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三十二話 お妃様と子供たち
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今日のエリーズはヴィオルと共に馬車に揺られ、公務へと向かっていた。行先は王都の郊外に建てられた孤児院だ。精霊の加護を受けたアルクレイド王国において、戦や国全体を揺るがす程の大災害は起こらない。しかし不幸な事故や病気により親を亡くし、寄る辺のない身となってしまう子供は少なからず存在する。彼らを救うための孤児院は王都の他だけでなく国中に建設されている。
かつては私立の孤児院が点在していたが、虐待や人身売買の温床となり領主も見て見ぬ振り、という事態が何件もあったようだ。また十分な教育を孤児たちに施さず、孤児院を出た後は物乞いや劣悪な環境下で娼婦になるしか生きる道がないという例も。このことを知ったヴィオルは私立の孤児院を全て解体、代わりに一定の広さ以上の領地に対し領主の名で孤児院を作らせた。孤児の引き受けを希望する者にも厳しい制限を設け、不当な扱いを受ける子供がいないよう領主が定期的に院内を視察することを義務付け、成長して孤児院を出ていっても真っ当に身を立てていけるよう子供たちに一定の水準の教育を施す――貴族たちと連携しそれらの施策を軌道に乗せるまでに四年ほどかかったという。
エリーズたちが今から訪ねるのは、王都に建設された国王の管理下にある孤児院だ。視察はジギスを含めヴィオルが信頼を置く者が代理として行うことがほとんどらしいが、少なくとも年に一度はヴィオル自身で訪問するようにしているのだという。今回それに同行することになったエリーズは、髪を首の後ろ辺りで一つにまとめ、飾りもスカートの膨らみも控えめに抑えられた長袖の薄桃色のドレスを着用している。
馬車が止まり、従者が扉を開ける。ヴィオルの手を借りて馬車を降りると、空色の屋根をした横に長い建物がエリーズの目に映った。
建物の玄関に立っていた一組の男女がエリーズたちの元に近づいてきて、丁寧に頭を下げた。
「国王陛下、王妃殿下、ようこそいらっしゃいました」
アーネストとその妻エミーと名乗った彼らが、この孤児院の管理を務めているのだという。挨拶を交わし、夫妻の案内でヴィオルとエリーズは建物の中へと足を踏み入れた。
まずは子供たちに挨拶を、と二人は広い部屋に通された。二十数人あまりの子供たちが集められて床に座っており、孤児院の働き手らしき若い女性が付き添っている。院長夫婦と客人の姿を見た女性が立ち上がるよう子供たちに合図をすると、花の芽のように子供たちがぴょこぴょこと立ち上がる。彼らの年齢は十歳前後から二歳くらいまでと様々で、この状況が飲み込めないほどの幼子は年上の子らに手を引っぱり上げられてその場に立った。
「国王さま、王妃さま、来てくださって、ありがとうございます」
不揃いだが懸命に練習したのであろう歓迎の言葉に、エリーズは思わず破顔した。
「ありがとう、皆元気そうで何よりだ」
「初めまして、お会いできて嬉しいわ」
ドレスの裾を持ちあげて挨拶をしたエリーズを、子供たちは好奇心と憧れに満ちた目で見つめる。それでは、とアーネスト院長がヴィオルに声をかけた。
「国王陛下、王妃殿下、院内をご案内致します」
「そうだね、頼むよ」
「あの……ヴィオル」
エリーズの呼び声を受け、ヴィオルがその方へ顔を向ける。
「良かったら、あなたが視察を終えるまでここで子供たちと過ごさせてもらえないかしら?」
院内の視察や院長との話し合いはヴィオルにとっては慣れたもののはずだ。エリーズの出る幕はおそらくない。だが子供たちと触れあって、楽しいひと時を分かち合うことならエリーズにもできる。ただ夫の傍らに控えるのではなく、何か自分にできることをしたかった。
