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24.お似合いだった二人
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「久しぶりね、リチャード」
ゆったりとした話し方は相変わらずだ。
ただ、腰まで伸びていた金色に輝く髪は、肩口でバッサリと切られていた。髪を短くしている所は初めて見たが、彼女によく似合っている。目元の涙ぼくろも懐かしい。
「どうしてここに……?」
リチャードはこんなにも驚いているのに、彼女のほうはあまり動揺していないようだった。
「ここ、私の店なの」
「リチャード、私はあっちを見てるわね」
二人の邪魔にならないように、シェリーはコソッと囁いてその場を離れた。
それを見ていたドローレスが、「少し待ってて」と言って、すっと奥からコップとお菓子を用意してくれた。リチャードと、少し離れたシェリーにゆったりとした動作で置いた。
シェリーはその優雅な仕草に目が離せないでいた。皿を置くにも、音を一切立てない。ほっそりとした指先が舞うように動いている。
冷えたチョコレートドリンクと、バナナのクッキーだった。チョコレートドリンクは、あの日リチャードが作ってくれたホットチョコレートと同じスパイスの味がした。"特別なレシピ"とは、このことだったのか。
「ありがとう、すごく美味しい」
ふと、顔を上げるとドローレスがゆったりと微笑んだ。リチャードは無表情のまま、チョコレードリンクを一口啜った。
「……マックス・コールドウェル様の傘を取りに来たんだ」
「ええ、預かってるわ」
二人の間に、気まずい沈黙が流れる。先に口を開いたのはリチャードの方だった。
「ずっと、どうしているのか気になっていた」
「貴方が出て行ってすぐに、私も町を出たの。父が亡くなったと聞いて、少し前に戻って来たのよ。あの屋敷は手放したわ」
「そうだったのか、それは……」
ドローレスは何でもないことのように言うが、彼女の心情を思うと、何と言葉を掛けて良いものかわからなかった。
「それで、もうこの町には戻らないと思ったんだけど、船に乗ろうと思った時、この店を見つけたの。その頃は、まだここまで活気付いていなくてね……この辺り、随分と変わったでしょう?」
ドローレスは遠い目をして窓の外を見ていた。
「ああ、知らない町みたいだ」
「そこがいいわよね……で、ここで暮らそうと思ったの。ここからだと、船の出入りがよく見えるわ。誰か出て行っては、また誰か帰ってくる…こうしていれば、いつか貴方がひょっこり帰ってくるんじゃないかと思って」
「……ドローレス」
「そんな顔をしないで。また会えて本当に嬉しい」
「ああ、俺も君に会えて嬉しい……本当に」
静かな店内には波の音と、港で積み下ろしをしている若者たちの威勢の良い声が聞こえてくる。
「……私ばっかり話してごめんね、貴方はどうだったの?」
「ああ……上手くやってるよ」
どう話していいかわからずに、つい口が短くなるのはリチャードの悪いくせだった。ドローレスは呆れたように笑った。
「相変わらずね。でも、幸せそうで良かったわ、可愛い子ね」
振り返ると、シェリーは物珍しそうに店内をうろうろと歩き回っている。
「コールドウェルさんの娘さんでしょう、優しそうな目元がそっくりだわ」
「ああ、彼と話した?」
「ええ、彼っていい人ね。心配していたのよ、貴方のこと。何処かで私の噂を聞いたのかしら、フラッと訊ねてきての。"君が元気でいる所を彼自身が見ない限り、本当の意味で前に進めないと思う"って」
「そんなことを……」
マックスがそんなことを考えていたなんて、リチャードは全く知らなかった。
「傘は必ず取りに来るから、取っておいてくれって。まさかとは思ったけど……」
そう言って、ドローレスはようやく店の奥から一本の傘を持ってきた。傘の柄には金色の文字で"マックス・コールドウェル"と記されている。オーダメイドで仕立てた傘だ。
「はい、これがその傘よ。……あの時、貴方は私の味方をしてくれたのに、私は何も出来なかった。本当にごめんなさい」
ドローレスの表情が僅かに曇った。
「君が謝ることはない。俺の方こそ……」
言葉の途中で、ドローレスがリチャードの手をきゅっと握った。ほっそりとした冷えた手が、彼の握り締めた拳を包んだ。
「君が元気そうで良かった」
リチャードもその手の上にそっと、自分の手を重ねた。長い間、心の一部はずっと凍ったままだった。それが、今ゆっくりと溶けていくようだ。
「ええ、貴方も」
ドローレスがふわっと笑うのを見て、彼女の中でもきっと心が軽くなったのだと分かった。
「……良かったら、どれかおひとつ差し上げるわ。せっかく会えた記念に」
カウンターからドローレスが声を掛けると、シェリーは驚いたように目を丸くした。
