理不尽には理不尽でお返しいたします

わらびもち

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ヘブンズ伯爵と資産家の老人

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 バーティ侯爵邸にてフロンティア子爵親子が不穏な会話を繰り広げている頃、一人の老人が王都へ続く道を馬車で進んでいた。

 老人は神経質そうな顔を顰め、苛々した様子を隠そうともせず睨むように窓の外を眺めている。

「あの小僧……良くしてやった恩も忘れてふざけた真似を……。散々金を出させておいて、この扱いかっ! あの恩知らずめ、絶対に許さん……」

 馬車に乗った当初からずっと呪詛の言葉を吐き続ける老人。
 彼はヘブンズ領を治める当主、ヘブンズ伯爵その人だ。伯爵は親戚であるバーティ侯爵より例のおふざけが過ぎる王命を聞かされたからずっとこんな調子だった。

 最愛の娘サラを不幸な目に遭わせた憎き仇、ヴィンセント・フロンティア子爵に自分と同じ苦痛を味合わせる目的で奴の娘をろくでもない男へと嫁がせようと画策したのだ。平民の愛人にかまけてばかりで貴族としての責務も果たさず仕事もろくにこなさない、どうしようもない男(バーティ侯爵)のもとに。

 ろくでもない男、バーティ侯爵はお頭も弱いのか「恋人との真実の愛を成就させるため、お飾りの妻を娶ってはどうか」という薄ら寒い言葉に二つ返事で引き受けた。いい年をして分別のつかない子供のような頭に正直引いたものの、すぐに承諾してくれたことは有難かった。国王にもいい年をした貴族家当主がいつまで経っても独身なのはどうなのか、とまるでそれが正しい事のように説き伏せれば渋られながらバーティ侯爵とフロンティア子爵の娘を婚約させるという王命を下してくれた。

 それを聞いた時は嬉しくて嬉しくて、やっと念願が叶ったと祝杯をあげたほどだ。
 これで憎きあいつを、自分と同じ目に遭わせてやれるとほくそ笑んだ。

 だというのに、蓋を開けてみれば何故か憎きあいつ本人までもが“婚約者候補”としてバーティ侯爵家にやって来たという謎の展開。しかもご丁寧に女装までして。老いた頭ではそれを理解するのに時間がかかった……というか理解したくなかった。脳が理解を拒んだのだ。

 何がどうしてそうなった? しかも王命にまでその旨が記載されているという謎の展開に発狂しそうになった。いや実際しかけたわけだが……。

「とにかく早く王に会って、この件について問いたださなければ……。くっ、まだ王宮に着かないのか……」

 すぐにでも国王に詰め寄りたいヘブンズ伯爵は長い移動時間に苛々していた。
 邸から王宮までそれほど遠いとは言えないが、やはり馬車で数時間はかかる。その時間が伯爵の苛つきを加速させていた。

 そうしていると急に馬車がガタン、と大きな音を立てて揺れ、大きな馬の嘶きが響いた。

「なっ、なんだ!? おい、何があった!」

 ヘブンズ伯爵が窓を開けて御者に問いかけると、慌てた声で「すみません!」という謝罪が返ってくる。

「申し訳ございません! 車輪に石が嵌まってしまったようです!」

「なに!? すぐに修理しろ!」

 どうやら車輪に医師が嵌まって一時動けなくなったようだ。
 すぐにでも御者が修理を始めたが、急いでいるのに待たされたヘブンズ伯爵の苛々は頂点に達してしまった。

「おい、儂は急いでいるんだぞ!? さっさと直してすぐにでも出発しろ!」

「ひっ! す、すみません……! ですが、これは直すのに時間がかかるかと……」

「はあ!? おい、ふざけるなよ! 儂はすぐにでも王宮に向かわなくてはならんのだぞ! すぐに何とかしろ!」

「ヒイイイ……そ、そんなことを言われましても……」

 いくら怒鳴ったところで馬車が早く直るわけではない。
 怒鳴られようが殴られようが物を修理するのに時間を要するのは当然だ。だが、怒りが頭を支配している伯爵にはそれが分からない。


「もし、どうされましたか?」

 伯爵が道中で御者に怒鳴りつけていると、ふとそんな声が聞こえてきた。
 驚いて振り向くとそこには大きく立派な馬車が停まっていた。

「あ、いや……その……」

 その馬車は二頭立ての豪華なもので、伯爵が乗ってきたものより遥かに高価だと一目で分かる。きっと中に乗っている人間はさぞかし高貴な身分なのだろうと察し、そんな人物に怒鳴っていたところを見られたという羞恥で自然と声が小さくなる。

