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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】
グレイ・ダージリン(26)
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城の廊下を一路、サイモン様の元へ急ぐ。
僕はいつになく気分が高揚していた。『前世の知識を透視能力で自由自在に得る事が出来る』――先刻マリーが言った事はとんでもない事だったからだ。
マリーが生まれる前に生きていたという、こことは異なる世界。
かつて彼女が見せてくれた、車や電車、飛行機という鉄の塊が信じられない速度で走ったり空を飛んだりしている風景を思い出す。
あの世界の知識を得る事が出来る――!
バタン、と食堂の扉を勢いよく開けると、そこに居た全員の視線が僕に集中した。
サイモン様がぎろりとこちらを睨む。
「……何事だ、グレイ。騒々しいぞ」
「あっ、ご無礼致しました、申し訳ありません! 気が逸って焦っておりました」
一刻も早く知らせないと、と思うあまり無作法な事をしてしまっていた。僕は素直に謝罪する。
サイモン様は視線を和らげると、首を傾げた。
「お前らしくもないな、一体どうした?」
「はい、マリーが! 義父様に報告したい事があると……ただ、彼女は今歩くのはその……辛い状態ですので、義父様に来て頂きたいとの事でした」
「その様子だと、急ぎのようだな。丁度食事を終えた所だ、向かおう」
言って、サイモン様は席を立つ。
急ぎ寝室へ向かいマリーから話を聞いたサイモン様は、さっきの僕と同じように落ち着きを無くしてしまった。
あの世界の光景を一度でも知ってしまったのなら誰だってこうなるだろう。
ただしマリーは問題があるという。
知識を提供する事は出来ても理解はまた別なのだと。成程、確かに道理だ。
しかしサイモン様は左程気にした様子も無く、だったら学者等に研究させればいいと言われた。
「今の所、目標としては――」
これかしら、との言葉と同時に。
僕の目の前に巨大な鉄塊の連なりが、物凄い音を立てて煙を吐き出しながら走る幻影が広がった。
鉄の道を走る――電車というものに似ている。幻影は移ろい、今度は同じように煙を出しながら洋上を進む大きな帆の無い船の姿。
「蒸気機関車と蒸気船よ。これを使えば大量に物資を運べるし、帆船よりも安定した航海が出来る筈。これなら今の技術から少し発展させれば作れると思って」
サイモン様はこれだけでも世界が変わると言って、早速学者を集める手配をしなければと慌ただしく出て行ってしまった。
残された僕とマリーは思わず顔を見合わせる。
知識があっても、マリーの言う通りその実現には金も人も資源も沢山必要になるだろう。
だけど僕は未来への期待に胸を躍らせていた。これから起こる時代の大いなる旋風は、間違いなくマリーを中心に吹き荒れる。それを間近で見、また関われる事は何て幸運なのだろう。
頑張って稼がなきゃ。
微笑むマリーに、僕は力瘤を作ってみせて気合いを入れた。
***
春を過ぎて夏に差し掛かっている季節、少し汗ばむ陽気の中。
僕はリディクトに乗って山道を進んでいた。
目的地は馬ノ庄。前脚のヨハンと後ろ脚のシュテファンの故郷だ。
昨日、サイモン様が寝室から出て行った後。
マリーの部屋にヨハンとシュテファンが訪ねて来て、彼らの父ヴァルカー卿が馬ノ庄に帰るので一緒に来て貰えないかと願い出てきた。
賢者認定儀式の準備に少し日を取られる事だし、片道半日程の馬ノ庄ぐらいなら行く時間が取れるだろうと。
マリーは動けない事を理由にして渋っていたけれど、ヨハン達があの天馬に乗せて行くから問題ないと主張。そこへヴァルカー卿までやってきて、マリーは是非来て欲しいと懇願されていた。
