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第四章
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試験から三日後、私は宮廷魔術師団の執務室に出仕した。
白を基調とした広い部屋。壁には魔法陣の図面や古文書が並び、中央には大きな円卓がある。既に数名の魔術師が集まっていた。
「新人か」
一人の男性魔術師が、値踏みするような目で私を見た。
「噂は聞いている。特別試験で団長に勝ったとか」
「正確には、団長が降参されたのです」
私は静かに訂正した。男性魔術師は鼻を鳴らした。
「どちらでも同じだ。まあ、魔力だけは認めてやる。だが、宮廷の仕事はそれだけじゃない」
「承知しています」
「ほう、生意気だな」
男性魔術師が笑おうとした時、オズワルドが部屋に入ってきた。
「おはよう、諸君」
全員が姿勢を正す。
「今日から新メンバーが加わる。リーナ・アーデルハイト。よろしく頼む」
オズワルドの紹介に、魔術師たちは複雑な表情で私を見た。
嫉妬、好奇心、疑念。様々な感情が入り混じっている。
宮廷魔術師団は実力主義の世界だ。新人がいきなり加わることへの反発は、予想していた。
「早速だが、アーデルハイト。君には重要な任務を与える」
オズワルドが羊皮紙を広げた。そこには複雑な魔法陣が描かれている。
「王宮の結界が老朽化している。これを修復する作業だ」
「結界の修復……」
「ああ。王宮を守る巨大な防御結界だが、百年以上前に構築されたものでね。あちこちに綻びが出ている」
オズワルドの説明に、私は羊皮紙を注視した。
魔法陣は七重の層構造になっている。
それぞれが異なる属性で編まれ、互いに干渉しないよう精密に調整されていた。
「通常、結界の修復には十人以上の魔術師が必要だ。各属性の専門家が協力して、少しずつ修復していく」
「つまり、私一人では……」
「いや、君ならできる」
オズワルドは真剣な目で私を見た。
「純粋魔力を持つ君なら、全ての属性を扱える。理論上、一人でも修復可能だ」
理論上、という言葉が引っかかった。
「実例は?」
「ない」
オズワルドは即答した。
「純粋魔力を持つ魔術師自体が、数百年に一度の稀少さだ。前例はない」
つまり、成功するかどうかわからない実験的な任務。
「断っても構わない。これは高難度の任務だ」
「いえ」
私は首を横に振った。
「やります。私の力を試す良い機会です」
オズワルドが満足そうに頷いた。
「では、準備を整えてくれ。作業は明日の夜明けに開始する」
その日の夕刻、私は王宮の図書館で結界魔法の文献を漁っていた。
古い書物から、結界の構造と修復方法を学ぶ。
純粋魔力を持つとはいえ、知識がなければ何もできない。
「熱心だね」
声に顔を上げると、エドワードが立っていた。手には数冊の本を抱えている。
「エドワード様」
「堅苦しいのは嫌いだ。エドワードでいい」
彼は私の向かいに座った。
「結界の修復任務、聞いたよ。大変な仕事を任されたね」
「光栄なことです」
「本心では?」
エドワードの問いに、私は少し考えた。
「……不安です。前例のない任務ですから」
「正直でいい」
エドワードが微笑んだ。
「君の不安は当然だ。結界魔法は魔術の中でも最高難度。一つ間違えれば、王宮全体が危険に晒される」
「励ましになっていませんよ」
「励ますつもりはない」
エドワードは持っていた本を私の前に置いた。
「これは、私の研究ノートだ。結界魔法の理論と、純粋魔力の応用方法について書いてある」
私は驚いて彼を見た。
「いいんですか? 研究ノートは魔術師の命のようなものでは」
「君になら貸せる。読み終えたら返してくれればいい」
エドワードは立ち上がった。
「それと、もし困ったことがあれば、いつでも私の研究室に来るといい。力になろう」
彼は去っていった。
残された研究ノートを開くと、丁寧な字で理論が書き連ねてある。
この人は、本当に私を助けようとしている。
胸が温かくなった。
翌朝、夜明け前。
王宮の中庭に、巨大な魔法陣が描かれていた。結界の制御中枢に繋がる魔法陣だ。
オズワルドと数名の魔術師が見守る中、私は魔法陣の中央に立った。
「準備はいいか?」
「はい」
