サファイアの雫

膕館啻

文字の大きさ
25 / 40

♠︎5

しおりを挟む
シンクと呼ぶ声が聞こえた。犯人はとっくに分かっている。
「やっぱり、貴方じゃないですか」
シンク……シンクと何もない空間から呼びかける声が続く。腹が立って、声のする方へ向かった。
「うるさいですね。ついに名前しか呼べない脳になりましたか」
「シンク……」
「ああもう! 黙ってください。何か言いたいことがあるならちゃんと……っ」
突然何かが現れて、腕を掴んできた。それは真っ黒な、人の温度を感じない腕だった。
「離してください」
力は強く、抵抗しても無駄だった。ズルズルと引っ張られ、気づいたらどこかの部屋に入っていた。
「何だって言うんです……っ、貴方はいつも強引で」
それはただの黒い影になっていた。全身がもやもやとしていて、なんとなく人の形を保っているだけだ。
「良い気味ですね。オバケにでもなっちゃったんですか」
「シンク……素晴らしい」
突然流暢に話し始めたので驚いてしまった。一歩下がってから、それを見つめる。
「素晴らしいよ……その怒り方、自分で見つけたのかな」
「はぁ?」
「そんな風に声を荒げて、全身を震わせて……目に不信感を纏わせ、怖いのに立ち向かおうとする……ああ、とても美しい」
「何を言って……」
「いつの間にそんな成長したのかな。とっても、人間らしい表情になったじゃないか」
「貴方に……そんなこと、まるで育てたみたいに言わないでほしいです」
煙が体の方に向かってきたので手で払う。全く、何なんだ今の状況は。
「エースへの気持ちも、君のシンクとしての役割も、とっても上手にできている。こんな風に怒る君を見ることができて、嬉しい」
「黙れ……黙れ!」
「いい! もっと見せてくれ、シンク! その顔とても素晴らしい」
「うるさい!」
無駄だとは思うが、隠していたナイフを取り出した。本当はあの人に向けるつもりだったけど、今のところその必要はなさそうだ。
刃先を向けて真っ直ぐ突撃する。ナイフは煙の中に入り、体をすり抜けた。やはり効かないか。
こんなことはくだらないと、背を向けた。無視してもう帰ろう。
「ぐっ」
首に巻きついてきた黒い影。どうしてこんな力が強いのか。自分から触れてもただ空気を掴むだけで、離せない。
「あっ、ああ……っ」
「シンク……感じているのかい? 苦しみが分かる? 凄い……君の目が開かれて、どうにか息を吸おうと必死に……綺麗だ、シンク……生きている、生きているんだね。もっと見せてくれ……君の、生への証を!」
「や、め……やめ、ろ……っ」
「シンク! 君はエースの元へ帰らなければいけないのだろう! 彼が待ってる。皆が寂しがるよ。シンク、ほら……もっと! 苦しんで! 今の君は本当に美しい、最高だ!」
「はな、せ……っ」
「エースに会いたいだろう? シンク」
少しだけ力が緩められた。表情なんか見えないはずなのに、影が意地悪く笑っているのが分かる。
「君は真面目な子だね。ちゃんと役を演じきった」
「お前の言うことなんか、聞こえない」
「でもちょっと、筋書き通り過ぎたかな。もうちょっと別の展開があってほしかった。エースと喧嘩しちゃうとか。先生を殴っちゃったりとか」
「……っ」
「大好きなエースだからそんなことできない? でもそれは当たり前なんだよね。私が決めたストーリーから飛び出していない」
「貴方のシナリオなんて、知りませんけど」
「ただのお人形だったね、君は」
「僕の気持ちは、僕だけのものだ!」
再びナイフを向けて、影に立ち向かう。
「はは、その表情はとても素敵なんだけど、今皆の元へ返しても、結局今までを繰り返すだけだろう? 期待できなくなっちゃったんだよね」
「お前に好かれなくったっていい! その口を閉じろ!」
「どうして今君は泣いている? どういう感情で? 自分で分かっている? 体が勝手に反応した? それとも泣くべき場面だから、泣こうと思った?」
「僕は生きている! お前なんかに僕が分かるわけない! 僕の気持ちを勝手に決めるなっ」
「ごめんね、シンク。エースへの気持ちも、正義感も、嫉妬心も何もかも全て……私が決めたことだ」
再び力が込められた。
誰かここへ、来てくれないか。誰か、誰か……。
体から力が抜けていく。視界はぼやけて、世界が消えていく。
「た、たすけて……エース……せ、んせぇ……」
消えたくない。死にたくない。
ああ、それさえも貴方に決められているのだとしたら。
「死にたくないと足掻く姿、そこが一番生を感じられるね。ありがとうシンク。最後まで上手に踊ってくれて」
僕の夢はエースの右腕。いつかエースが戦えなくなった時、僕がリーダーになる。
エースと、皆に言ってもらうんだ。
シンク、君が大好きだって。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...