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第壱部 神に『魔人』と畏れられし教皇

第肆章 全ては仕掛けだった

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 扉が開き、クシモ達が揃って姿を現した。
 それを教皇ミーケは、ご苦労さんと軽く手を振って迎える。

『さて、今回の事件の顛末をきっちり説明してくれるのであろうな?』

「おう、地母神オヤジもお疲れさん。そうさな、どっから説明したものか……」

 教皇ミーケは顎を擦った後、ちょっと待てと断りを入れて足元に転がるペットボトルを拾って一口飲んだ。
 床に散乱するペットボトルは全て綺麗なものであり、先程まで溢れていた血肉はどこにもなかった。
 部屋の隅ではトロイが力無く尻餅をついた恰好で小さくブツブツと呟いていた。耳をすませば人の名前と謝罪の言葉を繰り返している様子だ。

「事の始まりはこの界隈で幼い子供が連続して行方不明になる事件が起こったことだ。勿論、俺はすぐに動いたぜ。神官のみならず三池組も動員して表から裏から大捜索よ。けど手掛かり一つ見つかりゃしねぇ」

『うむ、子供達の親が連日のように彼らの無事を祈る様は悲痛な叫びを上げているようでな、聞いている余の胸も張り裂けんばかりであったぞ』

 クシモとしても地母神として助けてやりたかったが、いなくなった子供達の命の波動を感じ取れずにいたのだ。
 それは取りも直さず子供達の死を意味していた。

「ところがだ。ある日、タレ込みがあった。若い男が三歳になる我が子の手を引いて歩いているのを見たってな。しかもその場所は自宅から十キロも離れていたとよ」

 父親が男から我が子を取り戻すと、その若い男は舌打ちをして雑踏に紛れるように姿を消してしまったという。
 追いかけるべきかと思ったが、我が子の安否がまず第一と息子の様子を見るとどうやら夢見心地の様子。
 抱きしめて軽く背中を叩くと我に返り己も嬉しげに父親を抱き返す。聞けば、知らないお兄ちゃんが遊ぼうって笑った後は覚えていないとの事。
 我が子を連れて家に帰れば、息子の名を叫びながら泣いている妻の姿が見えた。
 狼狽える妻に子の無事を告げると彼女は安堵の為か腰砕けに座り込んでしまう。

「見知らぬ男が子供を連れて行こうとしていたから止めようとしたンだが、ニコリと微笑まれた途端に頭ン中が真っ白になって気付けば子供諸共いなくなってたそうだ」

「その訴えを聞いてワシはピンときた。こりゃ転生勇者の典型的な能力だとな。ニコッと笑かければポッと頬を染めて心底惚れる。略して『ニコポ』だったか」

 くだらぬわい、と枢機卿はトロイを見遣る。
 その視線を察したのか、トロイはソレから逃れるように頭を抱えて俯いた。

「ああ、クソみてぇなチートをエサにクソみてぇな連中を召喚、或いは転生させて鉄砲玉ゆうしゃに仕立てるのは星神教の下級神の十八番おはこだからな。なぁ、そうだろ? 福澤君よォ?」

 教皇の声にトロイはブルブルと震えるのみだ。

「世をひがんで引き籠もる奴らはまだ良いぜ。親はたまったもんじゃねぇだろうけどな。ま、そういう奴らは得てして“俺が本気を出せばこんなもんじゃない”とか思ってやがるから、いざチートを貰うと、これこそ俺の本当の人生だと云わんばかりにはっちゃけやがるから分かるよ」

『うむ、その上、転生勇者どもは基本的に違和感を覚えるまでに整った顔をしておるからな。これもまた神から与えられた特典か。だが、性根が腐ったままでは意味がなかろうよ』

「常人では決して出来ぬ事を成し遂げる強き心が英雄を生むって考えだそうで。確かに常人じゃあ出来ねぇでしょうが、猟奇殺人鬼なんて輩は英雄でも何でも無ェ。只の鬼畜でやすよ」