深呼吸をして、魔力を解放する。
純粋魔力が魔法陣に流れ込み、結界全体が可視化された。
王宮を覆う巨大な半球状の結界。その表面に、無数の亀裂が走っている。
想像以上に損傷が激しい。
これを全て修復するには、膨大な魔力と集中力が必要だ。
私は魔力を七つの属性に分割し、それぞれを結界の損傷部分に送り込んでいく。
火属性の層には火の魔力。水属性の層には水の魔力。
一つ一つ、丁寧に修復していく。
時間が経つにつれ、額に汗が滲んだ。
集中力が途切れそうになる。魔力の制御が乱れかける。
「リーナ様!」
マリアの声が聞こえた。彼女は中庭の端で、心配そうに見守っている。
その声に、私は気持ちを立て直した。
まだだ。まだ終わっていない。
さらに魔力を注ぎ込む。結界の亀裂が、少しずつ塞がっていく。
太陽が昇り、空が明るくなる。
作業開始から三時間。ようやく、全ての亀裂を修復し終えた。
「……完了です」
私が告げると、オズワルドが結界の状態を確認した。
「素晴らしい。完璧だ」
周囲の魔術師たちが、驚愕の表情で結界を見上げている。
「一人で、本当に修復した……」
「信じられない……」
私は魔法陣から降りた。足が少しふらついたが、マリアが支えてくれた。
「お疲れ様です、リーナ様」
「ありがとう、マリア」
オズワルドが近づいてきた。
「見事だった。君の実力は本物だ」
その言葉に、私は少しだけ誇らしい気持ちになった。
結界修復の成功は、すぐに社交界に広まった。
魔力のない公爵令嬢として蔑まれていた私が、宮廷魔術師として王宮の結界を単独で修復した。
その噂は、瞬く間に貴族社会を駆け巡った。
「アーデルハイト令嬢、実は規格外の魔力を持っていたらしい」
「宮廷魔術師団長も認める実力だそうよ」
「あの娘と婚約していたヴェルナー子爵、今頃後悔しているでしょうね」
社交界の話題は、私とアレクシスのことで持ちきりだった。
アレクシスは、自宅に引きこもっていた。
屋敷の執務室で、書類の山に囲まれながら、彼は頭を抱えていた。
「どうして……どうして気づかなかったんだ」
父親のヴェルナー子爵が、厳しい顔で息子を見ている。
「お前は、とんでもない失態を犯した」
「父上……」
「アーデルハイト家は公爵家だ。我が家よりも格上。その令嬢との婚約は、我が家にとって願ってもない好機だった」
子爵は溜息をついた。
「それをお前は、魔力がないという理由だけで破棄した。しかも、彼女は実際には王国最高峰の魔術師だった。これがどれほどの損失か、わかっているのか」
「わかっています……」
アレクシスの声は小さかった。
「国王陛下からも、直接叱責を受けた。このままでは、我が家の立場が危うい」
「どうすれば……」
「今更、どうにもならん」
子爵は冷たく言い放った。
「お前は、自分の愚かさの代償を払うしかない」
アレクシスは顔を伏せた。
執務室を出ると、廊下でルシアが待っていた。
「アレクシス様……」
「ルシア……」
二人は、何も言えないまま見つめ合った。
婚約破棄以降、二人の関係も微妙になっていた。
ルシアも、自分の選択を後悔し始めていた。
リーナを蔑んだこと、アレクシスを唆したこと、全てが裏目に出た。
「私たち……どこで間違えたのかしら」
ルシアが呟いた。
「さあ、俺にも分からないよ……」
アレクシスは苦々しく答えた。
一方、私は王立魔術学院のエドワードの研究室を訪れていた。
広い部屋には、魔法具や実験道具が所狭しと並んでいる。
壁一面の書架には、貴重な魔術書が収められている。
「よく来てくれた」
エドワードが笑顔で迎えた。
「研究ノート、とても参考になりました」
私は借りていたノートを返した。
「それは良かった。結界修復も成功したそうだね」
「エドワード様のノートのおかげです」
「エドワードでいいと言っただろう」
彼は苦笑した。
「それより、君の魔力について、もっと詳しく調べてみたいんだ」
エドワードは机の上に羊皮紙を広げた。そこには、複雑な魔法陣と数式が書かれている。
「純粋魔力は、全ての魔法の根源だ。理論上、無限の可能性を秘めている」
「無限の可能性……」
「ああ。君の魔力を解析すれば、魔術の新たな地平が開けるかもしれない」
エドワードの目は、研究者としての情熱に輝いていた。
