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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(93)

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 マリーがアルバート殿下を軽く睨むようにして見、令嬢達全員が殿下目当てだったようだと口にした。
 行く先々で付きまとわれて大変だった、と肩を竦める殿下。
 と、そこへどこからか響いて来る拍手の音。
 そちらを見ると、エスパーニャ王国のレアンドロ王子がこっちに向かってくるところだった。
 婚約者であるエリーザベト皇女には一瞥もくれず、ただマリーだけを見つめて歩いて来るその姿に、嫌な予感が募る。

 「まあレアンドロ殿下」

 今のを見ていらしたのね、というマリー。レアンドロ王子は恥じらう彼女の前に騎士の如く片膝をついた。

 「何を恥じることがございましょうか、神の娘たるお方が」

 先程の聖女様は正に光り輝いて見えました、と続ける。頬を薔薇色に染めたマリーがこちらを見、視線がかちあった。
 これはまるで――

 マリーは困ったように礼を言う。
 先程、僕は聖女の夫だと紹介した筈だけれど――どうやら僕は喧嘩を売られているらしい。

 「レアンドロ殿下、聖女マリアージュ様は既婚者なのです。殿下の信仰心が篤いことは美徳ですが、人目の多いこのような場所であまり誤解されるようなことは……」

 「そ、そうなのですか!?」

 「先刻、こちらの名誉枢機卿グレイ・ダージリン伯爵が私の夫だとご紹介したと思うのですが……それと、エリーザベト皇女殿下もいらっしゃることですし」

 「……それは大変失礼致しました」

 何かを堪えるように謝罪しながら、レアンドロ王子はその時初めて僕の方を見た。一瞬だったけれど、強く睨みつけられた、と思う。しかし次の瞬間には、申し訳なさそうな表情になっていた。

 ――見間違いだったのか?

 「いえ、分かって下されば良いのです」

 仮に見間違いでなくとも、相手は大国の王子殿下だ。
 事を荒立てることは望まないので、僕は矛を出す事なく穏やかな笑みを崩さなかった。
 それから、レアンドロ王子の席が用意され。茶会は表向き和やかに進んで行く。

 「グレイ卿はどのようにして聖女様と知り合い、結婚したのか興味がありますね」

 とレアンドロ王子が切り出すと、アルバート殿下がレアンドロ殿下、と口を開く。

 「グレイには兄君がいらっしゃるのですが、彼もマリーの姉君と結婚しているのですよ。言わば兄弟姉妹同士での婚姻ですね」

 「……ほう」

 「レアンドロ様、あの方々ですわ。ほら、私が好きな小説【赤髪の悪魔貴族は麗しき薔薇の姫とワルツを踊る】の登場人物にそっくりだとお伝えしたお二人!」

 その時、マリーが少し咽た。
 ……実は僕も危うかった。

 「ああ、あれが――失礼ですが、聖女様のご実家は伯爵家なのに、何故わざわざ子爵家と?」

 レアンドロ王子の問いに、マリーはティーカップを置いて澄まし顔を作った。

 「それは私が望んだからですわ。そしてアール義兄様とアナベラ姉様の仲を取り持ったのも私ですの」

 「聖女様が!?」

 驚愕の表情を浮かべるレアンドロ王子。

 「私、今でこそこうして聖女と呼ばれておりますが、聖女としてのお役目を果たす時以外は社交界等に出るつもりはありませんの。静かで穏やかな生活を望んでいるのですわ。グレイは私の望みを体現した結婚相手でしたの」

 「望めば女性としての頂点――王妃や皇妃も望めるお立場でも?」

 「女性の全てが王妃や皇妃になれれば幸せなのだとお考えなのなら、それは間違いとだけ申し上げておきますわ。
 少なくとも私にとってはのんびり出来ず、様々な制約や仕事を強いられるものとしか思えませんもの。私が求めるものは気楽な生活と自由――そしてそれが実現する環境ですわね」

 王妃だのなんだのはごめんですわ、と断言するマリー。

 「私の幸せは他の誰でもない、私が決めるもの」

 その言葉に、皇女エリーザベトが呆然と「私の幸せは、私が決めるもの……」と呟いている。女王リュサイも何か思うことがあるのか同様だ。

 アルバート殿下が「根本的な価値観の相違ですね。彼女は革新的でしてね――下手にちょっかいを出す男は例外なく痛い目を見るんですよ」と苦笑を浮かべている。
 願わくばアルバート殿下が二度とマリーにちょっかいを出しませんように。
 レアンドロ王子が僕をちらりと見た。

 「グレイ卿がそれを体現していた、と?」

 マリーは頷く。

 「その通りですわ。お蔭様で毎日が楽しくて――ねぇ、グレイ?」

 「そうだね、マリー。良い妻に恵まれた私は果報者です」

 求められた同意を返し、牽制の意味で少し惚気て見せる。
 聖女様とグレイ様は仲睦まじいのですわね、羨ましいですわ、等と女性陣が口々に言い、マリーは頬を染めながらころころと笑い声を上げた。

 「うふふ、グレイったら」

 メテオーラ嬢が呆れた表情で肩を竦めた。

 「やれやれ、お腹いっぱいですわ」

 「あら、もうお菓子は宜しくて?」

 首を傾げたマリーに、「そういう意味じゃないわ」と返すメテオーラ嬢。皆が笑った。

 「それにしても、本当に残り少なくなりましたわね。どなたか召し上がられませんか?」

 見ると、確かに一つ二つ皿に残っているだけだった。
 メテオーラ嬢が勧めるも、誰も手を付けようとはしない。
 マリーが何かを思い出したように笑い出した。

 「うふふ、何人かでこうしたお菓子などを頂く時、決まって最後に一つか二つ残りますわよね。そして何故か誰も手を出したがらない。今もそうだから、何だかおかしくて」

 そう言われればそうだ。僕も何だかおかしみがじわじわとこみ上げてくる。
 女王リュサイもクスクスと笑った。

 「カレドニアでは、『ブラウニー』という家の精霊の伝承がありますの。こうした時、『ブラウニーへの贈り物』にするのですわ」

 「まあ、素敵ですわね」

 皇女エリーザベトが目を輝かせる。きっとこういう話が好きなのだろう。

 「私は個人的に『遠慮の塊』と呼んでましたが、それよりは『ブラウニーへの贈り物』の方がずっと夢がありますわね――では、これはこうしましょう」

 マリーはそう言って、庭園を見渡した。
 やがて、リスや小鳥、カラスといった生き物が沢山姿を現す。
 マリーは立ち上がり、東屋の入り口で焼き菓子を細かく砕いたものを投げてやり、「どうぞ召し上がれ」と言う。可愛らしい生き物達は一斉に手や嘴を伸ばして群がった。
 キャンディ伯爵家にいるのとは違い、警戒しているのか餌を取った先から離れていく。

 「まあ、可愛い!」

 女性達もマリーの後ろから覗き込んで歓声を上げた。特に皇女エリーザベトは大喜びだ。
 ちなみに僕の脳内では「愚民共!」と呼ばわる彼女の姿が過って大変だったけど、何とか顔に出さずに頑張った。

 「はい、これでおしまい」とマリーは再び席に着く。レアンドロ王子がアルバート殿下を見、不思議そうに首を傾げた。

 「随分と人馴れしているようですが、餌やりなどを定期的にしているのですか?」

 「いえ、餌やりなどはしていませんよ。あのリスや小鳥達はまごうかたなき野生です。聖女である彼女が呼んだからこそ来たのでしょう」

 「……何と」

 アルバート殿下の回答に、レアンドロ王子はじっとマリーを見つめた。その奇妙な眼光に、僕はアーダム皇子を思い出す。レアンドロの眼差しは、あの男のマリーを見る目にそっくりだ。
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