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第51話 外伝 エリカ編
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エリカ ヴァイン
窓の外から聞こえる潮騒の音が、今夜も耳障りだった。
アイナル村の夜は静かだ。
だがその静寂は、かつて魔王の残滓が色濃く漂っていたこの地の歴史を塗り潰すための、薄い膜に過ぎない。
エリカはその膜の裏側で蠢く「それ」の声を、誰よりも鋭く聞き取っていた。
(……殺せ。すべて、壊してしまえ。お前は、私の一部だ)
二十一歳。
エリカは寝台のシーツを真っ白な指が裂けるほど強く握りしめた。
三歳のあの日、彼女に憑依した「ヤツ」は、単なる悪霊ではなかった。
それは二千年の時を超えて、エリカが持つ「規格外の魔力」という器に惹かれ、それを苗床として再臨しようとする魔王の意志の欠片。
村の守護職ガリアスは、そのあまりに強すぎる輝きと、それに群がる闇の深さを誰よりも早く察知していた。
ガリアスが平民の娘である彼女に莫大な資金援助をし、王立魔導学校へ送り出したのは、単なる慈悲ではなかった。
魔王の残滓が漂うアイナル村に彼女を留めておけば、いつか内なる魔が共鳴し、完全に飲み込まれてしまうかもしれない。
魔王が降臨した歴史は、一族の歴史を紐解いても初めてなのだ。
ガリアスは、彼女を物理的にこの地から引き離し、王都の聖域という監視の目の下に置くことで、彼女の精神を守り抜こうとしたのだ。
また、王族以外には伏せられた秘密であるが、ヴァイン家は、ゼーレドルフ一族の分家、影の封印の一族であったこともあり、彼女を失うわけにはいかなかった。
エリカだけはヴァイン家の掟を知らない。
一族の掟に従い、21歳で告知されるはずだ。
その期待に応えるように、エリカは九歳で入学した学園で「アイナルの至宝」と謳われ、十五歳で飛び級卒業、その後、女王直轄魔導師団という最高峰の地位を掴み取った。
しかし、どれほど華やかな光の中にいても、魔力を行使するたびに内なる「殺意」は純度を増していく。
師団で戦果を上げるほど、彼女の精神は無辜の民を切り刻む幻想に汚染され、自分の輪郭が怪物へと書き換えられていく恐怖に苛まれた。
去来する殺意がもたらす妄想で、エリカは仲間を、上官を、部下を、守るべき人々を惨殺し、愉悦に浸ることがあった。
魔法学校が順調だった14歳前後から急に酷くなってきたように思う。
結局、彼女はすべてを捨てて戻ってきた。逃げ場のない故郷へ。
「……ごめんなさい、ガリアス様。……セレスティナ様。……イゾルデ先生……」
鏡に映る瞳は、時折、自分のものではない不気味な光を宿す。
セレスティナとイゾルデ、二人の恩人が命を懸けて鎮めたはずの闇。
それが今、かつてないほど激しく彼女の内で飢え、暴れている。
村の誰しもが知っている噂。
「エリカ先生、ディオンがね、旅に出るんだってさ。」
「聖図書館で、呪いを解く勉強したいんだって」
エリカは苦笑する。
「ディオン、あなたの計画ってどれだけザルなのかしら」
村長には教職を辞する事と、後任をお願いした。
ディオンの旅に同行する事も話した。
両親も納得してくれた。
出発の前夜。
エリカは暗い部屋で、一人旅装を整えていた。
使い慣れた杖を握りしめ、自分に言い聞かせるように、鏡の中の自分——その奥に潜む不気味な光——を見据えて囁く。
「……あなた(私の中にいる悪霊)の思い通りにはさせない。ディオンに救われるのを待つんじゃない。私は、私の手であなたを道連れにして、真実を掴みに行くわ。それが、私を救おうとしてくれたガリアス様やイゾルデ先生たちへの、最後の誠実さよ」
彼女にとって、旅の準備を整える時間は、自分の体内にいる悪霊との孤独な戦いの時間だった。
「殺せ……」
「生徒を、……ディオンを……殺す」