 錫杖を持った黒衣の少女が忌々しげに云う。
 錫杖の輪を鳴らす事で人に幻を見せ、巧みな話術と相俟って人を幻惑する目眩のおシンこと三池組・若頭補佐にして三池組内・霞一家・総長・霞信志である。
 そう、小袖を着ているが性別は男であり、少女然とした見た目をしているが少なくとも三十年は三池組に籍を置いている正体不明の怪人物だ。

「まさか緊急脱出路を隠れ家にされていたのは盲点でした。アレはいざっていう時の備蓄庫も兼ねていましたが、あんなおぞましい犯罪に利用されていたとは……それこそ慙愧に堪えない話です」

 スーツの男は仮面を外し、ガタイとは裏腹に眉目秀麗な顔を露わにして汗を拭った。
 先程見せたように人形を操る傀儡師であり、そればかりではなく様々な絡繰りや機械を操作、整備をする事が出来るエンジニアでもある。
 渡世の名は傀儡のマサ。おシンと同じく三池組・若頭補佐を務める。三池組内ではあるが、極道ではなくで神崎エンジニアリングという企業を運営しており本名を神崎政延という。

「まさに灯台下暗しよな。だが、福澤もといトロイは、一度目をつけた子供は何度誘拐をしくじろうと異常なまでに執着する性質があった。それが糸口となったのよ。天網恢恢疎にして漏らさずとは善く云ったものよ、のう?」

 老枢機卿はトロイに同意を求めるが、彼は全身に脂汗を浮かべているだけだ。
 その様に枢機卿、またの姿を三池組・若頭・東雲しののめ寅丸は鼻を鳴らした。

「再び我が子を狙わんとする男の気配を察した父親は、その男が近所でも評判の神官見習いである事を知り愕然としたそうな。子供に優しく、幼顔ではあるが端整な顔立ち、まだ未熟ではあるがそこそこ腕は立つ。悪評の一つもない少年を訴えるのは難しかった」

 慈母豊穣会や役人に訴えたところで証拠がなければまともに相手にされるはずがなかった。
 そこで父親は三池組に助けを求めたのである。

「そういう事にはナオは素早いぜ。真偽の裏取りは後回しにして、まずは子供を保護するのが先決だってンで、すぐに仕掛けを練り上げちまった」

 三池組・若頭補佐・大木直斗は父親に“ろくに仕事もせずに遊んでばかりいるロクデナシ”を演じさせ、近所の住人達にも彼を蔑む噂を流すよう依頼した。
 そしてトロイの目の前で借金の形に子供を取り上げるように見せ掛けて保護したという。
 然しものトロイも極道に連れられては子供を諦めるよりなく、大人しく帰っていった。

「ナオが云うには、確かにトロイの微笑みには一種の呪いが込められていたってンだからな。しかも日本語で書かれた名刺を普通に読めるときた。これで少なくとも元は日本人の転生者である事が確定したワケだ」

 三池組内・大木会は人員を総動員して付かず離れずトロイの見張りを続け、ついに彼が隠れ家にしている緊急脱出路の一部を突き止める事に成功する。
 そこで彼らが目にしたものは、目を背けたくなる無惨な子供達の遺体と悪趣味極まる拷問器具の数々であった。

「もう一刻も猶予すべきじゃねぇと思ったよ。俺はすぐに星神教の神々に捩じ込ンだ。素っ恍けられるかとも思ったが、すぐに福澤を転生させた神は引き出されたよ」

 過去、召喚した勇者をミーケに返り討ちにされた挙げ句に神器を奪われた事のある中位の女神だった。
 動機は復讐ではなく、飽くまで神として星神教徒を護る為に『淫魔王』と『魔人』を誅戮することが目的であると主張した。
 だが残忍で自分の罪を認識できない福澤遼太郎を勇者に選んでいる時点で彼女の行為には悪意があると見做されたのである。

