春風ドリップ

四瀬

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第六話 憧憬

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あの花火大会の日から、およそ二週間ほどの時が流れていた。

気持ちは分からなくもない。以降、何も彼からアクションがなかったことには、一定の理解を示しているつもりだ。

私も、どんな顔して話しかければいいか……未だに分からないから。

「えっと……お久しぶりです……香笛さん」

だから私は、言葉に詰まってしまった。

用意していた台詞なんて、まるでなかった事がここで露呈する。

唐突に現れた彼に、私はただ硬直することしか出来ず。

「て、店長……?」

異変を感じたのか、隣の沢崎さんが不安げな様子で私に問いかける。

「……あ、いえ。お、お久しぶりです」

動揺した様子を隠そうともせず、私は彼の前にアイスコーヒーを置く。

「お、お待たせしました……アイスコーヒーです」

「あ、ありがとうございます」

コースターの上に置かれたグラス、氷が軽い音を立てて揺れる。

気付けば、全員が沈黙していた。

いや、これは伊田俊樹が来店してから恐らくずっと……。

不良少女達が私と彼を交互に見やる。

小さな声で、何者だコイツ……なんてどこからか聞こえてくるが、私は無視を決め込む。

そんな中、沈黙の空気を破ったのは沢崎さんだった。

「おいテメェ、何店長にガン飛ば──」

「沢崎さん」

「……はい」

私の冷淡かつ鋭い一声に、思わず萎縮し姿勢を正す沢崎さん。

「あー……前に来たときはいなかった気がするけど、新しい店員さん……ですか?」

一生懸命、話題を探った結果なのだろう。話の矛先は、沢崎さんに向けられた。

「は、はい……えっと、今日から一緒に働くことになった沢崎さんっていいます」

それに私も便乗し、流れるように彼女の紹介を始める。

「沢崎真夜っていいます、よろしく……お願いします!」

私の表情を窺いながら、どこか引きつった顔で、不器用に敬語でそう返す沢崎さん。

「あ、えっと伊田俊樹っていいます、よろしく……」

何とも言えない気まずさの中、繰り広げられる自己紹介。

ああ、胃が痛くなってきた……。

「そ、それにしても今日はお客さんが多いんですね」

周りを見渡し、そう呟く彼。

「あ、こいつら皆俺のツレなんで」

「よろしくっす!!」

沢崎さんに紹介され、店内に居る不良少女達が一斉に挨拶をする。

その迫力に圧倒され、たじろぎながらも挨拶を返す伊田さん。

「そ、そうかじゃあ別に何でもなかったんだね……」

「……何でもなかった、とは?」

小さく呟いた彼の言葉に、つい反応する。

「あ、いや……てっきり……」

言いにくそうに、そこから先の言葉を濁す伊田さん。

そこまで聞いて、流石に察した。どうやら彼は、私が柄の悪い人達に絡まれている……と外から見て思ったのだろう。

「それは誤解ですよ。彼女達は見た目や口調こそ粗暴ですが、根は悪くありません。それこそ、さっきまでお店の手伝いをしてくれていましたし」

「そ、そうだったんですね……」

それを聞いて、安心した様子をみせる伊田さん。

「それより……今日はどういった用事でいらしたんですか?」

──出来る限り自然にさりげなく、私は一番聞きたかった話の本質に触れた。

「えっとですね……」

その言葉に、頭をかきながら言い淀む伊田さん。

気付けば私だけでなく沢崎さん、不良少女達までもが黙り、固唾をのんで見守っている。

「ま、まずは連絡が出来なくてすみません」

「い、いえ……」

「実は部活漬けで忙しく……香笛さんの連絡先も知らなかったので、今日まで音沙汰ない状態が続いてしまいました」

「な、なるほど」

私の言葉に続いて、沢崎さんと不良少女がうんうんと頷く。

「その、それでですね……もし良かったらなんですが、連絡先を教えてください!」

意を決して私に頼み込む伊田さんの姿に、不良少女達から黄色い歓声が湧き上がる。

沢崎さんは真っ赤な顔を両手で覆い、指の隙間からこちらを見ていた。

どうやら、こういったやり取りに耐性がないようである。

念のため言っておくが、私も耐性があるわけではない。

「えーっと……」

どう答えるべきか思案してると、不良少女達から強い目線が注がれる。

全員が沈黙し、ただただ私に期待の眼差しを向ける彼女達。もちろん沢崎さんも例外ではない。

「は、はい……わかりました」

「ありがとうございます!!」

絞りだすように発した私の返答に、分かりやすく喜びながら早速スマホを取り出す伊田さん。

周りの不良少女達から、再び沸き立つ黄色い歓声。

覚束ない手つきで私もスマホを取り出し、ぎこちなく連絡先を交換する。

それから、ありふれた会話を少し交わした後、伊田さんはこれから部活があるという事で、いそいそと会計を済ませ、店を去って行ったのだった。

──そして、再び店内が沢崎さんと不良少女達のみになる。

