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これが彼女と交わした最後の会話だった
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「ありがとうございます……! ミシェル様はやっぱりお優しいです……!」
その言葉に苦笑いを浮かべそうになった。
ヘレンは私の発言を聞いてはいるが理解はしていない。
何故か私が王子に会うだけで全てが解決すると、何故そんな都合のいい解釈が出来るのか。
(まさか一言目で納得されてしまうとは思わなかったわ……)
はっきり言って私はあの王子を助けてやろうという気は微塵もない。
だからヘレンの頼みも聞くつもりはない。だがいくら断ってもヘレンはしつこいし、斜め上の反応をしてくる。
だから王子と面会をするという特に意味のない行為を、さも彼を助ける為の行動だと大袈裟に説明するつもりだった。本当に助けるつもりなら王子と面会するのではなく、父の公爵に頼んだ方がよほど効果的なのだが学の無いヘレンにはそれが分からない。
それにしてもまだ一言、それも「王子に会う」としか言っていないのにそれを“優しい”と解釈し、お礼さえ述べるという神経が理解できない。王子に散々暴言を吐かれ、嫌いとまで言った私がどうして助けると思うのか。
「よかった……! これで王妃様にいい報せを聞かせられます! あ、そうだ、帰りに王妃様が好きな葡萄酒でも買って帰ろうかな」
「あら……? 王妃様は昏睡状態にあるのでしょう? 葡萄酒なんて飲めるの?」
「いえ、まだ飲める状態ではありませんが……せめて香りだけでもと思いまして」
王妃の枕元に葡萄酒を注いだグラスを置けば香りだけでも楽しめる、とヘレンは嬉しそうに話してきた。
その曇りのない純粋無垢な微笑みはあの時と同じ。婚約者の交流茶会でミシェルの婚約者の隣に座り、悪びれもせずこちらに向けてきたあの微笑みと……。
(この笑顔を見ていると吐き気がするわね……)
ミシェルが辛い想いをする時にはいつも視線の先にこの笑顔があった。
無邪気に他人の婚約者の隣を奪うこの笑顔が、ミシェルを悲しませるこの笑顔が大嫌いだ。王妃が儚くなり、王子が片付いたらこの女はどうしてやろうか……。
「それではお邪魔しました! また会いに来ますね、ミシェル様!」
ヘレンの言葉にハッと我に返った。嬉しそうにうきうきしながら去っていく彼女を見て先ほどの考えを頭から消し去る。
(止めよう……。私が何もしなくとも、バチは当たるでしょう)
今まで自分を守って優遇してきた王妃と王子がいなくなり、生きる術ひとつ持たないヘレンがまともに生活をしていけるとは思えない。おまけに騙されやすい彼女のことだ、言葉巧みに騙されて娼館へ身売りを……なんてこともあり得る。
いずれにせよ、全てを失ったヘレンが幸福になれるとは思えない。
「はあ……疲れたわ。キャシー、悪いけどお茶を淹れ直してくれる?」
ヘレンと話している最中にお茶はすっかり冷めてしまった。
本来であれば飲みながら話を進めるものだが、あまりにも馬鹿馬鹿しい内容に口をつけることさえ頭から消えてしまっていた。
「勿論です。すぐに用意して参ります」
お茶を待っている間、私は応接室の窓から景色を眺めた。
そこから見える庭園の風景が目に優しい。それだけで心の中にある怒りと体の疲労が癒されていくようだ。
しかし、視界の端にヘレンが乗って来た馬車が門から出て行く光景が見え、再び嫌な気持ちが心の中に充満していった。
「………………ん?」
ふと、今見えた景色に違和感を覚えた。
馬車が門から出て行く、というありふれた光景なのに何故かおかしい。
(なんだろう……。今の馬車、何かが変……)
馬車の形が変だとか、そういうのではない。
別に馬車自体には何の問題もないと思うのだが……なんだろう。
「お待たせしました、お嬢様。あれ? どうしたんですか?」
ティーワゴンを押して戻ってきたキャシーが窓へと顔を向ける私に問いかける。
私は顔を動かさず「ねえ、キャシー……」と呟いた。
