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第三章
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「大人がいないと何も出来ないから、淳悟にわけを話して、それで本格的にここに拠点を決めたの。元々別荘にでもしようと思って、水回りのリフォームをしたばかりだし、電気ガスはあらかじめ通っていたしね。週に一回は管理人に清掃を頼んでおいたから小奇麗でしょ。生活用品の買出しとネット環境を整えて、さぁこれから、って時に梨緒子がノコノコきたわけよ」
「ノコノコって何よ、いちいちムカツクこと言うんだから」
しかし、その憎まれ口で重苦しかった場が元に戻った。変なの。普通こんな事を言い合ったら険悪なムードになるものなのに。
学校の友達とも、こうやって会話できたらいいのにな。
「つまりは、何も進展していないってことだね。一応私なりに調べてみたけれど、模造品、って見つけるの難しくない?」
模造品は、簡単に言えばコピーだ。著作権のきれた名画のカラーコピー。安く売っているから、お金持ちに限らず誰にでも手に入る。本物でも贋作でもない。カラーコピーの品なんて世界中にいくらでもある。
もし、それをなくしても、同じものを見つけるのは難しい。何せ、元々同じものがある商品だから、どれを見ても探している本物に見えるだろう。
「梨緒子って、携帯電話もないって言っていたけど、そういうことは調べられるのね」
「お父さんに頼んで一緒に調べたの。何も知らないで、協力は出来ないと思ったから」
へぇ、と瑠々は眉をあげて唇をあげた。意外だと思ったのか、少し嬉しそうに見えた。
「勉強してきてくれたのね。話が早くなるから助かるわ。そうなのよねぇ。どこから手をつけていいか途方にくれているの」
肘をテーブルにつき、瑠々は指を組んでそこに顎をのせた。やっぱり、仕草が古い。昔のマンガみたいだ。
「『雨傘』くらい有名な作品なら、また模造品を買えばいいだけじゃない。さすがに本物は無理だけど」
疑問に思っていた事をぶつけてみた。しかし、瑠々は顔をしかめて首を横に振る。
「梨緒子は子どもね。そういう問題じゃないの。いくら流通していても、それでなくては嫌だっていう想い出の品はあるのよ」
自分より幼い顔立ちの少女に「子ども」言われると腹立たしい。けれど、言っていることが本当なら、中身は六十九才のおばあちゃんなのだ、と気持ちを落ち着かせる。まさに、私は孫の年齢なんだから。
「好きで嫁いだわけじゃないけれど、あの絵は夫が私の為に購入してくれた最初で最後のものなの。模造品だけれど、私は『雨傘』が好きだった。絵はもちろん、描かれた背景も含めてね」
描かれた背景は、家で調べてきた。
『雨傘』は、ルノワールが苦悩の末書き上げた作品。
ルノワールは、光を描く印象派の画家。
印象派とは、輪郭がはっきりしていない、ぼやかしたような作風だと私なりに感じた。色味が薄く、明るい。
しかし『雨傘』は、ルノワールが人間の豊かな内面を描きたい、と考え、描き始めた作品だった。
そのはずが、気がつけば光を追っていた。いつもの自分の作風から抜け出すことが出来ず、ルノワールは苦悩する。
半分を描いたところで、旅に出て模索した。自分のやりたいことはなんなのかと。
そうして四年の月日を経て、再び描き始めた。未完成の左側は、印象派の描き方とは違い、きっちりと輪郭をとって流れるようなタッチで描いた。異なる二つの手法で描かれた『雨傘』は、人生と通ずるのではないか――と、ネットのコラム記事に書いてあった。
向かって右側は、光で描いた少女が柔らかく微笑み、青い傘をさした女性がその姿を優しく見つめている。「傘に入りなさい」と声をかけているようだ。
左側は、傘はさしておらずカゴを持っている女性。にわか雨に少し戸惑っているようだ。
青を基調とした、光と人間の内面を描いた一枚。
迷って、悩んで、そこで生まれた新しい世界。苦悩から生まれたものは美しいと感じた。
瑠々の中身である妙さんは、ルノワールの考えに共感したのかもしれない。
目指すものがすぐに出来なかったとしても、途中で自分を見失ったとしても、信じていればきっと新しい道は見つかる。
「描かれた背景も調べてきた。瑠々が気に入ったのもわかる」
共感の言葉をもらい、瑠々は絵画の中の女性のように微笑んだ。
「わかってくれる? どんなに辛くとも、投げ出したくとも、人生は自分の手できっちり仕上げるべき。私はこの絵を見て自分を奮い立たせたの。逃げてもいい。悩んでもいい。いつか、新しい道が見つかると信じて。そうやって美しい絵に励まされ続けてきたわ」
