婚約破棄されて男装騎士になったら、私を捨てた王子が溺愛してきます。

er

文字の大きさ
19 / 19

第十九話

しおりを挟む

騎士寮の自室で制服を整えていると、オスカー団長からの伝令が届いた。
「本日夜、王宮大広間にて社交会が開催される。新人騎士も警備として参加せよ」
社交会。
胸の奥が冷たくなった。
婚約者として何度も参加した、あの煌びやかな場所。ドレスを纏い、貴族たちと談笑し、殿下の隣で微笑んでいた日々。今は、男装の騎士として警備に立つ。
鏡を見た。短く切った髪、平らに押さえつけた胸、低く作った声。エリアス・ハートという別人の姿。
バレるわけにはいかない。
特に、あの人には。

***

王宮大広間は、眩いシャンデリアの光に満ちていた。
貴族たちが色とりどりのドレスや礼服を纏い、優雅に談笑している。楽団が奏でる音楽が、広間を満たしていた。
私は壁際に立ち、警備の騎士として周囲を監視していた。他の新人騎士たちも、同じように配置されている。
ヴィクター・ブレイクの姿も見えた。彼は私を睨みつけてから、そっぽを向いた。殿下のお気に入りとなった私に敵意を抱いているらしい。
大広間の中央には、レオンハルト殿下がいた。黒の礼服に身を包み、いくつもの貴族と会話を交わしている。婚約者だった頃、殿下の隣に立っていた自分の姿を思い出す。
今は、壁際で見守る立場だ。
胸が締め付けられた。
「新人騎士か。緊張しているな」
隣に立つ先輩騎士が声をかけてきた。
「いえ、大丈夫です」
低い声で答える。
「社交会の警備は気を抜くなよ。貴族連中は油断ならん。特に宰相派の連中はな」
宰相派......
先輩騎士の言葉に、私は広間を見渡した。ダルトン・グレイモア宰相の姿が見える。老獪な笑みを浮かべ、何人かの貴族と密談している。
そして、宰相の隣には――。
息が止まった。
フェリックス・グレイモア。
宰相の息子が、宰相と同じように貴族たちと談笑している。彼の視線が広間を泳ぎ、まるで何かを、誰かを探しているようだった。
嫌な予感がする。
心臓の音が大きくなった。
フェリックス様は、婚約破棄の日にも言っていた。「もし何かお困りのことがあれば、いつでもグレイモア家へ」と。あの時の視線は、私の何かを探っているようだった。
母から聞いた話が頭をよぎる。結界魔術を狙う者がいる、と。もしフェリックス様が私の力を知っているなら――。
「皆様、少しお時間をいただけますか」
突然、フェリックスの声が広間に響いた。
楽団の演奏が止まる。貴族たちの会話も静まり、視線が一斉にフェリックスに集まった。
私の背筋に悪寒が走った。
何かが起こる。
「私、フェリックス・グレイモアから、皆様にお願いがございます」
フェリックスは穏やかに微笑みながら、広間の中央へと歩を進めた。
「エリアーナ・ハーヴェスト令嬢――皆様もご存じの、先日まで第一王子殿下の婚約者でいらした方ですが」
ざわり、と広間が大きくどよめいた。
私の名前だ。
私の、本当の名前。
「あら、ハーヴェスト令嬢」
「殿下に婚約破棄された方ね」
「可哀想に、あんな恥をかかされて」
「でも、確か田舎へ静養に......」
貴族たちの囁きが、針のように刺さる。私は壁に背中を押し付けた。呼吸が浅くなる。顔が熱い。冷や汗が額を伝う。
落ち着け。落ち着くんだ。
私はただの騎士、エリアス・ハート。誰も私がエリアーナだとは気づかない。気づくはずがない。
「エリアーナ嬢が、婚約破棄の後、行方不明になっているのです」
フェリックスの声が、意味深に広間に響く。
「田舎の別荘で静養中だと聞いておりましたが、実はハーヴェスト侯爵家にも居場所が分からない。ご家族も、大変ご心配なさっているとか」
嘘だ。
家族には手紙を送っている。心配はかけているが、行方不明ではない。
「まあ! 行方不明ですって?」
「それは穏やかではないわね」
「もしかして、何か事件に......」
貴族たちの声が大きくなる。フェリックスは満足そうに頷いた。
「私は、エリアーナ様の身を案じております。婚約破棄という辛い経験をされた後、心を痛めて姿を消されたのではないかと」
フェリックスの視線が、レオンハルト殿下に向けられた。
「それに殿下」
殿下の表情が、わずかに硬くなる。
「エリアーナ様を深く傷つけたのは、他ならぬ殿下ではありませんか。殿下には、彼女の安否を確認する責任がおありですか?」
広間が、水を打ったように静まり返った。
宰相の息子が、王子に対して公然と非難した。その場にいた誰もが、息を呑む。
私は拳を握りしめた。
フェリックスは、殿下を責めている。私を利用して、殿下に恥をかかせようとしている。
「グレイモア卿」
殿下の声が、冷たく響いた。
「ハーヴェスト嬢の行方については、王家としても把握していない。彼女が望んで姿を隠しているのであれば、それを尊重すべきではないか」
「尊重、ですか」
