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第五章
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翌週、私はエドワードの研究室で魔力の解析実験に協力していた。
「もう一度、魔力を放出してくれ」
エドワードが測定魔法具を構える。私は指示通り、掌に魔力を集中させた。
純粋魔力が淡く光る。エドワードは真剣な表情で、魔法具の数値を読み取っている。
「やはり……君の魔力は、通常の魔術師とは根本的に異なる」
「どう違うのですか?」
「普通の魔術師は、生まれつき特定の属性に親和性がある。火なら火、水なら水。だが君の魔力には、属性を決定づける『色』がない」
エドワードが図表を広げた。
「通常の魔力は、魂の性質に応じて属性が決まる。いわば、魂の色が魔力に反映される。だが君の場合……」
「私の魂には、色がない?」
「いや、逆だ」
エドワードが目を輝かせた。
「君の魂は、全ての色を内包している。だから、どんな属性にも変換できる」
全ての色を内包している。
その言葉が、胸に響いた。
「では、私の魔力は……」
「特別だ。おそらく、古代魔術師の血を引いているのだろう」
古代魔術師。
伝説に語られる、魔法の始祖たち。彼らは純粋魔力を操り、世界を創造したという。
「アーデルハイト家の系譜を調べる必要がある。もしかしたら、君の一族は……」
エドワードの言葉が途切れた。
研究室のドアが、乱暴に開かれた。
「エドワード様!」
息を切らせた使用人が駆け込んできた。
「王宮に、魔物が出現しました!」
「何だと!?」
エドワードが立ち上がった。
「場所は?」
「東の庭園です。既に警備兵が対応していますが、手に負えないと……」
「わかった。すぐに向かう」
エドワードは魔術師のローブを羽織った。私も立ち上がる。
「私も行きます」
「危険だ」
「宮廷魔術師の務めです」
私の決意を見て、エドワードは頷いた。
「では、共に行こう」
東の庭園に到着すると、既に惨状が広がっていた。
巨大な影が、庭園を荒らしている。
三メートルはある漆黒の獣。
狼に似ているが、その体からは禍々しい瘴気が立ち上っている。
「魔獣……!」
エドワードが呻いた。
「王都に、なぜこんなやつが……」
警備兵たちが必死に応戦しているが、剣は魔獣の体を傷つけられない。
魔法で攻撃しなければ、倒せない相手だ。
「下がれ!」
エドワードが叫び、炎の魔法を放った。火球が魔獣に命中する。
魔獣は怯んだが、すぐに体勢を立て直した。
「硬い……!」
私も魔法を放とうとした瞬間、魔獣が吠えた。
その咆哮に、異常な魔力が込められている。
周囲の空気が歪み、私とエドワードの動きが鈍くなった。
「これは……魔力阻害!?」
エドワードが驚愕の声を上げた。
魔力阻害。魔術師の魔力行使を妨害する、高等な能力。
通常の魔獣には、ありえない力だ。
私は魔力を練り上げようとしたが、体内で魔力が乱れる。
制御が効かない。
魔獣が、私たちに向かって突進してきた。
「リーナ!」
エドワードが私を庇うように前に出た。防御魔法を展開しようとするが、魔力阻害で発動が遅れる。
間に合わない。
魔獣の爪が、エドワードに迫る。
私は咄嗟に、純粋魔力を爆発させた。
属性を持たない魔力は、阻害の影響を受けにくい。制御は乱れていたが、放出することはできた。
魔力の衝撃波が魔獣を弾き飛ばした。
「エドワード、無事ですか!?」
「ああ……助かった」
エドワードは息を整えながら立ち上がった。
魔獣は数メートル吹き飛ばされたが、まだ動いている。そして、獰猛なその目が私を捉えた。
明確な殺意。
魔獣は再び突進してきた。今度は、私だけを狙って。
私は魔力を練り直した。純粋魔力を火属性に変換し、攻撃魔法を構築する。
しかし魔力阻害の影響で、発動が遅い。
魔獣との距離が、急速に縮まる。