「えっ、いいの?」
嬉しそうに微笑みながらしばらく迷っていたが、ようやく一枚を選ぶと、ドローレスに手渡した。
「……じゃあ、これを。嬉しいわ、ありがとう」
「良いのよ、包むわね。リチャードもどうぞ、選んで」
「俺はいいよ、毎日顔を合わせてるから手紙を書く相手もいないし」
リチャードはポケットに手を突っ込みながら、すっかり
シェリーの様子を見ることに徹していた。
「離れているばかりが手紙を書く理由じゃないのよ。貴方って頑固な所があるし、女心も分からないし……ケンカしたときなんかは手紙を書くといいのよ」
ドローレスの言い分に、リチャードはカチンときたようだ。
「頑固……? それに、ケンカはしない」
「あら、じゃあ貴方が一方的に小言を言うのね」
ドローレスはゆったりとした口調は崩さずに、ポンポンとリズム良く言い返す。
「ほら、これを持って行って。私のお気に入りよ、綺麗な魚でしょう」
ドローレスの差し出したレターセットは、シンプルな水色の紙に黄色とオレンジの魚が無数に泳いでいた。
「へぇ、綺麗だ。ありがとう。……あ、待ってくれ。これは買って行く」
リチャードはシェリーに隠すようにもう一つのレターセットを選んだ。
「気にしなくていいのに……あら」
ドローレスは、リチャードが店にお金を落とそうとしてくれていることに申し訳なさそうにしていたが、彼の持っていたレターセットを見ると悪戯っぽく笑った。
「貴方も随分と変わったのね」
それは目の前の男に似つかわしくない、ピンク色の紙に可愛らしい猫があしらわれたレターセットだった。
「……待って、それからね。もう一つあるの」
ドローレスはさっと二つ折りにされた紙を店の引き出しから取り出した。
「これ、貴方のお兄さんから預かったのよ。結婚式にも出席できなかったでしょう。いつか会えたら渡してくれって……」
彼女の渡した紙には、リチャードの知らない住所が記されていた。
「お兄さんと一緒にご両親も町を出たの。そこが新しい住所よ。……貴方の屋敷はまだ残ってる。でもあの辺りも、今に跡形も無くなるわ」
自分達の故郷はもうすぐ跡形も無くなる。それに対して、何も特別な感情は生まれなかった。彼女もきっと同じだろう。
「……ありがとう。それじゃあ、俺たちはこれで」
受け取った住所を碌に見ることもなく、胸のポケットの奥へと仕舞い込んだ。全てが今更のように感じたからだ。
「ええ、ありがとう、またね」
ドローレスは名残惜しそうに手を振った。
「ああ、また」
お互いに、もう会うことはないかもしれないと分かっているから。
「元気でね」
「ドレーレスも、どうか元気で」
ゆったりとした話し方は相変わらずだ。
ただ、腰まで伸びていた金色に輝く髪は、肩口でバッサリと切られていた。髪を短くしている所は初めて見たが、彼女によく似合っている。目元の涙ぼくろも懐かしい。
「どうしてここに……?」
リチャードはこんなにも驚いているのに、彼女のほうはあまり動揺していないようだった。
「ここ、私の店なの」
「リチャード、私はあっちを見てるわね」
二人の邪魔にならないように、シェリーはコソッと囁いてその場を離れた。
それを見ていたドローレスが、「少し待ってて」と言って、すっと奥からコップとお菓子を用意してくれた。リチャードと、少し離れたシェリーにゆったりとした動作で置いた。
シェリーはその優雅な仕草に目が離せないでいた。皿を置くにも、音を一切立てない。ほっそりとした指先が舞うように動いている。
冷えたチョコレートドリンクと、バナナのクッキーだった。チョコレートドリンクは、あの日リチャードが作ってくれたホットチョコレートと同じスパイスの味がした。"特別なレシピ"とは、このことだったのか。
「ありがとう、すごく美味しい」
ふと、顔を上げるとドローレスがゆったりと微笑んだ。リチャードは無表情のまま、チョコレードリンクを一口啜った。
「……マックス・コールドウェル様の傘を取りに来たんだ」
「ええ、預かってるわ」
二人の間に、気まずい沈黙が流れる。先に口を開いたのはリチャードの方だった。
「ずっと、どうしているのか気になっていた」
「貴方が出て行ってすぐに、私も町を出たの。父が亡くなったと聞いて、少し前に戻って来たのよ。あの屋敷は手放したわ」
「そうだったのか、それは……」
ドローレスは何でもないことのように言うが、彼女の心情を思うと、何と言葉を掛けて良いものかわからなかった。
「それで、もうこの町には戻らないと思ったんだけど、船に乗ろうと思った時、この店を見つけたの。その頃は、まだここまで活気付いていなくてね……この辺り、随分と変わったでしょう?」
ドローレスは遠い目をして窓の外を見ていた。
「ああ、知らない町みたいだ」
「そこがいいわよね……で、ここで暮らそうと思ったの。ここからだと、船の出入りがよく見えるわ。誰か出て行っては、また誰か帰ってくる…こうしていれば、いつか貴方がひょっこり帰ってくるんじゃないかと思って」
