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level 11
「昨日までの旅行がまるで遠い夢物語のようです」
「…あなたのそういう態度は、立派です」
「え… あ、ありがとうございます」
「その態度に免じて、今回はお父さまには、黙っておいてあげます」
「えっ?」
「あなたも、お父さまには知られたくないでしょう?」
「…怒らないんですか? お母さまは」
「あなたももうすぐ18歳。充分に自分で判断できる歳なんだから、好きにしなさい。
わたしだって、『高校生が男の人と外泊なんて不埒だ』なんて野暮なことは、言いたくもないわ」
「…」
「ただ、行動には責任を持ちなさい。あなたはまだ学生で、わたしたちの監督下にあるのだから。
あなたの尻拭いなんて、わたしはごめんですからね」
「…」
「でも、いちばんショックだったのは、あなたが男の人と旅行をしたことでなく、わたしを騙したということだわ。
裏切られた気分よ。
あなたのことは、いつでも信じています。だから、わたしには嘘をつかないでちょうだい。これ以上、わたしを悲しませないで」
「…」
「もういいわ。早く自分の部屋に行って、やすみさい」
そう言い残すと、母は藤喜の大吟醸わさび漬けを持ったまま、台所へ消えた。
このときほど、わたしは母を恐ろしく思ったことはない。
たったひとこと、『好きにしなさい』と、突き放すように言われるのは、くどくどと愚痴を繰り返されるより、百倍も堪える。
それに、『いつでも信じています』などと言われると、罪の意識でいたたまれなくなってしまう。
翌朝、目覚めたわたしの目に入ってきたのは、古ぼけた竿縁天井の複雑な板模様。
見慣れたいつもの景色だった。
ヨシキさんと過ごした昨日までの旅行が、まるで遠い夢物語のよう。
「いつもの日常に戻ったのか」
天井を見上げながら、わたしは独りごちる。
洗面所で朝の支度をすませ、ダイニングに行くと、エプロンをつけた母がキッチンで手際よく動き回っていた。
朝食の用意はもう整っていて、食卓には食器が並び、炊き立てのごはんがほのかに湯気を立てている。
いつもと同じ、平凡な一日のはじまり。
「おはよう、凛子。あれを持っていってちょうだい」
昨日のことなど忘れたかのように、母はおだやかな口調で、焼き上がったメザシの乗った皿を指差す。
機械的にわたしは調味料を冷蔵庫から取り出し、食卓の上に皿を並べた。
「おはよう」
「おはよう」
父と兄もやってきて、それぞれ決まった席につく。
いつもの島津家の、退屈な眺めだった。
「さぁ、ごはんにしましょう」
そう言ってエプロンを取りながら席につこうとした母は、思い出したように冷蔵庫を開けて、タッパーを取り出した。
「そうそう。凛子が伊豆のおみやげを買ってきたんですよ。藤喜の大吟醸わさび漬けですって」
にこやかな笑顔を見せた母は、そう言いながらわさび漬けを小皿に取り分けはじめた。
いやな予感がする…
「あ。わたしちょっと用事があるから、ごはんはあとで…」
「用事はあとででいいでしょ。先に食べてしまいなさい。食卓が片付かないわ」
「…はい」
穏やかだけど有無を言わせない口調の母に、わたしは素直に従う。
わさび漬けを乗せた小皿は、父の手元に置かれた。
「おお、わたしの大好物じゃないか!」
そう言って目を輝かせた父は、早速わさび漬けを箸にとり、ひと口食べる。
「旨い! ありがとう、凛子。
旅行先でもきちんと家族におみやげを買ってくるとは。素晴らしい親孝行者じゃないか。なぁ、凛子」
そう言いながら父は、まったく疑問を抱いた様子もなく、ホクホクとした笑顔をわたしに向けて、美味しそうにわさび漬けをごはんに載せて食べた。
小皿に箸を伸ばしながら、茶化すように兄が言う。
「凜子のやつ、いつの間にいっしょに旅行に行くほど優花と仲良くなったんだ? おれも連れていってくれればよかったのに」
「わたしも羨ましいわ。凛子といっしょに伊豆に行けばよかった。ふふ」
そう言って、母も曇りひとつない、満面の笑みを浮かべた。
わたしはなにも言えず、適当に相槌を打って、愛想笑いをするしかない。
針のむしろに座らされている気分。
これなら、雷のひとつでも落とされた方が、まだすっきりする。
こんな懲罰をくらうなんて…
あまりにも辛過ぎる。
