想い出キャンディの作り方

武田花梨

文字の大きさ
46 / 46
第六章

1

しおりを挟む
 目覚めると、部屋は光に包まれていた。
 間接照明がついたまま、オレンジの光に朝日の白が混じり、不思議な色合いになっている。
 まるでキャンディの中にいるみたいだ。
 オレンジ味のキャンディ。口の中が甘くなったような気持ちになって、私は思わず口を動かしてしまう。
 想い出を作って辛い時に舐め溶かしていけば、きっと大人になって色々な事が起きても乗り越えられる。甘い想い出が助けてくれる。
 瑠々の言葉が、頭の中で再生された。
 腕の中に瑠々はいない。開いた腕の中がすぅすぅして、少し痺れが出ていた。腕をゆっくり動かしながら、あのまま眠ってしまったのだと思い出す。
 ぼけた頭で体を起こし部屋を見渡すと、窓際に瑠々が立っていた。早起きだなぁ。
「瑠々、おはよう。時計がないから何時かわからないね」
 目をこすり、こちらを見る瑠々に挨拶をする。でも、何も言い返してこない。
「どうしたの。何か変? ヨダレ?」
 髪の毛を手グシで整えながら、私は顔を触る。しかし、瑠々は何も言わなかった。
「瑠々?」
 怯えたように、私を見つめている。それは私の知る瑠々ではなかった。
 瞬間、私はどんと胸をつかれて、崖から落とされたような気がした。
 座っているのに足元がおぼつかなくて、ふわふわとゆっくり落ちていくようだ。
 まさか、という思い。瑠々がふざけているのだ、という思い。どちらの直感を信じたらいいか分からず、私は瑠々をただ凝視した。
 私も瑠々も何も言わない。キャンディの中で、ただお互いを探るように見つめあった。
 ふざけるのはやめて、と言おうとしたけれど、そうする勇気は出なかった。目の前の彼女が、とてもふざけているようには見えなかった。この子から、私の期待する答えは返ってこないだろうな。
 柔らかいノックの音が部屋に響く。キャンディにヒビが入ったような気がして、思わず体を震わせる。そのヒビから淳悟さんの声がした。
「梨緒子さん。起きていますか」
「はい、どうぞ」
 部屋に入ってきた淳悟さんは、すっかり身なりを整えていた。顔が青ざめている。
 淳悟さんは何かを言おうと口を開いたものの、すぐに手を口にあて、顔をしかめた。苦しいものを口に含んだみたいで、吐き出したいけれどそうしてはいけないと我慢しているようだ。
 そうか、と私は悟った。
 目の前にいるのに、いなくなったしまった。
 もう一度、淳悟さんが口を開いた。私と顔を合わせようとしない。
「瑠々ちゃんも聞いてください。おばあさまが亡くなりました」
 私はただ、ベッドの上でうなだれた。三人とも涙がなかった。けれど、悲しみの深さはわかっていた。
 セミの声が遠くに聞こえる。エアコンの音が、うるさく聞こえた。
 何かしらの感情を出したら。少しでも動いたら、泣いてしまいそう。私は何も考えないようにした。
 だけど、瑠々は私の中から消える事はない。
 カレーの味。カスクールの味。水ようかんの味。
 緑のにおい。ミントのにおい。火薬のにおい。
 青い傘。紫色の手ぬぐい。オレンジ色のナイトウェア。部屋の隅に転がる白黒のサッカーボール。
 サッカーしようって言ったのに。私が教えてあげられる事ってそれくらいしかなかったのに。
 約束を守らないなんて、瑠々らしくないじゃない。
 でも平気、こうなるってわかっていたから。傷ついたりしない。
 覚悟していたもの。
 わかっていて、この短い夏を過ごしたんだ。だから大丈夫、落ち込んだりしないよ。
 しかし、その私の思惑を無視するかのように瑠々が……本物の瑠々ちゃんが私の手を握った。そのあたたかさは瑠々と一緒。中身が変わっても、体は一緒だから当たり前なのだけど。
 瑠々ちゃんを凝視すると、恥ずかしそうにうつむいて、振り絞るような声で言った。
「おばあちゃま、言っていたの。梨緒子のこと頼むわって。だから、その」
 震える手で私の手をつつむ。でも、目を合わせてはくれない。いつだってこの顔は自信に溢れた顔で、挑戦的に私を見てきたのに。
 瑠々はどちらにも「頼む」って言うんだから。しかも、この子は私より先に気持ちを立て直して励ましてくれる。
 どっちの瑠々も凄い。私は情けなくて悲しくて、涙が溢れた。また助けられてしまった。私はいつも、そこにいるだけでなんの役にもたっていないのに。楽しい話をするわけでも、気の利いた事が出来るわけでもない。ワガママで、口ばかり達者で、思った事が顔に出るだけ。
 グリ、と口の中がきしんだ。食いしばった奥歯が痛い。
 何も出来ない、してあげられなかった。
 その気持ちが読まれたみたいに、瑠々ちゃんはさらに口を開いた。
「梨緒子のおかげで、美味しいキャンディ作れた、ここにいてくれてありがとうって。おばあちゃま、そう言ってました」
 涙を堪えて、弱弱しい声ながらも瑠々ちゃんは私を励ましてくれた。
 あの人は、私の事をわかってる。悩みの種がなんなのかわかっていて、フォローまで用意してくれている。
 傷ついていないなんて、嘘だ。
 平気なフリして、見ないようにしていた。見てしまったら、それと向き合う強さが私にあると思えなかったから。
 花火の時。瑠々は「最後まで見届けて」と言った。
 きちんと向き合って欲しいと願った。私はそれを放棄した。やりたくないって駄々をこねて。
 瑠々も無理強いはしなかったけれど、本当は最後の線香花火を一緒にしたかったのだろう。
 キャンディではふさぎきれないヒビはどうしたらいいの? これも、いつかは甘い想い出がふさいでくれるの?
 無理だと思う。
 涙も声も鼻水も、どんどん溢れて止まらない。鼻も喉も、焼けるように痛く、まぶたは誰かに押されているみたいに重い。こんな想いは一生癒されないに決まっている。
 瑠々ちゃんも淳悟さんも、一緒に泣きながら、肩を抱きながら悲しんだ。部屋の空気がなくなるくらい、いっぱい泣いた。誰かが亡くなって泣くという経験は初めてだった。
 瑠々はこんな想い出までをも残した。悲しい感情なんていらないのに。どうせ、これも大人になるための準備とか言うんでしょ。
 さようなら、私の大好きな友達。
 星になって、悪い大人にならないように監視し続けてね。
 新しい友達を残してくれてありがとう。
 ぎゅう、と私は瑠々ちゃんの手を握った。そうすれば、空から監視しているあの人にこの気持ちが届くと信じて。


   終わり
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...