「ヘレンが乗って来た馬車……何か変だと思わない?」
「え? 変とは?」
「うーん……それは分からないけど、何か……何か違和感があるのよね」
「違和感ですか? あー……そういえばひとつだけ私も変だなと思ったところがあります。あの女が乗って来た馬車、護衛が一人もいないんですよね」
キャシーの返答に私は『それだ!』と心の中で叫んだ。
そうだ、あの馬車には護衛がいなかった。辻馬車ならともかくとして、王侯貴族が乗る馬車は野盗などに狙われやすい。なので護衛が馬に騎乗し、馬車を守るように並走する。
それなのにヘレンが乗って来た馬車は護衛が一人もおらず、無防備な状態を晒していた。
「確かにいなかったわね。以前ヘレンが当家に来た時にはどうだったかしら?」
「あの時は……いたと思います。停車中の馬車の横に兵士がいたのを見た気がします」
「まあ、キャシーは記憶力がいいわね。その時は護衛をつけられたのに今は……あ、そういえば王宮の兵士が全員解雇になっていたわ。きっとそのせいね……」
「え!? 兵士が全員解雇? 今の王宮ってそんな危険な状態なんですか!」
「ええ、そうよ。一応王宮内にはしばらく各高位貴族の派遣した騎士が配置されているはずよ」
なるほど、王宮の兵士が全員解雇されているせいで馬車に護衛がつけられなかったのかもしれない。勝手に他家の騎士を護衛につけるわけにもいかないので、ああして護衛無しでやって来たのだろう。
「だから今回護衛もつけずにやって来たんですね……。あんな豪華な馬車を護衛無しで乗るとか怖くないのでしょうか? 明るいうちならまだ安全ですけど……日が落ちたらかなり危険ですね」
この邸から王宮までの距離ならばまだ明るい内に帰れるだろう、と考えキャシーが淹れてくれた温かいお茶を口にする。
「美味しい……。キャシーの淹れるお茶はいつも美味しいわ」
私の言葉に嬉しそうな顔を見せるキャシー。彼女の笑顔はヘレンと違い安心する。
この時の私は最後にヘレンと交わした会話をすっかりと忘れており、そのことに気づいたのは随分と後になってからだった。
ヘレンが王妃への土産を購入する為に寄り道をすると言っていたことを……。
その言葉に苦笑いを浮かべそうになった。
ヘレンは私の発言を聞いてはいるが理解はしていない。
何故か私が王子に会うだけで全てが解決すると、何故そんな都合のいい解釈が出来るのか。
(まさか一言目で納得されてしまうとは思わなかったわ……)
はっきり言って私はあの王子を助けてやろうという気は微塵もない。
だからヘレンの頼みも聞くつもりはない。だがいくら断ってもヘレンはしつこいし、斜め上の反応をしてくる。
だから王子と面会をするという特に意味のない行為を、さも彼を助ける為の行動だと大袈裟に説明するつもりだった。本当に助けるつもりなら王子と面会するのではなく、父の公爵に頼んだ方がよほど効果的なのだが学の無いヘレンにはそれが分からない。
それにしてもまだ一言、それも「王子に会う」としか言っていないのにそれを“優しい”と解釈し、お礼さえ述べるという神経が理解できない。王子に散々暴言を吐かれ、嫌いとまで言った私がどうして助けると思うのか。
「よかった……! これで王妃様にいい報せを聞かせられます! あ、そうだ、帰りに王妃様が好きな葡萄酒でも買って帰ろうかな」
「あら……? 王妃様は昏睡状態にあるのでしょう? 葡萄酒なんて飲めるの?」
「いえ、まだ飲める状態ではありませんが……せめて香りだけでもと思いまして」
王妃の枕元に葡萄酒を注いだグラスを置けば香りだけでも楽しめる、とヘレンは嬉しそうに話してきた。
その曇りのない純粋無垢な微笑みはあの時と同じ。婚約者の交流茶会でミシェルの婚約者の隣に座り、悪びれもせずこちらに向けてきたあの微笑みと……。
(この笑顔を見ていると吐き気がするわね……)
ミシェルが辛い想いをする時にはいつも視線の先にこの笑顔があった。
無邪気に他人の婚約者の隣を奪うこの笑顔が、ミシェルを悲しませるこの笑顔が大嫌いだ。王妃が儚くなり、王子が片付いたらこの女はどうしてやろうか……。