恐るべし、母。
つづく
COSPLAY SIDE END
「え… あ、ありがとうございます」
「その態度に免じて、今回はお父さまには、黙っておいてあげます」
「えっ?」
「あなたも、お父さまには知られたくないでしょう?」
「…怒らないんですか? お母さまは」
「あなたももうすぐ18歳。充分に自分で判断できる歳なんだから、好きにしなさい。
わたしだって、『高校生が男の人と外泊なんて不埒だ』なんて野暮なことは、言いたくもないわ」
「…」
「ただ、行動には責任を持ちなさい。あなたはまだ学生で、わたしたちの監督下にあるのだから。
あなたの尻拭いなんて、わたしはごめんですからね」
「…」
「でも、いちばんショックだったのは、あなたが男の人と旅行をしたことでなく、わたしを騙したということだわ。
裏切られた気分よ。
あなたのことは、いつでも信じています。だから、わたしには嘘をつかないでちょうだい。これ以上、わたしを悲しませないで」
「…」
「もういいわ。早く自分の部屋に行って、やすみさい」
そう言い残すと、母は藤喜の大吟醸わさび漬けを持ったまま、台所へ消えた。
このときほど、わたしは母を恐ろしく思ったことはない。
たったひとこと、『好きにしなさい』と、突き放すように言われるのは、くどくどと愚痴を繰り返されるより、百倍も堪える。
それに、『いつでも信じています』などと言われると、罪の意識でいたたまれなくなってしまう。
翌朝、目覚めたわたしの目に入ってきたのは、古ぼけた竿縁天井の複雑な板模様。
見慣れたいつもの景色だった。
ヨシキさんと過ごした昨日までの旅行が、まるで遠い夢物語のよう。
「いつもの日常に戻ったのか」
天井を見上げながら、わたしは独りごちる。
洗面所で朝の支度をすませ、ダイニングに行くと、エプロンをつけた母がキッチンで手際よく動き回っていた。
朝食の用意はもう整っていて、食卓には食器が並び、炊き立てのごはんがほのかに湯気を立てている。
いつもと同じ、平凡な一日のはじまり。
「おはよう、凛子。あれを持っていってちょうだい」
昨日のことなど忘れたかのように、母はおだやかな口調で、焼き上がったメザシの乗った皿を指差す。
機械的にわたしは調味料を冷蔵庫から取り出し、食卓の上に皿を並べた。
「おはよう」
「おはよう」
父と兄もやってきて、それぞれ決まった席につく。
いつもの島津家の、退屈な眺めだった。
「さぁ、ごはんにしましょう」
そう言ってエプロンを取りながら席につこうとした母は、思い出したように冷蔵庫を開けて、タッパーを取り出した。
「そうそう。凛子が伊豆のおみやげを買ってきたんですよ。藤喜の大吟醸わさび漬けですって」
にこやかな笑顔を見せた母は、そう言いながらわさび漬けを小皿に取り分けはじめた。
いやな予感がする…
「あ。わたしちょっと用事があるから、ごはんはあとで…」
「用事はあとででいいでしょ。先に食べてしまいなさい。食卓が片付かないわ」
「…はい」
穏やかだけど有無を言わせない口調の母に、わたしは素直に従う。
わさび漬けを乗せた小皿は、父の手元に置かれた。
「おお、わたしの大好物じゃないか!」
そう言って目を輝かせた父は、早速わさび漬けを箸にとり、ひと口食べる。
「旨い! ありがとう、凛子。
旅行先でもきちんと家族におみやげを買ってくるとは。素晴らしい親孝行者じゃないか。なぁ、凛子」
そう言いながら父は、まったく疑問を抱いた様子もなく、ホクホクとした笑顔をわたしに向けて、美味しそうにわさび漬けをごはんに載せて食べた。
小皿に箸を伸ばしながら、茶化すように兄が言う。
「凜子のやつ、いつの間にいっしょに旅行に行くほど優花と仲良くなったんだ? おれも連れていってくれればよかったのに」
「わたしも羨ましいわ。凛子といっしょに伊豆に行けばよかった。ふふ」
そう言って、母も曇りひとつない、満面の笑みを浮かべた。
わたしはなにも言えず、適当に相槌を打って、愛想笑いをするしかない。
針のむしろに座らされている気分。
これなら、雷のひとつでも落とされた方が、まだすっきりする。
こんな懲罰をくらうなんて…
あまりにも辛過ぎる。
恐るべし、母。
つづく
COSPLAY SIDE END
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