夢見るような瞳で、瑠々は少し上の方を見つめた。
「模造品だから別のものを買い直せば良い、ってわけではないの。あの絵は私の人生そのもの」
なんだか申し訳ない気持ちで、私は肩を落とした。
「ノコノコって何よ、いちいちムカツクこと言うんだから」
しかし、その憎まれ口で重苦しかった場が元に戻った。変なの。普通こんな事を言い合ったら険悪なムードになるものなのに。
学校の友達とも、こうやって会話できたらいいのにな。
「つまりは、何も進展していないってことだね。一応私なりに調べてみたけれど、模造品、って見つけるの難しくない?」
模造品は、簡単に言えばコピーだ。著作権のきれた名画のカラーコピー。安く売っているから、お金持ちに限らず誰にでも手に入る。本物でも贋作でもない。カラーコピーの品なんて世界中にいくらでもある。
もし、それをなくしても、同じものを見つけるのは難しい。何せ、元々同じものがある商品だから、どれを見ても探している本物に見えるだろう。
「梨緒子って、携帯電話もないって言っていたけど、そういうことは調べられるのね」
「お父さんに頼んで一緒に調べたの。何も知らないで、協力は出来ないと思ったから」
へぇ、と瑠々は眉をあげて唇をあげた。意外だと思ったのか、少し嬉しそうに見えた。
「勉強してきてくれたのね。話が早くなるから助かるわ。そうなのよねぇ。どこから手をつけていいか途方にくれているの」
肘をテーブルにつき、瑠々は指を組んでそこに顎をのせた。やっぱり、仕草が古い。昔のマンガみたいだ。
「『雨傘』くらい有名な作品なら、また模造品を買えばいいだけじゃない。さすがに本物は無理だけど」
疑問に思っていた事をぶつけてみた。しかし、瑠々は顔をしかめて首を横に振る。
「梨緒子は子どもね。そういう問題じゃないの。いくら流通していても、それでなくては嫌だっていう想い出の品はあるのよ」
自分より幼い顔立ちの少女に「子ども」言われると腹立たしい。けれど、言っていることが本当なら、中身は六十九才のおばあちゃんなのだ、と気持ちを落ち着かせる。まさに、私は孫の年齢なんだから。
「好きで嫁いだわけじゃないけれど、あの絵は夫が私の為に購入してくれた最初で最後のものなの。模造品だけれど、私は『雨傘』が好きだった。絵はもちろん、描かれた背景も含めてね」
描かれた背景は、家で調べてきた。
『雨傘』は、ルノワールが苦悩の末書き上げた作品。
ルノワールは、光を描く印象派の画家。
印象派とは、輪郭がはっきりしていない、ぼやかしたような作風だと私なりに感じた。色味が薄く、明るい。
しかし『雨傘』は、ルノワールが人間の豊かな内面を描きたい、と考え、描き始めた作品だった。
そのはずが、気がつけば光を追っていた。いつもの自分の作風から抜け出すことが出来ず、ルノワールは苦悩する。
半分を描いたところで、旅に出て模索した。自分のやりたいことはなんなのかと。
そうして四年の月日を経て、再び描き始めた。未完成の左側は、印象派の描き方とは違い、きっちりと輪郭をとって流れるようなタッチで描いた。異なる二つの手法で描かれた『雨傘』は、人生と通ずるのではないか――と、ネットのコラム記事に書いてあった。
向かって右側は、光で描いた少女が柔らかく微笑み、青い傘をさした女性がその姿を優しく見つめている。「傘に入りなさい」と声をかけているようだ。
左側は、傘はさしておらずカゴを持っている女性。にわか雨に少し戸惑っているようだ。
青を基調とした、光と人間の内面を描いた一枚。
迷って、悩んで、そこで生まれた新しい世界。苦悩から生まれたものは美しいと感じた。
瑠々の中身である妙さんは、ルノワールの考えに共感したのかもしれない。
目指すものがすぐに出来なかったとしても、途中で自分を見失ったとしても、信じていればきっと新しい道は見つかる。
「描かれた背景も調べてきた。瑠々が気に入ったのもわかる」
共感の言葉をもらい、瑠々は絵画の中の女性のように微笑んだ。
「わかってくれる? どんなに辛くとも、投げ出したくとも、人生は自分の手できっちり仕上げるべき。私はこの絵を見て自分を奮い立たせたの。逃げてもいい。悩んでもいい。いつか、新しい道が見つかると信じて。そうやって美しい絵に励まされ続けてきたわ」
夢見るような瞳で、瑠々は少し上の方を見つめた。
「模造品だから別のものを買い直せば良い、ってわけではないの。あの絵は私の人生そのもの」
なんだか申し訳ない気持ちで、私は肩を落とした。
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