「それではお邪魔しました! また会いに来ますね、ミシェル様!」
ヘレンの言葉にハッと我に返った。嬉しそうにうきうきしながら去っていく彼女を見て先ほどの考えを頭から消し去る。
(止めよう……。私が何もしなくとも、バチは当たるでしょう)
今まで自分を守って優遇してきた王妃と王子がいなくなり、生きる術ひとつ持たないヘレンがまともに生活をしていけるとは思えない。おまけに騙されやすい彼女のことだ、言葉巧みに騙されて娼館へ身売りを……なんてこともあり得る。
いずれにせよ、全てを失ったヘレンが幸福になれるとは思えない。
「はあ……疲れたわ。キャシー、悪いけどお茶を淹れ直してくれる?」
ヘレンと話している最中にお茶はすっかり冷めてしまった。
本来であれば飲みながら話を進めるものだが、あまりにも馬鹿馬鹿しい内容に口をつけることさえ頭から消えてしまっていた。
「勿論です。すぐに用意して参ります」
お茶を待っている間、私は応接室の窓から景色を眺めた。
そこから見える庭園の風景が目に優しい。それだけで心の中にある怒りと体の疲労が癒されていくようだ。
しかし、視界の端にヘレンが乗って来た馬車が門から出て行く光景が見え、再び嫌な気持ちが心の中に充満していった。
「………………ん?」
ふと、今見えた景色に違和感を覚えた。
馬車が門から出て行く、というありふれた光景なのに何故かおかしい。
(なんだろう……。今の馬車、何かが変……)
馬車の形が変だとか、そういうのではない。
別に馬車自体には何の問題もないと思うのだが……なんだろう。
「お待たせしました、お嬢様。あれ? どうしたんですか?」
ティーワゴンを押して戻ってきたキャシーが窓へと顔を向ける私に問いかける。
私は顔を動かさず「ねえ、キャシー……」と呟いた。
「ヘレンが乗って来た馬車……何か変だと思わない?」
「え? 変とは?」
「うーん……それは分からないけど、何か……何か違和感があるのよね」
「違和感ですか? あー……そういえばひとつだけ私も変だなと思ったところがあります。あの女が乗って来た馬車、護衛が一人もいないんですよね」
キャシーの返答に私は『それだ!』と心の中で叫んだ。
そうだ、あの馬車には護衛がいなかった。辻馬車ならともかくとして、王侯貴族が乗る馬車は野盗などに狙われやすい。なので護衛が馬に騎乗し、馬車を守るように並走する。
それなのにヘレンが乗って来た馬車は護衛が一人もおらず、無防備な状態を晒していた。
「確かにいなかったわね。以前ヘレンが当家に来た時にはどうだったかしら?」
「あの時は……いたと思います。停車中の馬車の横に兵士がいたのを見た気がします」
「まあ、キャシーは記憶力がいいわね。その時は護衛をつけられたのに今は……あ、そういえば王宮の兵士が全員解雇になっていたわ。きっとそのせいね……」
「え!? 兵士が全員解雇? 今の王宮ってそんな危険な状態なんですか!」
「ええ、そうよ。一応王宮内にはしばらく各高位貴族の派遣した騎士が配置されているはずよ」
なるほど、王宮の兵士が全員解雇されているせいで馬車に護衛がつけられなかったのかもしれない。勝手に他家の騎士を護衛につけるわけにもいかないので、ああして護衛無しでやって来たのだろう。
「だから今回護衛もつけずにやって来たんですね……。あんな豪華な馬車を護衛無しで乗るとか怖くないのでしょうか? 明るいうちならまだ安全ですけど……日が落ちたらかなり危険ですね」
この邸から王宮までの距離ならばまだ明るい内に帰れるだろう、と考えキャシーが淹れてくれた温かいお茶を口にする。
「美味しい……。キャシーの淹れるお茶はいつも美味しいわ」
私の言葉に嬉しそうな顔を見せるキャシー。彼女の笑顔はヘレンと違い安心する。
この時の私は最後にヘレンと交わした会話をすっかりと忘れており、そのことに気づいたのは随分と後になってからだった。
ヘレンが王妃への土産を購入する為に寄り道をすると言っていたことを……。
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