2 / 39
ままならない現状
しおりを挟む週末の金曜日。
週末とあってか、終業後の更衣室は、にわかに浮き足立っているように感じられる。
おのおの予定があるのだろう。
楽しいお喋りもそこそこに、素早く着替えて身だしなみも完璧に整えた同僚らが次々に帰って行くなか、私、神宮寺鈴は、いつものように白衣から私服に着替えていた。
澄ました顔で平静を装ってはいるが、内心では、これ以上浮かれようがないというほど、ウキウキと心躍らせてしまっている。
実はこの後、彼氏であり医大の同期でもある窪塚と久々にゆっくりと過ごす予定になっているからだ。
私は、ここ光石総合病院の総合内科で内科専門医として働いている。
光石総合病院は、昭和初期に開業され意外と歴史も古く、大学病院とも太いパイプを持っており、急性期病棟も併設されている比較的規模の大きな市中病院だ。
そして彼氏である窪塚も、同じくこの病院で脳神経外科の専門医として働いている同僚でもある。
お互いこの病院で前期と後期の研修期間を経て、試験をパスし、晴れて専門医になったばかりだ。
とはいえ、医者としてはまだまだ下っ端。上級医の研究の手伝いはもちろん、多忙な日々の業務に加えて、まだまだ知識を吸収しなければならないため、めまぐるしい日々を送っている。
そのためなかなか思うように会えないでいた。
それでおそらく朝から張り切っていたのだろうと思う。その所為か。
「鈴ってば、今日はメチャクチャ張り切ってたと思ったら。窪塚とデートだったんだぁ」
今から二年前、まだ専攻医になったばかりの頃、セフレという不埒な関係でしかなかった窪塚のことを好きだと自覚して以来、女子力皆無だった私の師匠であり親友で、同じ内科専門医でもある光石彩(旧姓・本城)に鋭く指摘される羽目になっている。
「べっ、別に。張り切ってなんかなかったし。彩の勘違いだってば」
今さらながらに、そんなことを言って惚けたところで、公私ともになんでも知り尽くしている彩には、すべてお見通しのようだ。
彩は、身長が一六〇ちょうどの私より五センチ高い一六五センチ。
ショートカットのよく似合う、くりっとした円な瞳とぷるんとした唇が魅力的なスレンダー美人だ。
竹を割ったようなサバサバとした男前な性格で、気の強い私と同等の気の強さの持ち主でもある。
そのせいか、研修医として一緒に勤務し始めた当初はよく衝突することもあった。
ところが話してみると不思議と気が合い、今では、仕事もプライベートもなんでも言い合える、気の置けない親友だ。
彩は「どれどれ~」なんて言いつつ、ニマニマとした笑みを浮かべて私のファッションチェックを始めてしまった。
私は、勉強と仕事のことで頭が一杯だった以前と変わらず、窪塚と付き合うようになって二年が経過した今でも、自分のメイクやファッションセンスには皆目自信が持てないでいる。
性格は似ていても私とは正反対の女子力の高い彩に、どんなダメ出しをされるのだろうか、と内心ヒヤヒヤしながら待っていた。
「またまた~。じゃあ、そのえらくめかし込んだひっらひらの可愛い服はなんなのよ? 普段は絶対着ないクセにッ」
「ひっらひらって……やっぱり、変かなぁ?」
そのため、ちょっとしたことですぐに不安になってしまう。
ついさっき、彩に窪塚とのことを指摘されたことなど、もう頭にはなかった。
「ううん。そんなことないよ。メチャクチャ可愛い」
「……良かった」
「もちろん、服じゃなくて鈴がねっ!」
「ギャッ!? ちょっと。急に抱きつかれたら吃驚するでしょッ!」
オシャレの師匠である彩にお墨付きをもらって安堵するまもなく、いきなりガバっと抱きつかれた所為で驚きすぎて心臓が縮み上がった。
緊張感は薄れたものの、吃驚したせいで騒がしくなった胸元を手でぐっと押えている私の耳を、抱きついたままの彩の声が擽ってくる。
「だって、鈴が可愛くてしょうがないんだもん。窪塚、可哀想~。こんなに可愛い彼女がすぐ近くにいるっていうのに、忙しくてなかなか会えないなんてね~」
不意に紡がれた窪塚の名前を認識した途端、目頭の周辺にじわっと熱が集まってきた。
窪塚とは、前回会ってから、一月近くが経っている。
冬の足音が聞こえはじめた十一月という季節柄、インフルエンザのワクチン接種や風邪症候群の患者などが増えたことで、普段より外来診療が忙しくなってきている。
外科医である窪塚の方は、オペが立て込んでいたりして、休みも合わず、チャットでのやり取りや電話くらいだった。
この一月というもの、窪塚と禄に会えていない。
ーー窪塚と会いたい。会ってちゃんと顔を見て話がしたい。
そう思っても、同じ職場のため、忙しい現状はわかっているので、ずっと我慢していたからだ。
だって、一度でも、『会いたい』なんて言ったら、もう我慢できそうになかったし。
そんなこと口にしてしまったら、窪塚は優しいから絶対に無理することがわかりきっているからだ。
そんなことはさせたくなかった。
いずれは結婚して支えてあげなくちゃいけないのだから、今からこんなことじゃいけないとも思っていたからだ。