「況してや福澤の逮捕には俺も警察に協力していたンだ。福澤が俺に復讐心を燃やすだろう事も織り込み済みだろうさ」

 女神にとっての誤算は生まれ変わったトロイが福澤遼太郎の嗜好と残虐性を引き継いだことだろう。

「転生させるならさせるで魂レベルまで真っ新にしてやるべきだったンだ。なまじ機を見て前世の記憶を蘇らせようとしたのが今回の悲劇の元よ」

「まさにそこよな。トロイ自身は信心深く敬虔な態度で慈母豊穣会に尽くしておった。失敗も多かったが天涯孤独の身の上でも決して腐らず懸命に神官になろうと邁進し衆生を救わんとしていた心根は本物であったと思うぞ」

『トロイは“誠実”を意味する言葉。あやつの祈りはまさに誠実そのもの。たとえ勇者となって我らと袂を分かったとしてもアルウェンのように尊敬すべき英雄になっていただろう。それをあの女神が台無しにした。奴の薄汚れた復讐心が誠実の男を“トロイの木馬”に仕立てたのだ』

 地母神、教皇、枢機卿。慈母豊穣会のトップ3の憐れみの籠められた視線を受けて、トロイは滂沱の涙を流して平伏した。








 トロイとて心から子供達の虐殺を愉しんでいた訳ではなかったのだ。しかし常に心の奥から子供達を凄惨な拷問にかけて遊びたいという気持ちが溢れていた。
 子供を殺したくない。子供を苛みたい。相反する二つの心が鬩ぎ合いが四六時中続いていたのである。
 年々膨れ上がっていく己の悪意に苦しんでいく中で、ついに心の臨界点を超えてしまう出来事が起こってしまう。
 ある日、とある学校の課外授業の手伝いを司祭から命じられたトロイは、小川での写生大会に子供達を引率する事になった。
 しかし遊びたい盛りの子供達はすぐに写生に飽きてしまって川遊びを始めてしまう。
 引率役が怖い教師や大人の神官であったなら子供達もある程度は自重したであろうが、生憎トロイはまだあどけなさを残す少年だった。
 トロイの云う事も聞かずに彼らは裸になると川に飛び込んだ。もはや事態の収拾を諦めたトロイはせめて事故が起きないように見守ろうと川に近づいた。
 無邪気に遊ぶ子供達を微笑ましく見ている中、トロイは自身の異変に気付いて愕然とすることになる。
 まだ性に目覚めていない幼い子供達が男女入り乱れ裸になって嬌声を上げている様を見ている内に股間に激痛が走った。
 見て確かめる必要はない。自分が子供達の裸に欲情し、はち切れんばかりに勃起している。その事実にトロイは絶望した。
 一緒に泳ごうと誘う子供達に答える術はなかった。隆起する股間をローブで隠し、痛みに耐えるのが精一杯だったのだ。
 その夜、トロイは夢を見ることになる。夜陰に紛れて幼い子供を攫い、幼少の頃に偶然見つけた廃墟、即ちカムフラージュされた秘密通路にある一室で思うがままに蹂躙する夢だ。
 性別は関係無かった。性を知らぬ純粋な子供であれば男女の拘りは無い。むしろ少女より少年の方を好んだものだ。恐怖と苦痛に泣き叫ぶ幼い命の最期の迸りを感じながらトロイは何度も果てた。
 そして夜が明ける。飛び起きるように目が覚めたトロイは全身が寝汗に濡れ、何故か裸になっていた。なんて夢かと汗を拭っていると教会で騒ぎが起こっていることに気付いた。
 昨夜、子供が裸同然の男に攫われたと親達が口々に叫んでいるのだ。事情を聞いた司祭はすぐさま神官達を集め、子供達の探索を命じた。
 早朝から日が暮れるまで懸命の探索をしたにも拘わらず、子供達はおろか犯人と思しき裸の男の情報すら得られなかった。
 トロイは胸騒ぎが止まらなかった。深夜にこっそり修道院を抜け出すと、幼かった頃の記憶を頼りに隠された通路を探す。
 それは遠い記憶そのままに雑多に置かれた荷車の後ろに隠された入口があった。
 中は暗かったが念の為に持ってきていたランプのお陰で何とかなったが、問題は闇では無い。
 トロイは懐かしい記憶と真新しい記憶・・・・・・を頼りに扉の一つに辿り着く。
 初めトロイは開ける事のみならずドアノブに触る事すら忌避感を覚えていた。この扉を開けたら何かが決定的に壊れるような予感があったのだ。
 逡巡している内に扉の奥から幽かにではあるが子供の泣き声が聞こえたような気がした。

 生きている!