「協力してもらえないか? 君の魔力を、私に研究させてほしい」
私は少し考えた。
自分の魔力について、もっと深く知りたいという気持ちはある。
「条件があります」
「何だ?」
「私も、研究に参加させてください。自分の魔力のことです。当事者として知る権利があると思います」
エドワードが嬉しそうに笑った。
「もちろんだ。むしろ、そうしてほしい」
彼は手を差し出した。
「共同研究者として、よろしく頼む」
私はその手を握った。
「よろしくお願いします」
その瞬間、何かが変わった気がした。
エドワードと私。二人の魔術師が、共に未知の領域に挑む。
期待と興奮が、胸に広がった。
その夜、王宮で小規模な晩餐会が開かれた。
結界修復の成功を祝う、内輪の会だ。
宮廷魔術師団のメンバーと、一部の貴族が招かれていた。
私はドレスに着替え、会場に現れた。
瞬間、周囲の視線が集まった。
「アーデルハイト令嬢だ」
「噂の魔術師か」
「美しいな……」
ひそひそと囁く声。以前とは、明らかに違う。
蔑みではなく、尊敬と好奇心。
私は会場を歩き、オズワルドのもとへ向かった。
「おお、リーナ。よく似合っているよ」
「ありがとうございます、団長」
オズワルドの隣には、国王ディートリヒ三世がいた。
「アーデルハイト令嬢、お見事だった」
国王が直接声をかけてきた。私は慌てて跪く。
「陛下、恐縮です」
「顔を上げなさい。君は我が国の宝だ。もっと誇りを持って良い」
国王の言葉に、私は胸が熱くなった。
「これからも、王国のために力を尽くしてくれ」
「はい、必ずや」
国王が満足そうに頷いた時、会場の入口が騒がしくなった。
振り返ると、一人の男性が入ってきた。
アレクシスだった。
場内がざわつく。
「ヴェルナー子爵……何の用だ?」
誰かが囁いた。
アレクシスは、まっすぐに私の方へ歩いてきた。
彼の顔は青白く、目には疲労が滲んでいた。
「リーナ……」
私の前で、彼は立ち止まった。
「話がある。少しだけ、時間をもらえないか」
周囲の視線が、私たちに集中する。
私は冷静に答えた。
「ここでお話しください」
同じ轍は踏ませない。
とばかりに私が宣言すると、アレクシスが唇を噛んだ。
「……頼む。別の場所で」
「断ります」
私の言葉に、彼は顔を歪めた。
「リーナ、俺は……」
「何でしょうか、アレクシス様」
私は彼の名を、敬称付きで呼んだ。
もはや、私たちは他人だ。
「俺は、間違っていた」
アレクシスが絞り出すように言った。
「お前の……いや、貴女の価値がわからなかった。本当に、申し訳ない」
謝罪。
予想していなかった言葉に、私は少し驚いた。
「もう一度、やり直せないだろうか」
「は?」
今度は、本気で驚いた。
「婚約を、復活させてほしい。俺は貴女を、本当に……」
「お断りします」
私は即答した。
「え……」
「一度壊れたものは、元には戻りません」
私は真っ直ぐにアレクシスを見た。
「それに、貴方は私の魔力が強いから、やり直したいと言っているだけです。私という人間を見ていない」
アレクシスは言葉を失った。
「私は、もう前を向いています。過去は過去です」
「リーナ……」
「さようなら、アレクシス様」
私は彼に背を向けた。
周囲から、小さな拍手が起こった。
オズワルドが頷き、国王が微笑んでいる。
アレクシスは、肩を落として会場を去っていった。
その背中は、ひどく小さく見えた。
私は胸の奥に、わずかな痛みを感じた。
五年間、婚約者だった人。
完全に無感情ではいられない。
「大丈夫か?」
エドワードが隣に来ていた。
「ええ、平気です」
「強いんだな、君は」
「強くなければ、生き残れませんから」
私は微笑んだ。
エドワードも笑った。
「確かに。では、これからも強く生きていこう。私も、君と共に」
その言葉に、私は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
晩餐会は、穏やかに続いていった。
だが、会場の片隅で、一人の男が私たちを見つめていた。
黒いローブに身を包んだ、見知らぬ人物。
その目は、何かを企むように光っていた。
そして、男は静かに会場を後にした。
私は、その姿に気づかなかった。
これが、新たな波乱の始まりだとは、まだ知る由もなかった。
