どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

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五十話 尾張の奉行ごときが

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 元実に至急、今川館に呼び出しがあった。

 だいたい用件は分かっていた。
 太原雪斎様のご意向で、一向宗から織田信勝の借書を買うのを控えていたのだ。

 当家だけではない。

 商いを生業としたる家は押し並べて控えていた。

 それが義元公に知れたやもしれぬ。

 今川館に参上し、奥座敷に通されると、義元公がおられ、
 その脇にはいつものように雪斎様がおられた。

 その雪斎様のお顔を見て元実は青ざめた。

 目の周りに青あざがある。

 それにも関わらず、雪斎様は大変ご機嫌がよく、にこやかにしておられる。

 「何を見ておる」

 不機嫌なお顔で義元公がのたまった。

 「いえ、何も」

 「嘘を言え、雪斎を凝視していたではないか。いかにも、我が殴って足蹴にした」

 「そのような、しかし、雪斎様はご機嫌がよろしいようで、某には計りかねまする」

 「別に気にすることもない、拙僧は嬉しいのじゃ、
 御屋形様がかように雪斎に感情を向けけてくださり、真に嬉しい限りじゃ」

 「何を仰せですか、恥辱を受けてうれしい者がおりましょうや」

 「いや、嬉しいぞ、その方もいずれ年をとればわかる」

「そのような事はどうでもよい」

 義元公は雪斎様のお言葉を遮られた。

 「その方ら、雪斎から言われて織田信勝の借書を買うのを
 止めたそうだの。我が皆の前で信勝への与力を散々言うたは、
 皆も我を見習うてほしいとの内意あってのことじゃ。
 それが分からぬそなたではあるまし」

 「はい、たしかに」

 「ならば、なぜ買い集めるのを止めた。
 そなたは我が家臣か雪斎の家臣か」

 「当然の事ながら上様の家臣でございます。上様への忠節に二心はございませぬ」

 「その忠義の果てが我の邪魔か。
 そなたら、信勝と信長の戦、信長に勝たせたいか」

 「いいえ、雪斎様は信勝が銭を持ち、
 銭を家臣に貸せば貸すほど危ないと仰せでした」

 「それは我が見立てが間違うておると言う事か」

 「いいえ、そのような」

 元実は青ざめて平伏した。

 「さればこそ、拙僧が言うておりまする。
 今こそ、義元公が兵を挙げられ、直接信長を討つべしと」

「今動けば背後から武田と北条が襲いかかる」

「すでに時がありませぬ。
 信長を討つ事さえできれば尾張も甲斐も相模もすべて御屋形様のものになりまする。
 よって、今駿河を捨てても信長を討つが善の善なり。
 信長が尾張統一した後では間に合いませぬ」

 「何を大げさな。たかが尾張の奉行ごときに何ができよう。
 信長のごときは真剣にとりあうにあたわず。元実はどう推察する」

 「そ、それはあまりにも荒唐無稽な。某の考えの及ばぬ先でございまする」

 「であろう。我も雪斎が何を言っているのかわからぬ。
 かの聡明な雪斎はどこに行ってしまったのか。
 これを聞いて元実も分かったであろう、我が気持ちを」

 「はい、恐れながら吞み込めましてございまする」

 「それ見るがよい、群臣居並ぶ前でなくてよかった。
 先に実元だけに聞かせてよかったぞ。
 このような妄言、世間にしれたら雪斎の威信が地に落ちよう」

 「我が威信など地に落ちてもかまいません。
 かつて礎の項籍は范増の意見を聞かず鴻門の会で
 高祖を許したがために身を滅ぼしました。
 呉王夫差は伍子胥の言を入れなかったために滅びました。
 御屋形様の繁栄のためならこの雪斎いくらでも地に落ちましょう」

 「くだらぬ絵空事の物語など語るな。今まで荒波を乗り越えて今川家は何百年も
 続いてきたのだ。それが、たかが尾張の奉行ごとき見逃しただけで、
 大事になるわけがない。
 
 真剣に考えるまでもないわ。

 現実を見よ。
 信勝は銭の力で家臣を縛り、人心を掴み、
 信長の倍する兵力を擁しておる。
 人々からたわけ、うつけとあざけられながらも、
 土建を止めぬ犯土にまみれた愚か者に負ける訳がない。
 我が攻めずとも織田信勝が信長を殺す。
 さすれば我が駿河を捨ててまで信長を討つこともないわ。
 善の善なるは戦わずして勝つこと。無思慮な猪突は愚の骨頂である」


 「ですから借金は借りている者は貸している者に恩義など感じず、
  むしろ死んでしまえと思っていると、何度も申し上げております」

 「そうは思っていても家臣に君主を殺す度胸などあるまい。そうに違いない」

 「殺す度胸なくとも手を抜くことはできまする」

 「それはそなたの我田引水にすぎぬ。
 必ずそうなるという確証が無い。
 憶測に国の命運はかけられぬわ」

 「そこまで仰せならば、一度会うてみられませ、
 御心の鏡に曇りなくば、聡明な御屋形様であれば必ず気づくはず。
 今、下天に信長ほど恐ろしきものはございませぬ」

 「はははっ、大きくでたの、羹に懲りて鱠を吹くの例えあり。
 雪斎はまるで何かにとりつかれたように分別がない、
 のお元実そなたは雪斎の言う理屈が分かるか」

 「恐れながら某の浅学では計りかねることにてございます」

 「浅学でなくても分からぬわ、雪斎も頭を冷やすがよい」

 「よろしい」

 雪斎様は己が膝をポンと叩かれた。

 「ならば、甲斐武田、駿河北条と同盟を結び、
 後顧の憂いなくなれば、ただちに織田信長を攻めてくれまするな」

 この雪斎様のお言葉に義元公は口をあんぐりと開けられ目を丸くされた。

 「はははっ、やれるものならやってみよ。
 同盟の件、そちに全権委任する。
 もし、甲斐武田、駿河北条との三国同盟なったなら、
 織田信長を攻めてやろう」

 「承知仕った」

 雪斎様はそう仰せになると、勢いよく座敷を退出された。

 義元公は口に笑みを含み、横目で元実の顔を見た。

 「出来ると思うか」

 「それは、さすがに雪斎様といえど……」

 元実は口ごもった。
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