「お見苦しいところを見せてしまいました。実は乗っていた馬車が故障しまいまして……」

 先程とはうって変わって恥ずかしそうに声の主へと説明する伯爵。
 流石に他人、しかも高貴な身分であろう相手に怒鳴りつけるという不作法な真似は外面の良い彼には出来なかった。

「ほう、それはお困りですね? 失礼ながら先ほど『王宮へ行く』とおっしゃっていたのを耳にしましたが……もしよければ乗せていって差し上げましょうか?」

「えっ……? い、いえ、そのようなご迷惑をおかけするわけには……」

「いえいえ、我等も丁度王宮へと向かう最中ですので。ついでに貴方を乗せるくらい、ちっとも迷惑ではございません。どうやらお急ぎのご様子ですし、よろしければどうぞ乗っていってくだされ」

 いきなり「乗せていく」と言われ、驚きの余り伯爵は唖然としてしまった。
 確かに急いではいるものの、見知らぬ者の馬車に同乗することは抵抗がある。

「いえ、見ず知らずの方にご迷惑はかけられません。どうぞお気になさらず先へお進みください」

「遠慮なさいますな。なに、ここで会ったのも何かのご縁でしょう。気にせずお乗りくだされ」

 遠慮がちに伯爵がそう告げるも馬車の人物は意に介さない。
 それにしてもやけに迫力があって通る声だ。この声を聞いていると不思議と了承以外を返すのは不敬なのではないかと錯覚してしまう。それほど威厳に満ちたものだった。

 中に乗っているのはさぞかし名の知れた人物に違いない。
 いったいどんな大物が……と好奇心が湧いたその時だった。

「どうぞ、主がお待ちですのでお乗りください」

「ひっ……!?」

 いつの間にか背後に執事服を身に纏った青年が立っていた。
 足音ひとつしなかったので、驚いて子爵は思わず悲鳴をあげてしまう。

「これこれドミニク、驚かしてはいかんぞ」

「これは失礼いたしました。ささ、どうぞお乗りください」

 馬車の中にいる人物が青年に注意すると、彼は軽く謝罪をしつつ伯爵の手をとる。
 やや強引に手を引かれた伯爵は、あれよという間に馬車へと乗せられてしまった。

「狭い馬車で申し訳ないですな」

「あ、いえ……とんでもない……」

 中にいたのは伯爵と同年代の男だった。背が高く筋骨隆々とした体格はまるで歴戦の猛将を思わせるほど勇ましい。赤みがかった髪を短く切りそろえ、老いてなお分かる整った顔つき。見ていて圧倒される迫力を持つ老人だった。

 老人は車内を“狭い”と言ったが伯爵が乗っていた馬車と比べ物にならないほど広かった。しかも内装も凝っている。長く生きているがこんな豪奢な馬車はお目にかかったことがない。今は亡き先王の馬車に乗せてもらったことがあるがここまで豪華な造りではなかった。

 これほどの馬車を所持しているなんて、いったいどこの資産家だろう……。
 所作などから貴族であることは分かるのだが、国内にここまでの財力を有した家はあっただろうか?

「よろしければお飲み物をどうぞ。ワインは嗜まれますか?」

「あ、ああ……ありがとうございます」

 先程の執事服を着た青年が透明なグラスに赤紫色の液体を注ぎ伯爵へと渡す。
 その流麗な仕草に見惚れ、ふと青年の顔を見るとどことなく老人と似ているように思えた。

「……美味いですね」

「口に合って何よりです。これはでも人気の品でして……」

 商会? ということはこの老人は何処かの商会の主なのか?
 しかし国内にここまで財を有した商会などあっただろうか……。

 そう疑問を感じた伯爵がワイン瓶に目を遣ると、そこには信じられない物が描かれていた。

「え? は? そ、そのワインは……まさか……」

 実はワインに詳しい伯爵は瓶のラベルを見ただけでそれがどこで造られたものかが分かる。青年が持つワインはあるのみが取り扱っている品だ。そしてその商会の主というのはとんでもない肩書と血筋を持つ人物で……

「もしや、貴方……いえ、は……まさか……」

 どうしてこの国に、と絞り出すような声で問いかける伯爵に老人はニッと笑った。

「はは、なに、我が愛しのがこの国の王から酷い目に遭わされていると聞いて飛んで参ったわけですよ……」

 老人の正体に気づいた伯爵は驚愕の余り声が出せなかった。
 本来であればこんな軽々しく言葉を交わせるような相手ではない。
 大物中の大物である老人に畏怖の念を抱くあまり伯爵は今飲んでいる高価なワインの味すら分からなかった……。

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