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臭いものに蓋をする
しおりを挟む一方、同じ頃、
サギは自分の部屋へ泥だらけの着物を着替えに来ていた。
桔梗屋はやたらに広く部屋も有り余っているので、お葉はサギにもおタネやおクキと同じ女中部屋の棟に一間をくれたのだ。
せっかくの六畳間であるがサギの持ち物といえば、粟餅屋で貰った手提げ籠、お仕着せの作務衣、美男侍の紋所の手拭い、美男侍の描いたサギの写生くらいなものだ。
「……」
サギは筒状に巻いた画用紙を広げて見た。
猿踊りしているサギの様々な姿が五つも描かれてある。
「うひゃひゃっ」
自分で何度見ても笑ってしまうほど馬鹿っぽい。
杉作の言ったことは決して間違いではないのだ。
しかし、他人に猿踊りを馬鹿みたいだと言われるのは気に入らない。
(杉作が詫びるなら許してやらんこともない)
サギはふんと鼻息を飛ばし、また画用紙をクルクル巻いて手提げ籠に仕舞った。
(八木のメエさんに頼まれた清書は小僧の手習いの時にやろうっと)
懐から出した八木の戯作五枚も手提げ籠に仕舞う。
(あれ?そういえば――)
ふいにサギは思い出した。
(わし、草之介にも清書を頼まれてたんぢゃっけ?)
たしか、昨夜、草之介に書状の下書きを渡されて、「合点承知の介っ」と答えて懐に仕舞ったはずだ。
(あれれ?あの下書きはどこへやったんぢゃっけ?)
あの下書きを懐に仕舞った後、サギは畳をゴロゴロと転がったり、重ねた布団の上をボスボスと跳ねたりして遊んでいた。
さんざん飛び跳ねて遊んだ後に風呂へ入ったが着物を脱いだ時には懐の中には何もなかった。
たぶん、きっと、
いや、
確実に落としたのだ。
(む、むぅん、困ったぞ)
正直に失態を認めて草之介なんぞに詫びを入れるのは絶対にイヤだ。
(むぅん)
サギはしばし頭を抱えたが、
(ま、ええか。しらばっくれてやれっ)
ここは知らぬ存ぜぬで通そうと決めた。
「さてと、泥んこの着物は洗濯ぢゃっ」
サギは藍染めの作務衣に着替えると、脱いだ筒袖とたっつけ袴を脇に抱えて廊下へ出た。
(――おや?)
ふと、隣のおクキの部屋が目に留まる。
襖が五寸(約15㎝)ほど開いたままだ。
今朝、おクキは錦庵へ手伝いに行く身支度に手間取って慌てて部屋を出たのであろう。
(どれ、襖を閉めといてやろうかの)
サギは親切ごかして襖を閉めるついでに部屋の中を覗き込んだ。
「ほお~」
おクキの部屋も六畳間であるが鏡台や箪笥など豪勢な道具が揃っている。
鏡台の上には紅が置いてある。
紅はものすごく高価で良質な紅だと一両もするのだ。
「おおっ?」
鴨居には立派な黒漆塗りの薙刀が掛かっている。
「ほお~」
薙刀の柄の黒漆塗りが手擦れで剥げているところを見るとかなり使い込んでいるようだ。
おクキは薙刀の稽古をしているのであろうか。
「ええなあ」
サギは立派な薙刀を物欲しげに見つめた。
「ひゃっ?」
足に何かサワサワと触った。
「ニャア」
部屋にいたらしき白猫がサギの足の間を通って廊下へ出ていく。
(なんぢゃ、猫ぢゃ)
サギはホッとして襖をピタンと閉めた。
「菓子職人見習いより上女中のほうが良かったかのう?」
ブツブツ言いながら裏庭の井戸端へ行くと、下女中五人が乾いた干し物を取り込んでいた。
「のう?上女中というのは給金がよっぽどええのか?おクキどんの部屋はええ道具が揃うとるんぢゃ」
サギは下女中に訊ねる。
おクキの部屋を覗いたことがバレバレだ。
「あれまあ」
「あれは嫁入り道具なんだよ」
下女中は顔を見合わせてケラケラと笑った。
部屋に豪勢な道具が揃っているのはおクキが桔梗屋から二度も祝いの嫁入り道具を頂戴して嫁いだが二度とも出戻ってきたからである。
武家では薙刀も嫁入り道具の一つだ。
「あっ、そういえば、おクキどんは二度、近所のお店の番頭と結婚したけど気が合わずに戻ってきたと言うとったっけ」
サギは初めて桔梗屋を訪れた時におクキがペラペラとしゃべっていたことを思い出した。
「いや、ホントはね、子が授からんで離縁されたんだよ」
下女中はコソッと声を潜めた。
『嫁して三年石女は去れ』などと言われた時代なので三年経っても子を生さねば離縁されるのがお定まりであったのだ。
おクキは十歳で桔梗屋へ奉公に上がり、最初は十六歳、二度目は二十歳の時に嫁いで三年ずつで出戻ってきた。
十九は重苦で縁起が悪いと結婚は避けるものなので十九歳の時だけ空けていたのだ。
「けどさ、離縁した番頭ってのも二人共それから何度か再婚したけど子が出来たって話はちっとも聞かないんだからね」
「そうそう。だから、おクキ様のせいだとは言えやしないんだよ」
たとえ自分等より一廻りも年下のおクキでも上女中と下女中では身分が違うのでおクキ様と呼んでいる。
だが、いつの間にかサギにはすっかり気安い口調になっている下女中であった。
「あれ、サギさん、それ洗うのかい?」
下女中はサギの手から筒袖とたっつけ袴を引ったくる。
「わし、自分で洗うからええのにぃ」
サギは一応、遠慮してみせる。
「こっちゃ洗わせて貰ったほうが有難いんだよ」
「そうさ、あたし等、仕事した分だけ手間賃を貰うんだから」
下女中は早々とサギの洗濯物を盥の水に浸ける。
「おやっ、袴の内股にかぎ裂きが二つも出来とるわ。後で繕っとこうね」
下女中は繕い物の分まで手間賃が増えて嬉しそうだ。
「ほお、そいぢゃ、わしが着物を汚したり破いたりしたほうがみんなは有難いということぢゃな?」
そもそもサギが着物を汚したり破いたりせずにいるほうが至難の技なのだ。
「ああ、もう毎日、汚してくれていいんだよ」
下女中五人はニッコリして頷く。
着物を汚しても破いても叱られぬばかりか感謝までされるとは桔梗屋はなんと良い待遇であろう。
「うんっ。そしたら毎日、汚すからのうっ」
サギもニッコリして大きく頷き返した。
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