春風ドリップ

四瀬

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第五話 新人

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「──で、その子は明日からここで働くの?」

どこか心配そうな声色で、私にそう問いかける武藤さん。

面接を終えてから、数時間後の現在。

時計は十九時を示す頃、早速来店した武藤さんに新人の話を持ち掛けてみた私。

「はい。面接してみて、悪い人間ではなさそうだなって思えたので」

「うーん……でも、はるちゃんから聞いてる感じ、結構やんちゃそうだけど平気?」

最初こそ、新メンバーに喜んでいたものの、詳しく彼女の説明をしたらこの有様である。

「ちょっと口調が荒かったり、服装が乱れてたりするくらいですし……。これ位なら、問題ではないのかな、と」

「──っていうか。そもそも人見知りなはるちゃんが、その子に仕事を教えられるのかが心配だよ……」

「そ、それは……善処します」

どこか明後日の方向を向きながら、私は細々と呟いたのだった……。




翌日──ミニドリップ 店内



「き、今日から世話になる! よろしく頼む!」

ミニドリップの正装を纏い、どこか上ずった声で、緊張しながらもそう挨拶する沢崎さん。

現在は朝の八時。昨日の面接から一夜明け、今日から彼女もこのミニドリップで働く。

武藤さんは最後まで心配をしていたが、そんなものが杞憂であったと思い知らせるためにも、私がここで上手くやらねば。

「昨日お伝えしたかもしれませんが、私がこのお店の店長代理なので、沢崎さんの指導は私が行います」

「お、おう! よろしく頼む!」

「仕事を通じて、沢崎さんには敬語を使えるようになってもらう必要があります。 接客業にとって、敬語は絶対必須だからです。いいですね?」

真面目な表情で、淡々と語る私。沢渡さんも真剣に聞こうと意識を向けてくれているようで、しっかりと私の目を見て頷いていた。

「お……じゃなかった、はい! よろしくお願いする」

「惜しい、よろしくお願いします……が正解です」

「よ、よろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いします。ちなみに、今は慣れさせるためにわざと敬語を使わせていますが、基本私には使わなくても良いですよ、同年代ですし」