白を基調とした広い部屋。壁には魔法陣の図面や古文書が並び、中央には大きな円卓がある。既に数名の魔術師が集まっていた。
「新人か」
一人の男性魔術師が、値踏みするような目で私を見た。
「噂は聞いている。特別試験で団長に勝ったとか」
「正確には、団長が降参されたのです」
私は静かに訂正した。男性魔術師は鼻を鳴らした。
「どちらでも同じだ。まあ、魔力だけは認めてやる。だが、宮廷の仕事はそれだけじゃない」
「承知しています」
「ほう、生意気だな」
男性魔術師が笑おうとした時、オズワルドが部屋に入ってきた。
「おはよう、諸君」
全員が姿勢を正す。
「今日から新メンバーが加わる。リーナ・アーデルハイト。よろしく頼む」
オズワルドの紹介に、魔術師たちは複雑な表情で私を見た。
嫉妬、好奇心、疑念。様々な感情が入り混じっている。
宮廷魔術師団は実力主義の世界だ。新人がいきなり加わることへの反発は、予想していた。
「早速だが、アーデルハイト。君には重要な任務を与える」
オズワルドが羊皮紙を広げた。そこには複雑な魔法陣が描かれている。
「王宮の結界が老朽化している。これを修復する作業だ」
「結界の修復……」
「ああ。王宮を守る巨大な防御結界だが、百年以上前に構築されたものでね。あちこちに綻びが出ている」
オズワルドの説明に、私は羊皮紙を注視した。
魔法陣は七重の層構造になっている。
それぞれが異なる属性で編まれ、互いに干渉しないよう精密に調整されていた。
「通常、結界の修復には十人以上の魔術師が必要だ。各属性の専門家が協力して、少しずつ修復していく」
「つまり、私一人では……」
「いや、君ならできる」
オズワルドは真剣な目で私を見た。
「純粋魔力を持つ君なら、全ての属性を扱える。理論上、一人でも修復可能だ」
理論上、という言葉が引っかかった。
「実例は?」
「ない」
オズワルドは即答した。
「純粋魔力を持つ魔術師自体が、数百年に一度の稀少さだ。前例はない」
つまり、成功するかどうかわからない実験的な任務。
「断っても構わない。これは高難度の任務だ」
「いえ」
私は首を横に振った。
「やります。私の力を試す良い機会です」
オズワルドが満足そうに頷いた。
「では、準備を整えてくれ。作業は明日の夜明けに開始する」
その日の夕刻、私は王宮の図書館で結界魔法の文献を漁っていた。
古い書物から、結界の構造と修復方法を学ぶ。
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「熱心だね」
声に顔を上げると、エドワードが立っていた。手には数冊の本を抱えている。
「エドワード様」
「堅苦しいのは嫌いだ。エドワードでいい」
彼は私の向かいに座った。
「結界の修復任務、聞いたよ。大変な仕事を任されたね」
「光栄なことです」
「本心では?」
エドワードの問いに、私は少し考えた。
「……不安です。前例のない任務ですから」
「正直でいい」
エドワードが微笑んだ。
「君の不安は当然だ。結界魔法は魔術の中でも最高難度。一つ間違えれば、王宮全体が危険に晒される」
「励ましになっていませんよ」
「励ますつもりはない」
エドワードは持っていた本を私の前に置いた。
「これは、私の研究ノートだ。結界魔法の理論と、純粋魔力の応用方法について書いてある」
私は驚いて彼を見た。
「いいんですか? 研究ノートは魔術師の命のようなものでは」
「君になら貸せる。読み終えたら返してくれればいい」
エドワードは立ち上がった。
「それと、もし困ったことがあれば、いつでも私の研究室に来るといい。力になろう」
彼は去っていった。
残された研究ノートを開くと、丁寧な字で理論が書き連ねてある。
この人は、本当に私を助けようとしている。
胸が温かくなった。
翌朝、夜明け前。
王宮の中庭に、巨大な魔法陣が描かれていた。結界の制御中枢に繋がる魔法陣だ。
オズワルドと数名の魔術師が見守る中、私は魔法陣の中央に立った。
「準備はいいか?」
「はい」
深呼吸をして、魔力を解放する。
純粋魔力が魔法陣に流れ込み、結界全体が可視化された。
王宮を覆う巨大な半球状の結界。その表面に、無数の亀裂が走っている。
想像以上に損傷が激しい。
これを全て修復するには、膨大な魔力と集中力が必要だ。
