物語の幕は上がらない

わらびもち

文字の大きさ
52 / 69

馬車の中でのすれ違い

しおりを挟む
 ニヤニヤと下品に笑うシェリーを嫡男は理解不能な化け物を見るような目で眺めた。
 心の中で「この女は何を言っているんだ?」と疑問が湧き、理解が追いつかず頭が真っ白になる。

「公爵になる、だと……? レオナルドがそう言っていたのか?」

「ええ、そうよ。それで、今すぐには無理だけど、何年後かには私を公爵夫人として迎えてくれるって約束してくれたの!」

「なん……だと……」

 若干興奮気味で嬉しそうに語るシェリーとは対照的に、嫡男の顔色は青を通り越して白くなっていた。

「レオナルドが……そんなことを」

「ええ、そうよ! だからお兄さんもいつまでも偉そうなことを言っていたら駄目よ。んだからね!」

 この発言が決定打となり、嫡男の頭にはひとつの仮説が浮かび上がった。家督を継ぐ自分より、弟の方が身分が上となる。つまりそれは──『』ということ。
 まさか弟がそんなことを企んでいたとは露知らず、彼はショックで茫然とした。

(そんな……まさか、レオナルドがの座を狙っていただなんて……)

 仲は悪くないと思っていた弟が裏ではそんな大それたことを企んでいただなんて、と嫡男はにわかには信じられなかった。王侯貴族の間では世継ぎ争いは当たり前とはいえ、自分と弟の間でそんなことが発生するとは思っていなかった。次期当主の座など興味もない、とばかりの態度で兄である自分を嘲笑っていたのかと思うと胸の奥が締めつけられる。

 嫡男がこんな盛大な勘違いをしているなんていうことを、シェリーは気づくはずもなかった。
 彼女は自分が相手を論破してやったというこれまた勘違いで悦に浸り、目の前の男の様子が目に入らない。
 いや、たとえ目に入ったとしてもこんな勘違いをしているなどと思うはずもない。シェリーは一言も”リンデン公爵”になるとは口にしていないのだから。
 
 彼女はレオナルドがクロエと結婚した後、になるという意味で「公爵になる」言ったのだ。決してリンデン公爵になるという意味で言ったわけではない。婿入り後にクロエが亡くなり、レオナルドが公爵となった暁には自分を公爵夫人として迎えてくれるという計画だからそう言っただけ。

 だが、そんなことを嫡男が知る由もない。ただの入り婿でしかないレオナルドが将来カレンデュラ公爵を名乗ることは不可能だと知っているからこそ、思いつくこともない。だからこそこんな話の食い違いが起きてしまった。

「それにね、? 王太子様の運命の相手、それが私達の娘なの! だから私のことをあんまり馬鹿にしない方がいいわよ?」

 ふふん、と得意げに鼻を鳴らすシェリーを前に嫡男は言葉を失った。

(なんだと……? レオナルドはリンデン公爵家の家督を奪うだけでは飽き足らず、平民との間に生まれた娘を畏れ多くも王太子殿下の妃にしようと企てているのか……!?)

 よく聞けばシェリーの発言はかなりおかしいものなのだが、脳裏に誰も想像していない筋書きが形を成している嫡男はそれに気づかない。
 ちなみにその筋書きはこうだ。まず、レオナルドが兄から家督を奪い、リンデン公爵となる。
 次に、この平民の娘を公爵夫人として取り立て、生まれた娘を王太子の妃に据えようと目論む。
 その流れを想像し、嫡男は目を吊り上げて怒り出した。

「なんたる非常識……。なんたる不敬……。我が弟は、そこまでの愚者へと成り果てたか……!!」

「え!? は? え、え……何、いきなり?」

 怒りをあらわにした嫡男を前にシェリーは思わず身をすくませた。両者の間には深いすれ違いが生じていたが、そのことに本人たちは微塵も気づいていない。

(実の兄から家督を奪うだけでは飽き足らず……自分が選んだ女との間に生まれた娘を国母にまで押し上げようなどとは、あまりに強欲すぎる。無欲な顔をして、中身は史上稀に見るほどの欲深さ。レオナルド……お前は、そんなにも強欲な男だったのか……)

 もうすっかりと彼の中でレオナルドは膨大な権力を求める強欲な男と化してしまっていた。
 強欲なことは間違っていないのだが、方向性は間違っている。レオナルド本人は兄を排除して自分がリンデン家の当主の座におさまろうなどとは微塵も考えていない。

 しかし、そのすれ違いを修正する者は誰もいない。事態が思いもよらぬ方向へと転がり始めていることに、ここにいないレオナルドが気づくはずもなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

皆さん勘違いなさっているようですが、この家の当主はわたしです。

和泉 凪紗
恋愛
侯爵家の後継者であるリアーネは父親に呼びされる。 「次期当主はエリザベスにしようと思う」 父親は腹違いの姉であるエリザベスを次期当主に指名してきた。理由はリアーネの婚約者であるリンハルトがエリザベスと結婚するから。 リンハルトは侯爵家に婿に入ることになっていた。 「エリザベスとリンハルト殿が一緒になりたいそうだ。エリザベスはちょうど適齢期だし、二人が思い合っているなら結婚させたい。急に婚約者がいなくなってリアーネも不安だろうが、適齢期までまだ時間はある。お前にふさわしい結婚相手を見つけるから安心しなさい。エリザベスの結婚が決まったのだ。こんなにめでたいことはないだろう?」 破談になってめでたいことなんてないと思いますけど?  婚約破棄になるのは構いませんが、この家を渡すつもりはありません。

なにをおっしゃいますやら

基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。 エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。 微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。 エブリシアは苦笑した。 今日までなのだから。 今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

【完結】え、別れましょう?

須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」 「は?え?別れましょう?」 何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。  ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?  だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。   ※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。 ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

手放したくない理由

ねむたん
恋愛
公爵令嬢エリスと王太子アドリアンの婚約は、互いに「務め」として受け入れたものだった。貴族として、国のために結ばれる。 しかし、王太子が何かと幼馴染のレイナを優先し、社交界でも「王太子妃にふさわしいのは彼女では?」と囁かれる中、エリスは淡々と「それならば、私は不要では?」と考える。そして、自ら婚約解消を申し出る。 話し合いの場で、王妃が「辛い思いをさせてしまってごめんなさいね」と声をかけるが、エリスは本当にまったく辛くなかったため、きょとんとする。その様子を見た周囲は困惑し、 「……王太子への愛は芽生えていなかったのですか?」 と問うが、エリスは「愛?」と首を傾げる。 同時に、婚約解消に動揺したアドリアンにも、側近たちが「殿下はレイナ嬢に恋をしていたのでは?」と問いかける。しかし、彼もまた「恋……?」と首を傾げる。 大人たちは、その光景を見て、教育の偏りを大いに後悔することになる。

[完結]本当にバカね

シマ
恋愛
私には幼い頃から婚約者がいる。 この国の子供は貴族、平民問わず試験に合格すれば通えるサラタル学園がある。 貴族は落ちたら恥とまで言われる学園で出会った平民と恋に落ちた婚約者。 入婿の貴方が私を見下すとは良い度胸ね。 私を敵に回したら、どうなるか分からせてあげる。

侯爵家に不要な者を追い出した後のこと

mios
恋愛
「さあ、侯爵家に関係のない方は出て行ってくださる?」 父の死後、すぐに私は後妻とその娘を追い出した。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...