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36.陸上生活⑤

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テオはいつでも紳士だ。

声を荒げているところを見たこともないし、髪の毛をやってくれるときはいつも律儀に断りの言葉を言ってくれる。
荷物を持ってくれるのも当たり前にやってくれるし、手が空いた時には私の仕事を手伝ってくれる。

アルフレッドのように派手な容姿ではないが、控えめなパーツは綺麗に整っている。
柔和な物腰は、話しているこちらの心を落ち着かせてくれる効果もある。


だがこれはまったく落ち着けない。
無理だ。
人ごみの中、繋がれたままの手は汗をかき始めていた。
手を繋いでいるだけだというのに妙に緊張してしまう。
やはり免疫がないとこうも不自然な態度になってしまうのだろうか。

テオにとってはこんなことなんでもないのだろう。
六歳差だし、妹扱いになっているのかもしれない。

あるいはテオもモテそうだし、女性をリードすることなんて慣れているに違いない。
だからひとり動揺している私は、まるで馬鹿みたいなのだけど。

荷物が増えて、手が離れたことにホッとする。
ちょっと買い物をしたくらいじゃありえないほどに疲労しているのは、もちろん手に全神経を集中させていたせいだろう。
どれだけ経験値低いのかと過去の自分を呪いたくなる。

「よし、今日はこれくらいにしておこうか」
「……うん」
「ん? 疲れちゃった? ちょっと休もうか」

テオはと言えば、いつも通りの涼しい顔だ。
ひとり勝手にくたびれているのが馬鹿みたいに思えてくる。

「ううん大丈夫。荷物いっぱいだし早く置きに行こう」
「そう? じゃあ全部置いてから少しお茶でもしよう」

こういうさりげない気遣いも、手慣れた感じがすごくする。
過去に付き合った人数を聞いたら度肝を抜かれるかもしれない。
いやでもきっと真面目な人だから、一人の女性と長く、とかだろうな。

勝手にテオの女性遍歴を妄想しながら、並んで船を目指す。
人ごみを抜けると喧騒は和らいで、ようやく私の心労と言うか精神疲労というかが収まってきた。

大量の食糧を船に積んで戻ってくる頃には、もう日が暮れ始めていた。
露店の並ぶ大通りの入り口から見ると、賑わいはそのままだった。

「すごい、全然人減らないね」
「この時期は毎日こんな感じだね」
「よく来るの?」
「うん、だいたい季節ごとに一回は寄るかな」
「へぇ。だからみんなこの辺のこと詳しいんだ」
「レーナもきっとすぐ詳しくなる」

優しい声で言って、私に笑いかける。
その暖かな表情からは、私を仲間として歓迎してくれているのが伝わってきた。

「よし、もうひと頑張りしますかね」
「うん! 今日はアランの誕生日パーティーもあるし早く帰らなきゃ!」
「それでは参りましょう」

王族にかしずく騎士みたいに言って、一度離れていた手が再び繋がれる。
本当に、ごく自然な流れで断るタイミングすら見つけられない。
もちろん決して嫌なわけではないのだけれど、それどころかデートみたいで浮かれてしまうのだけど、悲しいことにものすごい勢いで精神が削られていくのは止められなかった。

「ワイアットを探しに行こうか」
「テオも付き合ってくれるの?」
「もう今日やることは終わったし、レーナを一人で行かせるのは心配だ」
「行ったり来たりしてだいぶ道覚えたし、迷子になんてならないわよ」
「そうじゃなくてレーナは綺麗だから。一人でいたら攫われちゃう」

サラッと言われて赤くなる。
とっさに言葉を返せずに、誉め言葉を真に受けてしまった恥ずかしさを誤魔化すように俯いた。

「……すでに誘拐された身ですし?」
「あははっ、ああいや笑いごとじゃないな。ごめん」

笑った後で、困ったように頭を掻く。別に責めているわけではなく、場を和ませたかっただけなのだけど。

「その節は本当に。うちの船長が申し訳ないことを」

するりと手がほどけて、テオが深々と頭を下げた。
大仰な仕草は芝居がかっていて、私が冗談を言ったことにきちんと気付いているようだった。

「テオは何も悪いことしてないでしょう」
「まぁでもその一味だから」
「ふふ、じゃああとで何かおごってもらおうかしら」
「喜んで」

誘拐されたことを恨んだことはない。
最初こそ驚愕と混乱で脱出を考えてはいたが、今となっては楽しく気ままな海賊生活を送れていることに、感謝すらしている。

「ああ、じゃあこれ」
「え?」

ポケットを探りながらテオが言う。

「お詫びの印ということで」

渡された小さな紙袋を開けてみる。
中には深緑の石が付いた髪飾りが入っていた。

「綺麗……」
「レーナの瞳の色だ」
「あはは、私の目こんなに綺麗かな」

暮れかけた夕日にかざすと、それはキラキラと複雑な色にきらめいた。

「露店で買った安物で悪いけど。レーナに似合うと思って」
「いつの間に買ったの?」
「さっき広場で手分けして買い物したときにね」
「全然気付かなかった……もらっていいの?」
「うん。アクセサリー興味ないってのは聞こえてたんだけど。もらってくれると嬉しい」
「ありがとう。大切にする」
「良かった。今つけてあげようか」
「ふふ、テオが買ってくれたのにつけてくれるのもテオなのね」
「大サービスだ」

おどけたように言って笑い合う。

私の後ろに回って、テオが髪を整え直してくれる。
ぱちんと音がして、緑色の石が私の鋼色の髪に飾られた。

「うん、やっぱりよく似合ってる」
「嬉しい。今日から毎日つけるわ」
「それは光栄だ」

そういって再び手が繋がれて、人ごみの中へと歩き出す。

不思議と、もう緊張はしていなかった。
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