安心して泣ける!ポチと美咲の物語

緑縁翁☆りょくえんおう

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風の匂い、春の記憶

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春。
空は淡く霞んで、校庭の桜が風に揺れていた。

卒業式の終わりを告げるチャイムが鳴ると、体育館を出た生徒たちは、思い思いに写真を撮り合っていた。

「美咲ー! こっちこっち!」

呼ぶ声に振り向くと、笑顔の友人たちがカメラを構えている。

美咲は制服のリボンを整えて、小さく笑った。

「うん、今行く!」

——シャッターの音。
みんなで飛び跳ねて、笑いながら泣いて。
それでもどこか、胸の奥が少しだけ空っぽのような気がしていた。

ポチがいない春を、もう何度迎えただろう。
けれど、心のどこかでずっと彼を感じている。

「はい、次はソロ撮影ねー!」

冗談まじりの友人の声に背中を押され、美咲は校門を抜けた。

——桜坂。

あの日も、風が吹いていた。
ランドセルを背負ってポチと歩いたあの道。
今は制服姿で、少し大人になった自分が同じ場所に立っている。

坂の上には、満開の桜並木。
花びらが空に舞い、光を受けてキラキラと輝く。

美咲はふと目を閉じた。
春の匂いがする。
土の匂い、花の匂い、そして——懐かしい、犬の匂い。

——風が、吹いた。

頬を撫でる風の中に、鈴の音がまじる。
小さく、ほんの一瞬だけ。
チリン、と。

美咲は目を開けた。

坂の向こう、光の中に、小さな影が見えた気がした。
尻尾を振る茶色い犬。
桜の花びらのように透けて、すぐに風に溶けて消えた。

「……ポチ?」

声が震える。
誰もいない坂道に、答えはない。
だけど、風がまた優しく吹いた。
まるで「ここにいるよ」と言っているみたいに。

——あの頃、泣き虫だった自分を支えてくれた小さな命。
ポチがくれた“勇気”と“やさしさ”は、今も胸の奥に生きている。

彼がいなかったら、きっと夢を追いかけようなんて思わなかった。
誰かの痛みを感じることも、できなかったかもしれない。

美咲はそっと両手を胸の前で合わせた。

「ポチ、見ててね。わたし、きっと獣医になるよ」

その瞬間、また風が吹いた。
桜の花びらが、まるで祝福のように舞い上がる。
光の粒が頬をかすめ、涙と混じってきらめいた。

——遠くで、誰かが呼ぶ声がする。

「美咲ー! 早く来てー!」

美咲は笑って振り返った。

「今、行くー!」

そしてもう一度、丘の上を見上げる。
風の中、光の粒がひときわ強く輝いた。

「ありがとう、ポチ。」

その声は春の空へと吸い込まれ、
花びらと一緒に舞い上がっていった。

——まるで、どこかで彼が笑っているように。

その日の夕暮れ、家に帰る途中。
夕日を受けた桜坂が黄金色に染まっていた。

美咲はスマホを取り出し、ポチとの最後の写真をそっと見つめた。
小さな体で、一生懸命笑っていたポチ。
その横で、幼い自分がピースをしている。

画面の中の二人に、小さくつぶやいた。

「ねえ、ポチ。今でも、風が吹くたびに君の声がするよ。」

チリン。

また、鈴の音。
どこかで確かに、聴こえた。

——その夜、美咲は夢を見た。

桜の下で、ポチが走っていた。
子犬の頃のままの姿で、風と光の中を駆けている。
振り返って、美咲を見ると、尻尾をふって笑った。

「ポチ!」

呼ぶと、彼はまっすぐに走ってきた。
そして、美咲の足もとで立ち止まり、見上げて言った。

「美咲、もう大丈夫だね。」

涙があふれる。

「うん……ありがとう。ほんとに、ありがとう。」

ポチは満足そうに目を細め、桜の花びらに包まれながら光へと溶けていった。

——風が吹く。
春の風。
その中に、確かに彼の声が混じっていた。

「またね、美咲。」

そして、美咲の頬を一筋の涙が伝った。
でもその涙は、悲しみではなかった。

彼女は微笑んで、春の空を見上げた。
桜が散っても、あの日の約束はずっと心の中に生き続けている。

——風の匂い。
——春の記憶。
そして、永遠に続く「ありがとう」。
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