サイモン様に確認を取ると、僕達夫婦で同行者を選抜して行って来いとの事。
相談の末、外部の人間からはアルトガルとエヴァン修道士を連れて行く事になったのだった。
揺れる視界、僕は穿いているズボンに視線を落とす。
以前、こういうのを作れないか、と画布を見せられた事を思い出す。緑や茶色の絵具で塗りたくったような柄で、あまり綺麗な柄とは言えない。布地もどちらかと言えば庶民が着るような布地に近い。
その時は何に使うかもいまいち分からず、キーマン商会と繋がりのある染物職人を紹介したんだっけ。
「グレイ、これは迷彩柄と言って、あちらの世界で軍人の戦闘服として使われていた柄なの。万が一危険があっても、この服なら何とか森に紛れて逃げ隠れ出来ると思うわ!」
得意気な顔で自信満々に言うマリー。確かにこれならいくら汚しても良さそうでは、ある。
でも、ここって隠密騎士達の領分だからそこまで危険は無いんじゃないかな。
馬に乗って行くんだし。隠密騎士達は兎も角、僕達は着なくても良いんじゃないかと言ったのだけれど、「グレイは山を舐めてるわ!」と言い張られて仕方なく着る羽目になった。
ちなみに本当に隠密騎士達に重宝されているらしい。
カールがつる草等を被って実践して見せてくれたけれど、確かに森の草木に紛れる効果が凄い。
狩りにも重宝されそう。アルトガルも職業柄か、感心して物欲しそうにしていた。
でも、他ならぬマリー自身がその乗っている純白の天馬のせいで相当目立っているのだけれど。
……まあ、本人もそれに気付いてぼやいているから僕からは口にしないけどさ。
先頭を行くカールが湖が見えてきたとこちらを振り返った。
エヴァン修道士の感嘆の声が耳を打つ。森を抜けた先に広がる草原と湖に目を奪われた。
空や山を切り取ったように映し出す美しい澄んだ湖面。
今頃、シャルマンとヤンはベリエ商会を訪問しているのだろうか。交渉、上手く行くといいんだけれど……。
そんな事を思いながら、湖を迂回するように伸びている小道を行く。
暫く行くと、やがて山の斜面に沿って石積みの建物の連なりがあるのが見え始めた。
きっとあれが、馬ノ庄だろう。
僕はいつになく気分が高揚していた。『前世の知識を透視能力で自由自在に得る事が出来る』――先刻マリーが言った事はとんでもない事だったからだ。
マリーが生まれる前に生きていたという、こことは異なる世界。
かつて彼女が見せてくれた、車や電車、飛行機という鉄の塊が信じられない速度で走ったり空を飛んだりしている風景を思い出す。
あの世界の知識を得る事が出来る――!
バタン、と食堂の扉を勢いよく開けると、そこに居た全員の視線が僕に集中した。
サイモン様がぎろりとこちらを睨む。
「……何事だ、グレイ。騒々しいぞ」
「あっ、ご無礼致しました、申し訳ありません! 気が逸って焦っておりました」
一刻も早く知らせないと、と思うあまり無作法な事をしてしまっていた。僕は素直に謝罪する。
サイモン様は視線を和らげると、首を傾げた。
「お前らしくもないな、一体どうした?」
「はい、マリーが! 義父様に報告したい事があると……ただ、彼女は今歩くのはその……辛い状態ですので、義父様に来て頂きたいとの事でした」
「その様子だと、急ぎのようだな。丁度食事を終えた所だ、向かおう」
言って、サイモン様は席を立つ。
急ぎ寝室へ向かいマリーから話を聞いたサイモン様は、さっきの僕と同じように落ち着きを無くしてしまった。
あの世界の光景を一度でも知ってしまったのなら誰だってこうなるだろう。
ただしマリーは問題があるという。
知識を提供する事は出来ても理解はまた別なのだと。成程、確かに道理だ。
しかしサイモン様は左程気にした様子も無く、だったら学者等に研究させればいいと言われた。
「今の所、目標としては――」
これかしら、との言葉と同時に。
僕の目の前に巨大な鉄塊の連なりが、物凄い音を立てて煙を吐き出しながら走る幻影が広がった。
