今更、話すことなどございません

わらびもち

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伯爵の不運

 第二王女とアリオスの婚約を承諾して数日後。王宮からの正式な使者が来ると知らされ、ベネディクト伯爵は最低限の礼装を整え、家中に準備を命じた。
 王女との婚約。それにふさわしい、しかるべき儀と手順があるはずだ。
 この時まではそう、信じていた。しかし──

「は? これで締結だと……?」

 あまりにも呆気ない終わり方に、伯爵は思わずそんな声を漏らした。


 その日、知らされた通り王宮から使者がやってきた。
 華やかな行列も、儀仗兵の影もない。ただ質素な衣をまとった文官が一人、淡々と名乗りを上げて封蝋の施された書状を差し出す。

 伯爵はその光景をしばし現実として受け止められずにいた。

 本来であれば──王女との婚約ともなれば、王宮へ召され国王臨席のもとで言葉を交わし、家の名誉をかけた正式な儀が執り行われるはずだ。それが、これほどまでに簡略化されるなど──前代未聞と言っていい。

 震える手で伯爵は書状の封を切り、文面に目を通す。
 形式は整っている。文句のつけようもない。だが、そこには温度がなかった。祝意も、期待も、ただ「決定事項」を告げるだけの冷たい命令書のようだった。

「……これだけか?」

 思わず漏れた伯爵の問いかけに文官は一切の感情を浮かべず、一礼する。

「陛下よりそのように仰せつかっております」

 そう言われた瞬間、伯爵の胸に冷たいものが広がっていく。

 ──王宮に呼ばれもしない。

 ──両家の顔合わせすらない。

 ──祝いの言葉すらない。

 そこに込められた意味を伯爵が読み違えるはずもなかった。

(……それだけ、王女は厄介者だということか)

 明確な”厄介払い”を押し付けられたという事実が重くのしかかる。誇りある家名が静かに踏みにじられたような感覚。怒りよりも先に湧き上がったのは、深い落胆だった。
 伯爵も頭では理解していた。この婚約が名誉なものではないということを。だが、心の底では確かに期待していた。国王の姫君を娶るのだ。厳かで、仰々しいほどの儀式が伴うに違いないと。――それが、下位貴族よりも簡素なやり取りで片づけられるとは夢にも思わなかった。

「承知した。……下がってよい」

 落胆を隠さない声で告げると、文官は一礼だけして去っていく。
 残されたのは静まり返った広間と、一通の書状。

 そして伯爵は長く息を吐き、執務室へと向かってゆっくりと歩き出した。

(再婚して以来、不運ばかりが重なっている……)

 連れ子エセルの家出、妻エリザベートの格上に対する度重なる失態、息子アリオスと王女の不名誉な婚約。
 相次ぐ不運に伯爵の心は深く疲弊していた。家の名誉を回復させたいというのに、坂道を転がり落ちるように失墜していく。

 何が悪かったのか――すべては己の力量のなさゆえだと愕然とした。
 妻を見抜く目も持たず、息子の育て方さえ誤った。その果てがこの有様である。情けなさに押し潰されるようにして伯爵はこの数日で急に老け込んだ。

 ──誰かに、この気持ちを吐き出したい。

 妻とは会話にならず、信頼していた執事にも軽蔑され、使用人達の自分を見る目も心なしか冷たい。
 同年代の貴族に話そうものなら笑い話として語られてしまう。
 誰にも頼れない現実に打ちひしがれたそのとき、ふと一人の人物が頭に浮かんだ。

(そうだ……あの人になら……)

 頭に浮かんだのは母方の伯母、亡き母の姉。宮廷に出入りしていたこともあり、表向きは穏やかな貴婦人でありながら裏の機微にも通じている人物。彼女に慰めは期待できない。だが、それでいい。今必要なのは慰めではないのだから。

「……行くか。伯母上の屋敷に」

 そう決めると同時に胸の内にわずかな安堵が生まれる。誰かに話せる、というだけで思考は整理され始めるから。
 伯爵は侍従を呼び寄せ「手紙を出す。急ぎだ」と命じた。

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