「ちょっとなんすかー春風姉さん! あんな色男捕まえてー!」

「スミに置けないっすねえー!」

「で、店長! あの男は店長の何なんですか!?」

当然とも言うべきか、待っていたのは全員からの質問攻めだった。

「う、うるさいですよ」

「へへっ! そんなこと言っても全然怖くないっすよ春風姉さん!」

「で、あの色男とどんな関係なんすか? 聞かせてくださいよー!」

「べ、別に……ただの友達ですが」

皆に囲まれながら、私は精一杯淡々と、何でもない様子を装って答える。

「いやいや! ただの友達の間に流れるような空気ではなかったっすけど!!」

「あの色男の反応からして、絶対春風姉さんにホの字っすよね!?」

「し、知りません」

周囲からの熱視線と迫力に圧倒されつつ、気恥ずかしさから頬を赤らめる。

「というより、何で皆さんそんなに興味深々なんですか。揃ってそういう話、興味なさそうな雰囲気出してたじゃないですか」

「だってうちのリーダー、メンバー含めてそういった浮いた話がないんすもーん! うちら硬派気取ってますけど、実は縁がないだけで、恋バナに飢えてるんす!」

そんな爆弾言葉に、他の不良少女達も強く頷く。最初の粗暴さと取っつきにくさが嘘のように、彼女達の目はキラキラと輝いていた。

そこに硬派を気取る不良の姿はなく、あるのは恋バナを楽しむ純粋な乙女達の姿で。

「お、お前ら……!」

そんな仲間達の本音に、沢崎さんは怒りにも似た感情で身体を震わせる。

しかし、結局この人も私の話に興味津々であることは既に分かっている。

だからなのか、沢崎さんがそれ以上彼女達に言及することはなかった。

──そして、矛先は私に向けられることに。

「……で、店長、説明してくれるよな?」

嬉々とした眼差しを私に向け、そう回答を求める沢崎さん。

……結局、あなたもそっち側に回るんですか……。

「はぁ……わかりましたよ、もう」

観念した私は、これまであった出来事を話すことに。

──だが。

「教えますけど、この後閉店まで、お店手伝ってもらいますからね」

そんな私の発言に、容易いと言わんばかりに強く頷く彼女達。

転んでも、ただでは起きないのが私である。

最終的に、自身の少し恥ずかしい青春の一ページを披露して、タダ働き要員を獲得したのだった。







「いやー……いいなぁ……青春」

しみじみと、噛み締めるように呟く沢崎さん。

時刻は十九時、日も暮れすっかり夜になっていた。

あれから私の話を聞いた彼女達は、すっかり私を春風姉さんと呼び慕い、沢崎さんですら店長ではなくそう呼び始める始末。

そして現在の沢崎さんみたく、口を開けば恋っていいな、青春っていいな……と呟くようになってしまい。

「いつまで言ってるんですか……」

そんな私のぼやきに、キッチンで洗い物をしている不良少女が抗議する。

「そりゃ春風姉さんにしてみたら、なんてことない出来事かもしれないっすけど」

「いや、なんてことないわけでは……ないですけど」

私だってあんな出来事は初めてである、今まで生きてきてこんなイベントはなかったと言っても良い。

「花火……まるで少女漫画みたいなシチュエーション! はぁ……良いなぁ」

窓の外を見ながら、思わずため息をつく沢崎さん。

「意外と乙女なんですね、沢崎さん」

悔しくなってきたので、からかうように呟いてみる。

「わ、悪いかよ……お、俺だってそういうのに憧れたりしても……良いだろ」

顔を紅潮させながら、そう答える沢崎さんに、つい可愛げを感じてしまう私。

「ま、リーダーは腕っぷしが強いから、中々相手にされないんすよ」

「自分より強い彼女なんて、男のプライド粉々っすからねー」

「う、うるせーお前ら!」

そんなどこか平和な会話を交わしながら、店内の掃除や接客、雑務をこなしていた。

──そして、現在客足が途絶え誰も居ない中、見知った顔が店の扉を開ける。

「あ……あれー……はるちゃーん……だ、大丈夫……?」

そこには、恐る恐る扉をゆっくり開け、店内に入る武藤さんの姿。

店の正面に停められた複数のバイクと、およそ店内には多すぎる不良少女達。

常連である武藤さんが怯えるのも、無理はない。

「──お疲れ様です、武藤さん」

「は、はるちゃん!」

私の姿を見て、とりあえず安心した表情を見せる。

「えっと、も、もしかしてこの子達が昨日言ってた……?」

「厳密に言うと、新しく入ったのはこの沢崎さんで、他の方はこの人の取り巻きみたいなものです」

不良少女達の文句なんて意に介さず、武藤さんにそう紹介する。

「は、初めまして沢崎真夜って言います! 今日から働くことになりました!」

「あ、初めまして……武藤愛って言いますー……」

凄くよそよそしい様子で、自己紹介をする武藤さんに、思わず笑いそうになる。

「えっと、沢崎さん。この人がさっき話していた、常連の武藤さんです」

「よろしくお願いしまっす!!」

不良少女達が、威勢よく武藤さんに挨拶をする。案の定、迫力に圧倒されていた。

「──あ、春風姉さん洗い物終わりやした!」

「あ、ありがとうございます」