そう言いながら、空いている座席に座らせる。

ミニドリップの正装である、黒のエプロンと白いワイシャツ、そして黒いスカート。

ちょうどサイズがあったため、黒いスカートとエプロンを彼女に貸与《たいよ》する。

ワイシャツは持ってきてもらい、現在それらを合わせて着てもらっている。

私と同じ格好の、同世代の女の子……なんというか、それだけでちょっと嬉しい。

「さて、まずは何からやりましょうか」

敬語も大事だが、他の業務も覚えてもらわなくてはいけない。

「何か、得意なことはありますか?」

「得意なこと……ですか。そう、ですね……お喧嘩とか」

「……『お』を付ければ、何でも敬語になるわけではありません」

喧嘩をまるで「お琴」みたいに言うんじゃない。

「そ、そうなのか……これは……えーっと失礼しました!」

私の冷静な返しに、たどたどしく敬語で謝罪をしようとする沢崎さん。

「とりあえず、喧嘩が得意なことはわかりました。他にはあります?」

「い、いやこれといって特には……」

頭をかきながら、か細い声で答える。

「で、では基本中の基本、掃除から始めますか」

流石にいたたまれなくなり、私は少し早口気味で沢崎さんにそう言うのだった。







ある程度掃除のやり方から、場所、コツ等を教え、早速やってもらうことに。

キッチン周りの支度をする私と、一生懸命掃除に励む沢崎さんの姿。

真面目に取り組んでいる様子を見ながら、私は感心していた。

正直、もしかしたら……真面目に話を聞いてくれないんじゃないか、まともに仕事をしてくれないんじゃ、という気持ちを、僅かながら持ち合わせていたからだ。

ところが、素直に指示を聞き、真面目に業務に取り組む。これはもしかしたら、良い人材を得たんじゃないだろうか。





――なんて思っていた時期が、私にもありました。

「おいテメェ! あんま舐めた口聞いてっと、どうなるか分かってるんだろうなァ!?」

「な、なんだね君は! 客に対してなんて口の利き方だ!!」

客の胸倉を掴みながら怒鳴り散らす沢崎さんと、負けじと抗議する男性客。

――話は少し前に遡る。

開店準備も終わり、早速お店を開くと一人の男性客が来店した。

最初という事もあり、私が接客をしたのだが、相手の男性客は終始無愛想な様子。

そこまでは、別段おかしいこともない。もっと言えば、よくある光景ですらある。

……事件は、この後だ。

注文したブレンドコーヒーを沢崎さんが持っていったのだが……。

「ご、ご注文のブレンドコーヒーだ」

「……何だね、この店は。まともに敬語も話せない従業員を雇っているのか」

沢崎さんの口調に、難癖をつけ始める男性客。

その言葉に、沢崎さんの眉間がぴくっと反応した。

「はぁ……このお店も落ちぶれたもんだな。こんな敬語も使えないガキと、無愛想なガキが店を回してるだなんて。一体店長はどこに行ったのやら」

「……おい、テメー」

低い声で、小さく呟く。

「……なんだ? コーヒーを置いたら早く去れ」

そんな沢渡さんを意に介さず、適当にあしらう男性客。

瞬間――彼女の手が男性客の胸倉を掴み、強制的に椅子から立ち上がらせた。

「おいテメェ! あんま舐めた口聞いてっと、どうなるか分かってるんだろうなァ!?」

「な、なんだね君は! 客に対して、なんて口の利き方だ!! 私は客だぞ、このクソガキ!」

──と、今に至るわけで。

男性客の抗議など一方的に無視し、そのまま背負い投げのように男性客を床に叩きつける。

「っ──!!」

背中を打ち付け悶絶する男性客。平均的な体型の男性を、ここまで容易く投げれるとは。

そしてそれを合図に、ぞろぞろと入口から数人の武装した女の子が押し入ってくるではないか。

マスクをし、バット、チェーン、あらゆる武器を持った金髪の少女達。

「ちょ……えっ……」

いきなりのことに、私も動揺を隠せない。

「姉御っ! どうしますかコイツ」

……もしかしなくても、沢崎さんの仲間のようだ。

「こいつには、きっちり落とし前つけてもらわねえとな」

「ひっ──!」

「……ちょっと」

思わず、低く小さな声で私は口を挟む。

「なんだお前! あたしらのリーダーに──」

下っ端の台詞を、沢崎さんが制止する。

「悪い、俺の仲間が失礼を……」

その言葉に、彼女の仲間達がざわつく。

「いや、そんなことはどうでもいいです。それより、何してるんですか」

「そ、それはこいつが人をバカにするような台詞を言ったから……」

「言ったから、投げ飛ばしていいんですか?」

冷静に、そして淡々と、彼女に問う。

「馬鹿にされたから、貶されたから、否定されたから……だから、暴力を振るってもいいんですか?」

「だ、だって舐められっぱなしじゃ……!」

「だから、何だと言うんですか」

少しも耳を貸さず、沢崎さんの言い分を一蹴する。

「何があろうと、暴力が正当化されるようなことはありません。人の痛みが分からない人間ほど、すぐ暴力を行使する。私は人を簡単に貶す人間が嫌いです、でもそれ以上に……暴力を振るい、傷つける人間が嫌いです」