「院長、それでも構わないかな?」
「ええ、もちろんですとも!」
アーネスト院長がこくこくと頷く。また後で、とヴィオルと院長夫妻を見送り、エリーズは子供たちに近づいた。不思議そうな顔で見つめてくる彼らの前でしゃがみ、微笑んでみせる。
「わたしも皆に混ぜて欲しいの。何をして遊ぶのが好き?」
「ハンカチ落としが好き!」
「お人形遊び!」
「わたしはお姫さまごっこ!」
口々に言いながら、子供たちが無邪気にエリーズを取り囲む。つられてエリーズも笑い声をあげた。
「まあ、どれも楽しそう! それじゃあ全部やりましょう」
***
孤児院内の環境を確認し、院長夫妻から近況の報告を受け困りごとを吸い上げ――ヴィオルは彼らと共に最初に通された部屋へと戻った。
院長が扉を少し開け中の様子を伺う。椅子に座ったエリーズが、本を床に座った子供たちに見えるようにして広げながら読み聞かせている最中だった。子供たちは皆、それに聞き入っている。
「そして二人は、いつまでも幸せに暮らしました……おしまい」
締めくくりの言葉をエリーズが述べて本を閉じると、わっと拍手が巻き起こる。
「つぎは何のおはなし?」
「そうね、次は……」
そう言いかけたところで、エリーズは物語が終わったのを見計らって部屋に入ってきたヴィオルたちに目を留めた。楽しい時間の終わりを悟り、椅子から立ち上がる。
「ごめんなさい、今日はもう帰る時間だわ」
「えー?」
「もっとお話よんでー!」
「ほら皆さん、王妃様を困らせてはいけませんよ」
見かねた院長の妻エミーが間に入り、遊んでくれたお礼を言いなさいと促す。子供たちはありがとうございましたと言った後、また口々に喋り出した。
「王妃さま、また来る?」
「近いうちに必ず来るわ。今度はお話の本をたくさん持ってくるわね」
「今度は縄跳びしてあそぼ!」
「縄跳びね。とっても楽しみ」
「あのね、わたし大きくなったらお姫さまになってドレスが着たいの」
「まあ、素敵な夢。きっと叶うわ」
別れの時だというのに話すのをやめない子供たち一人ひとりの言葉に耳を傾け、目線を合わせながらエリーズは笑顔で応える。そろそろいい加減に、と止めに入ろうとしたアーネスト院長をヴィオルがそっと制した。
「あと少しなら大丈夫だ」
「……王妃殿下は素晴らしいお方ですね。精霊様が再び我々の前に姿を現してくださったようだ」
院長が感嘆のため息交じりに言う。
「……僕も、そう思うよ」
子供たちに囲まれ慈母のような優しい表情を浮かべる妻の姿を、ヴィオルはしばらく見つめていた。
***
すっかりエリーズに懐いた孤児たちは、エリーズたちが乗る馬車が見えなくなるまで手を振り続けてくれた。馬車の座席でひと息ついたエリーズの手に、ヴィオルのそれが重ねられる。
「随分と人気者だったね。疲れていない?」
「ええ。とっても楽しかったわ」
エリーズと共に過ごした孤児たちは、親を失うという悲しみを背負いながらもその瞳に屈託のない輝きを宿していた。親の愛を知らない子供たちに、少しでもそれに近いものを伝えられただろうか。
(わたしたちの間にも、早く)
無邪気な子供たちと接し、エリーズの胸を膨らませるのは我が子が欲しいという思いだ。愛する人との間にもうけた子なら可愛らしさもひとしおだろう。
アルクレイド国王の妻となった者は、最初の出産で必ず男児を産むのだという。精霊の血を引くその子は健やかに育ち――やがて次の王になる。
歴代の王妃たちにはその世継ぎを成す以上のことは要求されなかったというが、エリーズはできれば数人の子が欲しかった。かつて母が生きていた頃、エリーズは弟か妹が欲しいとねだったことがある。母は笑って娘の頭を撫で、来るようにお祈りしましょうと言ってくれたが――新たな命を宿すことなくこの世を去ってしまった。
