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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。
感謝祭デート。
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お祭りの賑やかな空気の中そぞろ歩くのは実に良い物だ。異国の珍しい品から近隣で採れたと思われる農産物、変わったパンや素朴な焼き菓子類、瓶詰の保存食に手作り品、工芸品――バザールにはそういったものが所狭しと並んでいた。普段よりも安く買えるらしく、人々はここぞとばかりに色々買い溜めている。
混んでいるとは言っても、そこそこ歩ける位の混雑。日本の大都市の中心部程ではなかった。この分なら護衛とはぐれたりはしないだろう。大丈夫だなと安心する。
少し手を繋ぐのが疲れてきたので、私は思い切ってグレイの手を離すと同時に腕をえいっと抱きこんで密着した。
「ちょっ、マリー!?」
「ごめんなさい、手が疲れちゃったの。今日はお忍びなんだし、良いでしょう?」
「は、恥ずかしいよ……」
保守的な文化である。男女で腕を組む事はあるものの、その場合も節度ある距離を保つものである。こうして人前で密着するのははしたない事――とマナー講師のハイミスには習ったが今日は無礼講だし、少しぐらい大胆に振る舞っても構わないだろう。前世ではよくある事だしな。
歩きながらちらっとグレイの横顔を見ると、頬が少し赤くなっている。丁度私達と同じぐらいの年齢の男の子達の集団がそれを見ていたらしく、ヒューッと口笛を吹いて囃し立てた。
「お二人さん、そんなにくっついてお熱いこった!」
「いよっ、色男!」
「うふふっ、ありがとう。素敵でしょう? 私の恋人なの」
冷かされたところでそんなものは私にとっては蛙の面に水、むしろ讃辞である。
彼らに余裕綽綽でにっこりと微笑みかけて組んでいない方の手を振ってやると、一斉に顔を赤らめて俯いていた。
からかいの眼差しで囃し立てる年齢の彼らも、恋人が出来ないまま後数年もすれば嫉妬の視線を向けるようになるに違いない。実際独り身と思われる年上の男共の目付きは若干険しいしな。
グレイはと見るとすっかり真っ赤になっている。眼福眼福。うん、あの男の子達はいい仕事をした。
満足しながら鼻歌を歌っていると、唐突に上がる金切り声。続いて「スリだ!」という叫び声が聞こえた。
「あたしの財布が! 誰か捕まえてぇっ!」
どうやら手癖の悪い人間が出たらしい。護衛とサリーナが身構える。と、身形のあまり宜しくない男がこちらに向かって人混みを割って凄い形相で駆けて来た。
「どけっ!」
「おっと」
護衛の一人が男の勢いをそのまま利用して柔道の様な体術で地面にねじ伏せる。呻き声を上げるスリの男。先程の悲鳴の主と思われる女性が駆けてきた。
スリの男の懐から財布と思われる革袋を取り出して女性に渡す護衛。
「あっ、ありがとうございます!」
「いっ、痛ててっ!」
無事に女の人に財布が戻って良かったと思っていると、背後で誰かの声がした。振り向くと、もう一人の護衛が別の男の手を捻じ曲げている。
「騒ぎに紛れて坊ちゃんから掏ろうなんて百年甘いな」
「くそっ、離しやがれっ!」
「どいた、どいた!」
その時、タイミング良く感謝祭の警備員と思われる人達が駆け付けてきた。誰かが通報してくれたらしい。二人のスリを彼らに引き渡す。
彼らの何人かはグレイの顔を知っていたらしく、「これはキーマン商会の」と会釈をしている。ルフナー子爵子息よりもキーマン商会の若旦那という顔の方が知られているのかも知れない。
グレイもお勤めご苦労様です、とにこやかに労いの言葉を掛けていた。興味が湧いたので彼らについて訊いてみると、彼らは街の警備を担っているらしく、庶民で構成される自警団組織なんだそうだ。その上に民生を司る代官がいるとか。という事はギャヴィンの管轄なのだろうか。
そんなことを思っていると、グレイが肩を竦めて悪戯っぽく笑った。
「あのスリには気の毒だけど、安全の為に大金は持ってきてないんだよね」
「えっ? じゃあお買い物はどうするの?」
「キーマン商会は信頼があるからね。大きな金額の買いものは商会へのツケか、銀行の預かり証を使ってみようと思ってるんだ」
「預り証を?」
「うん。預かり証――最近は銀行券って呼ばれ始めてるけど、大きな商会なら大分広まってるからね。少なくともうちと取引のある所なら使える筈だよ」
「まあ、そうなの! 素晴らしいわ!」
私は掛け値なしに賛美した。グレイ、有能過ぎる。銀行の預かり証の利便性は順調に広まってきているようだ。しかも、『銀行券』と呼ばれ始めただなんて! 世界初かも知れない紙幣である。その内偽造防止策とかも考えた方が良いかもな。
ふと、ぷん…と肉の焼ける良い匂いがしてきた。香辛料を使っているのだろう、美味しそうな香ばしい香り。
「あの、グレイ。私、行儀が悪いかも知れないけど、屋台で買い食いしてみたいわ」
少しお腹も空いた事だし、もじもじとして言うと、グレイは微笑ましそうにこちらを見詰めて来る。
「ああ、美味しそうな匂いだね。僕もさっきから気になってたんだ。良いよ、他には?」
「ええと、後……家族へのお土産を買いたいの!」
それに、もうすぐ結婚してしまうアン姉にも価値あるものを贈りたい。ネタじゃない渾身の刺繍を入れたハンカチやクッションカバーなどの小物、レースをふんだんに使ったエロ下着等の贈り物はもう用意してある。それ以外にも何か良い物があればと思ったのだ。後、家族全員にお揃いの何かが欲しい。
そう言うと、グレイは思案気に視線を斜め上に動かした。
「家族のお揃いにものとアン様への贈り物か……じゃあきちんとした物が良いよね。露天じゃなくてアールの管轄の宝飾店があるから、後でそこへ行っても良いかもね」
「まぁ、お義兄様のお店!? 楽しみだわ!」
早速とばかりに串焼きを買って立ち食いする。ビールが飲みたいな。こんなのは前世以来で凄く楽しい。
様々な店を冷かす。田舎風の手作りの可愛らしい小物も買った。端切れを使って農家のおかみさんが作ったものだそうで、前世のバザーみたいである。
異国情緒漂う香辛料の店を見つけた時はテンションが上がりまくった。半分は薬として売られていたのには驚いた。これらのスパイス類もきっと、お箸のように使いどころが分からないからなのだろう。だから異国渡りの貴重な薬という触れ込みで売っていると。
流石に高い買い物なのでツケ買いになったが、グレイの怒涛の交渉で比較的安くなったと思う。店主に色々質問してカレーに出来そうなスパイスに当たりを付ける事が出来て良かった。勿論帰ったらカレーを作ってみるつもりである。お菓子に使えそうな香辛料も幾つか購入した。実に楽しみである。
混んでいるとは言っても、そこそこ歩ける位の混雑。日本の大都市の中心部程ではなかった。この分なら護衛とはぐれたりはしないだろう。大丈夫だなと安心する。
少し手を繋ぐのが疲れてきたので、私は思い切ってグレイの手を離すと同時に腕をえいっと抱きこんで密着した。
「ちょっ、マリー!?」
「ごめんなさい、手が疲れちゃったの。今日はお忍びなんだし、良いでしょう?」
「は、恥ずかしいよ……」
保守的な文化である。男女で腕を組む事はあるものの、その場合も節度ある距離を保つものである。こうして人前で密着するのははしたない事――とマナー講師のハイミスには習ったが今日は無礼講だし、少しぐらい大胆に振る舞っても構わないだろう。前世ではよくある事だしな。
歩きながらちらっとグレイの横顔を見ると、頬が少し赤くなっている。丁度私達と同じぐらいの年齢の男の子達の集団がそれを見ていたらしく、ヒューッと口笛を吹いて囃し立てた。
「お二人さん、そんなにくっついてお熱いこった!」
「いよっ、色男!」
「うふふっ、ありがとう。素敵でしょう? 私の恋人なの」
冷かされたところでそんなものは私にとっては蛙の面に水、むしろ讃辞である。
彼らに余裕綽綽でにっこりと微笑みかけて組んでいない方の手を振ってやると、一斉に顔を赤らめて俯いていた。
からかいの眼差しで囃し立てる年齢の彼らも、恋人が出来ないまま後数年もすれば嫉妬の視線を向けるようになるに違いない。実際独り身と思われる年上の男共の目付きは若干険しいしな。
グレイはと見るとすっかり真っ赤になっている。眼福眼福。うん、あの男の子達はいい仕事をした。
満足しながら鼻歌を歌っていると、唐突に上がる金切り声。続いて「スリだ!」という叫び声が聞こえた。
「あたしの財布が! 誰か捕まえてぇっ!」
