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1巻

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   第一章


 多分、過労による突然死だったんだと思う。
 だって死んだ時の記憶なんてさっぱりなくて、仕事から帰って眠って起きたらいきなり赤ん坊になっていたんだから。
 転生して目が覚めた途端、私はパニックになって泣きわめいた。そこへ慌ててやってきた巨人――大人が、私を優しく抱き上げて揺らしながら、異国語で子守歌を口ずさむ。次第に気持ちが落ち着いてきて、これはリアルな夢に違いないと自分に言い聞かせている内に、私はまた眠りについた。
 しかし、再び目覚めても夢は一向にめることなく。
 数年の時を重ねて言葉を理解し、片言ながら話せるようになった頃には――私はすっかりこれを現実のものとして受け入れていたのである。


 私が転生したのは、とある貴族の家だった。周辺諸国と比して割と大国であるトラス王国のキャンディ伯爵家。
 前世の名はなぜか思い出せないが、今世の私の名はマリアージュ・キャンディ。本当はセカンドネームやら何やらでもっと長いが、自分ですら正確にフルで覚えているか怪しいので割愛する。
 伯爵家とはいえ、七人兄弟の第五子で三女という実にお気楽な身分。親から求められるものも長子より少なく、干渉もあまりされない。政略結婚の時だけ頑張ればいい、みたいな。
 前世ではブラック会社でひいこら働いていた私は思った。
 ――今世では念願のニートになろう、と。
 幸いにも(?)この世界は男尊女卑。女は半人前で守られるべき存在である。
 つまりだ。結婚しても妻は後継ぎさえ産めば、後は働かずにお家で自宅警備員をやっていてもいい。お紅茶をシバいてお茶菓子を摘まみながら娯楽小説を読みふけったり、ゴロたんと惰眠だみんむさぼって過ごしたりしていても、なんら非難されないのだ。
 ただ問題は、結婚相手がそれを許してくれるかどうかである。


 さて、場所はキャンディ伯爵邸にある豪奢ごうしゃな喫茶室。私は意図して微笑みを浮かべながら、目の前の男を抜かりなく観察していた。
 色白で美しく整った顔。鼻のあたりにわずかに散ったそばかすとオレンジがかった癖毛がそこに不完全さと人間味を与え、親しみやすさを感じさせている。しかし鮮やかなグリーンの瞳は鋭い知性の光を宿し、底が見えない。目が合うと、彼はそれを細めて人懐っこい笑みを浮かべた。

「お初にお目にかかり光栄です、マリアージュ姫。私はグレイ・ルフナーと申します」

 十五でねえやが嫁に行くこの世界。自らの数奇な運命と今世の野望を胸に抱きつつ、私は結婚を意識する年齢である十三歳を迎えていた。
 そして今。私の父に才能を見いだされ、婚約相手として選ばれた――裕福な子爵家の令息であるグレイ・ルフナーと対峙たいじしている。
 グレイ・ルフナー、果たして君は私の希望に合致する人物なのだろうか。

「ご丁寧にありがとうございます。ルフナー様はとても有能な方だと伺っておりますわ。私のことは気軽にマリーとお呼びくださいませ。よしなに」

 優雅に見えるよう、ドレスのすそを摘まんで淑女の礼を取る。なかなか辛い。ゆっくりとした所作は巧拙こうせつが出やすいのだが、上品さと育ちの良さを演出するための上流階級婦人の心得であるので仕方ない。
 外見的には生理的嫌悪を抱かなかったのでまずはよし。初対面でも寝れる。
 愛称を許したので、相手には私がこの婚約に乗り気であると伝わったことだろう。
 ちらっと顔を見て、わざと恥じらうように目を伏せる。

「どうぞお掛けくださいまし」

 着席を促すと、グレイ・ルフナーは「それでは失礼して……」と少しホッとしたようにはにかんで腰を下ろした。私も続けて座ると、侍女達が紅茶を注いで給仕しはじめる。今日のお茶は、彼が手土産に持参してくれたものだ。
 それまで黙って私達を見ていたダディサイモンが口を開く。

「二人とも初対面であることだし、じっくりと話し合ってお互いの理解を深めるといい」

 グレイ・ルフナーが「はい」と返事をすると、上がり気味のあごをわずかに動かして頷くダディ。
 表情筋を動かさず傲慢ごうまんさすら感じるダディの、貴族的に澄ました余所よそ行きの所作に、思わず噴き出しそうになる。
 その気配を感じ取ったのか、ダディは私に「くれぐれも妙な振る舞いや発言はしてくれるな」と雄弁に語る眼差しをじろりと向けてから、喫茶室を出ていった。
 まあ気持ちは分からないでもない。何せ、前世持ちの私は普通の令嬢と比べて色んな意味で規格外。この世界の人の作った常識の枠組みには収まらないのである。そんな娘が無事に結婚できるかどうか、ダディなりに心配しているのだろう。
 婚約相手の理想を歯にきぬ着せずぶっちゃけた私。その希望を最大限に叶える形で、ダディはこのお見合いをセッティングしてくれたというわけだ。
 さて、とグレイ・ルフナーに向き合う。
 湯気の立ったカップを手に取ると、そっと香りをいでみた。

「まぁ……良い香り。鈴蘭の花畑に立っているかのようですわね。こんなお茶は初めて……。ルフナー様、このような嬉しいお土産にお礼を申し上げます」

 カップの中には薄い水色すいしょくのお茶が満たされ、鈴蘭のような芳香ほうこうが立ち上る。
 そもそも茶葉はルフナー家の商会が扱っていたものだが、少なくともここトラス王国を始めとするこの世界の西欧風文化圏の国々では喫茶の文化がなかった。それを私が茶葉を見つけて買い、家族に紹介して喫茶文化を持ちこんだという経緯がある。
 それを気に入った社交界の華である母が屋敷に喫茶室を作らせ、貴族の奥様達を招いてサロンを開いた。
 招かれた奥様達が母を真似て喫茶室を作り……と喫茶文化が根付いていくにつれ、茶葉の売り上げは右肩上がり。急成長した茶葉交易は今やルフナー家の主要な事業の一つになっていると聞く。
 この茶葉も遠国から輸入されているものだ。前世で五十グラムで三千~五千円レベルだった春摘み農園ブランドのやつに似ていて、テンションが上がる。
 うん、これは高級茶葉だ。紅茶好きの魂は前世からずっと変わらない。これを用意できる財力に、結婚生活への期待がいやが上にも膨らむ。

「マリー様にそのように喜んでいただけて、持ってきた甲斐かいがありました。私のことも是非グレイとお呼びください」
「じゃあエ……っと、あの。グレイ……様」

 私は思わずうつむいた。
 あ、危ねぇー!
 高級茶葉による上機嫌ティー・ハイテンションのまま、「じゃあエイリアンって呼ぶわ」と素のノリで口走るところだった。無意識に浮かんだ言葉がじわじわと自分をさいなみだす。
『グレイ』は、前世では子供くらいの大きさの、灰色の肌に大きな黒目、小さな鼻と口をした、いかにもといった姿の宇宙人を指す時に使われていた名前だ。そのせいで咄嗟とっさにエイリアンと結びついてしまった。
 笑いを必死でこらえながら、私は猫を被り直した。ひょっとすると顔は真っ赤になっているかも知れない。
 エイ……グレイはくすりと笑って「マリー様は今時珍しい、奥ゆかしい方ですね」なんて言っているが、お見合い相手が笑いを必死にこらえるのに顔を赤らめているだけであり、実際は奥ゆかしさとは程遠い上にニート志望だとはまさか夢にも思うまい。
 最初から自爆技で前途多難である。なんとか立て直しを図らねば。

「そう思われたのはきっと、グレイ様が素敵な方だからですわ。本当は私、結構お転婆なところがありますの。私はおかしいことだとは思っていないのですが、時々、周りの方には突飛とっぴに思われる行動を取ることがあって。ばあやに叱られながら育ちましたのよ。あの、グレイ様はお転婆な女はお嫌いですか……?」

 私はこれ以上余計なことを考えないように脳内で素数を数えながら、じっとグレイを見つめた。うまくいけば寄生させてもらえる相手だ、こびは全力で売るべし。
 それでいて素の自分を匂わせて、予防線も張っておく。徐々に徐々に慣らしていかねば。いきなりすべてをさらけだすと逃げられてしまう。
 グレイはというと、少し顔を赤らめて視線を彷徨さまよわせていた。そうだ、それでいい。私に惚れるがいい。

「き、嫌いではありませんけれど……失礼ながら、父君からは、少々変わったお嬢様だと伺っておりました。しかしこうして実際にお会いすると、到底そんな風には見えませんね」

 恐らく大層な変わり者とでも言われたのだろう。ダディもそれとなく前置きしておいてくれていたらしい。

「まぁ……父が話してしまったのですね。お恥ずかしいですわ」
「いえ、詳しくは伺っていないのです。お転婆とは、どんな?」

 どう説明したものか。私は少し紅茶を口にした。

「そうですわね……令嬢らしからぬ、という意味では、乗馬がしたいとままを言ったり、でしょうか。危ないからと猛反対に遭って、それは許してはもらえなかったのですが」
「ポニーがダメだと?」

 グレイが疑問を呈する。貴族の少女が乗馬というと、お遊びでポニーにまたがるというのが一般的だ。

「いえ、お父様やお兄様達のようにちゃんとしたお馬に乗ってみたくて。でも結局、二人の使用人に付き添ってもらった上で、大人しい馬に乗ることで我慢したのですわ」
「それは……また。マリー様は大事に想われているのですね」

 きっと、彼の脳内では馬上に私と使用人その一、引き馬に使用人その二の図が浮かんでいることだろう。実際とは違うにしても、それは過保護すぎるイメージだ。

「小さな子供みたいでしょう?」
「いえいえ、可愛らしいお転婆ですね」

 グレイは微笑ましく感じたようだ。私は若干の罪悪感を抱き、顔を上げられない。
 ……いや、嘘は言っていない。ちょっとミスリードするように言葉を選んだだけで。
 時をさかのぼること三年前……私はお貴族様らしく乗馬をしたかったのだが、ポニーじゃなければダメだと絶対に許してもらえなかった。『馬は大きくて危ない』『動物は人の言葉が分からないから』『大人しい雌馬めうまでも暴れださないとは言えない』云々うんぬん
『じゃあ人の言葉が分かる、絶対に大人しい馬がいれば許してくれるの?』と訊くと、小馬鹿にしたような『そんな馬が本当にいるのならな』という答え。
 兄様が同じ年だった時には許してた癖に! と頭に来た私はまず、庭師見習いのヨハンとシュテファン兄弟(共に二十代独身)に命じて『絶対に大人しい馬』を作らせた。
 そうしてできた馬は木材や布、塗料に古いくら等を使って作られたハリボテ仕様。胴の中が空洞になっていて、そこへ人二人が入って神輿みこしみたいに担げるようになっていた。
 そして私はそのハリボテ馬のくらまたがると、庭師の兄弟それぞれに前脚と後ろ脚をさせて屋敷中を駆け抜けてやったのである。ダディは頭を抱え、ママンは悲鳴を上げて卒倒。兄姉や使用人達はゲラゲラ笑い、弟妹は我もと乗りたがり、私を走って追いかけたばあやは無理がたたってぎっくり腰。
 ……後でがっちり叱られて頭にタンコブを作った、そんな思い出。
 ちなみに庭師の兄弟は今でも私の愛馬をやっている。今では私の手足となって動くげぼ……もとい、気の置けない臣下だ。
 年々上がる馬のクオリティ。しかし今年はちょっと危機感を抱いている。
 怪しい目つきをした兄弟からむちを渡されたし、ハリボテのほうもドラッグをキメてるみたいに目玉が上を向いていて狂気を増し……なんかこう、いやらしかった。
 そろそろちゃんとした馬が欲しい。

「――そうだ、マリー様。乗馬をなさる時、私がご一緒しましょうか」
「えっ……」

 愛馬に思いをせていた私は、不意を突かれてグレイの顔を見る。余程馬に未練があるように見えたらしい。
 彼は良い考えを思いついたとでも言うようにニコニコとしていた。

「これでも乗馬技術には少し自信があるのです。二人乗りでも軽い駆け足ぐらいは安全に馬をぎょすることができます。マリー様にと選ばれた馬なら大人しいでしょうし」

 そう来たか!

「えっと、それは……」

 心拍数が急上昇、何気にピンチである。
 まずい。私の愛馬がハリボテだとバレたら――
 私は必死に言葉を探した。

「ごめんなさい、あの……私の馬は生きてはいないのですわ」

 ハリボテだけに。
 私の謝罪に、グレイははっとして慌てたように首を振る。

「あ……いえっ、私のほうこそ悲しいことを思い出させてしまって申し訳ありません。では、私の馬にお乗せしましょうか。もちろんとても訓練されていて人に慣れておりますから」
「本当に⁉」
「そのままピクニックに行くのもいいですね。美しい場所を知っていますので」
「まぁ、素敵♪」

