その身を賭けろ

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俺が先約

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 カジノから少し歩けば、人のあまりいない公園へつく。遊具的な物は何もない散歩道だが、春には桜が見事に咲き、花見客で賑わいを見せる。
 旭は葉月と並んで歩きながら、二人で花見ができたらいいな、などと考えていた。
 
「ここを抜けたところに、静かな喫茶店があってさ、カジノの帰りによく酔いをさましていくんだ。まあ、酒は滅多に飲まないけどな」
 
 このあたりは飲酒の抜き打ち検問も多く、葉月は酒を飲んだ日はタクシーを利用するか喫茶店で酔いをさましてから帰るらしい。
 
「でも、喫茶店でいいのか? 回らない寿司とかなんとか言ってたのに……」
「アレは冗談だ。おれ、ナマモノあまり好きじゃないし。生臭いの苦手なんだよな」
「……」
 
 ならば何故、寿司屋などと言ったのか。冗談としても、旭がその気になっていたらどうするつもりだったのか。
 まあ、懐事情的に無理だということかがわかっていたからだろうが。
 
「もしかして、もう家で食べてきたとか?」
「いや、何も。旭は?」
「俺も……まだ、かな」
 
 カップ麺で軽く済ませてきたとは言いづらく、旭は俯いて爪先を見る。先に小石があたってコツンと跳ねた。
 外は身を切るような寒さで、吐く息は白く霞む。体温が低くても息の白さは同じくらいだなと考えて、横にある手を握り締めた。 
 単に指先がいつもより冷たくなっているのではないかという確認だったのだが、葉月の驚いた表情を見てパッと手を離す。
 手を握ったというよりは、手を繋いだという感じだった。公園で手を繋いで歩くなんて、それこそデートだ。
 
「手、繋いで歩きたいのか?」
 
 案の定からかうようにそう訊かれ、旭は首を勢いよく横に振った。
 
「でもお前、おれの手、好きだよなー」
「っ……な、何言って」
「男の手を繋いだり握ったり舐めたり。充分ヘンタイの域だぞ」
「冷たいから気になるんだよ」
「何? 前のカノジョが冷たい手をしていて、思い出しでもするのか? 女は冷え症多いしなー」
「いや……。今まで触った中で、一番冷たい」
「そ」
 
 そして、一番器用だ。

 確かに言われてみれば、自分は葉月の手が好きなのだろう。もっともそれは、羨ましいという意味合いを含んでいるかもしれない。どんなギャンブルにも勝ってしまう、神の手だ。
 
「でも、まあ。今日はかなり冷えるよな。くっつけば少しはマシになるかも?」
 
 その言葉に少しドキリとしたが、どうやら葉月のいうくっつくは体当たりという意味を持つらしい。かなりの力を込めてぶつかられ、腕に鈍い痛みが走る。
 
「さすが、これくらいじゃびくともしないな」
「普通に痛い」
 
 旭は思い切り顔をしかめた。
 痛かったというより、酷く甘い匂いが鼻についたからだ。
 普段、葉月は爽やかなミントの香りがする。しかし今嗅いだのは、それを打ち消すような下品な香りだった。
 
「そんなに痛かったか?」
「いや……香水の、匂い、が……」
「ああ」
 
 葉月は袖を鼻先に持っていき、軽く嗅いだ。
 
「フレグランスが移ったかな」
 
 前に一度、町で偶然会った時にも同じ匂いがした。葉月はどんな表情で女を抱くのだろうと、下世話なことを考えた覚えがある。
 その時も何故か胸の奥がもやもやしたが、今日はその比ではない。ミントの香りを打ち消す甘い匂いは、深く接触したことを想像させた。
 葉月は前に女は隙あらば自分の子を身ごもろうとしてくるからごめんだと言っていた。なのに、香水の匂いが移るくらい接触を許していたということになる。
 友人に感じる独占欲としては、やや強すぎる感情。まるで、恋のようだと。何度目かわからないことを思い、気にしていないそぶりで笑顔を作る。
 さすがに気づかれたら、引かれてしまう。隠し事が下手な自分と、それを暴くのが上手い葉月。それでも隠さずにはいられなかった。
 
「女はダメって言ってたけど、擦り寄らせることは構わないんだな」
「女じゃないが?」
「……でも、それ、女物の香水だよな? まさかホストじゃないだろ?」
「ああ、ニューハーフなんだよ、このコ。竿ナシ玉ナシで犯されるシンパイもナシ。見た目はフツーにカワイイ女の子で、男に迫られる気色悪さもないから、ついな」
 
 確かにそれなら、身ごもる心配もないだろう。
 男はダメでも完全に女性に見えるニューハーフならできるという男は少なくない。実際、旭もそのクチだ。
 
「おれは、お前がコレをイッパツで女物の香水と言い当てたほうがオドロキだ。実は結構遊んでるな?」
「いや、普通……だよ、俺は」
 
 そのまま無言になってしまった旭の前に葉月が歩くのを遮るように立ちはだかった。下から上目遣いに見上げられ、ドキリとする。
 
「なあ、お前の中でおれは、聖人君子にでも見えたかよ?」
「え……?」
 
 葉月はギャンブルが好きで、酒も飲む。車も好きだと言っていた。家に帰れば巨大なホームシアターだってある。人生を謳歌してそうな彼が、そこだけ無縁だと考えるほうがおかしい。しかも、手慣れてそうな行動の数々。

 30も過ぎた男に馬鹿らしい話だが、言ってしまえば単にそうあってほしかったのだろう。
 相手の純潔を望む理由は、見ないフリをした。
 
「別に、そういうわけじゃ」
「……ふ。まあ、いいけどな」
 
 葉月はあっさり引き下がって、前を向き直った。長いコートが華奢な身体を更にすらりと見せる。細い背中を後ろから抱きしめたい衝動にかられ、旭はそれを実行に移した。
 
「……旭?」
「……あとを尾けられている。わかるか?」
 
 ただし、実行に移したのは衝動によるものではない。葉月の背を庇うためだ。もちろん、役得だと思ったのは否めない。
 葉月は旭の腕の中で息をひそめて首を緩く横に振った。
 
「どんなヤツだ?」
「この前、葉月の家で画面越しに見た奴だと思う。右の……木の影付近にいる。合図したら公園の出口まで走ってくれ」
「別に何もしてこないと思うが。いつも、ああなんだ」
「今日もそうとは限らない。ここは人目がないし」
 
 二人がいる場所は人がまったくおらず、隠れるものが何もない。走っていって木の影に隠れるよりは、公園を抜けきったほうが安全だと判断した。
 抱きしめた身体は旭の腕にすっぽりとおさまる。甘い香水の奥にうっすらとミントの香り。
 
「いっ……、旭! 力込めすぎ。ソレ、合図?」
「ご、ごめん!」
 
 いつもの香りを確かめたくて、つい力がこもってしまった。
 腕を緩ませると同時、後ろで足音が響く。旭は反射的に葉月の背を押した。だいたいの距離感を頭の中で把握し、振り返って深く踏み込む。
 相手は想像通りの位置。旭は軽く逃げるように後ずさってから、勢いをつけて近づいてきた夜西の身体を持ち上げてくるりと投げた。
 下は芝生ではなく、土で舗装されている。強すぎるダメージを受けないように落とす瞬間軽く引き上げたが、それでも充分な衝撃だったらしく、夜西は呻いて頭を押さえた。
 旭が息を深く吐き出しながら負荷のかかった腕を撫でていると、後ろから肩を掴まれた。身体越し様子を覗き込むように葉月が顔を見せる。
 
「凄いなー、旭。本当にボディーガードなんだ」
「なんで戻ってきてるんだ。出口へ迎えって言ったのに」
「……少し、心配で」
 
 旭は民間ボディーガードなので銃を持てない。その分、体術には長けている。
 ボディーガードとしてきちんと依頼されたわけではないが、信用されていなかったようで少し傷ついた。確かに情けない姿ばかり見せてはいるのだが。
 そして心配をしてくれたことは、素直に嬉しく思う。
 
「そいつ、大丈夫か?」
 
 しかしその心配は、どうやら旭にではなく夜西へであったらしい。トドメをさされたような衝撃に、旭の眉間にシワが刻まれる。
 
「地面にたたき付けたわけじゃないから、多分」
「そっか……」
 
 葉月の声が聞こえたのか、夜西が頭を押さえたまま顔を上げ、ボロボロと泣き出した。
 図体こそ大きく、短髪にしていてスポーツマンのように見えるが、中身は気弱な青年なのかもしれない。
 