「は、春風……姉さん……?」

聞き慣れない単語が耳に入り、訝しげな眼差しを私に向ける武藤さん。

「いや、これは彼女達が勝手に呼んでるだけで」

「えっと、そこのあなたは……どうしてそんな呼び方を?」

「え、うちらは春風姉さんの傘下に入りましたから。当然っす!」

「さ、傘下……?」

「ちょっと待ってください。私も知らない情報が出てきたんですが」

「え? だってリーダーは春風姉さんの部下なんですもんね? そしたら姉御の舎弟であるうちらが、傘下に入るのは当然っすよね?」

「ああ、問題ないな」

「いやありますよ! 私を無視して変なことを言わないでください」

私が欲しかったのはバイトの後輩であり、舎弟ではない。

「は、はるちゃん……見ない間に、すっかり大人になって……」

わざとらしく涙を拭くような素振りをしながら、そんなことを言う武藤さん。

「武藤さんも、意味不明なことを言わないでください!」

ついムキになって声高らかに突っ込む。今日はずっと取り乱されてる気がする……。

「と、とりあえず順を追って説明しますので……」

──そうして、やつれた表情を浮かべつつも、今日の出来事を武藤さんに説明することに。




「えー! 来たの!? あのはるちゃんをたぶらかした男が!?」

「そうなんすよー! うちらの目の前で連絡先聞いてましたから!」

「キャー! 何その新展開っ詳しく詳しく!」

全てを理解した武藤さんは、沢崎さん含む不良少女達と意気投合し、やがて店内は大きな女子会と化していた。

「……はぁ」

ミニドリップの店内を包む浮ついた空気に、思わず何度目かのため息を漏らす。

いや、あの武藤さんのことだ……最初からこうなることは分かりきっていたじゃないか。

これは、武藤さんが来る前に彼女達を帰さなかった、私のミスだ。

「──そんなことがあったなんてー! あーん私もその場にいたかったー!!」

「愛姉さん的にはどうですか、ああいう男は」

気付けば愛姉さんと呼ばれ慕われている武藤さん。

「うーんそうだねぇ、花火大会の時に手を出してこない辺り、まあまだ許せるってとこかな」

「な、なるほど」

「で、でも愛姉さん! 打ち上げ花火を見ながら告白をしないなんて、臆病者じゃないっすか?」

一人の不良少女が武藤さんに異を唱える。

「ふふん、それは違うわ。確かに乙女としては憧れるシチュエーションの一つではあるけど、実際は花火の音と周りの喧騒で全然聞こえないからナシなのよ!」

「お、おおー……確かに!」

「それに、やっぱり告白されるなら……二人きりが良いじゃない?」

「確かに!!」

武藤さんの発言に全員が同意し、大いに盛り上がる。

「流石愛姉さん!! やっぱモテる女性の意見は違うっす!!」

「うちも愛姉さんみたいに、綺麗で胸が大きかったらなぁ……」

「ふふ、容姿に対する努力を欠かさないことが秘訣よ。皆、可愛いんだから今からでも遅くないわ!」

「バイクとかも良いけど、自身にお金を使ってみてはどう? それはそれで、また違う日々が待っているかもよ?」

「別にね、美容に気を遣うことは男のためでも、誰のためでもないのよ。そう、誰のためでもない……自分自身のためなんだから!」

そんな武藤さんの自己啓発セミナーみたいな台詞を、真剣な眼差しで聞いている不良少女達。

何か、思うところがあったのだろう。沢崎さんですら、真面目に聞いている。

「…………」

武藤さんの言葉が皆の心に響いている中、私だけは違った。

ああ、教えてあげたい……その人も、実は色恋沙汰に縁がない人間の部類だという事を。

己を磨きすぎた結果、逆に相手にしてもらえないという悲しさがあるという事を。

「何かね? そんな失礼な目をこっちに向けて」

察しの良い武藤さんが、私の視線に気付きそんなことを言う。

「いえ、別に……」

武藤さんの威圧に、目線を逸らす。

「それより、はるちゃん」

「……はい?」

気付けば、武藤さんを取り囲む不良少女達さえもが、私に視線を送っていた。

「──送るんだよね? この後、例の彼にメッセージを!」

「い、いやそれは……」

「何よ、金? 金が欲しいのね!? イベント参加料を取るっていうのね!?」

「言ってません言ってません」

「ふっ……社会人の課金力を舐めるんじゃないわよ!」

私の台詞をよそに、そう言いながら自身の財布を取り出す。

高らかに掲げられた薄桃色の高そうな財布が、暖色のライトに照らされ輝いている。

武藤さんを囲う不良少女達から、感嘆の声が漏れた。

「手始めに、一万円課金しましょう」

スッとカウンターに差し出される、最高額の日本銀行券一枚。

「待ってください、すぐにスマホを持ってきます」

一つ返事で、私は武藤さんにそう返すのだった。

決して、課金力に負けたわけではない。あくまでも皆が望むから、空気を読んだだけだ。

そう──自分に言い聞かせながら私は、皆の前で、伊田さんとのやり取りを始めるのだった……。
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