私は魔力を七つの属性に分割し、それぞれを結界の損傷部分に送り込んでいく。
火属性の層には火の魔力。水属性の層には水の魔力。
一つ一つ、丁寧に修復していく。
時間が経つにつれ、額に汗が滲んだ。
集中力が途切れそうになる。魔力の制御が乱れかける。
「リーナ様!」
マリアの声が聞こえた。彼女は中庭の端で、心配そうに見守っている。
その声に、私は気持ちを立て直した。
まだだ。まだ終わっていない。
さらに魔力を注ぎ込む。結界の亀裂が、少しずつ塞がっていく。
太陽が昇り、空が明るくなる。
作業開始から三時間。ようやく、全ての亀裂を修復し終えた。
「……完了です」
私が告げると、オズワルドが結界の状態を確認した。
「素晴らしい。完璧だ」
周囲の魔術師たちが、驚愕の表情で結界を見上げている。
「一人で、本当に修復した……」
「信じられない……」
私は魔法陣から降りた。足が少しふらついたが、マリアが支えてくれた。
「お疲れ様です、リーナ様」
「ありがとう、マリア」
オズワルドが近づいてきた。
「見事だった。君の実力は本物だ」
その言葉に、私は少しだけ誇らしい気持ちになった。
結界修復の成功は、すぐに社交界に広まった。
魔力のない公爵令嬢として蔑まれていた私が、宮廷魔術師として王宮の結界を単独で修復した。
その噂は、瞬く間に貴族社会を駆け巡った。
「アーデルハイト令嬢、実は規格外の魔力を持っていたらしい」
「宮廷魔術師団長も認める実力だそうよ」
「あの娘と婚約していたヴェルナー子爵、今頃後悔しているでしょうね」
社交界の話題は、私とアレクシスのことで持ちきりだった。
アレクシスは、自宅に引きこもっていた。
屋敷の執務室で、書類の山に囲まれながら、彼は頭を抱えていた。
「どうして……どうして気づかなかったんだ」
父親のヴェルナー子爵が、厳しい顔で息子を見ている。
「お前は、とんでもない失態を犯した」
「父上……」
「アーデルハイト家は公爵家だ。我が家よりも格上。その令嬢との婚約は、我が家にとって願ってもない好機だった」
子爵は溜息をついた。
「それをお前は、魔力がないという理由だけで破棄した。しかも、彼女は実際には王国最高峰の魔術師だった。これがどれほどの損失か、わかっているのか」
「わかっています……」
アレクシスの声は小さかった。
「国王陛下からも、直接叱責を受けた。このままでは、我が家の立場が危うい」
「どうすれば……」
「今更、どうにもならん」
子爵は冷たく言い放った。
「お前は、自分の愚かさの代償を払うしかない」
アレクシスは顔を伏せた。
執務室を出ると、廊下でルシアが待っていた。
「アレクシス様……」
「ルシア……」
二人は、何も言えないまま見つめ合った。
婚約破棄以降、二人の関係も微妙になっていた。
ルシアも、自分の選択を後悔し始めていた。
リーナを蔑んだこと、アレクシスを唆したこと、全てが裏目に出た。
「私たち……どこで間違えたのかしら」
ルシアが呟いた。
「さあ、俺にも分からないよ……」
アレクシスは苦々しく答えた。
一方、私は王立魔術学院のエドワードの研究室を訪れていた。
広い部屋には、魔法具や実験道具が所狭しと並んでいる。
壁一面の書架には、貴重な魔術書が収められている。
「よく来てくれた」
エドワードが笑顔で迎えた。
「研究ノート、とても参考になりました」
私は借りていたノートを返した。
「それは良かった。結界修復も成功したそうだね」
「エドワード様のノートのおかげです」
「エドワードでいいと言っただろう」
彼は苦笑した。
「それより、君の魔力について、もっと詳しく調べてみたいんだ」
エドワードは机の上に羊皮紙を広げた。そこには、複雑な魔法陣と数式が書かれている。
「純粋魔力は、全ての魔法の根源だ。理論上、無限の可能性を秘めている」
「無限の可能性……」
「ああ。君の魔力を解析すれば、魔術の新たな地平が開けるかもしれない」
エドワードの目は、研究者としての情熱に輝いていた。
「協力してもらえないか? 君の魔力を、私に研究させてほしい」
私は少し考えた。
自分の魔力について、もっと深く知りたいという気持ちはある。
「条件があります」
「何だ?」
「私も、研究に参加させてください。自分の魔力のことです。当事者として知る権利があると思います」