ヴィオルと共に子供たちに囲まれて庭でお茶をして遊び、夜には皆で歌ったり物語を読んで過ごす……それができたなら、どれほど幸福な人生だろう。まだヴィオルにはこの望みを伝えていないが、彼ならきっと頷いてくれる。
まずは次の王を無事に産むことが先だ。賑やかで温かい未来に思いを馳せながら、エリーズは夫の肩にそっともたれかかった。
かつては私立の孤児院が点在していたが、虐待や人身売買の温床となり領主も見て見ぬ振り、という事態が何件もあったようだ。また十分な教育を孤児たちに施さず、孤児院を出た後は物乞いや劣悪な環境下で娼婦になるしか生きる道がないという例も。このことを知ったヴィオルは私立の孤児院を全て解体、代わりに一定の広さ以上の領地に対し領主の名で孤児院を作らせた。孤児の引き受けを希望する者にも厳しい制限を設け、不当な扱いを受ける子供がいないよう領主が定期的に院内を視察することを義務付け、成長して孤児院を出ていっても真っ当に身を立てていけるよう子供たちに一定の水準の教育を施す――貴族たちと連携しそれらの施策を軌道に乗せるまでに四年ほどかかったという。
エリーズたちが今から訪ねるのは、王都に建設された国王の管理下にある孤児院だ。視察はジギスを含めヴィオルが信頼を置く者が代理として行うことがほとんどらしいが、少なくとも年に一度はヴィオル自身で訪問するようにしているのだという。今回それに同行することになったエリーズは、髪を首の後ろ辺りで一つにまとめ、飾りもスカートの膨らみも控えめに抑えられた長袖の薄桃色のドレスを着用している。
馬車が止まり、従者が扉を開ける。ヴィオルの手を借りて馬車を降りると、空色の屋根をした横に長い建物がエリーズの目に映った。
建物の玄関に立っていた一組の男女がエリーズたちの元に近づいてきて、丁寧に頭を下げた。
「国王陛下、王妃殿下、ようこそいらっしゃいました」
アーネストとその妻エミーと名乗った彼らが、この孤児院の管理を務めているのだという。挨拶を交わし、夫妻の案内でヴィオルとエリーズは建物の中へと足を踏み入れた。
まずは子供たちに挨拶を、と二人は広い部屋に通された。二十数人あまりの子供たちが集められて床に座っており、孤児院の働き手らしき若い女性が付き添っている。院長夫婦と客人の姿を見た女性が立ち上がるよう子供たちに合図をすると、花の芽のように子供たちがぴょこぴょこと立ち上がる。彼らの年齢は十歳前後から二歳くらいまでと様々で、この状況が飲み込めないほどの幼子は年上の子らに手を引っぱり上げられてその場に立った。
「国王さま、王妃さま、来てくださって、ありがとうございます」
不揃いだが懸命に練習したのであろう歓迎の言葉に、エリーズは思わず破顔した。
「ありがとう、皆元気そうで何よりだ」
「初めまして、お会いできて嬉しいわ」
ドレスの裾を持ちあげて挨拶をしたエリーズを、子供たちは好奇心と憧れに満ちた目で見つめる。それでは、とアーネスト院長がヴィオルに声をかけた。
「国王陛下、王妃殿下、院内をご案内致します」
「そうだね、頼むよ」
「あの……ヴィオル」
エリーズの呼び声を受け、ヴィオルがその方へ顔を向ける。
「良かったら、あなたが視察を終えるまでここで子供たちと過ごさせてもらえないかしら?」
院内の視察や院長との話し合いはヴィオルにとっては慣れたもののはずだ。エリーズの出る幕はおそらくない。だが子供たちと触れあって、楽しいひと時を分かち合うことならエリーズにもできる。ただ夫の傍らに控えるのではなく、何か自分にできることをしたかった。
「院長、それでも構わないかな?」
「ええ、もちろんですとも!」
アーネスト院長がこくこくと頷く。また後で、とヴィオルと院長夫妻を見送り、エリーズは子供たちに近づいた。不思議そうな顔で見つめてくる彼らの前でしゃがみ、微笑んでみせる。