鉄の道を走る――電車というものに似ている。幻影は移ろい、今度は同じように煙を出しながら洋上を進む大きな帆の無い船の姿。
「蒸気機関車と蒸気船よ。これを使えば大量に物資を運べるし、帆船よりも安定した航海が出来る筈。これなら今の技術から少し発展させれば作れると思って」
サイモン様はこれだけでも世界が変わると言って、早速学者を集める手配をしなければと慌ただしく出て行ってしまった。
残された僕とマリーは思わず顔を見合わせる。
知識があっても、マリーの言う通りその実現には金も人も資源も沢山必要になるだろう。
だけど僕は未来への期待に胸を躍らせていた。これから起こる時代の大いなる旋風は、間違いなくマリーを中心に吹き荒れる。それを間近で見、また関われる事は何て幸運なのだろう。
頑張って稼がなきゃ。
微笑むマリーに、僕は力瘤を作ってみせて気合いを入れた。
***
春を過ぎて夏に差し掛かっている季節、少し汗ばむ陽気の中。
僕はリディクトに乗って山道を進んでいた。
目的地は馬ノ庄。前脚のヨハンと後ろ脚のシュテファンの故郷だ。
昨日、サイモン様が寝室から出て行った後。
マリーの部屋にヨハンとシュテファンが訪ねて来て、彼らの父ヴァルカー卿が馬ノ庄に帰るので一緒に来て貰えないかと願い出てきた。
賢者認定儀式の準備に少し日を取られる事だし、片道半日程の馬ノ庄ぐらいなら行く時間が取れるだろうと。
マリーは動けない事を理由にして渋っていたけれど、ヨハン達があの天馬に乗せて行くから問題ないと主張。そこへヴァルカー卿までやってきて、マリーは是非来て欲しいと懇願されていた。
サイモン様に確認を取ると、僕達夫婦で同行者を選抜して行って来いとの事。
相談の末、外部の人間からはアルトガルとエヴァン修道士を連れて行く事になったのだった。
揺れる視界、僕は穿いているズボンに視線を落とす。
以前、こういうのを作れないか、と画布を見せられた事を思い出す。緑や茶色の絵具で塗りたくったような柄で、あまり綺麗な柄とは言えない。布地もどちらかと言えば庶民が着るような布地に近い。
その時は何に使うかもいまいち分からず、キーマン商会と繋がりのある染物職人を紹介したんだっけ。
「グレイ、これは迷彩柄と言って、あちらの世界で軍人の戦闘服として使われていた柄なの。万が一危険があっても、この服なら何とか森に紛れて逃げ隠れ出来ると思うわ!」
得意気な顔で自信満々に言うマリー。確かにこれならいくら汚しても良さそうでは、ある。
でも、ここって隠密騎士達の領分だからそこまで危険は無いんじゃないかな。
馬に乗って行くんだし。隠密騎士達は兎も角、僕達は着なくても良いんじゃないかと言ったのだけれど、「グレイは山を舐めてるわ!」と言い張られて仕方なく着る羽目になった。
ちなみに本当に隠密騎士達に重宝されているらしい。
カールがつる草等を被って実践して見せてくれたけれど、確かに森の草木に紛れる効果が凄い。
狩りにも重宝されそう。アルトガルも職業柄か、感心して物欲しそうにしていた。
でも、他ならぬマリー自身がその乗っている純白の天馬のせいで相当目立っているのだけれど。
……まあ、本人もそれに気付いてぼやいているから僕からは口にしないけどさ。
先頭を行くカールが湖が見えてきたとこちらを振り返った。
エヴァン修道士の感嘆の声が耳を打つ。森を抜けた先に広がる草原と湖に目を奪われた。
空や山を切り取ったように映し出す美しい澄んだ湖面。
今頃、シャルマンとヤンはベリエ商会を訪問しているのだろうか。交渉、上手く行くといいんだけれど……。
そんな事を思いながら、湖を迂回するように伸びている小道を行く。
暫く行くと、やがて山の斜面に沿って石積みの建物の連なりがあるのが見え始めた。
きっとあれが、馬ノ庄だろう。
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