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13 公爵領のコムギ騒動③ ~三日目
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声にならない悲鳴が内から湧き上がり続けている。
マリサはグレイスに乗って飛行中。
ちなみに、後ろに跨っているライアンに、思いっきりしがみついている状態だ。
ライアンの腰が引き締まっていて逞しいとか、がっしりした胸板をしているといった、観賞に浸る余裕など一切なかった。
あっと言う間に森を飛び越えて、今までは見えなかった山脈が遠く見えてきたが、装着したゴーグルの奥のマリサの瞳は瞑ったままだ。
空を飛ぶ神馬と言ったら聞こえはいいが、命綱もシートベルトも何もない吹きさらしの状態なのだ。高所恐怖症のマリサは、目を開けた瞬間、己が失神するか絶命してしまう未来が容易く想像できた。
グレイスは上空をマッハのスピードで駆け抜ける。
今回はマリサを気遣い、半分以下のスピードで飛んでいる上、風圧等を緩和する魔法をライアンがかけてくれたようだが、マリサには気休めにすらならなかった。
マリサは半ばパニックに陥りながら、内心首を捻った。
(なんかおかしくない? ここ、箱庭ゲームの世界よね。なのに、魔法があるじゃない。ライアンさん、収納魔法持ちだし、それに、聞き流しちゃったけど、我が精鋭の魔術部隊がなんちゃらとも言ってたし……)
「……箱庭に+剣と魔法の世界? それとも、剣と魔法の世界に箱庭をトッピング?」
マリサの呟きは風にかき消された。
よく考えれば、マリサも収納魔法みたいなものを持っているのだ。
アイテムボックスがそれだ。出発前に、収穫した野菜をアイテムボックスに収納したばかりだった。
(うーん、アイテムボックス「収納魔法」は箱庭ゲームにもあるものだよね。だけどよく考えたら、箱庭ゲームの世界に、ペットのランクとか強さがあるのってちょっと変よね。変と言ったら農場が襲われるって設定もだけど……)
剣の方はさておき、憧れの魔法の世界だというのに、嬉しいどころか胸の中は、恐怖と不安が渦巻いている。
「マリサ嬢、森を越えたからそろそろ農場が見えてくるぞ。着陸に備えて舌をかまないよう口は閉じたままでいたまえ」
マリサはうんうんと頷いた。
(ううっ、やっと地面に戻れる……。でも着陸怖い。シロリン助けて~。私のおばかっ、なんでグレイスに乗ってしまったの。ポイズンバッタってなんなのよ、キモすぎっ。無理無理無理無理っ。野菜でも何でもさっさと差し出して、シロリンに穴を掘ってもらって隠れちゃえばよかった。ぐすん、ライアンさんの人でなし……)
もはや支離滅裂だが、ライアンに、『グレイスに乗ってみるか』と聞かれて、目がハートになり食い気味で、『はいっ!(右腕をびしっと挙手)』と答えたのはマリサ自身なのだ。
「よしっ、着陸するぞ」
真っ逆さまに落ちていく恐怖感は、高校生の頃友人に、『えー、怖いとかないない。さいっこうに楽しいって』と騙されて乗ってしまったジェットコースターをゆうに上回った。
(私、この世界とサヨナラするのね……ああ、シロリンをもう一度モフりたかった……)
ふつり、とマリサの意識が途切れた。
一方シロリンの方は、ロバジイの荷車にロバのトニトを乗せて、森を迂回しながら「ワッホ、ワッホ♪」と猛スピードで牽引していた。
マリサの意識が浮上したのは、母とその息子、レアとアレイが管理している農場内の木に括られたハンモックの上だった。
さっきからひっきりなしに、首から上が生暖かい何かで拭われている。
「はっ、ここ、どこ?」
目覚めたら、頬をリフトアップするかのごとく大きな舌に舐められていた。
心配そうなシロリンの目と目がかち合う。
「シロリンっ」
涙目ではしっとシロリンにしがみつく。
「生きて会えるなんて思わなかったぁ……」
ぐすぐす泣いていると、後ろから声をかけられた。
「あら、もう起きて大丈夫? ライアン様もロバジイも心配していたのよ」
そう言って水の入ったグラスを差し出したのは、還暦手前のマリサの母と同世代と思しきふくよかな女性だった。
「あ、ご心配をおかけしました。ありがとうございます」
そうだった、自分は気を失っていたのだとマリサは思い出すやいなや、両腕で己を抱きしめてブルリと震える。
受け取ったグラスの水をごくごくと飲み干す。喉がかなり渇いていたらしい。
「まあ、あなたの髪も目も、珍しい黒色で、さっきも美しいと思ったけれど、こうして陽だまりの下で見ると、妖精栗の色だわ。淡く虹が浮かんで、とっても綺麗。……あら、ついじっと見てしまってごめんなさい。私は、ここの農場を息子と二人で管理しているレアよ」
そう言うと、目じりをくしゃっとさせて朗らかに笑った。
「いえいえ、突然お訪ねしたにも関わらず、本当に、ご迷惑をおかけしました」
冷や汗をかきながらマリサはぺこりと頭を下げる。
妖精栗……と言うのは多分、栗のイガに、繊細な、妖精の羽のようなものがついていることを言うのだろう。