「でも、いくら忙しいって言っても、同じ職場なんだし。遠慮しないで、たまには我儘言ってもいいと思うよ? 我慢ばっかしてたらいつか爆発しちゃうんだから。今日は目一杯我儘言って甘えちゃいなさいよ? これは、脳外科医の奥さんになった私からの忠告。わかった?」
そのことを心配して気遣ってくれる彩の言葉に、一瞬ぐっときたものの、そこは気合でなんとか堪えしのぐ。
「……うん」
「あーあー、心配だなぁ。よし、ここは、上級医のいっくんから窪塚に伝えてもらおうっと」
「もう、彩ってば、余計なお節介はしなくていいから。それより、早く帰らないと夕飯困るんじゃないの?」
「あっ、いっけない。じゃあ、先帰るね? お疲れ~」
「お疲れ」
昨年春に、ここ光石総合病院の院長であり、私にとっては、父親の従兄にあたる光石譲院長の長男である脳外科医のいっくんこと樹先生と彩は結婚している。
そのため、彩とは親戚関係になった。
故に、以前よりも、窪塚のことでは親身に相談にのってくれている。
有り難いことだし、とても心強くもあった。
けれどそのことで窪塚に余計なプレッシャーや負担を負わせたくなかったのだ。
なんとか彩の気を逸らせたことに心底安堵し、深い深い溜息を零すと、いつの間にか誰もいない更衣室の静かな空間に吸い込まれるようにして瞬時に消え入ってしまった。
彩がいなくなり途端に物寂しい雰囲気が立ち込める。
「仕事、終わったかなぁ」
シーンと静まり返った静寂のなか、思わず零した声と寂しさを掻き消すかのように、バッグの中からスマートフォンの軽快な音色が響き渡った。
スマホを取り出し画面を覗けば、窪塚からのチャットが届いていて。
【今終わった。駐車場で待ってる】
窪塚らしい素っ気ない文面に、クスッと笑みを零した私は、すぐに返信を返し、逸る気持ちを抑えつつ窪塚の元へと足早に向かったのだった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
溺愛のフリから2年後は。
橘しづき
恋愛
岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。
そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。
でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません
如月 そら
恋愛
旧題:隠れドS上司はTL作家を所望する!
【書籍化】
2023/5/17 『隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません』としてエタニティブックス様より書籍化❤️
たくさんの応援のお陰です❣️✨感謝です(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)
🍀WEB小説作家の小島陽菜乃はいわゆるTL作家だ。
けれど、最近はある理由から評価が低迷していた。それは未経験ゆえのリアリティのなさ。
さまざまな資料を駆使し執筆してきたものの、評価が辛いのは否定できない。
そんな時、陽菜乃は会社の倉庫で上司が同僚といたしているのを見てしまう。
「隠れて覗き見なんてしてたら、興奮しないか?」
真面目そうな上司だと思っていたのに︎!!
……でもちょっと待って。 こんなに慣れているのなら教えてもらえばいいんじゃないの!?
けれど上司の森野英は慣れているなんてもんじゃなくて……!?
※普段より、ややえちえち多めです。苦手な方は避けてくださいね。(えちえち多めなんですけど、可愛くてきゅんなえちを目指しました✨)
※くれぐれも!くれぐれもフィクションです‼️( •̀ω•́ )✧
※感想欄がネタバレありとなっておりますので注意⚠️です。感想は大歓迎です❣️ありがとうございます(*ᴗˬᴗ)💕
契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~
猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」
突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。
冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。
仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。
これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?
割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。
不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。
これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる