貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

グレイ・ルフナー(55)

 キャンディ伯爵家へと到着する。迎えてくれた侍女は、マリーは今喫茶室でアン様とお茶を飲んでいるとお伺いを立ててきた。僕はアン様にもお話したい事があるから丁度良いと伝えてそのまま案内してもらう事にする。
 喫茶室の扉近くまでやって来た時、奇妙な声が聞こえた。異変に思わず聞き耳を立ててしまった僕は多分悪くない。

 「『生まれついてのろくでなしィ~♪

 生まれついての豚野郎ォ~♪

 生まれついてのケダモノォ~♪

 生まれついての畜生道ォ~♪』」

 僕の背筋に冷や汗が流れた。
 若い女性だと思うけど、おどろおどろしい声。それにしても何つう歌詞だ。

 「さあ、アン姉もご一緒に! あのクジャク野郎を蹴り倒して唾吐きかける気持ちで叫ぶのよ!」

 「ええっ!?」

 予想はしてたけど、やっぱりマリーだった。しかもアン様に歌う事を強要している。
 あのクジャク野郎とはザイン様の事、マリーの台詞からして娼館通いの事でアン様を励まそうとしているに違いない……と思いたい。
 問うように侍女を見ると、彼女も固まっている。僕の視線にぎこちない笑みを浮かべ、「では私はこれで」と一礼して去っ……逃げて行った。
 酷いよ、一人取り残された僕にあの中へ入って行けと。

 「その調子よ! 恥もかなぐりすてて、もっと大きく叫んで! 『生まれついての獣ォ~♪』!」

 「『生まれついての獣ォ~♪』!」

 アン様がマリーの歌を復唱する。仕方なく扉のノブに手を回す僕。

 「『生まれついての畜生道ォ~♪』、はい!」

 「『生まれついての畜生道ォ~♪』!!」

 ち、畜生道……いや、僕は何も悪い事はしていない。勇気を出すんだ。
 意を決して、それでも気付かれないようにそっと扉を開ける。

 マリーの背中が見え、彼女と向かい合いになっているアン様と目が合った。アン様の目が驚きに見開かれ、歌が途切れる。僕を指さして陸に上げられた魚のように口を動かしている。
 「えっ、何!?」とマリーが振り向く。彼女の口が大きく開けられ、ショックを受けたような表情になった。僕はやはり入るべきじゃなかったと後悔する。

 「何か……ごめん」

 そうだ、見なかった事にしよう。暫く時間を置いて出直した方が良さそうだ。
 別室で待たせて貰おうと僕は踵を返して歩き出した。マリーが慌てて追ってきて捕まえるまで。


***


 「気が狂ったように見えたのはわかってる。でも悲しい時、辛い時、鬱屈した時。人は思い切り歌ったり踊ったりして感情を解放しないといけないものなのよグレイ。そう、心を守るために」

 喫茶室に連れ込まれた僕は、マリーが言い訳をするのを聞かされていた。
 というか、気が狂ったように見える自覚はあったんだね、マリー。
 そう思ったものの、深く突っ込んではいけないと僕の頼れる本能が告げていたので、そう言う事だと自分に納得させる。

 それよりも、とマリーが話し出す。やはりザイン様の事でアン様が気に病んでしまっていたらしい。僕は安心して貰う為にも知り得た事を話した。アン様は手紙をアルバート殿下に書いて訊いてみると喫茶室を出て行った。殿下ならザイン様と仲が良く、立場も上。その方が良いだろうと思う。

 二人きりになった僕達。先程の事を訊いてみたいという気持ちが一瞬湧き上がったけれど押し殺す。忘れるのが吉だ、うん。
 マリーは僕の来訪を喜んでくれた。僕の忙しさを心配してくれる彼女を、感謝祭のお忍びデートに誘う。僕の言葉に一瞬呆けたようになったマリーは、次第に顔を明るく輝かせていった。彼女の侍女のサリーナが心配そうにしているので、サイモン様の許可を取って護衛もちゃんとすると言葉を添える。
 きゃあ、と歓声を上げ喜ぶマリー。例年、商人を呼びつけての買い物で我慢させられていたという彼女は一度も市井を出歩いた事がなかったのだろう。このデートを計画して良かったと心から思う。

 「絶対ね、約束よ! グレイ、こんな風に小指を出して。約束のおまじないをしたいの!」

 「あ、うん」

 マリーの言う通りにすると、彼女は小指同士を絡ませておまじないの呪文を唱える。

 「ユビキリゲンマン、嘘ついたら針を千本飲ませるぞ!」

 ……針を千本飲ませるって、おっかないなぁ。それだけ楽しみにしてくれているんだろうけれど。
 これはサイモン様との交渉を頑張って、是が非でも許可をもぎ取らないと。
 僕は苦笑して、分かってると言いながらマリーの頭に手をやった。


***


 キャンディ伯爵家の訪問から数日後の午後。事件が起こった。

 仕事を一段落させた僕は、母レピーシェやアールと共に居間でおやつとお茶で一息ついていた。祖父エディアールは感謝祭の打ち合わせ、祖母パレディーテは趣味の詩作の会に出かけており、父ブルックは馬車の会合で留守だ。
 静かで平和な一時に、突如として上がる叫び声。何事かと思って耳を澄ませると、「良いからさっさと取り次ぎなさい」「いきなり何なのですか!」等とやりとりが聞こえる。どうも、来訪者は女性のようだ。
 母は眉を顰めて扉の方を見詰める。

 「何かしら。騒がしいわね」

 「ちょっと見てくるよ」

 気になったので僕は立ち上がった。この屋敷に用がある人は大抵父か僕に用事があるからだ。
 しかし玄関に向かった僕は思いもかけない人物を目にする事になる。

 「無礼者、離しなさい! アールに会わせて! 居るのでしょう?」

 リプトン伯爵夫人フレールだったのだ。ルフナー子爵家に突如やってきたのは。
 我が家に押し入らんばかりに暴れているのをうちの使用人達が必死に身を押しとどめている。彼女は僕の姿を目にするや否や、「ああ、グレイ!」と哀れっぽい声を出した。

 「お願い、あの人に――あなたのお兄様のアールに会わせて欲しいの! 私は、もう、もう……!」

 それだけを言って崩れ落ち、顔を覆って泣き出すフレール。しかしここはルフナー子爵家の玄関だ。そんな事をされれば無用な醜聞が立ちかねない。
 不本意だけど一度招き入れざるを得ないのかと思った時、背後から兄の声がした。

 「リプトン伯爵夫人、ひとまず落ち着いて下さい。お話なら中でお聞きしますから」

 「ああ、アール! 会いたかったわ!」

 フレールはアールの声に顔を上げて近づこうとした。しかし使用人達にそれを阻まれる。

 「何をするの!? 彼は私の前の夫、知らぬ仲ではないのよ? 邪魔をしないで!」

 フレールの言葉に、アールは申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 「申し訳ありません。残念ながら、私と貴女様の婚姻は白紙に戻ったので、婚姻の事実そのものが消えたのですよ。ですから、私は前の夫ではございません、リプトン伯爵夫人。貴女様もまた、初婚でいらっしゃいます」

 「あ……。アール、まだ私の事を憎んでいるのね。本当にごめんなさい、私、貴方に本当に酷い事をしたわ。謝りたくて……」

 またぽろぽろと涙を流し始めるフレール。アールは「取りあえず落ち着ける場所にご案内致しましょう」と使用人に目配せをした。
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