その時、横から別の魔法が飛来した。
氷の槍が、魔獣の脚に突き刺さる。
「誰!?」
振り返ると、オズワルドが駆けつけていた。
「加勢する!」
オズワルドは連続して魔法を放った。風の刃、雷撃、氷柱。三つの魔法が魔獣を襲う。
魔獣は苦しそうに吠えた。だが、まだ倒れない。
「この魔獣、尋常じゃない。まるで……」
オズワルドの言葉が途切れた。
魔獣の体から、さらに強い瘴気が溢れ出した。その瘴気は形を持ち、第二の魔獣を生み出そうとしている。
「増殖するのか!?」
エドワードが叫んだ。
これは危険だ。魔獣が二体になれば、対応できない。
私は決断した。
魔力阻害を受けていても、純粋魔力なら多少は使える。ならば、一気に決着をつける。
「二人とも、下がってください」
「リーナ、無茶だ!」
「大丈夫です。私の魔力なら……」
私は両手を前に突き出した。
体内の純粋魔力を、可能な限り引き出す。阻害の影響で制御が乱れるが、構わない。
圧倒的な力で押し切るんだ。
「『純粋魔力・解放』」
掌から、莫大な魔力が奔流となって放たれた。
無属性の魔力は、全てを押し流す力を持つ。
魔獣も、生まれかけていた第二の魔獣も、その奔流に飲み込まれた。
魔獣の体が光に包まれ、崩壊していく。
やがて、全てが消滅した。
庭園に、静寂が戻った。
私は膝をついた。魔力を使い果たした。
「リーナ!」
エドワードが駆け寄り、私を支えた。
「無事か?」
「ええ……少し、疲れただけです」
オズワルドも近づいてきた。
「見事だったが、無茶をする。魔力を使い果たせば、命に関わるぞ」
「すみません……でも、他に方法が……」
「いや、君の判断は正しかった」
オズワルドは魔獣が消えた場所を見つめた。
「だが、問題はこの魔獣の出現だ。王都の結界を突破して侵入するなど、通常ではありえない」
「結界に、穴が?」
「いや、結界は完全だ。君が修復したばかりだからな」
オズワルドの表情が険しくなった。
「つまり、誰かが意図的に、結界の内側に魔獣を召喚したということか」
内側から。
つまり、王宮内に敵がいる。
「調査が必要だ。エドワード、アーデルハイト。君たちも協力してくれ」
「もちろんです」
私たちは頷いた。
その夜、私は自室で休んでいた。
魔力はまだ完全には回復していない。
体が重いけれど、目だけは妙に冴えてしまい、眠れなかった。
誰が、魔獣を召喚したのか。
その目的は何なのか。
考えれば考えるほど、不安が募る。
コンコン、とドアがノックされた。
「リーナ様、マリアです」
「入って」
マリアが温かい飲み物を持って入ってきた。
「お疲れ様です。これを飲んで、ゆっくりお休みください」
「ありがとう、マリア」
私はカップを受け取った。ハーブティーの香りが心地よい。
「魔獣の件、怖かったでしょう?」
マリアが心配そうに言った。
「少しだけ。でも、エドワード様とオズワルド団長がいたから」
「エドワード様……」
マリアが意味ありげに微笑んだ。
「リーナ様、最近エドワード様とよくご一緒ですね」
「研究の協力者ですから」
「それだけですか?」
「それだけよ」
私は頬が熱くなるのを感じた。マリアは楽しそうに笑った。
もうイジワルね。
「エドワード様は素敵な方ですもの。リーナ様にお似合いだと思います」
「マリア……」
「以前の婚約者とは、比べ物になりませんわ」
マリアの言葉に、私は少し考え込んだ。
アレクシスーー彼のことは、もう過去の存在だ。
だけど心のどこかに、わずかな痛みが残っている。
五年間の想い出は、簡単には消えない。
「リーナ様?」
「ごめんなさい。少し、考え事を」
「無理はなさらないでくださいね」
マリアは優しく微笑んで、部屋を出ていった。
私は一人、窓の外を見つめた。
月明かりが、庭を照らしている。
その時、庭の木陰に、人影が見えた。
黒いローブを纏った人物。
晩餐会で見た、あの謎の男だ。
私は立ち上がった。魔力はまだ回復していないが、確認しなければならない。