エドワードが嬉しそうに笑った。
「もちろんだ。むしろ、そうしてほしい」
彼は手を差し出した。
「共同研究者として、よろしく頼む」
私はその手を握った。
「よろしくお願いします」
その瞬間、何かが変わった気がした。
エドワードと私。二人の魔術師が、共に未知の領域に挑む。
期待と興奮が、胸に広がった。
その夜、王宮で小規模な晩餐会が開かれた。
結界修復の成功を祝う、内輪の会だ。
宮廷魔術師団のメンバーと、一部の貴族が招かれていた。
私はドレスに着替え、会場に現れた。
瞬間、周囲の視線が集まった。
「アーデルハイト令嬢だ」
「噂の魔術師か」
「美しいな……」
ひそひそと囁く声。以前とは、明らかに違う。
蔑みではなく、尊敬と好奇心。
私は会場を歩き、オズワルドのもとへ向かった。
「おお、リーナ。よく似合っているよ」
「ありがとうございます、団長」
オズワルドの隣には、国王ディートリヒ三世がいた。
「アーデルハイト令嬢、お見事だった」
国王が直接声をかけてきた。私は慌てて跪く。
「陛下、恐縮です」
「顔を上げなさい。君は我が国の宝だ。もっと誇りを持って良い」
国王の言葉に、私は胸が熱くなった。
「これからも、王国のために力を尽くしてくれ」
「はい、必ずや」
国王が満足そうに頷いた時、会場の入口が騒がしくなった。
振り返ると、一人の男性が入ってきた。
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場内がざわつく。
「ヴェルナー子爵……何の用だ?」
誰かが囁いた。
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「リーナ……」
私の前で、彼は立ち止まった。
「話がある。少しだけ、時間をもらえないか」
周囲の視線が、私たちに集中する。
私は冷静に答えた。
「ここでお話しください」
同じ轍は踏ませない。
とばかりに私が宣言すると、アレクシスが唇を噛んだ。
「……頼む。別の場所で」
「断ります」
私の言葉に、彼は顔を歪めた。
「リーナ、俺は……」
「何でしょうか、アレクシス様」
私は彼の名を、敬称付きで呼んだ。
もはや、私たちは他人だ。
「俺は、間違っていた」
アレクシスが絞り出すように言った。
「お前の……いや、貴女の価値がわからなかった。本当に、申し訳ない」
謝罪。
予想していなかった言葉に、私は少し驚いた。
「もう一度、やり直せないだろうか」
「は?」
今度は、本気で驚いた。
「婚約を、復活させてほしい。俺は貴女を、本当に……」
「お断りします」
私は即答した。
「え……」
「一度壊れたものは、元には戻りません」
私は真っ直ぐにアレクシスを見た。
「それに、貴方は私の魔力が強いから、やり直したいと言っているだけです。私という人間を見ていない」
アレクシスは言葉を失った。
「私は、もう前を向いています。過去は過去です」
「リーナ……」
「さようなら、アレクシス様」
私は彼に背を向けた。
周囲から、小さな拍手が起こった。
オズワルドが頷き、国王が微笑んでいる。
アレクシスは、肩を落として会場を去っていった。
その背中は、ひどく小さく見えた。
私は胸の奥に、わずかな痛みを感じた。
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完全に無感情ではいられない。
「大丈夫か?」
エドワードが隣に来ていた。
「ええ、平気です」
「強いんだな、君は」
「強くなければ、生き残れませんから」
私は微笑んだ。
エドワードも笑った。
「確かに。では、これからも強く生きていこう。私も、君と共に」
その言葉に、私は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
晩餐会は、穏やかに続いていった。
だが、会場の片隅で、一人の男が私たちを見つめていた。
黒いローブに身を包んだ、見知らぬ人物。
その目は、何かを企むように光っていた。
そして、男は静かに会場を後にした。
私は、その姿に気づかなかった。
これが、新たな波乱の始まりだとは、まだ知る由もなかった。
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