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level 9
「恋をして、はだかになるのは、心もです」
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「ほかには、なにが好きですか?」
「ほかに?」
「好きな食べ物とか、音楽とか。ヨシキさんのこと、もっとたくさん知りたいです」
「オレのことか… あまり教えたくないかもな」
「え? どうしてですか?」
「知れば知るほど、凛子ちゃんに嫌われそうだから」
「そんなことないです。絶対」
「絶対、か…」
わたしの言葉を虚ろに繰り返したヨシキさんは、マグカップをテーブルに置いて、窓の外の景色を見つめる。
心なしか、その瞳は翳っていた。
「…ヨシキさんはどうして、『恋人を作らない主義』なんですか?」
唐突にわたしは訊いた。
驚いたようにこちらを見たヨシキさんだったが、ニヤリと微笑みを浮かべる。
「もうそれは、棄てたんだよ。昨夜」
「いえ、そうだけど… それまでは」
「さすが、島津の血筋だな」
「なにがですか?」
「そうやって、いきなり本陣に突っ込んでくるところ。まるで関ヶ原の戦いでの島津軍みたいだ」
「え? そうなんですか?」
「処女は怖いもの知らずだな」
「わたし… もう処女じゃないです」
「いや、そうだけど… それまでは。ははは」
笑って茶化していたヨシキさんだったが、ふと真顔に戻って言い放った。
「ほんとに知りたい?」
「もちろんです」
「後悔するかもよ。オレのこと知ると」
「しません。絶対に」
「…」
「ほんとうですから」
「…」
黙り込んでしばらく考えていたヨシキさんだったが、ふと顔を上げると、真剣なまなざしでわたしを見つめ、おもむろに言った。
「信じられないから」
「なにがですか?」
「人の気持ちが」
「人の気持ち?」
「恋なんてさ~ …儚いもんだよ」
「え?」
「別れてしまえばただの夢。みんな消えてなくなる」
「…そんな」
「人の気持ちなんて、移ろいやすくて不安定なもんだよ。
情熱的な台詞も、たくさんの約束も。ふたりで過ごした思い出さえも、別れてしまえばみんな、なかったことになっちまう」
「…」
切な過ぎるその言葉。
はじめていっしょに迎えた朝に、こんな無情なこと言われるなんて。
「そんなことありません。わたし、ヨシキさんと別れるなんて、全然思っていません」
強い口調で、わたしは否定した。
「ああ… そうだな。ごめんな」
「本当にわたしは、ヨシキさんの恋人になったんですか?」
「ああ。凛子ちゃんはもう、オレのいちばん大切な恋人だよ」
「わたしは信じます。ヨシキさんの、その言葉」
「ああ。嬉しいよ」
「信じて下さい。ヨシキさんも、わたしの大切な恋人です」
「ふふ。凛子ちゃんらしいな。信じるよ、オレも」
含み笑いを漏らしたヨシキさんは、紅茶のおかわりをカップに注ぐと、気持ちを切り替えるかのように、明るく微笑んだ。
「さ。深刻な話はもう終わりにして、凛子ちゃん、今日は時間はある?」
「え? わたしは門限までに帰れれば」
「やった! ラッキーなことにオレも今日は久し振りのオフなんだ。これからドライブでもしない?」
「…ええ」
まだなにか、もやもやが晴れないわたしの顔をのぞき込み、ヨシキさんは笑う。
「凛子ちゃんって、なにがあっても冷静っていうか… その落ち着きと礼儀正しさは崩さないよな」
「そうですか? そんなことないと思いますけど」
「確かに… そんなことないか」
「?」
「昨夜は人が変わったみたいに乱れてたもんな。頬を紅潮させて色っぽい声で喘いでさ。まさにギャップ萌えだな。今でも目に浮かぶよ」
髪の毛の先まで真っ赤になる。そんな風に言われると。
「そ… からかわないで下さい! 恥ずかしいじゃないですか!」
「ごめん。でもすごく可愛いかった。思い出すだけでムラムラしてくる」
「もうっ」
「ははは。バカップルみたいな会話はこれくらいにして、食事が終わったら、さっそく出かけるか」
近づけたと思ったら離れてしまい、そしてまた少しずつ歩み寄る…
そんな『恋人』ヨシキさんとの、はじめての朝の会話。
それは、相手の心に少しずつ踏み込んでいって、ひとつになるためのプロセスなのかも。