 胸の前でパシンと手を合わせ、必要以上にはしゃいで見せる私。危機を脱したばかりかデートのお誘いをいただけるとは塞翁さいおうハリボテ
 それにしても、と内心感心する。
 グレイは三歳年上の青年なのだが、前世アラサーだった私からすると実質年下の男の子という感覚が抜けきらない。よわい十六にして未熟さをあまり感じさせないこういうスマートなデートのお誘いができるとは天晴あっぱれである。
 流石さすがはダディのお眼鏡にかなった、できる男よ。

「ピクニック! 嬉しくて舞いあがってしまいそうな気持ちですわ! どんな場所ですの?」

 ワクワクする私。グレイは少し悪戯いたずらっぽさを含んだ笑みで、唇に人差し指を当てた。

「それは内緒にしておきましょう。そのほうが感動も大きくなるでしょうから」
「グレイ様ったら意地悪ね」
「よく言われます」

 自然に見つめ合い、どちらからともなくうふふあはは、と笑いだす。和やかな雰囲気になった。
 それからは冷めたお茶が淹れなおされ、庭の薔薇がもうすぐ咲くから楽しみだの、日課として小鳥達にえさをあげているだの、お互いに取り留めもないことを話した。
 紅茶好きな私にとっては、この世界のお茶事情を詳しく聞けたこの時間は、グレイとの婚約の話がなかったとしてもとても有意義なものだった。
 ……もうそろそろ時間的にお開きかな。
 婚約も成功しそうだと思っていると、グレイがあっと声を上げた。

「そういえば、マリー様がお茶好きと伺って、是非差し上げようと持参したものがあったのです。これも今日召し上がっていただいたものに並ぶ程、本当に珍しい茶葉で。今朝やっと届いた品なのですが……」

 グレイは間に合って良かったと言いながら、侍女の一人から鞄を受け取る。その中から取りだされたのは小さな包み。
 彼はそれをテーブルの上に置いて広げかけ――うぇっと声を上げて愕然がくぜんとした表情になった。

「どうなさったの?」
「す、すみません! 間違って持ってきてしまったようで……!」

 片手を額に当ててテーブルに突っ伏しかけているグレイ。
 包みの開けられた口には、焦げ茶色の粉状のものが顔を出していた。

「お茶を仕入れた後、茶葉を選別するのですが……これは商品にもならない、底に溜まったカスのようなもので。いつもは使用人に下げ渡しているのです……それが、なんで」
「ちょっと拝見しますわね」

 声をしぼりだすように話す彼。すっかり頭を抱えて、しょげてしまっている。
 私は有無を言わさず包みを手にした。中身を少してのひらに出して確認する。
 これは……ファニングスやダストと言われるレベルの細かい茶葉ではないか。
 目の前の茶葉を眺め、ふと、今まで飲んできた紅茶は所謂いわゆるオレンジペコータイプが多かったようだと気付いた。
 オレンジペコーとは紅茶の等級で、大きめの茶葉のことだ。ファニングスやダストも同じく等級で、前世では質の良し悪しではなく形状や大きさで名称が決まっていた。
 しかし、さっきのグレイの言葉からすると、前世と違ってこちらでは茶葉の大きさや形状で質の良し悪しが判断されているのだろう。
 でも、これなら……
 てのひらに乗せた茶葉を見ながらふんふんと考えこんでいると、グレイが力なく首を振る。

「本当に申し訳ありません。これは下げさせていただきますね。後日、本来お贈りするはずのものとおびの品を――」

 言いかけて包みに伸ばされた手に、私はそっと自分のそれを重ねた。

「グレイ様」
「……マリー様?」

 いぶかしげにこちらを見つめるグレイに、私はにっこりと微笑みかける。

「グレイ様、これ頂戴ちょうだいしてもよろしくて?」

 さりげなく、今日くれるはずだったやつも後日ちゃんと持ってこいよ? と言っているのはご愛敬あいきょう
 グレイは情けなさそうに眉を下げた。

「でもこれは――」
「私、自他ともに認めるお茶好きですのよ。先程、間違ってお持ちになったとグレイ様はおっしゃいましたが、私にはその間違えさえも運命的に思えましたの。これはこれでとっても素敵なものです。だから欲しいのですわ。もちろん、私を喜ばせようとしてくださったグレイ様のお気持ちも、とっても嬉しゅうございました」

 言って、くすりと笑う。
 グレイは戸惑ったように瞳を揺らした。

「でも、グレイ様はご自分がどんなに素敵なものを下さったのかご存じないみたいですわね。ですからお帰りになる前に、これでお作りしたとっておきの一杯を召し上がっていただきたいのですわ。どうか、お付き合いくださいまし――サリーナ」