部屋を出て、庭に向かう。
だが、庭に着いた時には、既に人影は消えていた。
風が吹き、木の葉が揺れる音だけが聞こえる。
「気のせい……?」
いや、確かに見た。
私は周囲を警戒しながら、部屋に戻った。
翌日、宮廷魔術師団の会議が開かれた。
オズワルドを中心に、魔獣出現の調査結果が報告される。
「結界に異常はなし。つまり、犯人は王宮内にいる人間だ」
オズワルドの言葉に、室内が緊張に包まれた。
「魔獣の召喚は、高度な闇魔法だ。この国で、それができる魔術師は限られる」
「容疑者のリストは?」
一人の魔術師が尋ねた。
「作成中だ。だが……」
オズワルドは私を見た。
「魔獣が狙ったのは、アーデルハイト。君だった」
私は頷いた。
「確かに、最初の攻撃は偶然でしたが、二度目は明らかに私を狙っていました」
「つまり、犯人の目的は君の排除かもしれない」
なぜ私を。
王宮に来てから、まだ日が浅い。恨みを買うような覚えはない。
「考えられる動機は?」
エドワードが尋ねた。
「嫉妬、か」
別の魔術師が言った。
「アーデルハイトは新人ながら、団長に認められ、特別な扱いを受けている。それを妬む者がいても、おかしくない」
その言葉に、何人かの魔術師が視線を逸らした。
確かに、私に対する嫉妬は感じていた。
「当面、アーデルハイトには護衛をつける」
オズワルドが決定した。
「護衛は……エドワード、君が担当しろ」
「了解しました」
エドワードが頷いた。
会議が終わり、私とエドワードは廊下を歩いていた。
「護衛、ですか」
「団長の命令だ。それに……」
エドワードが真剣な顔で言った。
「君を守りたい」
その言葉に、胸が高鳴った。
「ありがとうございます」
「礼には及ばない。共同研究者として、当然のことだ」
エドワードは少し照れたように笑った。
廊下の角を曲がったところで、人とぶつかりそうになった。
「失礼」
相手は黒いローブの男だった。
顔はフードに隠れて見えない。
「……」
男は何も言わず、すれ違っていった。
私は振り返ったが、男は既に廊下の向こうに消えていた。
「どうした?」
「いえ……今の人、見たことがない気が」
「王宮には多くの魔術師や学者が出入りする。気にすることはない」
エドワードの言葉に、私は頷いた。
だが、胸の奥に、不安が残った。
あの男どこかで、見たような……
その時、記憶が繋がった。
晩餐会で見た、あの人影だわ!
そして昨夜、庭で見た人物でもある。黒いローブに同じ雰囲気。
「エドワード、今の人を追いかけましょう」
「え?」
私は走り出した。エドワードも後に続く。
廊下を曲がり、階段を下りる。
だが、男の姿は見当たらない。
「どこに……」
「リーナ、何があった?」
「あの男、怪しいんです。晩餐会の時も、昨夜も見かけました」
エドワードの表情が険しくなった。
「まさか……犯人か?」
「わかりません。でも、確かめる必要が」
私たちは王宮内を捜索した。
だが、黒いローブの男は、どこにも見つからなかった。
まるで、煙のように消えてしまったかのよう。
「逃げられたか……」
エドワードが悔しそうに呟いた。
「オズワルド団長に報告しましょう」
私たちは団長室に向かった。
一方、王宮の地下深く。
黒いローブの男は、薄暗い部屋で一人佇んでいた。
フードを下ろすと、その顔が露わになる。
中年の男。顔には深い皺が刻まれ、目は冷たく光っている。
「まだ足りない……もっと、追い詰めなければ」
男は呟いた。
部屋の中央には、巨大な魔法陣が描かれている。
その魔法陣からは、禍々しい魔力が立ち上っていた。
「純粋魔力を持つ者……アーデルハイトの娘」
男は狂気を帯びた笑みを浮かべた。
「お前の魔力を、私のものにする」
男の手に、黒い水晶が握られている。
その水晶には、何かの魂が封じ込められているようだった。
「もうすぐだ……もうすぐ、計画は完成する」
男の笑い声が、地下室に響いた。