フェリックスは薄く笑った。
「殿下が婚約を破棄されたのは、彼女を『退屈だ』と仰ったからだと聞いております。そのような言葉で傷つけた相手を、今さら尊重とは......皮肉なものですね」
ざわざわと、貴族たちがどよめく。
殿下の青い瞳が、氷のように冷たくなった。
「グレイモア卿、君の言いたいことは何だ」
「ただ、エリアーナ様の身を案じているのです」
フェリックスは恭しく頭を下げた。だが、その目には野心の光が宿っている。
「彼女には、稀有な才能があると聞いております。そのような方が、傷心のあまり身を隠しているとしたら......あまりにも惜しい。もし私が彼女を見つけることができれば、グレイモア家で手厚く保護し、その才能を十分に発揮していただきたいのです」
稀有な才能。
保護。
発揮。
全ての言葉が、私の心臓を締め付ける。
フェリックスは知っている。私の結界魔術を。そして、それを手に入れようとしている。
「もし、この場にエリアーナ様がいらっしゃるなら」
フェリックスの視線が、広間を見渡した。
ゆっくりと、まるで獲物を探すように。
「どうか、私にお声をおかけください。決して無理強いはいたしません。ただ、お話がしたいのです。あなたの未来のために」
その視線が、私のいる方向を通り過ぎた。
一瞬、フェリックスの目が私を捉えた気がした。
心臓が止まりそうになる。
気づかれた?
いや、まだだ。まだ大丈夫だ。彼は私を見ていない。ただの新人騎士として見ているだけだ。
「グレイモア卿」
レオンハルト殿下が、一歩前に出た。
「君の心配は理解したが、ハーヴェスト令嬢の安全は彼女の家族が最も気にかけている。君が介入する必要はない」
「ですが殿下」
フェリックスは引き下がらない。
「もし彼女が、何か困難に直面しているとしたら? もし、助けを求めているとしたら? 私は、ただ手を差し伸べたいだけなのです」
その言葉には、偽善の響きがあった。
だが、周囲の貴族たちは頷いている。「グレイモア家は慈悲深い」「確かに、令嬢を保護すべきだ」という囁きが聞こえる。
フェリックスは、貴族たちの同情を味方につけようとしている。
「殿下が婚約を破棄された以上、エリアーナ様には新たな庇護者が必要です。もちろん、殿下がご自身で彼女を探し、責任を取られるというのであれば、私は喜んで身を引きますが」
広間が、再びざわめいた。
フェリックスは、殿下に婚約破棄の責任を取れと迫っている。公の場で。
殿下の顔色は変わらない。だが、その拳が、わずかに震えているのが見えた。
「......グレイモア卿、君の善意は理解した」
殿下は、静かに言った。
「だが、ハーヴェスト令嬢の件については、これ以上この場で議論すべきではない。もし情報があれば、適切な経路で共有すればよい」
「仰る通りです」
フェリックスは深々と頭を下げた。
「では、最後に一つだけ。もし、どなたかエリアーナ様の居場所をご存じでしたら、どうかグレイモア家までお知らせください。私は......彼女を、必ず見つけ出します」
必ず見つけ出す。
その言葉が、宣言のように響いた。
フェリックスは元の位置に戻り、楽団が再び演奏を始める。だが、広間の空気は先ほどまでとは違っていた。ざわざわとした不穏な雰囲気が漂っている。
私は壁にもたれかかったまま、呼吸を整えようとした。
冷や汗が止まらない。制服の下、背中が汗で濡れている。
バレなかった。今は、まだ。
だが、フェリックスは諦めていない。あの執念深い目が、まだ脳裏に焼き付いている。「必ず見つけ出す」という言葉が、耳から離れない。
「エリアス」
突然、声をかけられて飛び上がりそうになった。
振り返ると、レオンハルト殿下が立っていた。
「は、はい! 」
慌てて姿勢を正す。
殿下は周囲を確認してから、低い声で囁いた。
「気をつけろ。グレイモア親子は、何か企んでいるようだ」
「......はい」
殿下の目が、私を真っ直ぐに見つめる。
その瞳には、心配の色が浮かんでいた。まるで、私の正体を知っているかのように。
いや、そんなはずはない。
彼は今『騎士』エリアスに話しかけているのだ。エリアーナに向けた言葉ではない。
「何かあれば、すぐに私かオスカーに報告するように」
「承知いたしました」
殿下は頷いて、再び貴族たちの輪に戻っていった。
私は胸を押さえた。心臓が、まだ激しく鳴っている。
フェリックスが私を探している。
公の場で、堂々と。しかも、殿下を責める材料として。
この社交会には、エリアーナ・ハーヴェストはいない。いるのは、新人騎士エリアス・ハートだけだ。
そう自分に言い聞かせながらも、恐怖は消えなかった。
広間の隅で、フェリックスが宰相と何か話している姿が見えた。フェリックスの視線が、時折こちらに向けられる。まるで、品定めをするように。
警備の任務が終わるまで、あと二時間。
長い夜になりそうだった。