「……ドローレス」
「そんな顔をしないで。また会えて本当に嬉しい」
「ああ、俺も君に会えて嬉しい……本当に」
静かな店内には波の音と、港で積み下ろしをしている若者たちの威勢の良い声が聞こえてくる。
「……私ばっかり話してごめんね、貴方はどうだったの?」
「ああ……上手くやってるよ」
どう話していいかわからずに、つい口が短くなるのはリチャードの悪いくせだった。ドローレスは呆れたように笑った。
「相変わらずね。でも、幸せそうで良かったわ、可愛い子ね」
振り返ると、シェリーは物珍しそうに店内をうろうろと歩き回っている。
「コールドウェルさんの娘さんでしょう、優しそうな目元がそっくりだわ」
「ああ、彼と話した?」
「ええ、彼っていい人ね。心配していたのよ、貴方のこと。何処かで私の噂を聞いたのかしら、フラッと訊ねてきての。"君が元気でいる所を彼自身が見ない限り、本当の意味で前に進めないと思う"って」
「そんなことを……」
マックスがそんなことを考えていたなんて、リチャードは全く知らなかった。
「傘は必ず取りに来るから、取っておいてくれって。まさかとは思ったけど……」
そう言って、ドローレスはようやく店の奥から一本の傘を持ってきた。傘の柄には金色の文字で"マックス・コールドウェル"と記されている。オーダメイドで仕立てた傘だ。
「はい、これがその傘よ。……あの時、貴方は私の味方をしてくれたのに、私は何も出来なかった。本当にごめんなさい」
ドローレスの表情が僅かに曇った。
「君が謝ることはない。俺の方こそ……」
言葉の途中で、ドローレスがリチャードの手をきゅっと握った。ほっそりとした冷えた手が、彼の握り締めた拳を包んだ。
「君が元気そうで良かった」
リチャードもその手の上にそっと、自分の手を重ねた。長い間、心の一部はずっと凍ったままだった。それが、今ゆっくりと溶けていくようだ。
「ええ、貴方も」
ドローレスがふわっと笑うのを見て、彼女の中でもきっと心が軽くなったのだと分かった。
「……良かったら、どれかおひとつ差し上げるわ。せっかく会えた記念に」
カウンターからドローレスが声を掛けると、シェリーは驚いたように目を丸くした。
「えっ、いいの?」
嬉しそうに微笑みながらしばらく迷っていたが、ようやく一枚を選ぶと、ドローレスに手渡した。
「……じゃあ、これを。嬉しいわ、ありがとう」
「良いのよ、包むわね。リチャードもどうぞ、選んで」
「俺はいいよ、毎日顔を合わせてるから手紙を書く相手もいないし」
リチャードはポケットに手を突っ込みながら、すっかり
シェリーの様子を見ることに徹していた。
「離れているばかりが手紙を書く理由じゃないのよ。貴方って頑固な所があるし、女心も分からないし……ケンカしたときなんかは手紙を書くといいのよ」
ドローレスの言い分に、リチャードはカチンときたようだ。
「頑固……? それに、ケンカはしない」
「あら、じゃあ貴方が一方的に小言を言うのね」
ドローレスはゆったりとした口調は崩さずに、ポンポンとリズム良く言い返す。
「ほら、これを持って行って。私のお気に入りよ、綺麗な魚でしょう」
ドローレスの差し出したレターセットは、シンプルな水色の紙に黄色とオレンジの魚が無数に泳いでいた。
「へぇ、綺麗だ。ありがとう。……あ、待ってくれ。これは買って行く」
リチャードはシェリーに隠すようにもう一つのレターセットを選んだ。
「気にしなくていいのに……あら」
ドローレスは、リチャードが店にお金を落とそうとしてくれていることに申し訳なさそうにしていたが、彼の持っていたレターセットを見ると悪戯っぽく笑った。
「貴方も随分と変わったのね」
それは目の前の男に似つかわしくない、ピンク色の紙に可愛らしい猫があしらわれたレターセットだった。
「……待って、それからね。もう一つあるの」
ドローレスはさっと二つ折りにされた紙を店の引き出しから取り出した。
「これ、貴方のお兄さんから預かったのよ。結婚式にも出席できなかったでしょう。いつか会えたら渡してくれって……」
彼女の渡した紙には、リチャードの知らない住所が記されていた。
「お兄さんと一緒にご両親も町を出たの。そこが新しい住所よ。……貴方の屋敷はまだ残ってる。でもあの辺りも、今に跡形も無くなるわ」
自分達の故郷はもうすぐ跡形も無くなる。それに対して、何も特別な感情は生まれなかった。彼女もきっと同じだろう。
「……ありがとう。それじゃあ、俺たちはこれで」
受け取った住所を碌に見ることもなく、胸のポケットの奥へと仕舞い込んだ。全てが今更のように感じたからだ。
「ええ、ありがとう、またね」
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