「私はこの声に負けない。聖図書館で解決方法を見つけるんだ」
そして当日。
「仲間に手を出そうとしたその時には…… 」
全ての準備が整った。
万が一の時は自決するための短剣を懐に忍ばせて、彼女は朝霧の立ち込める村の入り口へと向かった。
「置いていくなんて、あんまりじゃない!?」と騒ぐアルベローゼの声が聞こえる。
エリカは深く息を吸い込み、霧の中から姿を現した。
その瞳には、数日間の葛藤を乗り越えた者だけが持つ、静かで鋭い覚悟が宿っていた
そして、運命の旅立ちの朝。
村の入り口には、朝霧を切り裂くような鋭い声が響いていた。
「ちょっと! 置いていくなんて、あんまりじゃない!?」
荷物の上に乗ってむくれている幼馴染のエルフ、アルベローゼ。
それを見守るディオン、バハル、そして兄ライナスの姿。
「私も……私も連れて行ってください、ディオンさん」
霧の中から現れたエリカの瞳には、凛とした、けれど死を覚悟したような静かな光が宿っていた。
「エリカさん……村の学校はどうするんですか? 危険な旅になります」
ディオンの問いに、彼女は胸元に手を当て、自らの内側で冷たく笑う「怪物」を見据えながら答えた。
「代わりの先生なら、村長様にお願いしてきました。……ディオンさん、私も呪いの正体を知りたいのです。なぜ私が選ばれたのか、その根源を。このままここで呑み込まれるのを待つより、自分の足で真実に辿り着きたい」
ガリアスによって遠ざけられ、女王直轄魔法師団でその才を愛された少女。
彼女は今、再び自らの意志で、最も過酷な場所へと足を踏み出そうとしていた。
自分を救うために裂かれ、今はディオンと彼女の中に分かたれた「悪霊」の正体。
それを見定めることだけが、命を繋いでくれた者たちへの、唯一の答え合わせになると信じて。
呪われた血、秘められた宿命、そして種族を超えた友。
前途多難な旅を予感しながらも、一行は朝霧の向こうへと一歩を踏み出した。
二千年の時を超えた残酷な設計図を書き換えるための、最初の抗いが、今ここから始まる。
窓の外から聞こえる潮騒の音が、今夜も耳障りだった。
アイナル村の夜は静かだ。
だがその静寂は、かつて魔王の残滓が色濃く漂っていたこの地の歴史を塗り潰すための、薄い膜に過ぎない。
エリカはその膜の裏側で蠢く「それ」の声を、誰よりも鋭く聞き取っていた。
(……殺せ。すべて、壊してしまえ。お前は、私の一部だ)
二十一歳。
エリカは寝台のシーツを真っ白な指が裂けるほど強く握りしめた。
三歳のあの日、彼女に憑依した「ヤツ」は、単なる悪霊ではなかった。
それは二千年の時を超えて、エリカが持つ「規格外の魔力」という器に惹かれ、それを苗床として再臨しようとする魔王の意志の欠片。
村の守護職ガリアスは、そのあまりに強すぎる輝きと、それに群がる闇の深さを誰よりも早く察知していた。
ガリアスが平民の娘である彼女に莫大な資金援助をし、王立魔導学校へ送り出したのは、単なる慈悲ではなかった。
魔王の残滓が漂うアイナル村に彼女を留めておけば、いつか内なる魔が共鳴し、完全に飲み込まれてしまうかもしれない。
魔王が降臨した歴史は、一族の歴史を紐解いても初めてなのだ。
ガリアスは、彼女を物理的にこの地から引き離し、王都の聖域という監視の目の下に置くことで、彼女の精神を守り抜こうとしたのだ。
また、王族以外には伏せられた秘密であるが、ヴァイン家は、ゼーレドルフ一族の分家、影の封印の一族であったこともあり、彼女を失うわけにはいかなかった。
エリカだけはヴァイン家の掟を知らない。
一族の掟に従い、21歳で告知されるはずだ。
その期待に応えるように、エリカは九歳で入学した学園で「アイナルの至宝」と謳われ、十五歳で飛び級卒業、その後、女王直轄魔導師団という最高峰の地位を掴み取った。
しかし、どれほど華やかな光の中にいても、魔力を行使するたびに内なる「殺意」は純度を増していく。
