25 / 53
霧彦の章
匪躬
しおりを挟む
お見舞いというのは、通常相手から訪ねて来るものだと思う。でも病状を知らなければ来る者も来ないから、それとなく知らせて促すのは分かる。じゃあ呼び付けるのは何だろうか。よほどの寂しがり屋か嫌われ者か、これはあり得ないけど遺言か。
「貸せ貸せ、お前それでも調理人の身内か。流石に甘やかしが過ぎるだろう」
そんなこと言われたって。俺は梨に限らず料理中の皮むき自体したことが無い。
「姉も義兄も悪くありません。私が自分でも憶えてないくらい小さい頃、勝手に刃物を持ち出してざっくり手を切ったからと、用心して触らせてくれなかったのです」
「しつけに口出しは野暮だが。そんなの折を見て監視しながら教えてやればよいだけではないか。あ、教える前に分捕ったからか。そりゃあ悪かった」
「はいはい、さすが元調髪師サマは刃物の扱いもお上手で」
どうせ悪いなんて思ってないくせに。俺がつむじを曲げていると、切ったばかりで瑞々しい梨の欠片を口に放り込まれた。それをしゃりしゃり噛んで飲み込んでいると、いつも怖い顔の留守役が現れ、俺の顔を見て更に険しくなった。
「長上、未明からサルヌリ朝の侵攻が始まりました。場所は例の砦です」
え、やばいじゃん。のんきに梨食ってる場合じゃねえ。俺はびっくりして長上を見たが、予想に反して犬歯が剥き出しになる程破顔していたので、更に驚いた。
「あっはっは、まんまと罠にかかったな、戴冠ッ。精々掌で踊らせてやる。――匪躬を呼べ」
「狼煙を見たようで。既に来ております」
「相変わらず支度の早い。こちらも用意をしよう。霧彦、元と言ったな。世はまだ現役の調髪師のつもりだぞ。留守役と隠れて見ておれ」
長上が寝着から動きやすい軽装に着替えている間、すぐ近くの中庭には次々と棒が立てられ、囲い布を張り巡らし、その中に椅子や剃刀、洗面だらいが設置された。そこへ使用人に案内され、いかめしい武装の大男が単身入って行った。
俺は絶対に声を出すなと留守役に厳命され、その横でこっそりと中の様子を伺った。大男はもう椅子に座っているが、ソワソワとどこか忙しない。だが着替え終わった長上が現れた途端、勢いで椅子を跳ね飛ばして立ち上がり、更には両手を頬へ伸ばして長上の視線を自身へ向けたものだから、それはもう仰天なんてもんじゃない。
「アアッ、阿諛。やつれておるではないか。留守役はいったい何をしているのだ。やれ政だの刺客だのでっち上げ、ただ己の都合良く名を借り。閉じ込め利用しているだけではないかっ」
「気にするな、それはお互い様という奴だ。――急いで駆け付けてくれたのだろう、髪が乱れているぞ。ここに座れ」
長上は落ち着き払った様子で倒された椅子を立て直し、大男を大人しく座らせた。それから手際よく調髪を終えると、片手で大男に目隠しして、言い聞かせるように話し始めた。
「さあさあ匪躬、鬼になれ。全て散り散りに蹴散らしてしまえ」
「ウウウ~ッ、某には出来ませぬ……今でも鮮明に思い出す」
「案ずるな案ずるな、全部俺のための仕事だ。命じるのは俺、おまえは唯唯従うだけ」
「仕事……仕事……仕事……あれは仕事だったのか、でもあんないたいけな命乞いを、見て見ぬふりした。某の意思ではない、本当にそうなのだ。阿諛、信じてくれ阿諛」
「もちろん。匪躬は殺してない。敵を殺すのは、咎を負うのは、いずれ報いを受けるのは、皆ひっくるめて俺の仕事だ。それを勝手に奪って悩むのは、不忠な背臣のする事よ匪躬。お前は違うだろう、俺に忠実だもの」
大男は泣きじゃくりながらヨロヨロと退出して行った。これは果たして調髪なのか……、俺は藪をつついてとんでもないものを見せられてしまった気がする。
留守役は慣れているのか、平然としていた。
「お見事です。長上」
「元より大したことはしていない。分かっているとは思うが、捕虜を送って来ても殺すなよ」
本当に行ってしまうのか。俺は見送りの列の端に加わり観ていることしかできない。長上は軽装から更に武装に着替えて輿に乗った。そこへ先程の大男が、笑顔全開で近付いた。感情の落差が激し過ぎて怖い。
「うはははっ。ハイターク、とかいったか。サルヌリ朝の英雄気取りなど。ぶっ殺して血祭りだ。なあ、楽しみだなあ阿諛、お前に見せてやるのが」
「そうだな匪躬。待ち遠しいからさっさと行くぞ。――ではな留守役、留守中あやぎり朝の一切は任せた」