 頭の中では開けるなと警鐘を鳴らしていたが、子供を救わなければという思いが勝り、蹴破るように扉を開けた。
 そこは地獄だった。床だけではない壁や天井に至るまで顔料をぶちまけたかのように赤黒く染まっていたのだ。
 そして数人の子供達が血塗れで横たわっており、既に事切れているのが見て取れた。
 誰もが恐怖と絶望の表情を浮かべている。限界だった。トロイはその場で嘔吐する。

「……い……で」

 トロイは顔を上げる。
 そうだ。子供の声が聞こえたはずだ。
 トロイは必死に子供達の体を検めた。皆が皆、凄惨な暴力を受けた痕があって痛々しい。
 正視に耐えない思いではあったが、一縷の望みをかけて生存者を捜す。

「……い……で」

 いた!
 祈るような気持ちで、否、実際祈りながらまだ少年とも呼べぬ幼児を助け起こす。
 この子も惨たらしい傷を負っている。特に性器の損傷が酷かった。
 助けなければと治療魔法をかけようとするが、幼児はトロイの顔を見て恐怖の叫びを上げた。
 大丈夫だ、助けに来た、と云い聞かせても幼児は弱々しくトロイの腕から逃げ出そうともがく。
 出血が酷い。早く治療をしなければ折角今まで生き存えていたのに手遅れになる。
 それなのに幼児は最期の力を振り絞るようにトロイから逃げようとしていた。

「……い……で」

 そしてトロイは何故、この幼児が自分から逃げようとしているのか知ってしまう。

「こない……で……あくま」

 僅か一瞬だった。 
 幼児から悪魔と呼ばれ、ほんの一瞬ショックを受けている間に幼児はトロイの指に噛み付いたのだ。

「おにいちゃんは……あくま」

 その先は覚えていない。
 気付いた時には幼児の命の灯火は消えていた。
 口の中に何かある。血の味がした。手に吐き出すとそれは幼児の舌だった。
 トロイはそれを再び口に含むとゆっくりと呑み下す。
 もはや忌避感は無かった。この胸に去来するのは歓喜しかない。
 トロイは、福澤遼太郎は身悶えするほどの幸福感を表すかのように雄叫びをあげたのだった。








「最期に教えて下さい。今日の一連の流れはボクをここで始末する為の仕掛けだったのですか?」

 やや憔悴してはいるものの、憑きものが取れたように落ち着いた様子でトロイが問う。
 福澤遼太郎であった頃では理解できなかった己の罪だったが、今ならはっきりと自分の異常性が認識できるようになっていた。
 認識してしまった以上、もう自分を許すことはできない。先程の醜態が嘘であったかの如く覚悟が定まり、心も凪のように穏やかだった。

「まあな、普通に捕らえても良かったンだが、それだと子供達が哀しむからよ」

「子供達……」

「お前、修行の合間に貧民街の子供達になけなし給料から食い物を買ってやったり玩具を作っては配ってたンだってな? 知ってるか? お前はこの界隈の子供達の間じゃ“おもちゃのお兄ちゃん”って呼ばれて大層な人気なんだってよ」

 トロイの子供好きは決して変態嗜好というだけではなかったのである。
 純粋に子供達が元気に遊ぶ姿を見るのが好きだった。友達と仲良く笑い合う子供達が眩しかったのだ。
 子供達が自分の作ったおもちゃを手に“ありがとう”と云ってくれるのが嬉しかった。
 貴族もなく貧者もなく楽しそうに遊ぶ子供達を思い出し、トロイは知らずに頭を抱えていた。
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