師団で戦果を上げるほど、彼女の精神は無辜の民を切り刻む幻想に汚染され、自分の輪郭が怪物へと書き換えられていく恐怖に苛まれた。
去来する殺意がもたらす妄想で、エリカは仲間を、上官を、部下を、守るべき人々を惨殺し、愉悦に浸ることがあった。
魔法学校が順調だった14歳前後から急に酷くなってきたように思う。
結局、彼女はすべてを捨てて戻ってきた。逃げ場のない故郷へ。
「……ごめんなさい、ガリアス様。……セレスティナ様。……イゾルデ先生……」
鏡に映る瞳は、時折、自分のものではない不気味な光を宿す。
セレスティナとイゾルデ、二人の恩人が命を懸けて鎮めたはずの闇。
それが今、かつてないほど激しく彼女の内で飢え、暴れている。
村の誰しもが知っている噂。
「エリカ先生、ディオンがね、旅に出るんだってさ。」
「聖図書館で、呪いを解く勉強したいんだって」
エリカは苦笑する。
「ディオン、あなたの計画ってどれだけザルなのかしら」
村長には教職を辞する事と、後任をお願いした。
ディオンの旅に同行する事も話した。
両親も納得してくれた。
出発の前夜。
エリカは暗い部屋で、一人旅装を整えていた。
使い慣れた杖を握りしめ、自分に言い聞かせるように、鏡の中の自分——その奥に潜む不気味な光——を見据えて囁く。
「……あなた(私の中にいる悪霊)の思い通りにはさせない。ディオンに救われるのを待つんじゃない。私は、私の手であなたを道連れにして、真実を掴みに行くわ。それが、私を救おうとしてくれたガリアス様やイゾルデ先生たちへの、最後の誠実さよ」
彼女にとって、旅の準備を整える時間は、自分の体内にいる悪霊との孤独な戦いの時間だった。
「殺せ……」
「生徒を、……ディオンを……殺す」
「私はこの声に負けない。聖図書館で解決方法を見つけるんだ」
そして当日。
「仲間に手を出そうとしたその時には…… 」
全ての準備が整った。
万が一の時は自決するための短剣を懐に忍ばせて、彼女は朝霧の立ち込める村の入り口へと向かった。
「置いていくなんて、あんまりじゃない!?」と騒ぐアルベローゼの声が聞こえる。
エリカは深く息を吸い込み、霧の中から姿を現した。
その瞳には、数日間の葛藤を乗り越えた者だけが持つ、静かで鋭い覚悟が宿っていた
そして、運命の旅立ちの朝。
村の入り口には、朝霧を切り裂くような鋭い声が響いていた。
「ちょっと! 置いていくなんて、あんまりじゃない!?」
荷物の上に乗ってむくれている幼馴染のエルフ、アルベローゼ。
それを見守るディオン、バハル、そして兄ライナスの姿。
「私も……私も連れて行ってください、ディオンさん」
霧の中から現れたエリカの瞳には、凛とした、けれど死を覚悟したような静かな光が宿っていた。
「エリカさん……村の学校はどうするんですか? 危険な旅になります」
ディオンの問いに、彼女は胸元に手を当て、自らの内側で冷たく笑う「怪物」を見据えながら答えた。
「代わりの先生なら、村長様にお願いしてきました。……ディオンさん、私も呪いの正体を知りたいのです。なぜ私が選ばれたのか、その根源を。このままここで呑み込まれるのを待つより、自分の足で真実に辿り着きたい」
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彼女は今、再び自らの意志で、最も過酷な場所へと足を踏み出そうとしていた。
自分を救うために裂かれ、今はディオンと彼女の中に分かたれた「悪霊」の正体。
それを見定めることだけが、命を繋いでくれた者たちへの、唯一の答え合わせになると信じて。
呪われた血、秘められた宿命、そして種族を超えた友。
前途多難な旅を予感しながらも、一行は朝霧の向こうへと一歩を踏み出した。
二千年の時を超えた残酷な設計図を書き換えるための、最初の抗いが、今ここから始まる。
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