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ジェシカ
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バーティ侯爵邸の廊下にてジェシカは途方に暮れていた。
冷静に考えれば突拍子もない話だ。
何の証拠も無いのにそれを信じろというのは難しい。
でも、それが本当だったら?
今まで犯罪や荒事とは無縁の世界で生きてきたジェシカにとって、捕縛や尋問などという言葉は想像しただけで身震いするほど恐ろしい。それが自分の身に降りかかるなんて冗談ではない。
(だいたい栽培が禁止された植物って何よ……。村では野菜しか育ててなかったわよ? もしかしてそれのどれかが育てちゃ駄目なものだった?)
ジェシカはバーティ家所有の領地にある村で生まれ育った。
村人は皆領主に献上する野菜を育てて生計を立てていた。それはジェシカの家も例外ではない。
泥と汗に塗れた生活が嫌で嫌で仕方なかったジェシカは少しでも楽をしようと村で一番権力のある村長の息子に取り入った。未来の村長夫人となれば外仕事はしなくともよいからだ。美しい顔立ちのジェシカは見事村長の息子の心を射止め、未来の村長夫人となることが決まった。だが、婚儀が近づいてきたある日のこと、領地の視察に来たバーティ侯爵と運命的な恋に落ちたのだ。
一目でジェシカを見初めた侯爵は周囲の制止も聞かずその日の内に邸へと連れ帰ってしまった。勿論息子の婚約者を奪われた村長は激怒して何度も抗議したが、侯爵がジェシカを村へ返すことは承諾しなかった。
そしてこのことが原因で、領主である侯爵と領民との間に修復不可能なほどの亀裂が走った。以降、侯爵が領地を視察することは無くなり、使用人がその代わりを担うこととなる。
だから今現在領地がどうなっているかをジェシカは知らない。
捨てた村がどうなろうと興味が無かったからだ。
婚約者である村長の息子、家族、そして育った村を捨てたことに後悔は無かった。だって仕方がない。いくら村一番権力のある家の息子といえども、貴族にはお金も権力も全てが敵わない。
(やっぱり……マクスに相談した方がいいわよね)
アリッサからはジェシカ一人だけを逃がすと言われたが、全てを捨てて愛した恋人を置いていくなど出来ない。それに、よく考えればアリッサの手など借りずとも二人で逃げればいいのだ。
ここに留まるか、二人で逃げるか。それは彼に決めてもらおうと思い、急いで部屋まで戻った。
「マクス! 起きてる?」
部屋のドアを開け、寝室へと向かう。
急にバタバタと使用人達が辞めてしまったことに腹を立て不貞腐れてしまった侯爵は朝からずっとベッドの上で酒を煽っては寝る、という行為を繰り返していた。
「んん……ジェシカ? 悪いけど大きな声を出さないでくれ……。頭に響く……」
のっそりとベッドの上から起き上がった侯爵の顔には無精髭がだらしなく生えていた。整えられていない髪を無造作にかき上げ、薄く開いた目をジェシカへと向けた。
「ねえ、マクス。アタシがいた村って今どうなってる?」
「は? 村? いきなり何だい?」
「いいから教えて! 重要なことなのよ!」
「そんなこと言われても、僕も知らないよ……。あの村にはずっと足を運んでいないからね。全部家令に任せていた」
「それは知っているけど! 村の様子くらいは聞いていたでしょう?」
「村の様子? ……いや、特に家令から報告は無かった。報告が無いということは問題が無いということだよ」
「問題が無い……? そうなの……?」
彼がそう言うのなら……と納得しかけたジェシカに寝起きの侯爵が意外な言葉をかけた。
「ジェシカ……、もしかしてあの村に帰りたいのかい?」
「は……? え? 別にそんなことは……」
「……遠慮しなくていいんだよ。あの村には君の家族や結婚するはずだった相手がいるものね。会いたいと思うのは当然だ……」
「はい? 何、いきなり……。別に今更会いたいとは思わないけど?」
「ジェシカ、強がらなくていい。僕に遠慮することないよ。本当はずっと後悔していたんだろう? あの時、婚約者や家族を捨てて僕の手を取ったことを……」
「さっきから何を言っているの……?」
自分に酔ったような台詞を吐く侯爵にジェシカは訝し気な目を向けた。
もしかして村の話を出したから勘違いしているのかもしれない、と理由を話そうとするジェシカを遮り侯爵はとんでもない発言をかました。
「ジェシカ、僕達そろそろ別れよう」
「は…………? はあああ!? なんですって!!?」
唐突な別れ話にジェシカは頭が真っ白になった。
アリッサにもちかけられた逃亡の話すら忘れるほどに……。
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