「もう一度、魔力を放出してくれ」
エドワードが測定魔法具を構える。私は指示通り、掌に魔力を集中させた。
純粋魔力が淡く光る。エドワードは真剣な表情で、魔法具の数値を読み取っている。
「やはり……君の魔力は、通常の魔術師とは根本的に異なる」
「どう違うのですか?」
「普通の魔術師は、生まれつき特定の属性に親和性がある。火なら火、水なら水。だが君の魔力には、属性を決定づける『色』がない」
エドワードが図表を広げた。
「通常の魔力は、魂の性質に応じて属性が決まる。いわば、魂の色が魔力に反映される。だが君の場合……」
「私の魂には、色がない?」
「いや、逆だ」
エドワードが目を輝かせた。
「君の魂は、全ての色を内包している。だから、どんな属性にも変換できる」
全ての色を内包している。
その言葉が、胸に響いた。
「では、私の魔力は……」
「特別だ。おそらく、古代魔術師の血を引いているのだろう」
古代魔術師。
伝説に語られる、魔法の始祖たち。彼らは純粋魔力を操り、世界を創造したという。
「アーデルハイト家の系譜を調べる必要がある。もしかしたら、君の一族は……」
エドワードの言葉が途切れた。
研究室のドアが、乱暴に開かれた。
「エドワード様!」
息を切らせた使用人が駆け込んできた。
「王宮に、魔物が出現しました!」
「何だと!?」
エドワードが立ち上がった。
「場所は?」
「東の庭園です。既に警備兵が対応していますが、手に負えないと……」
「わかった。すぐに向かう」
エドワードは魔術師のローブを羽織った。私も立ち上がる。
「私も行きます」
「危険だ」
「宮廷魔術師の務めです」
私の決意を見て、エドワードは頷いた。
「では、共に行こう」
東の庭園に到着すると、既に惨状が広がっていた。
巨大な影が、庭園を荒らしている。
三メートルはある漆黒の獣。
狼に似ているが、その体からは禍々しい瘴気が立ち上っている。
「魔獣……!」
エドワードが呻いた。
「王都に、なぜこんなやつが……」
警備兵たちが必死に応戦しているが、剣は魔獣の体を傷つけられない。
魔法で攻撃しなければ、倒せない相手だ。
「下がれ!」
エドワードが叫び、炎の魔法を放った。火球が魔獣に命中する。
魔獣は怯んだが、すぐに体勢を立て直した。
「硬い……!」
私も魔法を放とうとした瞬間、魔獣が吠えた。
その咆哮に、異常な魔力が込められている。
周囲の空気が歪み、私とエドワードの動きが鈍くなった。
「これは……魔力阻害!?」
エドワードが驚愕の声を上げた。
魔力阻害。魔術師の魔力行使を妨害する、高等な能力。
通常の魔獣には、ありえない力だ。
私は魔力を練り上げようとしたが、体内で魔力が乱れる。
制御が効かない。
魔獣が、私たちに向かって突進してきた。
「リーナ!」
エドワードが私を庇うように前に出た。防御魔法を展開しようとするが、魔力阻害で発動が遅れる。
間に合わない。
魔獣の爪が、エドワードに迫る。
私は咄嗟に、純粋魔力を爆発させた。
属性を持たない魔力は、阻害の影響を受けにくい。制御は乱れていたが、放出することはできた。
魔力の衝撃波が魔獣を弾き飛ばした。
「エドワード、無事ですか!?」
「ああ……助かった」
エドワードは息を整えながら立ち上がった。
魔獣は数メートル吹き飛ばされたが、まだ動いている。そして、獰猛なその目が私を捉えた。
明確な殺意。
魔獣は再び突進してきた。今度は、私だけを狙って。
私は魔力を練り直した。純粋魔力を火属性に変換し、攻撃魔法を構築する。
しかし魔力阻害の影響で、発動が遅い。
魔獣との距離が、急速に縮まる。
その時、横から別の魔法が飛来した。
氷の槍が、魔獣の脚に突き刺さる。
「誰!?」
振り返ると、オズワルドが駆けつけていた。
「加勢する!」
オズワルドは連続して魔法を放った。風の刃、雷撃、氷柱。三つの魔法が魔獣を襲う。
魔獣は苦しそうに吠えた。だが、まだ倒れない。