***

社交会が終わり、騎士寮に戻った私は、ベッドに倒れ込んだ。
全身の力が抜ける。緊張の糸が切れた途端、疲労が押し寄せてきた。
フェリックスの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
「彼女には、稀有な才能があると聞いております」
「私は......彼女を、必ず見つけ出します」
結界魔術を狙っている。間違いない。
母の言葉が蘇る。『結界魔術は、あなたを守る盾にも、あなたを狙う理由にもなる』
フェリックスは、私の力を知っている。そして、何かに利用しようとしている。
そして、公の場で私を探すということは、もう隠れているだけでは済まないということだ。いずれ、見つかる。正体がバレる。
その時、私はどうすればいい?
「......くそ」
小さく呟いた。
復讐のために騎士になったのに、今はただ逃げることに必死だ。レオンハルト殿下を見返すどころか、フェリックスから逃げ回っている。
情けない。
でも、バレるわけにはいかない。
バレたら全てが終わる。騎士としての立場も、この場所も、全部。
窓の外を見た。月が綺麗に輝いている。
あの月の下、王宮のどこかで殿下も眠っているのだろうか。
それとも、まだ執務室で書類と向き合っているのだろうか。
婚約していた頃、殿下は夜遅くまで仕事をすることが多かった。私が心配して声をかけると、「君がいてくれるから頑張れる」と微笑んでくれた。
あれは、全部嘘だったのか。
それとも......
考えるのをやめた。今は、目の前の危機を乗り越えることだけを考えなければ。
フェリックスから逃げ切る。正体を隠し通す。
そして、いつか必ず、レオンハルト殿下に真実を突きつける。
その日まで、私は騎士エリアス・ハートとして生きるのだ。

しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。 だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。 失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。 どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。 「悪女に、遠慮はいらない」 そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。 「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。  王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」 愛も、誇りも奪われたなら── 今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。 裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス! ⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。

妹の身代わりだった私に「本命は君だ」――王宮前で王子に抱き潰され、溺愛がバレました。~私が虐げられるきっかけになった少年が、私と王子を結び付

唯崎りいち
恋愛
妹の身代わりとして王子とデートすることになった私。でも王子の本命は最初から私で――。長年虐げられ、地味でみすぼらしい私が、王子の愛と溺愛に包まれ、ついに幸せを掴む甘々ラブファンタジー。妹や家族との誤解、影武者の存在も絡み、ハラハラと胸キュンが止まらない物語。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。

古森真朝
ファンタジー
 「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。  俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」  新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは―― ※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。

冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件

水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。 以後、 寝室は強制統合 常時抱っこ移動 一秒ごとに更新される溺愛 妻を傷つける者には容赦なし宣言 甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。 さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――? 自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。 溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ

冷血公爵の契約花嫁、実は溺愛されていました〜氷の旦那様は、私にだけ甘すぎる〜

柴田はつみ
恋愛
「愛情は一切不要。これはあくまでも契約だ」 そのはずだった——。 没落寸前の伯爵家を救うため、冷血と恐れられるクロイツ公爵との契約結婚を受け入れた私、リーナ。 三年間だけ妻を演じれば、家族が救われる。 それだけのはずだった。 なのに。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

転生先が意地悪な王妃でした。うちの子が可愛いので今日から優しいママになります! ~陛下、もしかして一緒に遊びたいのですか?

朱音ゆうひ@『桜の嫁入り』発売中です
恋愛
転生したら、我が子に冷たくする酷い王妃になってしまった!  「お母様、謝るわ。お母様、今日から変わる。あなたを一生懸命愛して、優しくして、幸せにするからね……っ」 王子を抱きしめて誓った私は、その日から愛情をたっぷりと注ぐ。 不仲だった夫(国王)は、そんな私と息子にそわそわと近づいてくる。 もしかして一緒に遊びたいのですか、あなた? 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5296ig/)

処理中です...