 グレイが頷いたので、私は自分付きの侍女を呼ぶ。
「はい」と返事をして近づいてきたのは、焦げ茶色の髪と瞳の落ち着いたたたずまいの侍女。
 彼女は探偵小説の主人公を張れそうな程、気配を感じさせずにさりげなく仕事をこなす、デキる子なのだ。
 ちなみにこの世界において、貴族に仕える近侍や侍女はその家臣の子息子女――つまり良いご家庭のお坊ちゃんやお嬢さんであることが多い。サリーナもまたうちの家臣のコジー男爵家の娘であり、行儀見習いも兼ねて屋敷に勤めている。なので私は彼女に対しては、庭師に過ぎないヨハン・シュテファン兄弟よりも結構気を遣うのである。
 そんなサリーナに茶葉の入った袋を渡して淹れ方を耳打ちすると、彼女は一つ頷いて部屋を出ていった。もちろんその行く先は厨房である。

「ここで淹れるのではないのですか?」
「ええ、鍋と火を使いますの。それに追加の材料もありますから」

 しばらく経って、サリーナがティーポットを持って戻ってくる。
 空になったティーカップに、湯気を立てて注がれるそれ。

「これは……?」

 グレイが目を見開いた。やはり、まだこの世界にはなかったのだ。

「まぁ、やっぱり美味しそうだわ」

 カップを手に取り、中身を確かめる。湯気と共にただよう紅茶の極上な香り。使用人に下げ渡すと言っても、上質の茶葉を選別した残りだったのだろう。
 甘味として使われた蜂蜜の甘い香りと相まって幸せな気持ちになる。

美味うまい……」


 恐る恐る一口すすったグレイが、取りつくろうことも忘れ、呆然としたように呟いた。

「ミルクと……蜂蜜?」
「ご明察。お口に合って良かったですわ」

 お元気も出てきたようで、とクスクスと笑う私とグレイの眼差しが合わさる。

「種明かしを致しますね。お茶を濃く煮出し、ミルクと蜂蜜を合わせて更に一煮立ちさせたのですわ。いただいたあの茶葉だからこそ、ミルクと合うように濃く煮出せて、美味しく淹れられますのよ」

 そう、私はこのような細かい茶葉なら美味うまいミルクティーが作れると思ったのであった。指示したのは正確にはインディアンミルクティー、つまりチャイの香辛料抜きのレシピである。

「なんと、私は価値のあるものを今まで無駄にしてしまっていたのですね。これだけのものなら……いえ、それよりも貴女あなたはこの飲み方をどこで」

 若干早口でまくし立てるグレイ。圧がすごい。心なしか、瞳の鮮やかな緑がぎらぎらと燃え上がっているようにも感じる。
 少し怖くなった私は、誤魔化ごまかすように人差し指を唇に当てた。

「秘密。さっきの仕返しですわ」
「……これは一本取られましたね。私の負けです」

 そう引き下がったグレイは口の端に笑みを浮かべている。その表情になんとなく腹黒そうな印象を受けるのだが、目の錯覚だろうか。
 そこへ、ダディが見計らったようにやってきた。

随分ずいぶんと打ち解けたようだな」
「はい、お陰様で」

 何事もなく見合いを終えられたのか? と問うようなダディの視線。視界の隅でサリーナがかすかに頷き、私は笑顔を作る。
 グレイが立ち上がったので「私もお見送りを」とそれに続こうとすると、彼は私に向き直った。そうして私の両手を取り、真剣な表情で見つめてくる。

「マリー様。本日は温かいおもてなしをしていただき、感謝致します。こうして実際にお会いして、貴女あなたがとても心優しく得難えがたい女性だということも分かって良かった。また、近い内にお会いしましょう」
「こちらこそ、グレイ様のような素晴らしく素敵な男性がお相手で良かったと、心から神に感謝致しますわ。またお会いするのを楽しみにしております」

 お互いにおおむね好印象……だったと思う。こうしてお見合いは無事に終わった。
 グレイはダディに連れられて喫茶室を出ていった。彼はこの後「どうだうちの娘は」的な、やらしいことを訊かれるのだろう。
 パワハラ。いや、セクハラ?
 そんなデリカシーのなさだから、サイモン(←呼び捨て)は自分がパパンなんて呼んでもらえないことを分かってないのだ。
 しかしこれで私も面接終了。なんだかんだ疲れた。
 一気にソファーにだらりともたれかかる。
 とっとと部屋帰ってパン一にでもなってベッドでゴロゴロしよーっと。
 私はん~っと伸びをして、大きな欠伸あくびをした。


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