同期ドクターの不埒な純愛ラプソディ。

羽村美海

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ままならない現状

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 週末の金曜日。
 週末とあってか、終業後の更衣室は、にわかに浮き足立っているように感じられる。

 おのおの予定があるのだろう。

 楽しいお喋りもそこそこに、素早く着替えて身だしなみも完璧に整えた同僚らが次々に帰って行くなか、私、神宮寺鈴は、いつものように白衣から私服に着替えていた。

 澄ました顔で平静を装ってはいるが、内心では、これ以上浮かれようがないというほど、ウキウキと心躍らせてしまっている。

 実はこの後、彼氏であり医大の同期でもある窪塚と久々にゆっくりと過ごす予定になっているからだ。

 私は、ここ光石みついし総合病院の総合内科で内科専門医として働いている。

 光石総合病院は、昭和初期に開業され意外と歴史も古く、大学病院とも太いパイプを持っており、急性期病棟も併設されている比較的規模の大きな市中病院だ。

 そして彼氏である窪塚も、同じくこの病院で脳神経外科の専門医として働いている同僚でもある。

 お互いこの病院で前期と後期の研修期間を経て、試験をパスし、晴れて専門医になったばかりだ。

 とはいえ、医者としてはまだまだ下っ端。上級医の研究の手伝いはもちろん、多忙な日々の業務に加えて、まだまだ知識を吸収しなければならないため、めまぐるしい日々を送っている。

 そのためなかなか思うように会えないでいた。

 それでおそらく朝から張り切っていたのだろうと思う。その所為か。

「鈴ってば、今日はメチャクチャ張り切ってたと思ったら。窪塚とデートだったんだぁ」

 今から二年前、まだ専攻医になったばかりの頃、セフレという不埒な関係でしかなかった窪塚のことを好きだと自覚して以来、女子力皆無だった私の師匠であり親友で、同じ内科専門医でもある光石あや(旧姓・本城ほんじょう)に鋭く指摘される羽目になっている。

「べっ、別に。張り切ってなんかなかったし。彩の勘違いだってば」

  今さらながらに、そんなことを言って惚けたところで、公私ともになんでも知り尽くしている彩には、すべてお見通しのようだ。

 彩は、身長が一六〇ちょうどの私より五センチ高い一六五センチ。

 ショートカットのよく似合う、くりっとした円な瞳とぷるんとした唇が魅力的なスレンダー美人だ。

 竹を割ったようなサバサバとした男前な性格で、気の強い私と同等の気の強さの持ち主でもある。

 そのせいか、研修医として一緒に勤務し始めた当初はよく衝突することもあった。

 ところが話してみると不思議と気が合い、今では、仕事もプライベートもなんでも言い合える、気の置けない親友だ。

 彩は「どれどれ~」なんて言いつつ、ニマニマとした笑みを浮かべて私のファッションチェックを始めてしまった。

 私は、勉強と仕事のことで頭が一杯だった以前と変わらず、窪塚と付き合うようになって二年が経過した今でも、自分のメイクやファッションセンスには皆目自信が持てないでいる。

 性格は似ていても私とは正反対の女子力の高い彩に、どんなダメ出しをされるのだろうか、と内心ヒヤヒヤしながら待っていた。

「またまた~。じゃあ、そのえらくめかし込んだひっらひらの可愛い服はなんなのよ? 普段は絶対着ないクセにッ」
「ひっらひらって……やっぱり、変かなぁ?」

 そのため、ちょっとしたことですぐに不安になってしまう。

 ついさっき、彩に窪塚とのことを指摘されたことなど、もう頭にはなかった。

「ううん。そんなことないよ。メチャクチャ可愛い」
「……良かった」
「もちろん、服じゃなくて鈴がねっ!」
「ギャッ!? ちょっと。急に抱きつかれたら吃驚するでしょッ!」

 オシャレの師匠である彩にお墨付きをもらって安堵するまもなく、いきなりガバっと抱きつかれた所為で驚きすぎて心臓が縮み上がった。

 緊張感は薄れたものの、吃驚したせいで騒がしくなった胸元を手でぐっと押えている私の耳を、抱きついたままの彩の声が擽ってくる。

「だって、鈴が可愛くてしょうがないんだもん。窪塚、可哀想~。こんなに可愛い彼女がすぐ近くにいるっていうのに、忙しくてなかなか会えないなんてね~」

 不意に紡がれた窪塚の名前を認識した途端、目頭の周辺にじわっと熱が集まってきた。

 窪塚とは、前回会ってから、一月近くが経っている。

 冬の足音が聞こえはじめた十一月という季節柄、インフルエンザのワクチン接種や風邪症候群の患者などが増えたことで、普段より外来診療が忙しくなってきている。

 外科医である窪塚の方は、オペが立て込んでいたりして、休みも合わず、チャットでのやり取りや電話くらいだった。

 この一月というもの、窪塚と禄に会えていない。

 ーー窪塚と会いたい。会ってちゃんと顔を見て話がしたい。
 
 そう思っても、同じ職場のため、忙しい現状はわかっているので、ずっと我慢していたからだ。

 だって、一度でも、『会いたい』なんて言ったら、もう我慢できそうになかったし。

 そんなこと口にしてしまったら、窪塚は優しいから絶対に無理することがわかりきっているからだ。

 そんなことはさせたくなかった。

 いずれは結婚して支えてあげなくちゃいけないのだから、今からこんなことじゃいけないとも思っていたからだ。

「でも、いくら忙しいって言っても、同じ職場なんだし。遠慮しないで、たまには我儘言ってもいいと思うよ? 我慢ばっかしてたらいつか爆発しちゃうんだから。今日は目一杯我儘言って甘えちゃいなさいよ? これは、脳外科医の奥さんになった私からの忠告。わかった?」

 そのことを心配して気遣ってくれる彩の言葉に、一瞬ぐっときたものの、そこは気合でなんとか堪えしのぐ。

「……うん」
「あーあー、心配だなぁ。よし、ここは、上級医のいっくんから窪塚に伝えてもらおうっと」
「もう、彩ってば、余計なお節介はしなくていいから。それより、早く帰らないと夕飯困るんじゃないの?」
「あっ、いっけない。じゃあ、先帰るね? お疲れ~」
「お疲れ」

 昨年春に、ここ光石総合病院の院長であり、私にとっては、父親の従兄にあたる光石ゆずる院長の長男である脳外科医のいっくんこといつき先生と彩は結婚している。

 そのため、彩とは親戚関係になった。

 故に、以前よりも、窪塚のことでは親身に相談にのってくれている。

 有り難いことだし、とても心強くもあった。

 けれどそのことで窪塚に余計なプレッシャーや負担を負わせたくなかったのだ。

 なんとか彩の気を逸らせたことに心底安堵し、深い深い溜息を零すと、いつの間にか誰もいない更衣室の静かな空間に吸い込まれるようにして瞬時に消え入ってしまった。

 彩がいなくなり途端に物寂しい雰囲気が立ち込める。

「仕事、終わったかなぁ」

 シーンと静まり返った静寂のなか、思わず零した声と寂しさを掻き消すかのように、バッグの中からスマートフォンの軽快な音色が響き渡った。

 スマホを取り出し画面を覗けば、窪塚からのチャットが届いていて。

【今終わった。駐車場で待ってる】

 窪塚らしい素っ気ない文面に、クスッと笑みを零した私は、すぐに返信を返し、逸る気持ちを抑えつつ窪塚の元へと足早に向かったのだった。

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