笑が漏れる。段々と落ち着いてきた。その物言いでは、ただ単に貶しているだけではないか。
 自分で思っているより、ショックを受けていたようだ。主上はここでの、数少ない親しい人。剣の師でもある。もし失うようなことになったらーー

 怖い。

 握られた手を、強く握り返す。一瞬ビクリとされたが手は離れず、強い力が返ってきた。
 そのままじっ様は私を連れて、学術塔の救護室前で足を止めた。そこで手が離れる。
 私は気が気でなくなった。
「あの、カリメラが…どうしたんですか?まさか、怪我を?」

 なにがあった?

「いや、大丈夫だ。さっき、そっちに行く前に寄ったんだが…如何せんショック状態でな…」
 歯切れの悪い返事をしながら、じっ様は扉を開ける。
 カリメラがベッドに腰掛けていた。そして、その隣にはグレイシアの姿も。
「なにがあったか話せるか?」
「あ、ああ…フルルクス」
 グレイシアがこちらを見る。カリメラはうつむいたまま。
 カリメラが震えている?彼女の正面に立ち、そして目を見張った。着衣が血に染まっていたためだ。
「カリメラ!その血…」
「……違う。俺…のじゃない。これは…陛下の血だ」
 弱々しい声が返ってきた。
「一体、なにがあったの?」
「買い出しの途中…偶然…会ったんだ…」
 カリメラの声は、掠れて更に小さくなった。
 隣りに座っていたグレイシアが、カリメラの肩をそっと自分に寄せる。それから私たちを見上げ、後を引き継いだ。
「午前中、陛下と俺は城の北側にある、開発予定地を視察していた。あそこら一帯に建物を造るにあたっては、土壌改良が必要なためだ。……護衛は付けていなかった」
「チッ。あの馬鹿が…」
 じっ様が舌打ちする。
「警戒を怠っていたわけじゃない。護衛をぞろぞろ引き連れて目立つよりも、二人で人通りの多い道を行く方がいいだろうと判断したんだ。実際、視察は無事終えた。だが、その帰りにーー」
「…俺が裏通りから、グレイに声をかけたんだ。ちょうど路地を通して、姿が見えた…から……」
 うつむいたまま、カリメラが言った。
「その途端、陛下の顔色が変わった」
 グレイシアが補う。
「陛下はグレイを表通りに残して、ゆっくりとこちらへ向かってきた。そして、俺の前までくると『走れ』と言って俺の背中を押した。その後『振り向くな』とも叫んだ。なにがなんだか解らなかった。けど……路地を抜けて、表通りに出たところで振り返って見るとーー」
「カリメラが駆け出すと同時だ。黒い影が陛下の前に躍り出て、数度斬りあったかと思うと、血しぶきが上がった。俺たちは叫びながら、慌てて駆け寄った。カリメラの服の血は、その時付いたものだ。…黒い影はーーすでにその場から駆け出していた」
「お前…」
 カリメラが震える声で呟いた。さっきまでと様子が違う。
「カリメラ?」
 私がその名を口にすると同時だった。弾けるようにカリメラが立ち上がり、グレイシアの胸倉を掴み、食って掛かった。
「何故あの時、俺を止めた!?奴の姿は離れてはいたが、まだ見えていた!追えたんだよ!それを……」
「馬鹿を言うな。お前が追ってどうする?俺たちは運が良かったんだよ。あそこで表通りの人が騒ぎに集まって来ていなかったら、奴に確実に殺されていた」
 グレイシアが、胸倉を掴まれたまま反論する。
「ハッ、怖気づいてどうする?テメエはそれでも男か!?筆頭黒魔術師かーー」

 バチンッと音が響いた。

 グレイシアがカリメラをひっぱたいていた。
「この…馬鹿たれがっ!冷静になれ!」
 グレイシアは怒鳴り、厳しい目でカリメラを睨む。
「けど…俺のせいで陛下がっ…死…」
「勝手に殺すな!あの方は、そう簡単には死なない。現に生きて、ここに運ばれている!」
 カリメラが涙をこぼす。ずっと堪えていたのだろう。グレイシアは立ち上がり、黙って彼女を抱きしめた。
「……行くぞ」
 じっ様が言う。
「そうですね」

 私たちは救護室を出た。

 扉を閉めてから、じっ様が息を吐く。
「耳がいてえ…」
 ぼそり、聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
 聞こえていますよ?じっ様。思い浮かぶのは、八年前の光景。
 苦笑交じりに視線を上げる。だがフルルクスは、私を置き去りにして歩き出していた。
「お前は今の話を、ギィに報告しろ」
 後ろ姿が、そう言う。
「…はい。じっ様は戻らないんですか?」
「ああ。疲れた」
 そう言いながら遠ざかる。ガリガリと頭を掻いて、ついにはいつも巻いていた布を剥ぎ取った。

 じっ様の髪が、はらりとする様が目に映る。

 これまで覆われていて目立たなかった、奇麗なミルクティー色。淡い色素がもてはやされるここでは、きっと人目につくだろう。

 ーーじっ様?
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