「どうして……。どうして僕を避けるんだ、葉月。友人だったはずなのに……」
「その枠を越えようとしたのはお前だろう? 友人を、力ずくて……」
 
 葉月はそこまで言って、気まずそうに旭を見た。
 ストーカーとしか聞いていなかったが、大小なりとも知人として以上の付き合いがあったのだと、旭はここへきて初めて知った。
 
「そいつが、いるから? 僕のほうが先に葉月と知り合ったのに。僕のほうが葉月を好きなのに。君の冷たい手とミステリアスな雰囲気。細い身体を抱きしめればミントの匂いがして……。好きになった途端、その気はなかったなんてあんまりだ。友達にも戻れないなんて!」
 
 酷い目眩と、焦燥感。喉がからからに渇いているのに唾すら飲み込めない。
 これは自分だ、と旭は息をつめた。
 もし少しでも血迷えば、今この男の立場にいるのは自分かもしれない。
 
「旭は、お前とは違う」
「どうして言い切れる。僕の前であんなに情熱的なラブシーンを展開しておきながら!」 
「あれのどこがラブシーンに見えるんだ! 明らかに、お前を警戒していただけだろう?」
「だって、葉月が僕を警戒する理由なんて見当たらないよ」
 
 夜西に自分を重ね合わせてへこんでいた旭だったが、葉月が前に言っていたように、その発言がどこかおかしなことに気づく。
 葉月が迷惑しているという自覚が夜西にはまるでない。避けられているのは理解しているようだし、友人にも戻れないと自ら言っていたから、今はそういう関係にないということもわかっているはずだ。
 このタイプには何を言い聞かせても無駄。そっとしておいて、何かやらかすのを待って通報するしかない。
 
「とにかく、もうおれには近づかないでくれ」
「そいつとだけじゃない。男とも女とも、いつもベタベタ。僕というものがありながら……最近の君の行動は目に余る」
 
 聞いているのかいないのかわからない夜西に、葉月は旭のほうを見て溜息をついた。
 
「迷惑かけたな、旭。喫茶店はまた今度にしよう」
「葉月は……どうするんだ?」
「おれのまいたタネだ。最後まで付き合うさ。ホラ、立て。夜西」
 
 まいた種。確かに、葉月がしてきた行動を思えばそれほど相応しい言葉はないのかもしれない。
 思わせぶりで、気をもたせて、相手がその気になったらすぐに離れていくような……。
 
「ついに僕の愛に応えてくれる気になったんだね! 嬉しいよ!」
「調子に乗るなよ。少しでも変なことをしたら、部屋の外へたたき出してやる」
 
 けれど、これは間違っていると思った。ごねたほうが得をするなんて、それがまかり通る世の中であっても、葉月が自分を犠牲にするのは間違っている。いつものようにサラリとかわさず、何故か向き合おうとしているのにも腹が立った。そういえば夜西が葉月の家へ訪ねてきた時も、とりあえずあげてみるなどというとんでもない提案をしていた気がする。
 職業柄、旭がこういった場面に居合わせるのは初めてじゃない。その時、女の子は怯えて旭の背中にしがみつく。葉月は男だから、きっと守られ方がわからないのだ。
 
「俺が先約だ、葉月」
「え……」
「迷惑とか思わなくていい。だから、行こう」
 
 しばしの逡巡。迷う必要などないのにと思ったが、葉月は目をまたたかせたあと、ようやく旭のほうへ駆け寄った。
 
「葉月! どうして? そんなに僕より、そいつがいいの?」
「そうだ」
「葉月ぃ……」
 
 投げられた腰が痛むのか、葉月の拒絶がショックだったのか、夜西はその場から動こうとはしない。
 選んでもらえたことの嬉しさとやましさから複雑な気分になりながら、旭は綺麗な姿勢で歩き去る葉月を追う。
 思い詰めた夜西が何かするかもしれないと後ろを気にする旭とは違い、葉月は一度も振り返らなかった。
 旭がなんとかしてくれるだろうと思っているのか、夜西は何もしないとたかをくくっているのか。……もし、何があったとしても、その覚悟ができているのか。
 潔く、そして危うげな葉月の背中は、小さいのにとても悠々として見えた。
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