「そ、それは……」

「あなたは今、このミニドリップの一員として働いています。ここにいる以上は従ってもらいます、そこに是非はありません」 

「は、はい……」

冷淡に、ただ静かに人を射殺すような眼差しを彼女に向け、有無を言わせない。

「──うちの従業員がお客様に不手際を働きました事、深くお詫びします」

そう言い、男性客に深々と頭を下げる。

それを聞いた男性客は、ゆっくりと立ち上がり悪態をつきはじめる。

「ま、全くだよ! こんなことしておいて、タダで済むと思うなよ! お前ら全員警察に突き出して──」

「それは構いませんが、もし……警察に行くのであれば、相応の覚悟をしておいて下さい。 これは、脅迫ではありません。 私も、警察に話すだけです……色々と」

「ぐっ……ふ、ふん! 金は払わねえからな!」

そう捨て台詞を吐いて、いそいそと荷物を抱え店から出ていく男性客。

ドアに付けられているベルが、静かな空間に鳴り響く。

「……申し訳、ありませんでした」

沈黙の中、先に口を開いたのは沢崎さんだった。

「リ、リーダー……」

深く頭を下げ、謝罪の意を見せる沢崎さんに、再び取り巻きの少女達がざわつく。

「……はぁ。まだ、開店して三十分も経ってないんですけど」

ため息をつきながら、そうぼやく。

「……でも、今回のことに関しては、私もムカつきましたし。投げ飛ばした時、正直スカッともしました、ええ」

しれっとあの男性客に、無愛想なガキ呼ばわりされたことは、もちろん忘れていない。

「ですが、さっきも言ったように私は暴力が嫌いです。暴力で解決しようとする人が嫌いです。今後は絶対に、手を出さないように」

「そ、それってつまり……」

「ぼさっとしてないで、早く片付けますよ」

「あ、ああ! すぐに片付け――じゃなかった、片付けます!」

「リーダー! 私達も手伝いますよ!!」

沢崎さんの言葉に、取り巻きの少女達も続いて片付けを始める。

「あの、狭いからあなた方には帰ってもらいたいんですけど……」

小さな声でそう呟くも、残念ながら誰も聞いてはいなかった。





午前中のひと悶着から少し経ち、現在はちょうど正午。

取り巻きの不良少女達は、償いと称し外の清掃に励み、沢崎さんはたどたどしくも、なんとか接客をこなしていた。

──まあ、こなしていたと言っても来たお客さんは、たった一名だが。

ここまで少ないのは恐らく、店の前に駐車されている複数台の改造バイクのせいだろう。

そして、入り口を清掃している不良少女達も相まって、いつも以上に客足が遠のいている。

しかし沢崎さん一人の給料で、十人ほどの仕事量がこなせているって考えると、中々文句も言い辛い。

「──もう正午ですし、外で掃除してくれている皆さんも呼んで、お昼休みにしましょう」

「りょ、了解しました!」

休憩と聞いて、嬉しそうに外の仲間達に声をかけに行く沢崎さん。

「はぁ……賄いの準備でもしますか」




やがて、練習をしたいこともあり、ナポリタンを人数分作り始めようとする私。

店の席はほぼ不良少女達で埋まり、各自私に差し出されたドリンクを飲みながら、談笑に興じている。

こんなに店内が騒がしいのは、何年振りだろうか……。

なんて思いながら支度していると、ふいに沢崎さんから話しかけられた。

「店長、もしかしてナポリタンですか?」

「ええ、そうですが」

「俺、ナポリタンくらいだったら作れますよ!」

「へぇ……ナポリタンくらい、ですか……」

中々父の味を超えられない私にとって、それはもはや禁句ですらあった。

「そこまで言うのなら、作ってもらってもいいですか?」

「了解です! さっき迷惑をかけてしまったことのお詫びも含めて、作らせていただきます!!」

私と入れ替わり、早速キッチンにて調理を始める沢崎さん。

私は居場所がなくなったので、仕方なくカウンターへ出ることに。

すると、金髪の似合う一人の少女に話しかけられた。

「あ、姉さん! お疲れ様です!!」

「いや、えーっと……とりあえず、その呼び方を止めていただけると」