「この魔獣、尋常じゃない。まるで……」
オズワルドの言葉が途切れた。
魔獣の体から、さらに強い瘴気が溢れ出した。その瘴気は形を持ち、第二の魔獣を生み出そうとしている。
「増殖するのか!?」
エドワードが叫んだ。
これは危険だ。魔獣が二体になれば、対応できない。
私は決断した。
魔力阻害を受けていても、純粋魔力なら多少は使える。ならば、一気に決着をつける。
「二人とも、下がってください」
「リーナ、無茶だ!」
「大丈夫です。私の魔力なら……」
私は両手を前に突き出した。
体内の純粋魔力を、可能な限り引き出す。阻害の影響で制御が乱れるが、構わない。
圧倒的な力で押し切るんだ。
「『純粋魔力・解放』」
掌から、莫大な魔力が奔流となって放たれた。
無属性の魔力は、全てを押し流す力を持つ。
魔獣も、生まれかけていた第二の魔獣も、その奔流に飲み込まれた。
魔獣の体が光に包まれ、崩壊していく。
やがて、全てが消滅した。
庭園に、静寂が戻った。
私は膝をついた。魔力を使い果たした。
「リーナ!」
エドワードが駆け寄り、私を支えた。
「無事か?」
「ええ……少し、疲れただけです」
オズワルドも近づいてきた。
「見事だったが、無茶をする。魔力を使い果たせば、命に関わるぞ」
「すみません……でも、他に方法が……」
「いや、君の判断は正しかった」
オズワルドは魔獣が消えた場所を見つめた。
「だが、問題はこの魔獣の出現だ。王都の結界を突破して侵入するなど、通常ではありえない」
「結界に、穴が?」
「いや、結界は完全だ。君が修復したばかりだからな」
オズワルドの表情が険しくなった。
「つまり、誰かが意図的に、結界の内側に魔獣を召喚したということか」
内側から。
つまり、王宮内に敵がいる。
「調査が必要だ。エドワード、アーデルハイト。君たちも協力してくれ」
「もちろんです」
私たちは頷いた。
その夜、私は自室で休んでいた。
魔力はまだ完全には回復していない。
体が重いけれど、目だけは妙に冴えてしまい、眠れなかった。
誰が、魔獣を召喚したのか。
その目的は何なのか。
考えれば考えるほど、不安が募る。
コンコン、とドアがノックされた。
「リーナ様、マリアです」
「入って」
マリアが温かい飲み物を持って入ってきた。
「お疲れ様です。これを飲んで、ゆっくりお休みください」
「ありがとう、マリア」
私はカップを受け取った。ハーブティーの香りが心地よい。
「魔獣の件、怖かったでしょう?」
マリアが心配そうに言った。
「少しだけ。でも、エドワード様とオズワルド団長がいたから」
「エドワード様……」
マリアが意味ありげに微笑んだ。
「リーナ様、最近エドワード様とよくご一緒ですね」
「研究の協力者ですから」
「それだけですか?」
「それだけよ」
私は頬が熱くなるのを感じた。マリアは楽しそうに笑った。
もうイジワルね。
「エドワード様は素敵な方ですもの。リーナ様にお似合いだと思います」
「マリア……」
「以前の婚約者とは、比べ物になりませんわ」
マリアの言葉に、私は少し考え込んだ。
アレクシスーー彼のことは、もう過去の存在だ。
だけど心のどこかに、わずかな痛みが残っている。
五年間の想い出は、簡単には消えない。
「リーナ様?」
「ごめんなさい。少し、考え事を」
「無理はなさらないでくださいね」
マリアは優しく微笑んで、部屋を出ていった。
私は一人、窓の外を見つめた。
月明かりが、庭を照らしている。
その時、庭の木陰に、人影が見えた。
黒いローブを纏った人物。
晩餐会で見た、あの謎の男だ。
私は立ち上がった。魔力はまだ回復していないが、確認しなければならない。
部屋を出て、庭に向かう。
だが、庭に着いた時には、既に人影は消えていた。
風が吹き、木の葉が揺れる音だけが聞こえる。
「気のせい……?」
いや、確かに見た。
私は周囲を警戒しながら、部屋に戻った。
翌日、宮廷魔術師団の会議が開かれた。
