44 / 68
推しの変化とお告げ⁉
①
職員専用の駐車場に行くと、車の傍で佇む央輔の後ろ姿があった。
その立ち姿だけでも様になっているのだから、我が推しながらあっぱれである。
ちなみに、今日の央輔は、爽やかな淡いグリーンのオープンシャツに黒のテーパードパンツを合わせただけという、カジュアルな出で立ちだ。なのに、ファンタジーの世界から飛び出した王子様にしか見えない。
近づくごとに、放たれるオーラの光度が増していく。キラキラと眩いばかりだ。
――まさに、理想の男性。
裕子の言うとおり、愛しの旦那様である。……ただし偽りの。
(そう、偽りの関係なんだってことを、肝に銘じなきゃ……)
逸る気持ちを宥めつつ駆け寄ると、気配に気づいた央輔が振り返ってくる。央輔は杏璃の姿を捉えた瞬間、嬉しそうに破顔した。それがマスク越しでもわかる。
途端に何もかもが吹き飛んだ。
ついさっきまで、央輔をこれ以上好きになるのが怖くて、帰るのを渋っていたのが嘘のよう。園児の命を預かるという気の抜けない業務で疲弊した心と身体が癒やされていく。
見合いした当初は無表情で無愛想だった央輔だが、時間を共有するうち色んな表情を見せるようになった。
今では、こうして『愛する妻を溺愛する夫という役目』を完璧に演じきるほどである。王子様然とした振る舞いもすっかり板についている。
そこで、ふと裕子の言葉が脳裏を掠めた。
『早く行かないと、旦那さん、怒ってるようでしたよ』
更衣室で、驚きのあまり呆けたままフリーズしていた杏璃に、裕子が忠告してくれたのだが……
今の央輔にそんな様子はまったくない。それどころか機嫌は頗るいいように見える。
きっと、女性が苦手だからなのだろう。なのに、杏璃に対しては嫌悪感を感じないという。
確かに、杏璃はそんな表情一度も見たことがない。
そんな些細な事でさえも、何だか特別だと言われているようで、頬がだらしなく緩んでいく。
理想通りの男性像まんまの推し――央輔を前に、杏璃の気分はすっかりアイリスである。
「央輔さん、お待たせしましたっ!」
「いや、急に連絡もなしに、慌てさせて悪かった」
「いえいえ、それはいいんですけど。何かありました?」
「あ……いや、とりあえず……乗らないか」
背後をチラッと窺った央輔にそう促されて、そこでようやく杏璃は背後の異変に気がついた。と、同時に、央輔と二人だけの世界に浸っていた杏璃の耳に、裕子と手の空いた他の職員の黄色い声が届く。
たちまち羞恥に襲われた杏璃は、慌てて助手席へと逃げ込むのだった。
後に裕子に聞かされた話だと、規律や風紀に厳しい園長の鶴の一声によって、騒ぎはすぐに沈静化したらしい。
ちなみに、結婚式は内輪だけに留めたので、『愛しの旦那様』が『美容界の氷のプリンス』だというのは園長と副園長しか知らない。
なので、央輔はマスクだけでなく眼鏡も装着している。
仕事のときはきっちりセットされている髪も無造作に降ろされており、いい具合に目元が隠れている。
だというのに、この騒ぎである。
――恐るべし推しの威力。
(バレないようにしなきゃ)
羞恥も収まったところで、気を引き締め直した杏璃は運転中の央輔に意識を向けた。
用件を話している間は二人きりだと意識せずにすむ――そう思ってのことだ。
「で、急用ってなんだったんですか?」
なのに、央輔がさらっととんでもない台詞を口にする。
「ああ、いや。仕事が早く終わったら、杏璃の顔が無性に見たくなって……それだけだ」
「――……!」
しかも、照れているのか、目元までほんのりと赤みが差しているように見える。
一瞬、真に受けそうになったものの、正気を取り戻した杏璃はふうと息をつく。
(そ、そうだった。また、勘違いしそうになったけど、溺愛モードなんだった)
目元が赤く色づいて見えるのは、眼鏡とマスクのせいで熱くて火照っているに違いない。
けれど、この調子ではマンションに帰り着くまでにボロを出しかねない。
子作りに関しては、自分の蒔いた種だからやむを得ないが、ここは車内。央輔が溺愛モードに切り替える必要なんてないのだ。
話せばわかってくれるはず。
央輔だって、仕事上がりにこんな茶番続けたくはないだろうし。
「あの、央輔さん。仕事で疲れてるでしょうし、もうこういうの、やめにしませんか?」
「奇遇だな。俺もそう思っていたところだ」
杏璃が駄目元で切り出したところ、意外にも央輔から賛同が得られ肩透かしである。
「え? ホントですか?」
思わず央輔のほうに身を乗り出した杏璃は、聞き返していた。
「ああ」
すると央輔がハンドルを器用に片手でさばきながら屈託ない笑顔を返してくれて、杏璃の胸は不覚にもときめくのだった。
もっと突っ込んでしっかり確認するべきだったかもしれないが、推しの笑顔に比べれば、他は些末なことだ。
杏璃は、推しの笑顔をポカンと見つめることしかできないでいた。
あなたにおすすめの小説
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
義姉と押し入れに隠れたら、止まれなくなった
くろがねや
恋愛
父の再婚で、義姉ができた。
血は繋がっていない。でも——家族だ。そう言い聞かせながら、涼介はずっと沙耶から距離を取ってきた。
夏休み。田舎への帰省。甥っ子にせがまれて始まったかくれんぼ。急いで飛び込んだ押し入れの中に、先客がいた。
「……涼介くん」
薄い水色の浴衣。下ろした髪。橙色の光に染まった、沙耶の顔。
逃げ場のない暗闇の中で、二人分の体温が混ざり合う。
夜、来て。
その一言が——涼介の、全部を壊した。
甘くて、苦しくて、止まれない。
これは、ある夏の、秘密の話。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)
久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。
しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。
「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」
――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。
なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……?
溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。
王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ!
*全28話完結
*辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。
*他誌にも掲載中です。
ワケあって、お見合い相手のイケメン社長と山で一夜を過ごすことになりました。
紫月あみり
恋愛
※完結! 焚き火の向かい側に座っているのは、メディアでも話題になったイケメン会社経営者、藤原晃成。山奥の冷えた外気に、彼が言い放った。「抱き合って寝るしかない」そんなの無理。七時間前にお見合いしたばかりの相手なのに!? 応じない私を、彼が羽交い締めにして膝の上に乗せる。向き合うと、ぶつかり合う私と彼の視線。運が悪かっただけだった。こうなったのは――結婚相談所で彼が私にお見合いを申し込まなければ、妹から直筆の手紙を受け取らなければ、そもそも一ヶ月前に私がクマのマスコットを失くさなければ――こんなことにならなかった。彼の腕が、私を引き寄せる。私は彼の胸に顔を埋めた……
鬼上官と、深夜のオフィス
99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」
間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。
けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……?
「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」
鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。
※性的な事柄をモチーフとしていますが
その描写は薄いです。