人と話していて、そんな風に感じたのははじめてだ。
恋をして、はだかになるのは、からだだけじゃない。
心もなんだ。
つづく
「ほかに?」
「好きな食べ物とか、音楽とか。ヨシキさんのこと、もっとたくさん知りたいです」
「オレのことか… あまり教えたくないかもな」
「え? どうしてですか?」
「知れば知るほど、凛子ちゃんに嫌われそうだから」
「そんなことないです。絶対」
「絶対、か…」
わたしの言葉を虚ろに繰り返したヨシキさんは、マグカップをテーブルに置いて、窓の外の景色を見つめる。
心なしか、その瞳は翳っていた。
「…ヨシキさんはどうして、『恋人を作らない主義』なんですか?」
唐突にわたしは訊いた。
驚いたようにこちらを見たヨシキさんだったが、ニヤリと微笑みを浮かべる。
「もうそれは、棄てたんだよ。昨夜」
「いえ、そうだけど… それまでは」
「さすが、島津の血筋だな」
「なにがですか?」
「そうやって、いきなり本陣に突っ込んでくるところ。まるで関ヶ原の戦いでの島津軍みたいだ」
「え? そうなんですか?」
「処女は怖いもの知らずだな」
「わたし… もう処女じゃないです」
「いや、そうだけど… それまでは。ははは」
笑って茶化していたヨシキさんだったが、ふと真顔に戻って言い放った。
「ほんとに知りたい?」
「もちろんです」
「後悔するかもよ。オレのこと知ると」
「しません。絶対に」
「…」
「ほんとうですから」
「…」
黙り込んでしばらく考えていたヨシキさんだったが、ふと顔を上げると、真剣なまなざしでわたしを見つめ、おもむろに言った。
「信じられないから」
「なにがですか?」
「人の気持ちが」
「人の気持ち?」
「恋なんてさ~ …儚いもんだよ」
「え?」
「別れてしまえばただの夢。みんな消えてなくなる」
「…そんな」
「人の気持ちなんて、移ろいやすくて不安定なもんだよ。
情熱的な台詞も、たくさんの約束も。ふたりで過ごした思い出さえも、別れてしまえばみんな、なかったことになっちまう」
「…」
切な過ぎるその言葉。
はじめていっしょに迎えた朝に、こんな無情なこと言われるなんて。
「そんなことありません。わたし、ヨシキさんと別れるなんて、全然思っていません」
強い口調で、わたしは否定した。
「ああ… そうだな。ごめんな」
「本当にわたしは、ヨシキさんの恋人になったんですか?」
「ああ。凛子ちゃんはもう、オレのいちばん大切な恋人だよ」
「わたしは信じます。ヨシキさんの、その言葉」
「ああ。嬉しいよ」
「信じて下さい。ヨシキさんも、わたしの大切な恋人です」
「ふふ。凛子ちゃんらしいな。信じるよ、オレも」
含み笑いを漏らしたヨシキさんは、紅茶のおかわりをカップに注ぐと、気持ちを切り替えるかのように、明るく微笑んだ。
「さ。深刻な話はもう終わりにして、凛子ちゃん、今日は時間はある?」
「え? わたしは門限までに帰れれば」
「やった! ラッキーなことにオレも今日は久し振りのオフなんだ。これからドライブでもしない?」
「…ええ」
まだなにか、もやもやが晴れないわたしの顔をのぞき込み、ヨシキさんは笑う。
「凛子ちゃんって、なにがあっても冷静っていうか… その落ち着きと礼儀正しさは崩さないよな」
「そうですか? そんなことないと思いますけど」
「確かに… そんなことないか」
「?」
「昨夜は人が変わったみたいに乱れてたもんな。頬を紅潮させて色っぽい声で喘いでさ。まさにギャップ萌えだな。今でも目に浮かぶよ」
髪の毛の先まで真っ赤になる。そんな風に言われると。
「そ… からかわないで下さい! 恥ずかしいじゃないですか!」
「ごめん。でもすごく可愛いかった。思い出すだけでムラムラしてくる」
「もうっ」
「ははは。バカップルみたいな会話はこれくらいにして、食事が終わったら、さっそく出かけるか」
近づけたと思ったら離れてしまい、そしてまた少しずつ歩み寄る…
そんな『恋人』ヨシキさんとの、はじめての朝の会話。
それは、相手の心に少しずつ踏み込んでいって、ひとつになるためのプロセスなのかも。
人と話していて、そんな風に感じたのははじめてだ。
恋をして、はだかになるのは、からだだけじゃない。
心もなんだ。
つづく
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