オズワルドを中心に、魔獣出現の調査結果が報告される。
「結界に異常はなし。つまり、犯人は王宮内にいる人間だ」
オズワルドの言葉に、室内が緊張に包まれた。
「魔獣の召喚は、高度な闇魔法だ。この国で、それができる魔術師は限られる」
「容疑者のリストは?」
一人の魔術師が尋ねた。
「作成中だ。だが……」
オズワルドは私を見た。
「魔獣が狙ったのは、アーデルハイト。君だった」
私は頷いた。
「確かに、最初の攻撃は偶然でしたが、二度目は明らかに私を狙っていました」
「つまり、犯人の目的は君の排除かもしれない」
なぜ私を。
王宮に来てから、まだ日が浅い。恨みを買うような覚えはない。
「考えられる動機は?」
エドワードが尋ねた。
「嫉妬、か」
別の魔術師が言った。
「アーデルハイトは新人ながら、団長に認められ、特別な扱いを受けている。それを妬む者がいても、おかしくない」
その言葉に、何人かの魔術師が視線を逸らした。
確かに、私に対する嫉妬は感じていた。
「当面、アーデルハイトには護衛をつける」
オズワルドが決定した。
「護衛は……エドワード、君が担当しろ」
「了解しました」
エドワードが頷いた。
会議が終わり、私とエドワードは廊下を歩いていた。
「護衛、ですか」
「団長の命令だ。それに……」
エドワードが真剣な顔で言った。
「君を守りたい」
その言葉に、胸が高鳴った。
「ありがとうございます」
「礼には及ばない。共同研究者として、当然のことだ」
エドワードは少し照れたように笑った。
廊下の角を曲がったところで、人とぶつかりそうになった。
「失礼」
相手は黒いローブの男だった。
顔はフードに隠れて見えない。
「……」
男は何も言わず、すれ違っていった。
私は振り返ったが、男は既に廊下の向こうに消えていた。
「どうした?」
「いえ……今の人、見たことがない気が」
「王宮には多くの魔術師や学者が出入りする。気にすることはない」
エドワードの言葉に、私は頷いた。
だが、胸の奥に、不安が残った。
あの男どこかで、見たような……
その時、記憶が繋がった。
晩餐会で見た、あの人影だわ!
そして昨夜、庭で見た人物でもある。黒いローブに同じ雰囲気。
「エドワード、今の人を追いかけましょう」
「え?」
私は走り出した。エドワードも後に続く。
廊下を曲がり、階段を下りる。
だが、男の姿は見当たらない。
「どこに……」
「リーナ、何があった?」
「あの男、怪しいんです。晩餐会の時も、昨夜も見かけました」
エドワードの表情が険しくなった。
「まさか……犯人か?」
「わかりません。でも、確かめる必要が」
私たちは王宮内を捜索した。
だが、黒いローブの男は、どこにも見つからなかった。
まるで、煙のように消えてしまったかのよう。
「逃げられたか……」
エドワードが悔しそうに呟いた。
「オズワルド団長に報告しましょう」
私たちは団長室に向かった。
一方、王宮の地下深く。
黒いローブの男は、薄暗い部屋で一人佇んでいた。
フードを下ろすと、その顔が露わになる。
中年の男。顔には深い皺が刻まれ、目は冷たく光っている。
「まだ足りない……もっと、追い詰めなければ」
男は呟いた。
部屋の中央には、巨大な魔法陣が描かれている。
その魔法陣からは、禍々しい魔力が立ち上っていた。
「純粋魔力を持つ者……アーデルハイトの娘」
男は狂気を帯びた笑みを浮かべた。
「お前の魔力を、私のものにする」
男の手に、黒い水晶が握られている。
その水晶には、何かの魂が封じ込められているようだった。
「もうすぐだ……もうすぐ、計画は完成する」
男の笑い声が、地下室に響いた。
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何故か元婚約者がやってきて頭を下げたのだ。
しかし丁重にお断りした翌日、
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