「いえ! 姉御が慕う人ですから!! それにさっきの言葉、あたしスゲー感動したっす!」

「や、止めてください恥ずかしいので……。それに、私はただの雇用主であって……」

「細かいことはあたしら頭悪いんでわかんないっすけど、姉御より上の立場ってことっすよね?」

純粋な眼差しで、そう問いかけられ私は黙り込む。

駄目だ、どうやっても弁解が出来そうにない。

「……とりあえず、私の名前は香笛春風。 このミニドリップの店長代理、それ以上でもそれ以下でもないので……」

「わかりました、春風姉さん!」

「……もう好きにして下さい」

こうして、私は一歳下の不良少女達から慕われることに。

人見知りが激しい私にとって、後輩というものは何とも扱いづらいタイプである。

──やがて、沢崎さんが完成したナポリタンを全員に配膳する。

カウンターにて待つ私の前にも、皿に盛られたナポリタンが配られた。

「ふむ……見た目は完璧ですね」

ケチャップの淡い酸味と、炒められたことによる香ばしい匂いが、鼻孔をくすぐる。

刻まれた野菜も綺麗な形をしており、今の所悪い点が見当たらない。

「さ、店長! お待たせしました!」

「見た目は完璧ですが、肝心なのは味……ですからね」

どこか小姑の様な台詞を吐きながら、意を決して食べ始める。

「…………」

「ど、どう……でしょうか」

「……ふむ……」

口の中に広がる味を噛み締めながら、私は次に吐く言葉を思考する。

「ん…………」

間髪入れず二口目、三口目……食べ続ける。

何だこれは……私がいくら作っても、こんなに美味しくならなかったのに。

無言で食べ続ける私を、沢崎さんは緊張した様子で見守る。

……そして、私はゆっくりと口を開いた。

「……美味しい」

「良かった! 店長にそう言ってもらえて嬉しいです!」

「当たり前っすよ! リーダーのナポリタンは絶品なんですから!」

周りの不良少女達が一様に同意する。どうやら、彼女達の中では常識のようだ。

「非常に悔しいですが、私が作るよりも美味しいです」

「そ……そこまで褒められると……へへっ」

どうやらまんざらでもないようで、照れながらも嬉しそうな沢崎さん。

「本当に悔しいですが、今日からこのお店の料理担当は沢崎さん、あなたになりました」

「え、ええっ!?」

「さっすが姉御! 初日にしてキッチンの座を奪うなんて凄いっす!」

「初日にして暴行事件も起こしてますけどね」

悔しかった私は、意地悪にそう呟く。

「て、店長ー……」

痛い所を突かれ、思わずたじろぐ沢崎さん。

「まあ、頑張ってください」

からかうようにそう言い、私は食べ終えた皿を持ってキッチンに入るのだった。

――その時。

唐突に、来店を知らせる入り口のベルが店内に鳴り響いた。

突然の来客に、不良少女達がざわついている。

「すみません、沢崎さんお客様の対応をお願いします」

皿を洗っていたこともあり、彼女に接客を任せる。

「は、はい──いらっしゃいませお客様、えっと……こちらのカウンター席にどうぞ」

スポンジで皿を洗いながら、聞こえてくる沢崎さんの言葉に安心する私。

まだ、たどたどしさは残っているが、どうやらちゃんと接客が出来ているようだ。

「はい、アイスコーヒーですね。少々お待ちください」

「……アイスコーヒーね」

洗い物を終えた私は、すぐさまアイスコーヒーの準備に取り掛かる。

ちょうど冷蔵庫にストックがあったので、グラスに注ぎ氷を入れ、カウンター席へ持っていく。

「お待たせしまし……」

言い終えるより早く、私はお客様の正体に気付いてしまい言葉に詰まってしまう。

「お、お久しぶりです……香笛さん」

どこか気恥ずかしそうに、挨拶をする男性。

「い、伊田さん……」

言葉に詰まるのも無理はない。そう、あの花火大会からすっかり音沙汰がなかった──伊田俊樹がそこにいたのだから。
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