「安心して行ってらっしゃいませ、長上。必ずやご武運を」
「貸せ貸せ、お前それでも調理人の身内か。流石に甘やかしが過ぎるだろう」
そんなこと言われたって。俺は梨に限らず料理中の皮むき自体したことが無い。
「姉も義兄も悪くありません。私が自分でも憶えてないくらい小さい頃、勝手に刃物を持ち出してざっくり手を切ったからと、用心して触らせてくれなかったのです」
「しつけに口出しは野暮だが。そんなの折を見て監視しながら教えてやればよいだけではないか。あ、教える前に分捕ったからか。そりゃあ悪かった」
「はいはい、さすが元調髪師サマは刃物の扱いもお上手で」
どうせ悪いなんて思ってないくせに。俺がつむじを曲げていると、切ったばかりで瑞々しい梨の欠片を口に放り込まれた。それをしゃりしゃり噛んで飲み込んでいると、いつも怖い顔の留守役が現れ、俺の顔を見て更に険しくなった。
「長上、未明からサルヌリ朝の侵攻が始まりました。場所は例の砦です」
え、やばいじゃん。のんきに梨食ってる場合じゃねえ。俺はびっくりして長上を見たが、予想に反して犬歯が剥き出しになる程破顔していたので、更に驚いた。
「あっはっは、まんまと罠にかかったな、戴冠ッ。精々掌で踊らせてやる。――匪躬を呼べ」
「狼煙を見たようで。既に来ております」
「相変わらず支度の早い。こちらも用意をしよう。霧彦、元と言ったな。世はまだ現役の調髪師のつもりだぞ。留守役と隠れて見ておれ」
長上が寝着から動きやすい軽装に着替えている間、すぐ近くの中庭には次々と棒が立てられ、囲い布を張り巡らし、その中に椅子や剃刀、洗面だらいが設置された。そこへ使用人に案内され、いかめしい武装の大男が単身入って行った。
俺は絶対に声を出すなと留守役に厳命され、その横でこっそりと中の様子を伺った。大男はもう椅子に座っているが、ソワソワとどこか忙しない。だが着替え終わった長上が現れた途端、勢いで椅子を跳ね飛ばして立ち上がり、更には両手を頬へ伸ばして長上の視線を自身へ向けたものだから、それはもう仰天なんてもんじゃない。
「アアッ、阿諛。やつれておるではないか。留守役はいったい何をしているのだ。やれ政だの刺客だのでっち上げ、ただ己の都合良く名を借り。閉じ込め利用しているだけではないかっ」
「気にするな、それはお互い様という奴だ。――急いで駆け付けてくれたのだろう、髪が乱れているぞ。ここに座れ」
長上は落ち着き払った様子で倒された椅子を立て直し、大男を大人しく座らせた。それから手際よく調髪を終えると、片手で大男に目隠しして、言い聞かせるように話し始めた。
「さあさあ匪躬、鬼になれ。全て散り散りに蹴散らしてしまえ」
「ウウウ~ッ、某には出来ませぬ……今でも鮮明に思い出す」
「案ずるな案ずるな、全部俺のための仕事だ。命じるのは俺、おまえは唯唯従うだけ」
「仕事……仕事……仕事……あれは仕事だったのか、でもあんないたいけな命乞いを、見て見ぬふりした。某の意思ではない、本当にそうなのだ。阿諛、信じてくれ阿諛」
「もちろん。匪躬は殺してない。敵を殺すのは、咎を負うのは、いずれ報いを受けるのは、皆ひっくるめて俺の仕事だ。それを勝手に奪って悩むのは、不忠な背臣のする事よ匪躬。お前は違うだろう、俺に忠実だもの」
大男は泣きじゃくりながらヨロヨロと退出して行った。これは果たして調髪なのか……、俺は藪をつついてとんでもないものを見せられてしまった気がする。
留守役は慣れているのか、平然としていた。
「お見事です。長上」
「元より大したことはしていない。分かっているとは思うが、捕虜を送って来ても殺すなよ」
本当に行ってしまうのか。俺は見送りの列の端に加わり観ていることしかできない。長上は軽装から更に武装に着替えて輿に乗った。そこへ先程の大男が、笑顔全開で近付いた。感情の落差が激し過ぎて怖い。
「うはははっ。ハイターク、とかいったか。サルヌリ朝の英雄気取りなど。ぶっ殺して血祭りだ。なあ、楽しみだなあ阿諛、お前に見せてやるのが」
「そうだな匪躬。待ち遠しいからさっさと行くぞ。――ではな留守役、留守中あやぎり朝の一切は任せた」
「安心して行ってらっしゃいませ、長上。必ずやご武運を」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる