初恋が綺麗に終わらない

わらびもち

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ベロニカの願い

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「ベロニカ、本当にお前一人で大丈夫なのか?」

 心配そうに娘を見る両親に、ベロニカはにこやかな笑みを浮かべた。

「ええ、もちろんですわ。それに元々はわたくしへの謝罪のためにいらっしゃるのですから」

 今日はコンラッド侯爵が息子の所業への詫びとしてヴィクトリア伯爵家を訪問する日。だがあいにくヴィクトリア伯爵夫妻は外せない用事があり、二人そろって家を空けねばならない。

 娘一人に対応させるわけにはいかないと夫妻は渋るも、ベロニカの「一人で対応できます」という言葉と有無を言わせない態度に折れた。

 実はこれ、わざとベロニカが両親のいない日を侯爵に指定したのだ。
 母と侯爵を会わせたくなかったから。
 初恋の君である母を見て、頬を染める彼を見たくなかったから。

「心配なさらないでください。いらっしゃるのは侯爵閣下お一人ですので、困る事態にはなりませんわ」

 エーミールさえ来なければ困る事態は起きようもない。
 それは両親も同じように思っているようで、二人共顔を見合わせて「確かに……」と呟いていた。

 謝罪に本人が来ないのもどうかと思うが、ベロニカ自身もう彼には二度と会いたくない。それにエーミールが謝罪してもどうせ口だけ。聞いても腹が立つだけだ。

 後ろ髪を引かれる思いで邸を発つ両親を見送り、ベロニカは侍女に命じた。

「さて、お迎えの準備をするわ」

 綺麗に着飾り、初恋の君を迎えねば。

 いそいそと浮足立つかのようにベロニカは邸内にある自室へと足を進めた。



「ようこそ当家へおいでくださいました、侯爵閣下」

 お気に入りのドレスに身を包み、念入りに化粧を施したベロニカが侯爵を迎える。

「こちらこそ訪問を受けていただき感謝する」

 上品な黒の仕立てに身を包んだ侯爵は落ち着いた大人の魅力を醸し出している。
 久しぶりに見る愛しい人の姿にベロニカは思わず見惚れてしまった。

 応接室に案内し、共にお茶を飲む。
 そういえばこうして二人でお茶を飲むなんて初めての経験だ。
 婚約者の父とお茶を飲む機会なんて早々ないから、当然と言えば当然かもしれないが。

「ベロニカ嬢、此度の事本当に申し訳なかった……」

 お茶のカップをソーサーに戻し、侯爵が深々と頭を下げる。

「おやめください閣下、わたくしのような小娘に頭を下げるなど……」

「何を言う、私の頭をいくら下げても君が被った被害は無かったことにならないんだ。愚息の不始末は親である私の責任、頭なぞいくらでも下げよう」

 その潔い姿にベロニカの胸はときめきを抑えられない。

 ああ、やっぱりこの人は素敵だ。
 責任感のあるところも、潔いところも、相手を気遣う態度も、全てが魅力的で惹かれる気持ちが抑えきれない。

「本当に申し訳なかった。君の貴重な時間を浪費してしまったこと、詫びのしようもない……」

「そんな……お詫びの品もあんなに頂きましたし、そんなに気になさらないでくださいな」

 侯爵はベロニカへの詫びとして数多の贈り物を用意してくれた。
 どれもこれも高価な品で、目録を見て驚いてしまったほど。

「いや、物で愚息の罪が償えるわけではない。もし私が力になれることがあれば何でも言ってほしい。必ずや君の力になると誓う」

「何でも……ですか?」

 何でも、という言葉にベロニカは反応した。
 それと同時にある考えが頭を占める。

「それは……どのようなことでもですか?」

「ああ、勿論だ。時間を戻してくれとかそういう神懸かったことは無理だが、私に実行可能なことなら何でも言ってくれ」

 侯爵はベロニカに対して本当に申し訳ないと思っているからこそ、こうして力になろうとしてくれるのだ。

 ここで模範的な貴族令嬢ならば「お気持ちだけで十分です」と申し出を断るもの。
 ベロニカも相手が侯爵でなければそんな答えを返したはずだ。

 だが、恋する乙女の耳にはそれはひどく誘惑に満ちたもののように響く。
 まるで悪魔に唆されたようにベロニカの心を欲望が占める。

 気付けばもう、自分でも止められないでいた。

「では、おひとつだけ叶えて頂きたいことがございます」

「おお、そうか! 分かった、何でも言ってくれ」

「その前に人払いをお願いできますか? わたくしも家の者を下がらせますので」

「ん? ああ、承知した」

 頷いた侯爵は自分の従者を部屋から下がらせた。
 そしてベロニカも侍女と護衛に下がるよう命じる。

 護衛は主の身の安全の為に下がることを渋ったが、聞かれたくない話があるとして強く命じた。呼ぶまで決して部屋に入ってはならないとも。

 使用人が全て退出し、部屋にはベロニカと侯爵の二人だけとなる。
 しばし沈黙が流れる中、ベロニカが意を決したように口を開いた。

「閣下、それではわたくしのお願いを聞いてくださいませ」

「ああ、分かった」

「ありがとうございます。それでは…………わたくしに口づけしてくださいませ」

「……………………は?」

 聞き間違いだろうか、今目の前の少女は「口づけしてほしい」と言わなかったか?

「……すまない、耳が遠くてよく聞こえなかったようだ。もう一度言ってくれるか?」

 きっと聞き間違いだ、そうに違いない。
 こんなに若くて美しい娘がこんな中年相手にそんなこと言うはずない。

 全く、こんなとんでもない聞き間違いをするなんて自分も老いたものだ。

 そう気を取り直した侯爵はベロニカの返答を待った。

「はい、閣下に口づけしてほしいと申しました。今、ここでお願いします」

 聞き間違いじゃなかった……。

 この美しい少女は、こんな中年相手に口づけしてほしいと言ったのだ。

「ベロニカ嬢……何で急にそんな……」

「あら? 理由を知りたいので?」

 艶やかに微笑むベロニカに侯爵は不覚にも心臓を高鳴らせた。

 息子と同年代の、まだ子供だと思っていた少女がこんな顔を見せるなんて……。

「閣下がいけないんですのよ。婚約者に蔑ろにされた哀れな女に優しくするから……」

 妖艶な顔から一転、哀愁漂う表情で俯くベロニカに侯爵は胸を鷲掴みにされた。

 初恋の女性によく似た少女。だが彼女とは雰囲気が全く違う。

「それは夜会の会場から君を家まで送り届けたことを言っているのか? あれくらいでそんな……。いや、元はと言えばそのくらいの優しさで喜ぶほど愚息が君を蔑ろにしていたからだな……」

 エーミールが蔑ろにしたせいで彼女は男からの優しさに飢えているんだ。
 だからこんな父親と同年代の中年相手に間違った思いを抱いてしまったのだろう。

「きっかけはそれですね。あの日からわたくしは閣下のことばかり考えておりますの」

 頬を染め、うっとりとした顔で侯爵を見つめるベロニカはひどく色香に満ちている。
 全くそういう対象に見ていなかった少女からの突然の告白に、いつも冷静沈着な侯爵は目に見えて狼狽えた。

「そ、それは……気の迷いだよ。君のように若く美しいレディがこんな中年にそんなこと……」

「あら、閣下はわたくしの想いを否定なさるおつもりで?」

「い、いや……! 決してそんなつもりは……」

 一回りも年下の少女に会話の主導権をすっかり握られてしまい、いつもの調子が出てこない。

 詫びのつもりで『何でもする』と言ったことが、こんな事態を招こうとは流石の侯爵も予想だにしていなかった。
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