どうやら手癖の悪い人間が出たらしい。護衛とサリーナが身構える。と、身形のあまり宜しくない男がこちらに向かって人混みを割って凄い形相で駆けて来た。
「どけっ!」
「おっと」
護衛の一人が男の勢いをそのまま利用して柔道の様な体術で地面にねじ伏せる。呻き声を上げるスリの男。先程の悲鳴の主と思われる女性が駆けてきた。
スリの男の懐から財布と思われる革袋を取り出して女性に渡す護衛。
「あっ、ありがとうございます!」
「いっ、痛ててっ!」
無事に女の人に財布が戻って良かったと思っていると、背後で誰かの声がした。振り向くと、もう一人の護衛が別の男の手を捻じ曲げている。
「騒ぎに紛れて坊ちゃんから掏ろうなんて百年甘いな」
「くそっ、離しやがれっ!」
「どいた、どいた!」
その時、タイミング良く感謝祭の警備員と思われる人達が駆け付けてきた。誰かが通報してくれたらしい。二人のスリを彼らに引き渡す。
彼らの何人かはグレイの顔を知っていたらしく、「これはキーマン商会の」と会釈をしている。ルフナー子爵子息よりもキーマン商会の若旦那という顔の方が知られているのかも知れない。
グレイもお勤めご苦労様です、とにこやかに労いの言葉を掛けていた。興味が湧いたので彼らについて訊いてみると、彼らは街の警備を担っているらしく、庶民で構成される自警団組織なんだそうだ。その上に民生を司る代官がいるとか。という事はギャヴィンの管轄なのだろうか。
そんなことを思っていると、グレイが肩を竦めて悪戯っぽく笑った。
「あのスリには気の毒だけど、安全の為に大金は持ってきてないんだよね」
「えっ? じゃあお買い物はどうするの?」
「キーマン商会は信頼があるからね。大きな金額の買いものは商会へのツケか、銀行の預かり証を使ってみようと思ってるんだ」
「預り証を?」
「うん。預かり証――最近は銀行券って呼ばれ始めてるけど、大きな商会なら大分広まってるからね。少なくともうちと取引のある所なら使える筈だよ」
「まあ、そうなの! 素晴らしいわ!」
私は掛け値なしに賛美した。グレイ、有能過ぎる。銀行の預かり証の利便性は順調に広まってきているようだ。しかも、『銀行券』と呼ばれ始めただなんて! 世界初かも知れない紙幣である。その内偽造防止策とかも考えた方が良いかもな。
ふと、ぷん…と肉の焼ける良い匂いがしてきた。香辛料を使っているのだろう、美味しそうな香ばしい香り。
「あの、グレイ。私、行儀が悪いかも知れないけど、屋台で買い食いしてみたいわ」
少しお腹も空いた事だし、もじもじとして言うと、グレイは微笑ましそうにこちらを見詰めて来る。
「ああ、美味しそうな匂いだね。僕もさっきから気になってたんだ。良いよ、他には?」
「ええと、後……家族へのお土産を買いたいの!」
それに、もうすぐ結婚してしまうアン姉にも価値あるものを贈りたい。ネタじゃない渾身の刺繍を入れたハンカチやクッションカバーなどの小物、レースをふんだんに使ったエロ下着等の贈り物はもう用意してある。それ以外にも何か良い物があればと思ったのだ。後、家族全員にお揃いの何かが欲しい。
そう言うと、グレイは思案気に視線を斜め上に動かした。
「家族のお揃いにものとアン様への贈り物か……じゃあきちんとした物が良いよね。露天じゃなくてアールの管轄の宝飾店があるから、後でそこへ行っても良いかもね」
「まぁ、お義兄様のお店!? 楽しみだわ!」
早速とばかりに串焼きを買って立ち食いする。ビールが飲みたいな。こんなのは前世以来で凄く楽しい。
様々な店を冷かす。田舎風の手作りの可愛らしい小物も買った。端切れを使って農家のおかみさんが作ったものだそうで、前世のバザーみたいである。
異国情緒漂う香辛料の店を見つけた時はテンションが上がりまくった。半分は薬として売られていたのには驚いた。これらのスパイス類もきっと、お箸のように使いどころが分からないからなのだろう。だから異国渡りの貴重な薬という触れ込みで売っていると。
流石に高い買い物なのでツケ買いになったが、グレイの怒涛の交渉で比較的安くなったと思う。店主に色々質問してカレーに出来そうなスパイスに当たりを付ける事が出来て良かった。勿論帰ったらカレーを作ってみるつもりである。お菓子に使えそうな香辛料も幾つか購入した。実に楽しみである。
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