「わたしも皆に混ぜて欲しいの。何をして遊ぶのが好き?」
「ハンカチ落としが好き!」
「お人形遊び!」
「わたしはお姫さまごっこ!」
口々に言いながら、子供たちが無邪気にエリーズを取り囲む。つられてエリーズも笑い声をあげた。
「まあ、どれも楽しそう! それじゃあ全部やりましょう」
***
孤児院内の環境を確認し、院長夫妻から近況の報告を受け困りごとを吸い上げ――ヴィオルは彼らと共に最初に通された部屋へと戻った。
院長が扉を少し開け中の様子を伺う。椅子に座ったエリーズが、本を床に座った子供たちに見えるようにして広げながら読み聞かせている最中だった。子供たちは皆、それに聞き入っている。
「そして二人は、いつまでも幸せに暮らしました……おしまい」
締めくくりの言葉をエリーズが述べて本を閉じると、わっと拍手が巻き起こる。
「つぎは何のおはなし?」
「そうね、次は……」
そう言いかけたところで、エリーズは物語が終わったのを見計らって部屋に入ってきたヴィオルたちに目を留めた。楽しい時間の終わりを悟り、椅子から立ち上がる。
「ごめんなさい、今日はもう帰る時間だわ」
「えー?」
「もっとお話よんでー!」
「ほら皆さん、王妃様を困らせてはいけませんよ」
見かねた院長の妻エミーが間に入り、遊んでくれたお礼を言いなさいと促す。子供たちはありがとうございましたと言った後、また口々に喋り出した。
「王妃さま、また来る?」
「近いうちに必ず来るわ。今度はお話の本をたくさん持ってくるわね」
「今度は縄跳びしてあそぼ!」
「縄跳びね。とっても楽しみ」
「あのね、わたし大きくなったらお姫さまになってドレスが着たいの」
「まあ、素敵な夢。きっと叶うわ」
別れの時だというのに話すのをやめない子供たち一人ひとりの言葉に耳を傾け、目線を合わせながらエリーズは笑顔で応える。そろそろいい加減に、と止めに入ろうとしたアーネスト院長をヴィオルがそっと制した。
「あと少しなら大丈夫だ」
「……王妃殿下は素晴らしいお方ですね。精霊様が再び我々の前に姿を現してくださったようだ」
院長が感嘆のため息交じりに言う。
「……僕も、そう思うよ」
子供たちに囲まれ慈母のような優しい表情を浮かべる妻の姿を、ヴィオルはしばらく見つめていた。
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「ええ。とっても楽しかったわ」
エリーズと共に過ごした孤児たちは、親を失うという悲しみを背負いながらもその瞳に屈託のない輝きを宿していた。親の愛を知らない子供たちに、少しでもそれに近いものを伝えられただろうか。
(わたしたちの間にも、早く)
無邪気な子供たちと接し、エリーズの胸を膨らませるのは我が子が欲しいという思いだ。愛する人との間にもうけた子なら可愛らしさもひとしおだろう。
アルクレイド国王の妻となった者は、最初の出産で必ず男児を産むのだという。精霊の血を引くその子は健やかに育ち――やがて次の王になる。
歴代の王妃たちにはその世継ぎを成す以上のことは要求されなかったというが、エリーズはできれば数人の子が欲しかった。かつて母が生きていた頃、エリーズは弟か妹が欲しいとねだったことがある。母は笑って娘の頭を撫で、来るようにお祈りしましょうと言ってくれたが――新たな命を宿すことなくこの世を去ってしまった。
ヴィオルと共に子供たちに囲まれて庭でお茶をして遊び、夜には皆で歌ったり物語を読んで過ごす……それができたなら、どれほど幸福な人生だろう。まだヴィオルにはこの望みを伝えていないが、彼ならきっと頷いてくれる。
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