確かに、マリサの髪の色も瞳の色も、栗色に近い。だが、虹が浮かぶというのには驚いた。日々疲れてはててキューティクルの手入れなど出来なかった上、ここへ来てからはシャンプーもリンスもなく、水でザブザブと洗ったくらいなのだ。
きっと、光の加減がよほど神がかっていたのか、レアの優しさだろうと一人納得する。
妖精栗は、マリサのアバターのマリーサでは育てたことがなかったが、栗好きとしては、いずれ育ててみたいと心にメモをする。
「気にしないで、だって、グレイスに乗って空から来たのでしょう? 私なら絶対に無理だもの。ほーんと、ライアン様にはいつもびっくりさせてもらっているわ!」
くすくす笑うレアの方こそ、ハシバミ色の瞳と、それを少し濃くしたふわふわとした髪も相まって、聖母を思わせる美しさだとマリサは思った。
「ジュースか、コーヒーか紅茶、何がいいかしら? お持ちするわ」
「いいえ、私もそちらへ行きます」
ハンモックから降りて、レアに自己紹介をしたマリサは、家畜の点在するなだらかな丘の牧草地と、花の色ごとに整然と並ぶ色とりどりの農場を眺めた。
「はあ、素敵! あのお花、なんて美しいのでしょう!」
「まあ、褒めていただいて嬉しいわ。今度花の株をお分けしましょうか?」
「えっ、ぜひに! でも、いいのですか?」
種ではなく株ごと譲り受けるなんて、恵まれすぎじゃないだろうかとマリサは考えてしまう。
「南の領地と比べて、この北の領地は土地がとても痩せているわよね。だから、株分けをしてもうまく育たないこともあるし、難しいのよね」
確かに荒れ果てた土地を見ると、なるほどと思うが、本日収穫した野菜を思うと、腑に落ちないところがある。
それにこの農場は、荒れた北の大地に位置しているようにはとても見えない。
「ここは、花も野菜も見事に育っていて、牧草地も緑豊かですね」
「ありがとう。ここも昔は、不毛の大地と呼ばれるほど、酷く痩せていたのよ。今は息子と二人でやっているけれど、亡くなった夫と二人で、何十年もかけて土地を手入れして、必死にやってきて、今があるのよ」
長年この土地と関わってきただけに、色々な困難を乗り越えてきたのだろう。
「そうだったのですね。私はここへ来たばかりなのですが、もしご迷惑でなければ、いろいろと教えていただけますか?」
「もちろんいいわよ。お隣同士助け合っていきましょうね」
「はい、よろしくお願いします!」
昨日まで孤独だったのが嘘のようだ。
お隣さんが良い方で、交流できることをありがたく思いつつ、いつか、自分の農場も、花でいっぱいにしたいなあと夢が膨らむマリサだった。
小さな果樹園を抜けると、シンプルな建物だが大きな母屋が現れた。
その前のテラスに座っていた、アレイと思しき人物と、ライアンとロバジイがこちらに気付いて立ち上がった。
既に、南の領地の被害の説明及び、生産物を引き取る作業は終わっているのだろう。
アレイは、ライアンほどではないが逞しい長身の若者だ。頭に麦藁帽を乗せたアレイに、マリサが自己紹介をすると、とてもいい笑顔が返ってきた。
瞳の色は、レアより一段濃いハシバミ色だ。
「マリサ嬢、そろそろ出発するが大丈夫か?」
どうやらお茶を飲んでいる暇はないらしい。
「はい、大丈夫です」
「まあ、お茶も出せなくてごめんなさいね。マリサさん、また今度、ゆっくり遊びにいらしてね。農場をお見せしたいし、マリサさんの農場にもその内訪ねさせてね」
レアが残念そうにマリサの肩に手を置く。
「せっかく来てくれたのにもう行ってしまうのか。もし困ったことがあったら、遠慮はいらないから、いつでも相談に乗りますよ」
アレイはマリサの手を両手で包むと、じんわりと手に力を込めた。
「あ、ありがとうございます。またきっと遊びに参りますね」
「レア、アレイ、心から礼を言う」
またまたライアンがウェスタン帽を脱いで頭を下げた。
「いけないわ、顔を上げてください。公爵領のピンチに、協力するのは当たり前ですから。それよりも、坊ちゃんのお役に立てて嬉しいわ。お身体、無理しないでくださいね」
レアが祈るように手を合わせて言った。
アレイは腰を直角に曲げて頭を下げた。
「ああ」
とライアンも二人に手を振ると、グレイスの方へ歩き出しながらマリサに手を伸ばす。
マリサは引きつり気味に首を横に何度も振り、シロリンから離れまいとして足をふんばった。
「こ、今度は、ロバジイとシロリンと一緒に行きます」
ライアンがニヤリとして言う。
「遠慮しなくてもいいぞ?」
「いえいえいえ、し、シロリンが心配ですから」
ロバジイがやれやれと首を振る。
「お嬢さん、こっちだ。おい、お前はまた引いてくれるか?」
「ワフッ、ワフッ!」
シロリンは尻尾を千切れんばかりに振って荷車へ走り出す。
「おーい、今度はトニトと一緒に引くんだぞ!」
ロバジイがマリサに笑いかけてくれるので、マリサはほっとして荷車に向かった。
目指すは公爵家の農場だ。
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