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#36 せめぎあう心情

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 ぎっくり腰になってしまったルーカスさんの代わりに、薬草を届けるという役目を無事に果たし終えた私とレオンは、前日同様、隣国の貴族のお嬢様と執事という設定を楽しんでいた。

 見た目は、昨日とまったく変わらない。

 けれど互いの想いを確かめあった私たちを取り巻く空気は、常春のあたたかな陽気なんて比にならないくらいに、あっつあつだった。

 なんならそこら中に、可憐なピンクの花弁がひらひらと舞っているかのような、錯覚でもしてしまいそうなほどだ。

 暇さえあればレオンと見つめ合ってしまっていたり、そういう意図がなくとも、ちょっと手や身体が触れ合っただけで、見つめあい微笑み合ってしまっているという有様だった。

 格好よく手綱をさばいているレオンと、こうしてピッタリとくっついて馬に跨がっているだけで、とっても幸せで。

 ーーもう一ミリもレオンと離れたくない。

 レオンへの想いはどんどん募っていくばかりだ。

 そんな私にあたかも冷や水でも浴びせるかのような出来事があった。

 それは王都を出る直前のことだ。

 薬草を届け終えたのが、昼食にはまだ早い時間で、かといってその時間まで王都にいたのでは帰りが遅くなってしまう。

 だったら昼食には、パンでも買っていこうということになった。

 元いた近代的な世界とは違い、この異世界では、すべてが手作業だし、材料だって異なるはずだ。

 よって、こちらのパンは、バゲットよりもいささか硬く感じられた。

 それでも元の世界と同じように、主食としても携行食としても重宝されているようで、パンを売っている店は列ができるほどの盛況ぶりだ。

 なので気を利かせてくれたレオンが列に並んでくれている。

 その間、私は、市井にある店から少し離れた馬繋場で馬とともにレオンの帰りを待っていた。

 市井は相変わらず、今日も人でごった返している。

 なんでも一昨日から、現国王陛下の生誕祭が開催されているそうだ。

 通常三日間開催されるそうだが、療養中の陛下を元気づけようと期間を延長し、今年は一週間開催されているのだという。

 国王の生誕祭で賑わっている市井を遠目に眺めていたせいか、あの我儘な王太子の顔がチラついてしまい、私は慌てて頭をブンブン振って追い払った。

 そんなことをしていたら、不意に、近くで私と同じように、主人の帰りを待つ御者らしい数人の男らが、暇を持て余し、世間話に花を咲かせている声が耳に流れ込んできて。

 別に、聞くつもりなどなかったのだけれど、こちらも退屈だったので、何気なく聞き流していたのだが、『モンターニャ王国』という言葉に私の意識は引き寄せられ、ついつい聞き耳を立ててしまっていた。

 その男たちの話では、なんでも半年ほど前から、モンターニャ王国には疫病が流行していて、現在、マッカローン王国との国交が禁じられているらしい。

 そこで疑問になってくるのが、隣国から訪れているというレオンのことだ。

 レオンは国交が禁じられているのに、わざわざどうしてこの国に? それにどうやって?

 あぁ、だから精霊の森を抜けてきたということだろうか? 近道だとも言っていたし。

 だとしても、危険をおかしてまで一体何のために?

 思考に耽っていた私の耳に、今度は新たな三つの情報が飛び込んできた。

 一つは、モンターニャ王国からの密入国者が二人(男)いて、現在逃亡中であること。

 もう一つは、その逃亡者は、追放された聖女を探すのが目的であるらしいこと。

 最後の一つは、そのうちの一人は、ありとあらゆるものに姿を変える、変身魔法を得意とするらしいこと、だった。

 ……それって、もしかしてレオンのことなんじゃ。

 だとしたら、最初から私の能力が目的で近づいたってこと?

 ーー否、違う。だってレオンは記憶を失っていたんだから、そんなはずはない。

 ……けど今は、記憶を取り戻しているようだし。

 そういえば以前、レオンが言ってた、

『ノゾミの傍にいると、こう、身体の奥底から内なるパワーが漲ってくるような、そんな気がするんだ。やっぱり、聖女であるノゾミに秘められているという『驚異的な力』は偉大なんだろうね』

この言葉を聞いた際、私自身にではなく、『聖女である私』に惹かれているだけなんだ。そう思ったこともあったっけ。

 もしかして私の能力が目的で、それを得ようとして、昨夜、私と一刻も早く身体を重ねる必要があったってこと……?

 そこまで思考が行き着いたところで、目の前が真っ暗になってしまう。

 この世からすべての色が失われてしまったかのようなモノクロの景色のなかで、一点に視線を集中させたまま呆然としていると、レオンの優しい甘やかな声音が耳を擽った。

「ノゾミ。ずいぶんと待たせてしまってごめんね。待たせてしまった間、退屈じゃなかった?」

 振り返るとそこには、見かけは執事仕様であるものの、いつもと何ら変わらない様子のレオンの姿があって、蕩けるような微笑と綺麗なサファイアブルーの綺麗な瞳とを向けてくれている。

 そのすべてが偽りだなんて、そんな風には見えないし。そんなこと思いたくもない。

 ーーレオンのことを信じたい。

 そう思うのに、さっき知り得た情報が邪魔をする。

 信じたいという気持ちと相反する気持ちとがせめぎ合う。

 そんな複雑な心情を胸の奥底に無理矢理押しやって、私は平静を装うことに徹した。

「う、ううん。全然。それよりありがとう」
「お安いご用でございますよ。お嬢様。ではでは参りましょうか?」
「うん」

 ーー何があっても、レオンのことを信じる。

 そうやって何度も何度も、私は心の中で必死になって己に言い聞かせていた。

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