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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(45)

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 案の定、服を脱いで温泉に入ろうとしたマリーの暴挙を耳にしたサイモン様は顔を真っ赤にして怒り、彼女の脳天に拳骨を落とした。

 ……普通、娘にはそんな風に叱らないと思うんだけど。まるっきり男の子に対するそれだ。それだけやらかしてきたんだろうなぁ。

 「だ、大丈夫……?」

 ぐぅぅぅ、と呻きながら頭を押さえるマリー。サリーナは無表情、カールは困ったような笑み、前脚ヨハン後ろ脚シュテファンは気の毒そうに見ている。
 こうした光景を初めて見るのだろう、エヴァン修道士は「聖女様ぁぁぁ!?」と顔面蒼白になっている。鳥ノ庄当主ジェロック卿とエロイーズはハラハラとしていた。
 アルトガルは「容赦ありませんなぁ」と後頭部を掻きながら軽口を叩いている。

 「うぅっ、マリーの貴重なノウサイボウが父のせいで死んじゃったわ……何も星を見る程殴らなくても良いじゃない!」

 涙目でサイモン様に抗議するマリー。少し可哀想に思った僕はそんな彼女の頭をそっと撫でてあげる。
 しかしサイモン様は鼻を鳴らし、マリーの行動がマシになるならば多少死んでも構わんだろうと言い放った。酷い、と声を荒げるマリー。

 「いつかロテンブロ文化をトラス王国に広めてやるんだから!」

 小声で言った言葉。分からない言葉だけど、何となく流れから意味は分かった。

 ああ、彼女は全然懲りてない。きっと昔からこんな調子だから、サイモン様の叱り方もエスカレートしてしまったのだろう。

 彼女の頑固な所はサイモン様似なのかも知れない。
 サリーナが何か冷やすものを持って参ります、と部屋を出て行った。


***


 「今日が鳥ノ庄最終日なのよね。急がなきゃ」

 そう言いながらマリーが夕食後の食卓でペンを動かしている。僕達からは大分離れた席だ。定規を駆使して描かれていく図面を皆して覗き込んでいたら、「集中出来ないから描き終わるまで離れていて!」と文句を言われてしまったのだ。
 お茶を飲みつつちらちらとマリーを見ながら待つ事暫く。

 「出来たわ!」

 その言葉に皆が立ち上がり、マリーの下へ。
 これが蒸気エンジンの設計図よ、と言いながら彼女が広げた図面を覗き込んだ。
 マリーが動く原理等色々説明をしてくれようとするけれど、図面だけじゃいまいち分からない。
 理解出来ずにいる僕達に痺れを切らした彼女は、精神感応能力を使ってそれを見せてくれた。

 百聞は一見に如かず。
 流石に実際に動いているものを見た後で図面に戻ると、「ああ、成る程」と思う。同時に、以前見せて貰った『蒸気機関車』がより具体的に現実味を帯びてきた。
 この蒸気エンジンという模型を作って動かす事が出来れば、蒸気機関車も遠くない未来に作れるだろう。
 僕以外の皆もそう思ったのか、口々に感動の声を上げて興奮している。
 興奮が落ち着いて来たら、今度は蒸気エンジンを作る為の具体的な話になった。
 鍛冶を生業としている猿ノ庄と銀等の金属細工を生業としている獅子ノ庄の職人を集めて、全力で取り組む事となり。僕達が二十数日後に獅子ノ庄に向かう時に合わせての完成を見据える流れとなった。
 その時にはサイモン様も獅子ノ庄で落ち合われるとの事。

 それにしても。
 蒸気エンジンの車輪を回す仕組み。クランク機構というそうだけれど、一工夫加えれば車輪を回す以外にも何か別の事も出来そうだ。
 昔アヤスラニ帝国で見た、賢者のからくり人形劇を思い出しながらそう言うと、マリーがにこりと微笑む。

 「そうよ、グレイ」

 何でも、鉱山の排水装置や重い物を運ぶ装置が出来るらしい。


***


 「ふわぁ……眠い」

 「お疲れ様、マリー。夕べは頑張ったんだし、ひと眠りすると良いよ」

 鳥ノ庄を出発して最初の休憩時間。僕はマリーを労っていた。
 出発になったら起こすから、と言うと彼女はこくりと頷いてマントに包まり横になる。直ぐにかすかな寝息の音がし始めた。

 夕べ、別の装置にも応用できるとうっかり口を滑らしたマリー。鉱山の排水に悩んでいたのだろう、サイモン様とジェロック卿、エロイーズの三人に急かされて、その装置の模型の設計図も描いていたのだ。勿論説明の為の精神感応能力も使った。
 「逆に疲れて目が覚めて眠れない……」と真夜中過ぎまで起きていたっけ。
 今朝はちゃんと出発時間に間に合うように起きていたし、サイモン様と怒鳴り合う程元気だったけれど、馬に揺られる内にだんだん眠くなって来てしまったらしく、僕の胸に体を預けるようになっていた。

 ――落としてしまわないか、気が気じゃなかったよ、もう。

 僕は溜息を吐く。早目の休憩を提案して本当に良かった。
 マリーの髪を何となく撫でていると、「グレイ様、どうぞ」とお茶が差し出される。

 「ありがとう、リュシール」

 僕は礼を言って、受け取った。リュシールは、栗色のお下げをした狼ノ庄出身の侍女だという。
 僕達を迎えに来てくれたそうで、エロイーズと入れ替わる形で一行に加わった。
 もしかして、エロイーズや彼女は僕の配下候補だったりするのだろうか。
 そっとポケットを押さえると、かさりと音を立てる紙の感触。

 『グレイよ、各庄巡りではお前という人物を見極められる事になるやも知れぬ。心しておくがいい』

 サイモン様の言葉が胸の中に木霊する。
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